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IceDoll  


 ‡ 第1章

   《5》



 カランとドアのベルが鳴り、男がひとり店内に入ってくる。

「いらっしゃいませ」

 零は慌ててカウンターから立ち上がり、にっこりと営業スマイルを作って客と向かい合った。

 だが、その男を見上げた瞬間、思わず息を呑む。

(……背、高い。百八十五……いや、もっとあるかな?)

 久しぶりに高みから見下ろされ、その迫力に怯んでしまう。

 男の底無しに深い、鋭い視線を直視してしまい、零は背中に冷たいものが走るのを感じた。

 怖い――反射的に思う。

 夜の仕事をしていると、物騒なオーラを漂わせる男たちに出くわすことがあるが、彼はそれと同じか……もっと凄みのある眼光を瞳の中に漂わせていた。

「何になさいますか?」

「何でもいい」

 勇気を出してテーブルまで注文を取りに行くと、ひどく素っ気ない返事が返ってくる。

 最初に気圧されていたことも忘れ、零は内心でむっとしたが、バーテンをやっている時間を思い出しながら自制した。

(我慢、我慢。夜の方が、もっと嫌な客が来ることもある)

 大声で威張り散らす酔っ払い。

 ニューハーフのホステスたちをあからさまに軽蔑し、罵声を浴びせかける者。

 それに比べれば、多少は無愛想でも、この客は礼儀正しい……方かもしれない。

 零は最上級の営業スマイルを浮かべると、メニューを指さした。

「では、当店マスターお勧めのオリジナルブレンドはいかがでしょうか?」

 できるだけ落ち着いた柔らかな声で問いかけ、微笑みながら男の顔を見つめた零は、内心でドキリとする。

(いい男だなあ。姉さんたちが見たら、もの凄く騒ぎそうだ)

 男の双眸は鋭かったが、メニューを見るために目を伏せていれば、それほど怖さは感じない。

 意外にも彼の睫毛は長くて、切れ長だがくっきりとした二重瞼だった。

 さらに日本人ではありえないほど彫りが深く、鼻筋も綺麗に通っている。

 端整な唇は幾分薄めだったが、意思の強さがうかがえた。

 そして、何よりも印象的だったのは、金属的な光を放つその鋼色の瞳。

(ハーフなんだろうな、きっと。
 秀麗と言うか、精悍と言うべきか……。
 綺麗な黒豹みたいなイメージだ)

 ぼんやりと頭の隅でそんな事を考えていた零は、男が視線を上げると、我に返った。

 光を弾く鋼の双眸は、零の心を射貫かんばかりに強い意思を宿しているが、何を考えているのか判らない。

 研ぎ澄まされた刃を、胸の奥まで一瞬で刺し通されてしまう――そんな錯覚さえ感じる。

「それでいい」

 男の声は低かったが、深く響く魅惑的な声だった。

 耳元で囁かれたように、背筋がぞくりと粟立つ。

 立ちすくんだまま男の顔を見返した零は、ややあってから微笑を無理矢理浮かべていた。

 カウンターまで戻り、丹波に注文を告げた後、零はようやく肩から力を抜いた。

「どうした、零ちゃん?」

 様子がおかしいと感じたのか、丹波が心配そうに訊ねてくる。

 零は首を傾げながら苦笑を浮かべると、強張っていた気持ちを解そうと、一度深呼吸をした。

「奥にいるお客さんなんですけど、何だか凄く緊張しちゃって……。
 オーラに圧倒されちゃったのかなあ」

「いい男っぷりのお客さんじゃないか。
 久しぶりに見るね、ああいう硬派な感じの人は。
 最近の若者ときたら軟弱で、骨のありそうな奴は滅多にいないもんなあ」

 客に聞こえないよう声を潜めた会話であったが、丹波は屈託無くにこにこと笑う。

「彼、零ちゃんの好みには合わない?」

 からかうように丹波が訊ねてくると、零は首を横に振った。

「好きとか嫌いとか言うより、怖くて、何も話せなくなりそうです。
 マスターみたいに優しい人の方が、安心できますから」

「嬉しい事言ってくれるけど、もう何も出ないよ、零ちゃん」

 丹波はくすくすと笑い、零にウィンクをして見せた。




「いったい、何考えてるんですかねぇ、若頭は?」

 喫茶店《KATZE》からは見えない場所に車を停めた新堂は、ハンドルに両手と顎を載せてそう呟いた。

「さらに判らないのは、あの鳴川零ですよ。
 喫茶店で働いている姿を見ると、完全な女に見えるんですから。
 いくらニューハーフだって知っていても、ちょっと信じられないくらいに綺麗ですよ、やっぱり」

 助手席に座っていた高宮は、ぶつぶつとぼやいている新堂を、サングラス越しに見やる。

「ナンバーワンホスト君でも、判らんのか?
 毎日、尾行してるくせに」

「それは言わないでくださいよ、兄貴。
 俺だってニューハーフは沢山見ましたけど、あそこまで完璧な女って、いないですよ」

 落ち込んだようにハンドルに顔を伏せてしまった新堂を横目で見やり、高宮は「やれやれ」と小さく呟いた。

「東山が、鳴川零のレポートを送ってきていたはずだぞ。
 今朝、偶然会った時、奴にイヤミを言われたからな」

「へえ、あのエリート社長さんが。
 何て言われたのか、聞いてもいいですか?」

 顔を上げた新堂が、興味をそそられたような顔で訊ねてくる。

「『私を探偵代わりに使うのは止めてほしいものだね、若頭補佐。
 こんな事が世間にばれたら、信用を無くしてしまうだろう。
 金喰い虫なんだから、たまには自分で働いてみたらどうだ』だとさ」

 東林総合警備株式会社の社長の顔を思い出した新堂は、エレガントな物腰の東山とは思えないその挑発的な言葉に驚いた。

「ひええ、強烈ですね。
 兄貴にそんなセリフを吐ける人、初めて知りましたよ。
 ムカつかないんですか、カタギに喧嘩売られて?」

「あいつは俺の高校時代の後輩なんだが、昔からああだったからな。
 今更イヤミの一つや二つ言われたところで、屁とも思わん」

 眉根を寄せた新堂は、それでも納得しがたいというように首を傾げる。

「そんなもんですかね。
 そもそも、そのレポートを頼んだのは、若頭だったんですか?」

「いや、俺だ。三日以内と言ってやったら、怒り狂っていたからな、東山の奴。
 あの反応は珍しくて、なかなか面白かった」

「東山さんもイヤミですけど、兄貴もだいぶ人が悪いなあ」

 新堂が苦笑すると、高宮は無表情のまま淡々と言い返した。

「極道なら当然だろう。
 ともかく、若頭がレポートを見て何を考えたかは判らんが、直接見てみようって気になったのは確かだな」

 高宮は視線を巡らすと、遠目に見える喫茶店を見つめた。