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IceDoll  


 ‡ 第1章

   《7》



(……犬顔は、嫌いじゃないんだよね)

 人懐っこく優しい雰囲気が、安心できるからだろうか。

 内心でそう感じながら、零は曖昧な微笑を浮かべて首を傾げた。

「残念ですけどね。廣田さん、僕は純粋な男ですよ」

「男でも全然構わないよ、君ならね」

 にこにこと廣田が微笑む。

 零はやや引きつった微笑みを顔に張りつけたまま、困惑に瞳を揺らした。

 受け流す言葉を、一瞬見失う。

 零は廣田から視線をそらしてうつむいた。

「嬉しい言葉ですが、他のみんなに言ってあげたら、もっと喜びますよ、きっと」

 男性として生まれながら、女性としての生き方を選んだ彼女たちは、自分の存在を認めてくれる人を探している。

 いつだって愛されたいと願っているのだ。

「君はストレートって事?」

「ええ、残念ながら」

 心情を隠したまま淡く微笑み、テーブルの上にグラスを置くと、廣田が驚くほど素早く零の手を握り締めてきた。

「じゃあ、問題はないよね。僕もストレートなんだから」

 満面の笑みを浮かべる廣田の顔は、まさに尻尾を振るゴールデン・レトリバー。

「あの……僕、男だって言いましたよね?」

 零は仕事中である事も忘れ、怪訝な表情を浮かべた。

「言ってたね」

「ストレートだって、言いましたよね?」

「そうだね」

 さらに困惑を深めた零は、双瞳を細め、にこにこと無邪気な笑顔を見せる廣田をじっと見つめた。

「僕を困らせたいんですか?」

「困った君の顔も可愛いけど、どうして?」

「だって、廣田さん、男の人でしょう?」

 そう問いかけた後、零は狭いカウンターの中で思わず後ずさった。

「もしかして、女性だったんですか?」

 ショックに引きつった零の顔を見て、廣田は弾かれたように爆笑し始めた。

「君って、面白いね。見てて、本当に飽きないよ」

「からかわないでくださいよ、廣田さん」

 憮然とした零は、笑い続けている廣田をちらりと睨む。

 涙を溜めて笑っていた廣田は、そんな零を見上げると、息を切らしながら必死に謝った。

「ごめん、ごめん。もう笑わないよ。
 お詫びに、ボトルを一本入れていくから、それで許してくれるかな」

「うちにある、一番高いやつにしちゃいますよ。それでも良いんですか?」

 わざと怖い顔をして見せると、廣田は困ったと言うようにおどけて見せる。

「うーん、そうすると僕が金欠病にかかっちゃうねえ。
 でも、いいよ。君の素顔がほんの少し見えたからね。
 そのお代とすれば、安いもんさ」

 くすりと微笑んだ廣田の顔は、今までのどんな顔より魅力的だった。

 その時――。

「ちょっと、楽しそうじゃない? アタシも混ぜてほしいな。
 しつこいお客がやっと帰って、疲れちゃった」

 両腕を上げて背伸びをしながら、真那がカウンターに近寄ってくる。

「真那ちゃん、あの人のお気に入りだからね」

 隣のスツールに座った真那を、廣田はにこやかに歓迎した。

「今度、ゴルチェのドレスをプレゼントしてくれるって。
 それはちょっと嬉しいけどねえ」

 今日の真那の衣裳は、中世ヨーロッパのお姫様のような深いブラウンのドレス。

 襟が高く、スパンコールとビーズで複雑な模様が描かれていて、ウエストにはコルセットを思わせるゴールドのベルト。

 襟からウエストまで、縦に大きなカーブを描いて肌が露出して、胸にいたってはほとんど乳首が見えそうだった。

「今日も綺麗なドレスだね。ゴルチェが好きなの、真那ちゃんは?」

 右肘をカウンターについた廣田が、真那の全身を眺めるように斜めに座る。

「うん、まあまあね。本当はクロエとかフェレッティとかが好きなんだけど。
 廣田さんは洋服のブランド、何か好きなのある?」

 真那にそう聞き返され、廣田は困ったように首を傾げた。

「僕は、そういうのあまり詳しいわけじゃないけど、スーツはポール・スミスとか、ラルフ・ローレンみたいなブリティッシュ・ブランドが多いかな。
 普段着とかだと、ヘルムート・ラングとかも着てるけど」

「わお! ジェントルマンって感じで、いいじゃない!
 ね、廣田さん。名刺ちょーだい。
 今度、真那と一緒に、ご飯食べに行こうよ」

「真那ちゃんに誘われたら、断れないよね。
 でも、零ちゃんも誘ってくれたら、喜んで二人をディナーにご招待するよ」

 飛びつくような勢いでせがまれ、廣田は苦笑を浮かべつつも、名刺を真那に渡す。

「廣田成司、株式会社アクセスシードの専務!? 
 成司さん、その若さで、もう会社背負ってるの?」

「大学の友達と二人で立ち上げたんだ。
 いわゆるベンチャー企業ってやつ。
 中小企業の経営コンサルタントとかが仕事内容なんだけどね。
 この不景気の中でも、一生懸命頑張ってる人たちを応援したいと思ってさ。
 少しでも社会貢献したいって、いつも考えてるよ。
 まあ、ここに来るのは、僕のささやかな息抜きなんだけど」

 名刺をまじまじと見つめた真那は、感動したようにほうっと溜息をつき、セクシーな流し目を廣田に向けた。

「ねえ、廣田さん。残念だけど、零ちゃんは非売品なんだよねー。
 どうせなら、アタシにしない? 一応、まだ売れ残ってるのよん」

「そうだねえ。零ちゃんはつれないしなあ。
 さすがアイスドールって感じだよね」

 両手に顎を乗せた廣田は、黙々と仕事をしながら会話を聞いていた零を見つめる。

「――アイスドール?」

 シェイカーからグラスにカクテルを注ぎながら、零が聞き返すと、廣田は物憂げに微笑んだ。

「常連の客たちは、君の事をそう呼んでいるよ。
 君に恋する人は、結構多いんだ。
 そして、僕もその大勢の中のひとりってわけ」