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猛る獅竜と永遠の契りを


《第1章》 闇に潜む魔獣

<12>



「何故だ? どうしてあんたが、そいつを気にかける? 
 エリュイの色仕掛けで、助けてくれとでも頼まれたか?」

「単に一日一善を心がけているだけだ。
 こいつに籠絡されるほど、まだ色ボケしちゃいない」

 のらりくらりと答えていたグウィンザは、くくっと嘲るように喉を鳴らす。

 ホルゼを睨むグウィンザの双眸は、血に濡れたかのように赤く染まっていた。

 グウィンザの変貌に気づいたのか、ホルゼは反射的に逃れようと後ずさる。

「あ、あんた……いったい、何者だ?」

「俺の名はグウィンザ。ただの放浪者だ」

 グウィンザは傲然と笑みを刻む。

 グウィンザから目を離せなかったエリュイは、男の口の中に鋭い牙が伸びていることに気づいた。

 背筋がぞっと凍りつく。

 王都ベンディスまでとはいえ、グウィンザと共に旅をすると決めたのは、とんでもない過ちだったのではないか?

 主として仕えることになったグウィンザが、急に恐るべき魔物に見える。

 そんなエリュイの迷いを見抜くかのように、流し目を向けてきたグウィンザは紅蓮の双眸を細め、どうするつもりだと問うように薄く笑った。


 ふと、グウィンザの眼が何かに気づいたように部屋の隅に流れ、窓辺を見つめる。

 ほんのわずかな間、窓外を睨むように視点が留まり、再びホルゼに戻る。

 いつの間にか、凶暴な色に染まっていた双瞳の色は、冷たく冴えた黄金に変わっていた。

 グウィンザが一瞥した場所を視線で追うと、窓辺に一羽の白鳩が止まっている。

(……あの鳩を見ていただけ?)

 内心で首を傾げた時、グウィンザの声が響いてきた。

「そろそろ時間切れだぞ。さあ、どうする、ホルゼ?」

 グウィンザの威圧に屈服し、抵抗を諦めたのだろう。

 ホルゼはのろのろとした動作で、部屋の角に置かれていた長櫃の蓋を開けた。

 中からエリュイの短剣と護符を取り出し、テーブルの上にその二つを並べる。

「と、とにかく……これは返す。別に盗んだつもりはない。
 エリュイが戻って来たら、すぐに返すつもりだったんだ」

 歩み寄ったグウィンザが長い腕を伸ばして取り上げた途端、ホルゼは弾かれたようにその場から飛び退いた。

 歪んだ形相で、ホルゼは耳障りな金切り声を上げた。 

「い、いいか。騙されているのは、あんたの方だぞ!
 エリュイの髪を見てみろ。あいつは、生まれつきの淫売だ。
 自分に都合の良いように、嘘ばかりつく」

 緋色の髪──娼婦のヴェール。

 自分の髪を嘲られて、エリュイは唇をかたく引き結ぶ。

 鮮やかな赤毛だった母ユリィヤも、同じように侮蔑されることが多かった。

 さらにホルゼが何かを言いかけた時、地底から湧き出るような低音が、その口の動きを一瞬で縫い止めた。

「これ以上俺の連れを侮辱したら、貴様をぶちのめす。よく考えてから喋るんだな」

 グウィンザの恫喝は、効果絶大だった。

 ホルゼは硬直すると、言い逃れを探すように口をもごもごと動かし、双眸を宙に彷徨わせる。

 グウィンザに鋭く睨まれると、ぶるぶると震えながら、哀願するように喋り出した。

「お、俺はただ、メギュレに命じられて、金や働き口を探している人間を、ミルザで調達していただけだ。
 エリュイは美しかった。だから、間違いなくメギュレは気に入るだろうと思った。
 それに、前々から、赤毛の人間を見つけたら連れて来るようにと、言われていたんだ」

「ほう? メギュレは赤毛好きなのか? 
 だが、《石竜館》の中に、赤毛の女は一人もいなかったぞ。
 いったい誰が、赤毛にこだわっている?」

 グウィンザが厳しく追及すると、ホルゼはびくついた様子で後ずさる。

「死にたくなければ、話せ。メギュレがつるんでいる貴族は、どこの誰だ?」

 氷刃のごとき殺気を放ったグウィンザが、思わせぶりにエリュイの短剣を鞘から抜く。

 震え上がったホルゼはさらに後ずさって転倒し、身を守ろうと全身を縮めながら悲鳴を上げた。

「ひ、ひぃいいッ! 頼む、助けてくれ! 殺さないでくれ! 
 詳しい事は、本当に知らないんだ。
 た、ただ、メギュレの所に、以前から時々、使いの者が来ていた。
 灰色の頭巾をかぶった、セムリという名前の男だ。
 赤毛が欲しいと言っていたのは、この男だ。ザ、ザグレスを……復活させると──」

