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猛る獅竜と永遠の契りを


《第1章》 闇に潜む魔獣

<6>



 突然、隣室に続く扉がガタンと大きな音を立てて開き、椅子に座りかけていたエリュイはぎくりと立ちすくんだ。

 扉の隙間からするりと抜け出して、二つの白い影が飛び出してくる。

 青ざめた顔を引き攣らせ、後ずさりをしたエリュイに、金色の長い毛並みを持つ大きな犬が二頭、息を荒らげ、興奮した様子でまとわりついてきた。

「鎮まれ。客人の前で行儀が悪いぞ」

 顔を顰めたメギュレが、千切れんばかりに尻尾を振っている二頭の犬を諫める。

 犬たちは彫像のように床に座ったが、エリュイからは目線を外さず、パタパタと親しげに尻尾を振り続けていた。

 犬を隣室に戻そうとしないメギュレを、エリュイは恨めしく思った。

 時間が経つにつれ、眩暈を感じ、吐き気がこみ上げてくる。

 犬は苦手だった。

 犬というより、狼を自由に使役する《狼の牧者》ザグレスの残影が、いまだにエリュイを苦しめる。

 アリオンの命を奪った狂える竜鬼(りゅうき)の姿は、いまだに頭に焼きついて、消え去ることがない。

 あれは、《イシュヴァの化身》とは名ばかりの、凶悪な怪物だった。

 椅子の背もたれにつかまりながら、エリュイは両目を瞑り、震え出した躰を支えた。



 ユリィヤを執拗につけ狙っていた恐るべき魔竜ザグレスは、十年前に処刑されたと、風の噂で聞いている。

 恐ろしい半竜半人の竜鬼ザグレスを斃したのは、マディヤル王国のヴェレイド第二王子。

 高潔で勇猛果敢な王子は、戴冠式の最中、ザグレスとの戦いで命を落としたと、吟遊詩人はいつも哀しげに歌う。

 たったひとときであれ王冠を戴いた悲劇の王子には、イシュヴァ神殿から《竜聖王》という諡(おくりな)が授けられた。

 十八歳という若さで身罷った《竜聖王》ヴェレイドは、イシュヴァ神が世界を救うために使わした英雄だったのだと、今では伝説になっている。

 そして──命を賭して戦った《竜聖王》のおかげで、ユリィヤとエリュイは長年の恐怖から逃れ、ようやく自由を得たはずだった。

「エリュイ、大丈夫かね? 随分と顔色が悪いが」

 いつの間にか傍に近づいていたメギュレが、エリュイの肩を軽く揺する。

 瞼を閉ざしたまま深くうなだれ、過去の恐怖と対峙していたエリュイは、その声でようやく我に返り、のろのろと目を開けた。

 朦朧とした眼差しでメギュレの顔を見返し、少し離れた所で床に伏せている二頭の犬を見やる。

 忘れていたように脂汗が噴き出し、エリュイは椅子に座り込んでいた。

「すみません。私は……犬が苦手で……」

 息を喘がせながら呟き、額から流れ落ちてきた汗の雫を手の甲でぬぐう。

「それはすまなかった。
 あれらは私の護衛代わりの猟犬だが、基本的には大人しい。
 君を脅かすつもりはなかったのだが、怖がらせてしまったなら申し訳ない」

 メギュレは注いだ葡萄酒を手元に引き寄せ、エリュイに気つけとして飲むようにと勧めてくる。

 断る理由は無いだろう。

 過敏になっている心を鎮めなければ、落ち着いて話もできない。

 小刻みに震え続ける手で銀杯を受け取ったエリュイは、ほとんど味わうこともできないまま葡萄酒を喉に流し込んだ。

 縮み上がっていた胃に酒精(アルコール)が染みこむと、ささくれた気分が少しずつ和らぐ。

「ありがとうございます。ご心配をおかけしました」

 部屋の扉の前に伏せて動かない二頭の猟犬は気になったが、飛びかかってくる様子はないので、とりあえずほっとする。

 メギュレは謎めいた微笑を浮かべて、酒杯の葡萄酒をゆっくりと味わった。

「ホルゼは最初、この《石竜館》で、君を色子として働かせてはどうかと言ってきた。
 男娼として働かせるには薹(とう)が立った年齢だが、性別を超えた君の美貌に惹かれ、食指を伸ばす輩は多いに違いない、と。
 それゆえに興味が湧いて、こうして君を連れて来るようにと命じた。
 確かに、あの御方に渡してしまうのが惜しくなってきたよ。
 君の美しさ、強さと脆さ、大層魅力的だ」

