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猛る獅竜と永遠の契りを


《第1章》 闇に潜む魔獣

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 部屋の中で灯された甘やかな蜜蝋が、隙間風を受けて炎を揺らす。

 窓から射し込む夕陽を背に受けていたエリュイは、鈍色の鏡が映し出すぼやけた姿を見つめ、幾度目にかなる溜息をついた。

(まさか、こんな恥ずかしい格好をさせられるなんて……)

 エリュイが身にまとっているのは、異国の装束。

 聖都クセで織られたという絢爛な絹織物を使い、遥か南方の国シディラスの衣装に仕立てられている。

 孔雀の羽根を思わせる青緑の長い布を、美しい襞をつけながら肩に巻き、さらに頭部を覆い隠すようにして装うのだ。

 肩布の下には、透け感のある白い紗織りの長衣と、宝石を縫いつけた豪奢な飾り帯。

「すぐに仕事が見つかるぞ、エリュイ。
 これを着て、《石竜館》の主人メギュレに会いに行くんだ」

 この衣装を携えてきたのは、ホルゼという名の斡旋人だった。

 一昨夜、広場で出会った徴税士と共にいて、グウィンザを《石竜館》に案内していった男がホルゼだった。

 宿屋に泊まる金銭を持たず、仕事場も見つけられずに困り果てていたエリュイは、ミルザの役人である徴税士を信用して、自分の境遇を打ち明けた。

 何か訳ありだと見破っていたのか、徴税士はさして驚くことなく相談に乗ってくれた。

 そして、ミルザで仕事を探すのであれば、自分よりも斡旋人のホルゼが力になれると諭し、半ば強引にエリュイを救貧院に連れて行ったのだ。

 手続きを済ませれば、救貧院では一泊の宿と食事が与えられる。

 多くの日雇い労働者が、エリュイにじろじろと好奇の眼を向けてきた。

 このまま何日もここでは暮らせない。

 本能的な危険を感じたエリュイは、暗い大部屋の隅で顔を隠して縮こまり、眠れない不安な夜を過ごした。

 翌朝、徴税士との約束通り、ホルゼがエリュイを迎えに来た。

 他に頼る当ても無いエリュイは、困惑しながらもホルゼに従うしかなかった。

 何をどうするべきか、深く思慮する余裕もなく、言われるままについて行った。

 聞いたところによれば、ホルゼは今、《石竜館》の主人メギュレの下で、貴族や豪商に仕える下級使用人を斡旋する請負師(うけおいし)もやっているらしい。

 それがどんな仕事なのか検討もつかなかったが、エリュイは申し出を引き受けることにした。

 仕事を選んでいるような余裕はそもそも無い。

 ミルザには、他に行き場も無い。

 こうやって救いの手が差し伸べられることを、その時は感謝したのだが──。

 着替え終えたエリュイは溜息をつき、はだけた胸元に落ちる魔除けの護符を整え、短剣を飾り帯の間に通そうとした。

 ところが、ちょうど部屋に入ってきたホルゼが慌てたように制止する。

「メギュレに誤解されるといけないから、物騒な物は持っていかないでくれ」という訳なのだ。

 夏大市が開催される間は、犯罪防止のため、武器の携帯が大幅に規制されるらしい。

 父の形見であり護身の剣を遠ざけるのは気が進まなかったが、そう言われると、渋々ながらも承諾せざるを得ない。

 似合わないという理由で、魔除けの護符まで取り上げられることになった。

 両親から受け継いだ銀の護符と短剣をホルゼに預けた途端、エリュイは急に心細くなった。

 まるで己が分身のように、その二つはいつも身につけていた。

 魔除けの護符は母ユリィヤの形見、短剣は父アリオンの形見。

 だからなのだろう。大切な二人と引き離されてしまうような、嫌な予感に苛まれる。

「素晴らしい。このミルザに住む誰よりも美しいぞ、エリュイ。
 この俺が見込んだだけのことはある」

 奇妙に浮わついた声音で、ホルゼは大げさなほど褒めちぎった。

 世辞であるのは間違いない。

 そもそも男には必要の無い讃美を、いったい誰が喜べるというのだろう。

(それに──)

