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IceDoll  


 ‡ 第2章

   《12》



 零を乗せた車は、東林総合警備株式会社という大きなビルの、関係者駐車場と表示されたゲートから地下に入っていった。

 地下駐車場は広かったが、不思議なほど車数が少なく、薄暗い。

 古谷に促されてビルに入った零は、さらに地下へと下りるエレベーターに乗り込んだ。

 地下二階でエレベーターは止まり、ドアが開く。

 そこから先は、零の日常とはかけ離れた別世界だった。

 エレベーターの両側には二人の男が立っており、彼らの威圧的な雰囲気は完全に常人ではない。

 男たちはそろってダークスーツを着ていたが、古谷の顔を確認すると、礼儀正しく頭を下げた。

 タイミングといい、躰の角度といい、二人の動作はほとんど同じであり、まるで訓練された兵士のようにも見える。

 エレベーターホールを出ると、左右に廊下が分かれ、古谷は迷わず左を選んだ。

 後に従って歩きながら周囲をうかがうと、左右に広がる廊下は、さらに奥へと続き、他の部屋の前にもいかつい男が立っている。

 逃げ出しても、すぐに捕まる。

 そんな配置に見えた。

 廊下の突き当たりは曲がり角になっているようで、その場所に立っていると、先の見えない閉ざされた迷路に踏み込んだような感覚に陥る。

 古谷の靴音しか聞こえない。

 地上の音が、何も聞こえない。

 どこまでも続くような真っ白な壁。

 凄まじい圧迫感に、胸が苦しくなる。

 エレベーターホール近くにある応接室の前にも別の男が控えており、彼らもまた同じように古谷に一礼した。

 その男がドアを開けると、先に部屋に入ろうとした古谷が、立ち止まっている零に向かって手招きをする。

「怖くなったか、零ちゃん?」

 背筋を正し、硬い表情でソファに座った零を眺めやり、古谷はおかしげにくすくすと笑った。

「ここは、一般人は入れない場所なんでしょう?」

 恐怖を露わにせず、淡々と聞き返す。

 零を見つめ、古谷は興味を惹かれたように双眸を細めた。

「まあ、そうだ。あんたみたいな優男を迎えたのは、初めてかもしれねえな」

 古谷がそう言い終えた時、再び重厚なドアが静かに開き、三人の男が入ってきた。

 その中のひとりに見覚えがあり、驚愕した零は、思わずソファから立ち上がっていた。

「――あなたは!?」

 見上げるような長身、冷たい威圧感、日本人離れした秀麗な容貌と鋼色の瞳。

 彼は《KATZE》に来ていたあの男だった。

 第一印象があまりにも強烈であったため、その時の光景や彼の容姿が、脳裏にはっきりと焼き付いている。

 彼は、ソファに座ってひらひらと片手を振っている古谷を見下ろすと、張りのある低い声で言った。

「面倒をかけたな、古谷」

「あんまり坊やを苛めんなよ、鷲塚。
 一応、俺の身内みたいなもんだからよ」

 彼が……鷲塚だったのだ。

 名を呼ばれた男は、唇の片側だけ薄くつり上げると、凍りついたように立ちすくんでいる零に視線を移す。

 鋼の双眸は、《KATZE》で見た時よりもさらに鋭さを増しており、零の存在を脅かすほどに強い。

 零は思わず瞳をそらした。

「じゃあ、俺は帰るわ。
 可愛い秘書がキャンキャン騒いでいたからな」

「お見送りしますよ、古谷さん」

 すらりとした長身の、眼鏡をかけた男が微笑むと、古谷は軽く片手を上げた。

「おう。じゃあ、東山社長に会えたついでに、仕事の話でもしていくか。
 時間、まだ空いてるか?」

「ええ、大丈夫ですよ。
 ここでなら、何かあれば、すぐに上に戻れますからね」

「それなら……お前の部屋をちょっと借りるぜ、高宮」

 緊張のあまり息苦しさを感じている零の横で、場違いなほど和やかな会話が交わされる。

 二人が連れ立って出ていこうとすると、鷲塚が突然口を開いた。

「高宮、お前も席を外してくれ」

 高宮という名の巨漢は、無言で鷲塚に頭を下げると、他の二人と共に応接室を出た。



 ソファに座った鷲塚は悠然と長い足を組み、顔を強ばらせている零を見つめた。

「――座ったらどうだ?」

「あなたが、荒神会の人だったなんて……。
《KATZE》に来たのも、偶然ではないんですね」

 虚勢であっても、無表情の仮面にしがみついていなければ、恐怖と不安で心が崩れてしまいそうだった。

《KATZE》で鷲塚に出会い、零が感じた胸騒ぎは、今思えば不吉な予感だったのだろうか。

 だが、そんな零の言葉には応じず、鷲塚はテーブルの上に一枚の書類を示す。

 鷲塚の手元を見下ろした零は、仕方なく正面に座り、すでに見慣れてしまった借用書に改めて視線を落とした。

 額面は一億円。

 しかし名義は、父親ではない。

 訝しんで首を傾げた零に気づいたのか、無表情だった鷲塚の口許が冷笑を刻んだ。

「お前の父親は、この男の連帯保証人だった。
 お前の父親の連帯保証人も、この男だ。
 お前の父親が借金を踏み倒した場合、この男が全てを被ることになる。
 それは理解できるな?」

