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IceDoll  


 ‡ 第2章

   《14》



 新堂がぼそりと呟くと、東山と古谷が恐ろしい形相で立ち上がった。

「なにい、そりゃ本当か新堂!」

「いくらで売ろうって言うんですか?」

 一応カタギであるらしい二人に詰め寄られた新堂は、迫力負けして、一歩後退りをしていた。

「えーと、確か、そう聞いたかなあって。
 借金の肩代わりってことなんでしょうね、やっぱり。
 あ、でも、まだ決まった訳では……」

 顔を引きつらせたまま笑顔を浮かべ、新堂がごまかすように答えると、古谷が首をひねって考え込んだ。

「金が欲しいんだったら、俺が肩代わりしてやろうかねえ。
 六億で零ちゃんが買えるなら、安いもんかもしれねえぜ」

 顎を撫でながら検討している古谷に流し目を送り、東山は皮肉っぽく唇をつり上げる。

「オカマは嫌いだったんじゃないですか、古谷さん?
 私だったら、十億出しても買いますよ。
 それで、可愛く着飾って、家にずっと置いておくんです。
 夜はもちろん、添い寝をしてあげなければ」

 眼鏡の奥の怜悧な目がきらりと光り、それを見た新堂は乾いた笑いを立てた。

「すっげえ豪勢な話ですが、東山さん、オカマ大丈夫だったんですか?」

 新堂の疑問に、東山はひどく艶のある微笑を浮かべる。

「美的感覚の問題ですよ。
 男だろうが、女だろうが、ニューハーフだろうが、美しいものは美しい」

 新堂が思わず「ビョーキだ」と呟くと、東山は冷ややかな一瞥を彼に投げかけ、素早くその手から写真を奪い返す。

 と、その時、デスクで内線が鳴り、受話器に飛びついた新堂が慌てて応対した。

『――新堂、車を出せ』

 鷲塚の指示。

 急いで飛び出していった新堂を見送った高宮だったが、野次馬根性を丸出しにした古谷と東山が追いかける姿を見て、思わず天を仰ぐ。

 厄介な両名を放置するわけにもゆかず、高宮が後に続くと、エレベーターホール前で待ち構える二人に追いついた。

 ちょうどそこに、気を失った零を抱いた鷲塚が現れる。

「あーあ、気絶させちまって。それで、どうする気だ、鷲塚?
 クラブに売りつけるってんなら、許さねえぞ。
 言っただろう、一応、俺の身内みたいなもんだって」

 涙が残る零の顔を見つめ、古谷が冗談めかした口調で訊ねた。

 鷲塚は古谷を見下ろし、同意するようにうなずいている東山を見やると、酷薄に嗤う。

「どうするかはまだ決めていない。だが、これの所有者は俺だ」

「買ったってことか? それで、六億を帳消しにしてやるって?」

「まさか。あと五億の借金があるから、こいつは俺に逆らえない。絶対にな」

 古谷と東山が訝しげに顔を見合わせる。

「……まさか、会長。
 たった一億で、その子を買い叩いたとか言うんじゃないでしょうね?」

 珍しく東山の顔が引きつっているように見える。

 一方の鷲塚は、素っ気なくうなずいた。

「ひっでえ。ボロ儲けじゃねえか。
 金が欲しいならくれてやるから、零ちゃんを売ってくれ。
 お前は、金さえ戻れば良いんだろうが?」

「金はいらん。だが、脅しには役に立つ」

「一番の悪党はお前だな。……零ちゃんも気の毒に」

 訴えをあしらわれた古谷は大きく息を吐き出した。

 一呼吸の後、古谷は気迫の籠った目つきで、鷲塚を睨み上げる。

「いいか、絶対に風俗には売るなよ。
 そんなことするぐらいなら、俺に言え。
 お前の言い値で買ってやる」

「――これに惚れたか、古谷? 
 だがあいにく、これはもう俺のものだ。悪かったな」

 古谷を見返した鷲塚の口には、ぞっとするほど冷酷な微笑が浮かんでいた。



 重く感じる瞼を開けると、見慣れない天井が目の前に広がっていた。

 不思議に思いながら、のろのろと上半身を起こす。

 広々としたベッドに寝ていたことに気づき、零は戸惑いに眉をひそめた。

 部屋全体を見渡すと、零が住むアパートとは比べ物にならないほど広い。

 さらに、ベッド周りのファブリックだけでなく、照明やサイドテーブル、窓際のパーソナルチェアやスタンドランプまで、一流ホテルのように贅沢で上質な雰囲気だった。

 もっとも、モノトーンを基調としたインテリアはシンプルではあったが、どこか殺伐とした印象があり、生活臭というものがまるで感じられない。

(……どこ、ここは?)

