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猛る獅竜と永遠の契りを


《第1章》 闇に潜む魔獣

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「偶然とはいえ、俺はお前と関わった。
 お前の事情を知り、俺には受け入れる余地がある。
 旅は道連れというだろう?
 そろそろ一人で旅をするのも飽きてきたところだったからな」

 グウィンザは右手の指輪を抜き、エリュイに向けて放り投げた。

「……イシュヴァ神殿の……所属騎士?」

 懸命に解読しようとするように、目を細めて指輪の鏡文字を読み上げたエリュイが、驚いたように呟く。

「騎士と言えば聞こえは良いが、俺は神殿に使われるただの傭兵だ。
 領地があるわけでもない。
 俺は今、《探求の旅》と呼ばれる試練をイシュヴァ神殿から科せられている。
 その旅を終えるまでは、善行を積みながら、各地を放浪せねばならん」

「私を助けたのも、その修行の一環ですか?」

 訝しげに訊ねるエリュイに、グウィンザはうなずいて見せた。

 指輪とグウィンザの顔を交互に見つめ、逡巡するように瞳を揺らしていたエリュイは、ややあってからうなずいた。

「判りました。ご迷惑をおかけするとは思いますが、しばらくご厄介になります。
 私もミルザから離れなければいけないし……実は、長旅は初めてなんです。
 どんな風に旅支度をすれば良いのかさえ知らない。
 だから、あなたが傍にいてくださるなら、とても心強い。安心して旅ができそうです」

 エリュイの顔にふわりと笑みが浮かんだ途端、グウィンザは安堵と共に良心の呵責を感じた。

 エリュイが望むような安心で安全な旅は与えてやれそうにない。

 万が一真実を知れば、エリュイは恐怖に怯え、グウィンザと共に旅を始めたことを後悔するようになるだろう。

 だが、それでも──。

「我が身と同じように、お前を守ると約束しよう。
 ただし、俺にはもう嘘をつくな。
 忠誠を誓えとは言わんが、俺に対しては正直でいてくれ。
 それがお前の身を守ることにもなる。約束できるか?」

 念を押すようにゆっくりと言葉を重ねると、エリュイは微笑を消し、真剣な眼差しで銀の指輪を差し戻した。

「約束します。あなたに対して決して嘘はつかないと」

 凜とした響きのある声音は純粋で、エリュイが真実を語っているのだと感じさせる。

 グウィンザは鷹揚にうなずくと、印章兼身分証代わりの指輪を親指に嵌め直し、唇ににやりと不敵な笑みを浮かべた。

「正直者は損をすると昔から言うがな。
 それに、俺はあまり良い主ではないかもしれんぞ」

 ぎょっとしたように目を瞠ったエリュイの頭に手を伸ばし、グウィンザはくしゃりとその長い緋色の髪を掻き混ぜる。

 緩やかに波打つ、柔らかな髪に触れたくて、指先がムズムズしていたのだ。

「そうと決まれば、さっさとその服を着ろ。
 夜が明けたら町に出て、お前の旅装束を買いに行く。
 夏場とはいえ、そのヒラヒラした格好じゃ、イシルの寒風に当たって凍えるだけだ」

 まだ裸同然であった事を思い出したように、エリュイは顔を赤くすると、慌ててチュニックを頭からかぶった。

 グウィンザの体格に合わせて作られたそれは、エリュイには大きすぎたが、膝頭を隠すほど長いため、ベルトを締めれば外出できるだろう。

「あ、あの……グウィンザさん。
 実は、ミルザを出る前に、取り戻さなければならない物があるんです」

 寝台から降りたエリュイが、躊躇したような声音で話しかけてくる。

 振り返ったグウィンザは、ひどく思い詰めた眼差しをしているエリュイを見下ろした。

 初めて見た時にも感じたが、頭一つ分背の低いエリュイは、痩せすぎていて頼りない。

 皮膚の下には、骨と臓腑しか無いのではないかとさえ思えてくる。

(腹一杯食わせて、鍛えてやれば、少しは肉がついてマシになるのか?)

