Rosariel.com
IceDoll  


 ‡ 第1章

   《3》



 広域指定暴力団《荒神会》は、日本の黒社会においてこの十年で急速に台頭してきた組織だった。

 現在では関東最大手の《北聖会》と勢力を二分し、双璧をなす大組織と化している。

 その荒神会の総本部事務所は、一般人の目に留まらないよう、東林総合警備株式会社の巨大な本社ビル地下に隠されていた。

 東林総合警備株式会社は、かつて荒神会のフロント企業として設立されたが、主要都市に支社を構え、全国に支店や営業所を持つ巨大企業へと成長している。

 さらに最近は、警察OBの優良天下り先。

 それゆえに、地下にある荒神会総本部事務所の存在は、世間に暴露できない秘密として、警察からも黙認されていた。

「兄貴! 大変ですよ!!」

 地下迷路のごとき総本部事務所に慌ただしく戻ってきた構成員の新堂が、地下二階の一番奥の部屋につめている若頭補佐の所まで飛んでくる。

「何だ、騒々しい」

 荒神本家直参、高宮義仁(たかみやよしひと)――《荒神会》の若頭補佐であり、実質的なナンバー3。

 日本人離れした二メートルを越える巨漢の高宮は、読んでいた新聞から視線を上げ、ただでさえ険しく厳つい顔に不機嫌な表情を浮かべた。

 高宮と同じく本家直参若衆の新堂だが、その立場には会社の常務取締役と新入社員ほどの違いがある。

 新堂は高宮直属の舎弟であり、現在は若頭の運転手を務めていた。

 極道らしからぬ女受けする容姿や性格、機転の利く優れた能力を買われ、口にはしないが高宮が目を掛けている男でもある。

「大変なんですって。
 若頭に尾行しろって言われてたあの女……女じゃなかったんですよ!」

 息を切らせながら報告する新堂は真剣そのものだったが、甘いルックスであるだけに、その必死の形相は滑稽に見える。

「信じられます? 
 渋谷でナンバーワンホストだった俺が、女とオカマを見間違えたんですよ!」

 泣き出しそうな新堂の情けない顔は、高宮の苦笑を誘った。

「バカか、お前? 
 お前が見間違えたかどうかなど、どうでもいい話だろうが」

「そりゃそうですけど、マジでショックですよ。
 人間不信に陥りそうです、俺」

 深々と溜息をついた新堂は、気分を変えるように肩をすくめた。

「《クリスタルローズ》ってショーパブ知ってます?
 あのオカマ、そこで働いてるみたいなんですよね。
 中に入って確かめたわけじゃないんですが、従業員口から入っていきましたし」

「名前と住所ぐらいは確認してきたんだろうな?」

「それは、間違いなく。
 名前は鳴川零。
 ひとり暮らしをしているようで、木造二階建てのボロな安アパートに住んでましたよ。
 オカマって儲からないんですかねえ」

 住所をひかえたメモをデスクの上に置いた新堂は、煙草を取り出した高宮のために素早く火をつけた。

 ゆったりと紫煙を吐き出した高宮は、天井を仰いだまましばらく考え込んでいたが、しきりに「ショックだ」とぼやいている新堂に視線を戻す。

「しばらくあの女の見張りを続けろ。
 若頭には俺から報告しておく。
 それと、この事は絶対に他の奴らにはもらすなよ」

 眉根を寄せた高宮に鋭い眼光を向けられ、新堂は一瞬直立不動になったが、すぐに緊張した表情でうなずく。

「判っています。俺の恥にもなるから、喋る気にもなりません。
 それより、若頭は?」

 新堂の質問に応じるように、高宮は黙って人差し指を天井に向ける。

 すると新堂は納得して、ようやく普段通りの表情になった。

「ああ、会社の方ですか。
 会ったら、『会長』ってお呼びしなきゃいけないわけですね」

 新堂は丁重に一礼した後、がっくりと肩を落として奥部屋から出ていった。

 高宮はデスクに置かれたメモを取り上げると、そこに書かれていた住所を、素早く脳内にインプットする。

「鳴川、零か……」

 昨日、街中で偶然見かけた美貌の女。

 まだ若く、少女といってもいい雰囲気だったが、まさかニューハーフとは。

 女と断言するには奇妙な違和感が引っかかっていたから、高宮は新堂ほどの驚きを感じていないが、それにしても、今後の展開が気にかかる。

 鳴川零の尾行を新堂に命じた鷲塚(わしづか)は、これを聞いて、どう反応するのか。

 昨日感じたかすかな不安が蘇り、険しく眉根を寄せた高宮は、ビルの上層階にいるはずの若頭を透かし見るように天井を仰いだ。



「ここ最近、外国人による押し込み強盗が増加したせいで、ホームセキュリティの加入者数が急増しましたね。
 警察は当てにならないから、自分の身は自分で守ろうと考える人が増えたようです」