 話の展開がよく判らないが、とりあえずうなずいて見せる。

 父が借金の不払いを起こせば、この人に迷惑がかかる。

 そういう事だ。

「一昨日の晩、この男がビルから飛び降り自殺をした。
 つまり、この男の借金は、お前の父親が支払うことになる。
 期限は十日後。
 他の金もそうだが、借りたものはきっちり返してもらう――どんなことをしてでもな」

 鷲塚は冷酷な口調で告げ、零の前に一枚の写真を置いた。

 ビルから落ちた男の、無惨な死体。

 写真には、血に塗れた男の顔がくっきりと写されている。

 崩れた頭部……飛び出した眼球――反射的な吐き気を感じた零はさっと目をそらし、思わず口許を覆っていた。

「お前の父親の所にも警告に行かせてあるがな。
 万が一、こいつのように死なれても困るから、見張りをつけさせてもらった」

 何故、こんな写真が撮れたのだろう。

 自殺現場に居合わせたかのように。

 鷲塚の声を遠くに聞きながらふと思った時、零の全身から血の気が引き、ざっと鳥肌が立った。

 これは、まるで、見せしめ――。

「まさか、僕の家族にも、何かしたんじゃ……」

 不安に目を見開いた零を見返し、鷲塚は冷嘲する。

「勘違いをするな、これはあくまでビジネスだ。
 金を返してもらえれば、それまでのこと。
 だが、返せないなら、こちらも考えねばならん。
 六億は大金だろう? 
 それを黙ってドブに捨てるほど、俺たちは甘くない」

 返せなければ、どうするというのか。

 想像するだけで、躰が震える。

 拳を握りしめ、零は鷲塚を睨みつけた。

「来月までに、そんな大金が用意できるはずないだろう!
 父だって、必死で頑張ってるはずだ」

 鋭く言い返すと、鷲塚はさも可笑しそうにくつくつと嗤う。

「どんなに頑張っても、金にならなければ意味がない。
 自己破産も論外だ。
 何としてでも金は作ってもらう。
 臓器を売ってもいいし、娘を売ってもいいだろうな。
 写真を見させてもらったが、なかなかの玉だ。
 風俗に行っても、客には困らんだろう」

 冷静にならなければと自分に言い聞かせていた零だったが、妹の話題になった途端、恐怖も忘れて叫んでいた。

「咲妃には手を出すな! 何かしたら、絶対に許さない!!」

 激昂して立ち上がった零を見上げ、鷲塚は広い肩をすくめる。

 相手にならないとでも言いたげに。

「くだらん。お前に何ができる?
 ビジネスだと言っただろう。
 それが嫌ならさっさと金を作ればいい。簡単な事だろう?」

 怒りに染まった感情を必死で抑制し、気持ちを落ち着けるために、零は大きく息を吐き出した。

「だけど……家の借金のことだけなら、僕を選ぶはずがない。
 どうして僕の所に書類を送って来たんです?
 ご丁寧に高校時代の書類まで付けて。
 何か目的があったから、店を選んで送りつけてきたんでしょう?
 あなたがわざわざ《KATZE》に来たのも、何か意図があったから――」

 鷲塚は強い眼差しで零を見返し、鋼色の双眸をわずかに細めた。

「この国で、毎年何人の失踪者が出るか、お前は知っているか?」

 不意の問いかけに当惑し、零が眉をひそめると、鷲塚は非情な笑みを口の端に刻む。

「年間で八万人とも言われているが、そのうち半数弱が失踪理由が不明な特異行方不明者とされる。
 失踪届が出されたところで、警察は人員不足でほとんど捜査などしない。
 死体が見つかるのはごく一部――大半は消息不明、存在の痕跡が世間から消え去る」

 身を強張らせる零を、鷲塚は憐れむように、そして嘲笑うように見つめた。

「鳴川家については十分調査させてもらった。
 前途有望な長男についてもな。
 面白い事に、その長男は大学にも行かず、女の格好でフラフラしている。
 親が見たら、さぞ嘆くだろう。
 さらに、その長男がニューハーフパブで働いていて、ある日突然行方不明となったとしても、誰もが訳ありだと考える。
 まともな生活じゃない――そう思わないか?」