 落ち着かずに動き続けているホルゼの目。

 何か伝えられない隠し事があって、機嫌を取っているようにしか見えない。

 エリュイは慌てて頭を振り、不安を呼び起こす思考を追い出した。

 気が滅入るような事を、考えている場合ではない。

(だけど……《石竜館》といったら、あの人が泊まっている所だ)

 グウィンザと名乗った、精悍な風貌の流浪人。

 世慣れないエリュイをからかったあの不埒者が、もしこんな似合いもしない珍妙な格好を見たら、きっと失笑するだろう。

(だけど、もうとっくに、町を出て行ったかもしれない)

 彼は、力強く、自由であったから──。

 夜が深まり、ミルザの町に篝火が灯される頃、召使いの老人に連れられて、エリュイは《石竜館》へと向かった。

 道行くミルザの人々にじろじろ見られると、再びホルゼへの不信が募り、良からぬ裏事情があるのではないかと疑ってしまう。

 そんな心の動きに気づくと、一文無しの自分を助けてくれるのだからと、エリュイは幾度となくホルゼを擁護した。

 念じるように思い続けていなければ、すぐにまた黒々とした疑惑が湧き上がり、ホルゼの意図を怪しんでしまいそうだった。




「君がエリュイか。なるほど……確かに男にしておくには惜しいほどの美貌だ」

《石竜館》の一室でエリュイを出迎えたのは、四十歳くらいとおぼしき壮年の男だった。

 この辺りでは珍しい黒髪を肩口まで伸ばし、頬から顎にかけて見事な口髭をたくわえている。

 天鵞絨(ビロード)の衣服を纏った豪奢な姿は貴族のようにも見えた。

 メギュレと名乗った《石竜館》の主人は、着飾ったエリュイを四方から観察するように部屋の中を歩き回る。

 その姿に気を向けながら、エリュイは動悸が速まるのを感じた。

 道案内の老人は、エリュイとメギュレを面会させた後、逃げ出すようにそそくさと帰ってしまった。

 メギュレの私室に残されたエリュイは、隣室に別の気配を感じて動揺した。

 《石竜館》の客人なのかもしれないが、どうしたことか、自分だけが孤立しているようで怖くなってくる。

 緊張に身を強張らせているエリュイの前に立ったメギュレは、酷薄そうな薄い唇を微笑の形につり上げた。

「君の母親の名はユリィヤというそうだが、間違いはないかね?」

 メギュレの手には、一昨日、徴税士が救貧院で書いてくれた書類がある。

 エリュイは、父母の名前を徴税士に告げ、彼はそれを定められた書面に書き込んでいた。

 父の名はアリオン、母の名はユリィヤ。

 父の職業を「舞闘師」としては怪しまれそうだったから、仕方なく継父クラヴトと同じ「鍛治師」とし、出身地もダマル村にした。

 本当は、自分がどこで生まれたか判らない。

 さらに両親は死亡、後見人も無しと記載されている。

 ともあれ、救貧院に迎えに来たホルゼが、書類を入手し、メギュレに渡したのだろう。

 だが、何故ユリィヤという名前に、メギュレが興味を抱くのか──。

「確かに、亡き母の名はユリィヤです。
 母とお知り合いでしたか?」

「そうではない。ただ、かつて世間を騒がした妖女と同じ名前であることが気になっただけだ。
 卑しい踊り子でありながら、マディヤルのヨンダル国王陛下を誑かした稀代の淫婦ユリィヤ。
 彼女の姿を見た男は、ひと目で恋に落ちるという噂であったからな」