 力を込めて抱き締めたら、ポキリと折れてしまいそうな華奢な躰。

 荒々しく欲望を突き立てたなら、壊れてしまいそうだった。

 だが……快楽の絶頂まで追い上げられたエリュイは、どんな顔を見せ、どんな声で啜り啼くのだろう。

 危うい欲求に傾きそうになる己の制しながら、グウィンザはエリュイの話に耳を傾けた。




 早朝の冷気で、吐息が白く染まる。

 初夏とはいえ、ミルザの朝は冷え込んでいた。

 夜明けと共に開かれる朝市に合わせて《白鹿亭》を出たエリュイは、ともすれば離れてしまいそうになるグウィンザを、足早に追った。

 道行く人々の中でも一際長身で、がっしりとした体躯のグウィンザを見失うことはないが、彼の歩幅が大きいため、気を抜いていると小走りで追いかけなくてはならなくなる。

 奇妙な縁で行動を共にすることになったグウィンザは、今やエリュイにとっての雇い主だった。

 本当なら主の代わりに様々な事をしなければならないはずだが、今のところはまだ足手まといにしかなっていない。

 グウィンザの乗馬ヒルヴォは、従者になったエリュイが気に入らないのか全く言うことを聞かず、手綱も取らせてくれない。

 結局、鞍を置くのも、手綱を引くのも、主人であるグウィンザが行い、従者のエリュイは何もできずに傍観するだけだった。

「グウィンザさん。どうやってホルゼから短剣を取り戻すんですか?」

 顔を隠すようにすっぽりと頭巾をかぶり、足首まで覆う長いマントを躰に巻きつけたエリュイは、先程から何の説明も無しに歩き続けているグウィンザの隣に並んで問いかけた。

 ホルゼの住居に案内しろと言われたが、何をどうするかまでは聞かされていない。

 とはいえ、何か計画を持っているのだろうと思っていた。

「そうだな……お前ならどうする?」

 緊張感の無い悠然とした声音で聞き返され、エリュイはやや面食らったが、すぐに考え込んだ。

「ホルゼが家を空けている間に、部屋の中に忍び込むというのはどうでしょう?」

「鍵がかかっていたらどうするんだ?」

「鍵くらい、すぐに開けられますよ。
 ダマル村にいた頃、建てつけの悪い扉の蝶番や、錠前の修理をよく任されていたんです」

 深く考えないままエリュイが答えると、それを聞いたグウィンザはやや驚いたように口笛を吹き、にやりと唇の片端をつり上げた。

「そいつは凄い。思ってもみなかった特技だな」

 皮肉なのか、本心からの言葉なのか判らない。

 どう反応を返せばいいのか判らず、エリュイは口ごもった。

「そ、そんな……大した事じゃないんです」

 クラヴトが面倒がっていた、村人からの細々した要求を、エリュイが代わりにやっていただけなのだ。

 切れなくなった包丁を研いだり、穴の空いた鍋の底を塞いだり、鍵を無くした錠前を開けてやったり──。

 それらは、エリュイが秘かに憧れていた武具師からはほど遠い、日常的な雑用でしかない。

「そんな事はない。
 お前が夜盗の仲間入りをすれば、金持ちどもは戦々恐々だ。
 安心して眠れなくなるぞ」

 諧謔を飛ばしたグウィンザは、エリュイを横目で見下ろし、片瞼を瞑って見せる。

「それに、お前のやり方の方が洗練されている。
 俺は手先が不器用でな。
 ホルゼが不在なら、扉をぶち破ろうかと思っていた」

 荒っぽいグウィンザの意見に愕然としながら、エリュイはふと疑念を覚え、恐る恐る問いかけていた。

 もしかするとグウィンザは、計画らしい事を何も考えていないのかもしれない。

「で、でも……ホルゼがいたら、どうするんです?」

「お前の宝物を返せと言う。返さないなら、取り返す。それだけだ」

 泰然としているものの、何やら物騒な気配が漂っている。

 思わず天を仰いだエリュイは、嘆息混じりに呟いた。

「もしかして、いつも行き当たりばったりなんですか、グウィンザさん?」

「違うな。こういうのは臨機応変と言うんだ。
 計画を立てたところで、相手の出方次第で状況は一変する。
 ホルゼが素直に短剣と護符をお前に返せば、平和的に終わるだろう。
 俺は喧嘩をしたいわけじゃない」

「それはそうですが──やっぱり、出たとこ勝負という気がしますよ」

 自分も衝動的になってダマル村から飛び出してきたから、グウィンザをどうこう言える立場ではないが、あまりに気楽そうな姿を見ていると、いささかならず不安を感じる。

「深刻な顔をするな、エリュイ。美人が台無しだぞ」

 楽しげでさえあるグウィンザの顔を見上げたエリュイは、急に気が抜けてしまい、苦笑を浮かべた。



 ホルゼの住居は、ミルザでよく見かける三階建ての集合住宅になっている。

 石造りの建物全体は、街のほぼ一区画を締める大きなものだが、内部は個々の住居として仕切られ、積み木のように重層的に重なっていた。

 大通りに面した馬蹄型の門扉をくぐり抜けて中庭に入ると、それぞれの住居の玄関へと通じる階段あり、各部屋を結ぶ回廊が巡らされている。

 貴族や豪商の邸宅には遠く及ばないが、いわゆる中流階級の住まいだと、周辺を探っていたグウィンザが評した。

 正門には不審者を誰何する番人が常時立っているし、それぞれの部屋に設けられた窓は、透かし彫りが施された贅沢な飾り窓になっている。

 ホルゼの住居から、路地を二つほど跨いだ場所にある広場で、グウィンザはヒルヴォと荷物を居酒屋に預けた。

 居酒屋の主人には銀貨を数枚渡し、すぐに戻ってくるからと念を押す。

 大男に酒を飲ませるより楽に稼げると判断したのか、居酒屋の主は満面の笑みで、全て任せておけと胸を叩いた。

 身軽になったグウィンザは、「さて、行くか」とエリュイをうながし、ホルゼの住居に向けて再び歩き出す。

 エリュイはつかず離れずの距離でグウィンザの後に従った。

 グウィンザが何をしようとしているのかは判らないが、何となく頼りにしても良いのではないかと思い始めていた。

 一緒に歩きながら、その広く逞しい背中を見ていると、今までに感じたことのない不思議な安心感が胸の中に芽生えてくる。

 この人と共に行けば大丈夫だと、何故かそう思えた。