 東林総合警備株式会社本社ビルの最上階にある社長室で、鷲塚海琉(わしづかかいる)は、社長の東山慶司(ひがしやま けいじ)から定例報告を受けていた。

 企業のセキュリティシステムや常駐警備サービスは順調に顧客を広げ、数年前から力を入れ始めた医療機関向けセキュリティも右肩上がり。

 医療機関の顧客リストの中に、聖マリア総合病院と系列のホスピス「聖母の家」を見つけ、わずかに眼を細めた鷲塚は、それかけた意識を東山に戻した。

「耳に痛いセリフだな。
 自分の庭先で舐めた真似をされるのは頭にくるが、こっちは儲かるんだから皮肉な話だ」

 社長用のデスクを占領していた鷲塚は、苦笑を浮かべる。

 三十五歳の若社長である東山は、見るからにエリートビジネスマンという隙の無い雰囲気だった。

 百八十センチを越える長身にオーダーメイドの三揃えをぴしりと着込み、フレームレスの眼鏡をかけている。

 東京大学在学中に司法試験に合格。

 法学部を卒業後、一時は弁護士として働いていた経歴がある。

 人が羨むほど整った容姿の持ち主だが、優しげに微笑みながらも、眼鏡の奥の理知的な瞳が冷たい印象を与えていた。

「おかげ様で十分に儲けさせてもらっていますよ。
 ですが、我が社の信用が傷つけられたら、見過ごすわけにはいかなくなる。
 本格的に捜査をしなければならないでしょう。
 私としても、可愛い社員に怪我をさせたくはありませんからね」

「その可愛い社員の中に、うちの準構成員は何人いるんだ?」

 鷲塚が冷たく嗤うと、東山は首を傾げた。

「お言葉ですが、彼らは社会的には完全なカタギですから。
 カタギと同化させるというのが、若頭の計画だったはずでしょう?」

 そう切り返した東山は、不意に狡猾な微笑を浮かべる。

「万事順調です。このビルの地下に、荒神会総本部が存在するなど、一般人は知らない。
 ダミーの本部事務所は、いかにもヤクザっぽい感じですが、こちらは最新鋭の機材が揃った要塞ですからね。
 総長はここの事をご存じなんですか?」

「だいたいの事は伝えてある。
 好きなようにやれと言われているからな」

 鷲塚は立ち上がると、防弾ガラスが張り巡らされた窓辺に立った。

 感情の無い鋼色の双眸を、人通りの多い歩道に向ける。

 見下ろした先で行き交う人々は、個性を判別できないチェス駒のポーンのようだった。

「極道にとっても生き辛い世の中だ。
 いくら性根が座っていても、金が無ければどうしようもない。
 昔は金儲けを考えなくて良かったと総長(オヤジ)はぼやいているが、今はヤクザ稼業よりも金儲けが優先だ。
 資金力が無ければ、別の組織に潰されるだけだからな」

 江戸時代から続く義理人情に厚い任侠集団《荒神組(あらがみぐみ)》は、伝統的なシノギから経済基盤を一変させ、現代的かつ国際的なビジネスを手がける《荒神会》へと脱皮した。

 それまでの路線を変更させ、組織改革を主導してきたのが、年長の大幹部を飛び越えて、組織のナンバー2となった鷲塚である。

「それはそうと、身辺には十分に注意してください。
 老舗の《北聖会》を脅かすあなたは、御山(みやま)会長に相当に恨まれていますから。
 ここのところ彼も大人しくしているようですが、嵐の前の静けさかもしれません。
 何なら、ボディーガードを増やしましょうか?」

 懸念する東山の言葉に、鷲塚は首を横に振った。

「必要無い。御山も、こっちに気を回す余裕は無いだろう。
 どうも足下が落ち着かないらしい」

 北聖会を支配し、闇の帝王と恐れられる御山恭介(みやま きょうすけ)の端整な顔を思い出し、鷲塚は冷嘲する。

 三十代で北聖会の二次団体のトップに立った御山は、圧倒的な武力と潤沢な資金力で、対立する組織を次々に壊滅に追い込み、瞬く間に北聖会の頂点へと上りつめた。

 五十歳を過ぎた現在、御山は北聖会の絶対的な独裁者となり、その名を口にするだけで、関わりのある極道者は震え上がる。

 鷲塚は、二十歳の頃からその御山に敵視され、命を狙われ続けていた。

「命は大事にしてください。
 若頭がいないと、いろいろ立ちゆかなくなることも多い。
 死角が無いことが、あなたの強みですけれどね。
 金にも権力にも執着が無い。
 並み居る美男美女にも目もくれない。
 いったい、何を望んでいるのか……興味がありますね」

 好奇心に満ちた目を向けてくる東山を一瞥し、その口を封じさせた鷲塚は、非情の眼差しを地上に戻した。

 欲しいものならばある。

 昨日、鷲塚はそれを見つけた。