 含み笑いをもらしたメギュレは、幾つもの指輪が嵌る節ばった手を伸ばし、顔を引き攣らせたエリュイの頬を撫でた。

 足もとから悪寒が走り、エリュイは思わず顔を背ける。

「母は、鍛冶屋の妻でした。
 華やかな生活とは縁がなかった」

「このミルザには、ダマル村の徴税報告書が保管されているのだよ、エリュイ。
 調べさせたところでは、ダマル村にアリオンという名の鍛治師は存在しない。
 ユリィヤという名の妻を持つ鍛治師は、クラヴト一人。
 クラヴトとユリィヤの間に、エリュイという名の子供が一人いる事も、すぐに判った」

 メギュレは冷ややかに嗤いながら、偽りの記載を看破する根拠を淡々と告げる。

 急に空気が薄くなったように感じ、息苦しくなる。

 老獪な顔つきをしたメギュレの思惑が判らないだけに、傍に立たれるだけで不安になった。

「そして、君はユリィヤの連れ子で、鍛冶師クラヴトの実子ではない。
 クラヴトがユリィヤと結婚したのは、十年ほど前。
 つまり、ダマル村に住みつく前、君の母親は鍛冶屋の妻ではなかったはずだ。
 それ以前は果たしてどこで何をしていたのか……」

 そんな事まで知り得るのかと、エリュイは愕然とした。

 そもそも、ダマル村の徴税報告書を、何故メギュレが読めたのか。

 疑問を感じた時、人の善さそうな徴税士の顔が思い浮かぶ。

(まさか……あの人が……)

 あの徴税士も、メギュレの協力者。

 グウィンザをわざわざ《石竜館》に案内させたのも、そうであったから。

 贔屓はしないと言っていたが、裏で繋がっている可能性は十分にある。

「ホルゼが君を強く推してきたから、気になって調べさせたのだ。
 ホルゼの目は確かだったと、今は感心している」

 くつくつと笑いながらメギュレは壁際の棚に近づき、そこに置かれてあった銀の酒壺を取り上げると、二つの銀杯に黄金色の液体を注ぐ。

「君には、さる高貴な御方の城に行ってもらいたいと考えている。
 能力はともかく、見た目が麗しい者たちだけを城内に置きたがっておられるのだ。
 我が儘な御方ゆえに、次々と召使いがいなくなってしまうのは困りものだが」

 急に仕事の話に飛んだため、エリュイは面食らったが、できるだけ表情を変えないように努めた。

「ありがたいお話ですが、私にできるのは鍛冶仕事だけです。
 そのお城に鍛冶工房があるなら、喜んで参りますが」

 冷静に言葉を返すと、メギュレがからかうような一瞥をエリュイに投げかける。

「たぐい稀な美貌を持ちながら、わざわざ苛酷な労働に従事したいか?
 君の肌はいずれ火傷で醜く爛れ、顔立ちも歪んで、誰からも相手にされなくなる。
 それでも良いと?」

「私は鍛治師の端くれです。
 こんな酔狂な格好をして暮らすよりは、工房にいる方がずっと落ち着きます。
 それに、男ですから、少々火傷を負ったところで気にしません」

 メギュレはおかしげに笑い出した。

 その笑い声には感情が無く、エリュイをさらに不安にさせる。

 仕事を探すなら、もっと他に、頼りになる人がいるのではないだろうか?

 ふとそう思ったが、ミルザの鍛冶工房を訪ねた時や、ごった返す救貧院の様子を思い出し、エリュイは迷いを振り払おうとした。

 贅沢を言える立場ではない。

 エリュイの身許を詳しく調べたのは、メギュレが慎重で堅実な人物だからなのかもしれない。

 美しい色硝子が嵌められた窓際に置かれた円卓に、メギュレは二つの酒杯を持って移動すると、椅子に座れとエリュイを手振りでうながした。

「ユラク特産の葡萄酒だ。
 他の白葡萄酒に比べると糖度が高いゆえに、甘みが濃い。
 君も飲みたまえ。取引成立の証としよう」