 訝しく思いながらベッドを下りた零は、黒いブラインドに覆われた窓辺に近づくと、隙間からそっと外を覗いてみた。

 眼下に広がる光景。

 遙か下の方に、小さな車や人が動いている。

 思いがけないビジョンに、ふっと眩暈を感じた。

 視線の先を遮るものはほとんど無く、遠くに白く霞がかった新宿の高層ビル群が見えている。

 瞳を上げてみれば、驚くほど近くに空があり、手を伸ばせば届きそうだった。

 どうやら自分は、超高層ビルの上層階にいるらしい。

 踵を返した零は、寝室から次の部屋に抜けるドアを開けてみた。

「――うわ、広い……」

 思わず声を上げてしまうほど、ダイニングとひと続きになったリビングルームは広かった。

 家具は極端に少なく、ソファとテーブル、それにオーディオセットやテレビぐらいしかない。

 キッチンはさらに何も無い。

 恐らく一回も使われたことがないのだろう。

 生活していれば使うはずの調理器具ひとつ置かれていない。

 試しに冷蔵庫を開けてみると、ミネラルウォーターと数本の缶ビールが放り込んであるだけだった。

 壁が全体的に真っ白で、絵画などの飾りも無いためか、本当に人が住んでいるのかと疑いたくなる。

 綺麗に整ったモデルルームの方がまだマシだろう。

 オシャレな生活への憧れや、ワクワク感を演出しているから。

 確かに広いことは広い。

 この贅沢な空間使いは、非常に羨ましい。

 かといって、この殺風景な部屋を、零は好きにはなれなかった。

 古くても、狭くても、自分のアパートの方が遙かに愛着がある。

 だが、リビングルームの一面はクリアなガラス張りの窓になっていて、そこからの眺望は素晴らしい。

 すぐ近くには海と空港、そしてお台場らしき風景を見ることができる。

 夜になれば宝石のように煌びやかな夜景が広がるのだろう。

 外の風景をぼんやりと眺めていた零は、徐々に自分の身に何が起こったのかを思い出していった。

 まだ、朝出かけた時と同じスーツをそのまま着ている。

 ということは、荒神会の地下事務所から、この場所へと移動させられたに違いない。

 東京湾が見えるということは、地図上ではもっと東側に連れて来られたということだ。

 それに、今のところ、どこにも傷つけられた様子が無い。

(……どういうこと? 殺されると思っていたのに)

 命を寄こせと囁いた鷲塚の声が、耳元で密やかに蘇る。

 ぞくりと背筋が粟立ち、無意識に自分を守ろうとするように、零は両腕を交差させて肘をつかんだ。

(私は、どうすれば……)

 何もかも終わると思っていたから、どう動けばいいのか、考えつかない。

 彼が来るのを、ここで待てばいいのか――。

 そうすれば、鷲塚は今度こそ、零の命を絶つのか。

「残念だが、ここには飛び降りる窓はないぞ」

 低く張りのある声が響いた瞬間、全身に電流が走る。

 零はぎくりと背後を振り返った。

 そこには思い出したくもなかった男が悠然とたたずんでいる。

 彼は嘲笑うような眼差しで零を冷ややかに見据えていた。

 恐怖にすくみそうになりながら、零は気力を振り絞って男を睨み返した。

「――どういうことです? 
 あなたは何故、私をここに連れてきたんですか?」

 鷲塚は面白い物でも見るかのように双眸を細めたが、その問いには答えない。

 沈黙が生む不安と焦燥に突き動かされ、零は深く息を吸い込むと、普段よりも低い声で告げた。

「私はあなたが差し出した契約書にサインした。
 だったら早く殺せばいい。
 それとも、私を騙したんですか?」

「心配するな。お前に飽きたら、望み通り、殺してやる」

 軽くあしらうように肩をすくめた鷲塚は、ゆったりとした足取りで零に歩み寄ると、細い顎をつかんで上向かせた。

「……あなたは、私をどうしようというんですか?」

 零は鷲塚から目をそらさなかったが、唇の小さな震えまでは隠すことができない。

 鷲塚の瞳は濃い鋼色。

 それが異様な冷たさを見せている。

 髪が漆黒であるだけに、冷酷で威圧的な雰囲気が増しているようだった。

「さて、どうするかな。とりあえず、お前の躰を見せてもらおうか」

 さらりと言ってのけた鷲塚を見上げた零は、さっと顔を青ざめさせた。

 鷲塚でさえ一瞬目を瞠るほど、急にがたがたと激しく震え出す。

「――今、何て……」

 零は思わず後退ろうとした。

 だが、逃れる場所はどこにも無い。

 後ろ手で窓の縁をつかみ、頽れそうな自分自身をとっさに支える。

「聞こえなかったのか? 服を脱いで見せろと言ったんだ」

 変化の無い鷲塚の声。

 その刹那、零の中で何かが弾けた。

 心が絶叫する――逃げろ、と