 血相を変えたホルゼは、まくし立てるように喋っていたが、突然、身をのけぞらせた。

 苦悶の表情を浮かべながら、ホルゼは両手で喉を掻きむしり、必死で空気を吸い込もうと短い喘ぎを立てる。

「おい、どうした?」

 不可解に思ったグウィンザが傍らにしゃがみ込む。

 顔を紫色に変えたホルゼは背中を弓なりに反り返らせ、びくびくと跳ねた。

 青く変色した口から、白い泡が溢れ出てくる。

 狂ったように振り回される両手が、衣服の胸元を引き千切ろうとして、小刻みに痙攣しながら硬直する。

 ぐったりと脱力した直後、放心したように大きく見開かれたホルゼの両眼が光り、喉に絡まるしゃがれた声が絞り出されてきた。

『──愚か者め……余計な事を、ぺらぺらと喋りおって……』

 青白く輝く無表情なホルゼの双眸。

 見すえられた瞬間、異様な事態になすすべも無く立ち尽くしていたエリュイの全身に、ざっと鳥肌が立った。

「憑依されたか。ホルゼに取り憑いた貴様は、何者だ?」

 小さく舌打ちをしたグウィンザは、さほど驚いた様子も見せずに誰何(すいか)する。

 この奇怪な現象に慣れているような雰囲気だった。

 操り人形のようなカクカクとした動作で上半身を起こしたホルゼは、血の気の失せた口を大きく歪め、黄ばんだ歯を剥き出しにしてにたりと笑う。

『我が名は、セムリ。名を呼ばれたので、訪れた。
 以後、お見知りおきを。いずれまた、出会うやもしれぬゆえ』

「なるほど。貴様がセムリか。憑依の術を使う妖術師だったとはな。
 わざわざ、ホルゼの口封じに出てきたのか?」

 力尽きたように、がくりと前のめりに首を落としたホルゼから、気味の悪いかすれた笑い声が上がった。

『よくお判りで。しかしながら、惜しいですな。
 正確に言えば、私は屍人使い。この者はもう死んでおりますよ』

 無気味なしゃがれ声が途絶えた途端、ホルゼの躰がぐにゃりと折れ曲がり、床に倒れ伏した。

 白い泡を吹いた顔には、明らかな死相が浮かんでいる。

 片膝を突いていたグウィンザは、ホルゼに手を伸ばし、紐が緩んでいるチュニックの胸元を大きく開かせた。

 焦茶色の胸毛に覆われた皮膚に、赤黒く盛り上がった無気味な瘢痕が蜘蛛の巣のように走り、その中心に黒い丸石が埋め込まれている。

「……これは、屍石(しせき)か?」

 眉一筋動かさず、グウィンザは黒石に触れると、指先で瞬時にえぐり取った。

 グウィンザの人差し指が鉤爪に変化したように見えたが、衝撃に打たれていたエリュイは、何が起こったか理解できないまま瞬きを繰り返した。

 そこにあるのは──息絶えた、ホルゼの死体。

 ついさっきまで、普通に喋っていたはずの男。

 頭が混乱しているせいで、まだ彼が死んでいるとは思えない。

 だが、ホルゼの衣服を整えたグウィンザが立ち上がると、麻痺していた感覚が戻ってくる。

 それは、鳩尾を突き上げる大きな不安となって、突然襲いかかってきた。

(ザグレスを、復活させる……? まさか……そんな……)

 視界が回転し、躰が揺れ動く。

 目を開けて、立っていられない。

 支えを求めるように、何とか両腕を動かしたエリュイは、そのままよろよろと後ろに下がった。

「落ち着け、エリュイ」

 頽れるエリュイの躰を抱き留めたグウィンザが、三つ編みになった緋色の髪を優しく撫でながら、冷静な声でうながす。

 グウィンザの鼓動は力強く安定していて、狂ったように早鐘を打つエリュイの心臓とは対照的だった。

 だからなのか、恐慌に陥っていたエリュイの心もほどなく鎮まり、眩暈も治まる。

 グウィンザに抱き締められただけで、気持ちが安らいでゆく自分の反応が驚きだった。

 そんなことができるのは、今は亡き両親だけだったから。

「すみません。もう、大丈夫……歩けますから。
 でも……いったい、彼に、何が……?」

「詳しくは判らんが、妖術の類だ。
 厄介な事になったが、とにかく、俺と一緒に来るんだ、エリュイ」

 エリュイが自分の足で立てることを確認したグウィンザは、抗うことのできない強い口調でそう命じる。

 ホルゼから取り戻した銀の護符をエリュイの首にかけ、短剣をしっかりと左手に握らせた。

 胸の上に降りてきた護符に、エリュイは右の掌を押し当てる。

 そして、短剣を強く握り締めた左手を、その上に重ねた。

 亡き父アリオンは、命を懸けてザグレスと戦い、妻と子を逃がした。

 そして、亡き母ユリィヤがその身を犠牲にしてまで築き上げた、平穏で平凡な日常。

 ダマル村を飛び出したことで、もしかすると、エリュイの運命は大きく変わってゆくのかもしれない。

 一切の感情を消した表情で、急かすことなく自分を見つめているグウィンザを見上げ、エリュイはうなずいた。

 彼と共に行くと、決めたのだ。