 ホルゼの邪な意図を聞かされ、エリュイは衝撃を受けた。

 だが、頭の隅で「やはり騙されたのか」と納得している自分もいて、とっさに反駁できない。

「扇情的なその姿は、君によく似合っている。
 まさに君は、生まれながらに『娼婦のヴェール』を身につけた存在だ。
 お陰で、久しぶりに私も欲情している。
 君を組み敷いて、声が嗄(か)れるまで啼かせてみたい」

 メギュレの声音に、不穏な響きが混ざり込む。

 侮辱的な言葉にエリュイは青ざめ、緋色の髪に手を伸ばしていた。

 きつく眉根を寄せて睨みつけるエリュイの目の前で、冷笑を浮かべたメギュレが指輪の嵌った右手を閃かせる。

 よくよく見れば、大きな紅石が蓋となっているのか、中指の指輪だけ中心に窪みが作られていた。

 メギュレは、小さな蝶番で閉まるその蓋を押さえ、他と変わらない形状に戻った指輪をエリュイに見せる。

「この指輪の中に、毒薬を仕込んでおくこともあるのだよ」

 ぎくりと背筋を強張らせた瞬間、エリュイの視界が大きく揺らいだ。

 思わず口許を押さえようとしたエリュイは、自身の重みに引きずられるように椅子から転げ落ちた。

「……何故……私に──毒を……」

 言うことを聞かなくなった躰であがきながら、エリュイが切れ切れにそう問いかけると、頭上に屈み込んだメギュレはひどく優しげな声で教えた。

「心配するな、死にはしない。
 君が飲んだのは、ただの痺れ薬だ」


 じわじわと広がる痺れは、エリュイから声と抵抗力を奪った。

 意識まで朦朧とし始め、どこかに運ばれている時も波に揺られているようにしか感じられない。

「あの城に行けば、君は死ぬことになる。
 命が惜しければ、大人しく私の物になるのだ、エリュイ。
 おぞましい屍瘴鬼(ししょうき)となって、夜な夜な彷徨いたくはないだろう?」

 隣室の寝台に横たわったエリュイの傍らで、憐れみを含んだメギュレの声が響く。

 エリュイは気力を振り絞って、顔を近づけてきたメギュレを睨みつけた。

「……卑怯、です。
 私は、ただ……働きたかった、だけ……なのに……」

「働けばいい。
 この《石竜館》で一番の色子になれば良いだけのこと。
 君の母親は、国王の娼婦だった。
 君も旅人を相手に、母親と同じ事をすればいい」

 メギュレの指先が、エリュイの緋色の髪や左目尻の泣き黒子を思わせぶりになぞる。

「吟遊詩人が唄うユリィヤ妃に、君はよく似ている。
 この……艶めかしい黒子や、燃え上がる炎のごとき緋色の髪……」

 抑揚をつけた口調で唄うように囁き、メギュレはさらにエリュイの髪を指で梳いた。

「黒髪に浅黒い肌をしたシディラス商人には、雪白の肌をした者が好まれる。
 君の肌は白絹のように艶めき、彼らを魅了するだろう。
 マディヤルでも珍しいこの緋色の髪と、神秘的な空色の瞳が、南方の民にはもの珍しく感じられるに違いない。
 金払いの良い彼らは、こぞって君に求愛し、多くの貢ぎ物を贈るようになるだろう」

 わんわんと頭蓋の中でメギュレの声が鳴り響き、エリュイの意識は大きく揺さぶられた。

 激しい眩暈に気が遠のきそうになったが、このままではいけないという直感が、辛うじて正気を繋ぎ止める。

「さて……君の躰に不具合が無いか確かめてみようか」

 メギュレの手が、頭部や肩を覆っていたシディラスの布を剥ぎ取り、さらに躰を包み込む薄い絹へと伸びてゆく。

 狼狽したエリュイは抵抗を試みようとした。

 だが──。

 メギュレに仕込まれた痺れ薬は、意思と躰をすっぱり切り離してしまったのか、まるで身動きができない。

「……いや……嫌だ──手を…離せ……」

 冷たく凍えていたメギュレの双眸が、熱に溶けたようにギラギラと光っている様を見て、エリュイは恐怖を感じた。

「私に抱かれたなら、こうする事が嫌ではなくなる。
 むしろ自分から足を開いて、愛撫を待ち望むようになるだろう」

 エリュイがまとう薄衣の裾を大きくまくり上げたメギュレは、露わになった両足を左右に開かせ、その狭間に手を差し入れた。

「……ぅうっ……あっ……」

 股間にある男の証を無遠慮に触れられ、エリュイは呻いた。

 鉛のように重い手足は動かず、敏感なはずの男根を指の腹で上下に扱かれても鈍い摩擦にしか感じない。

 痺れ薬に冒されていなければきっと、飛び上がっていたかもしれないが──。

「君のここは、憐れな幼子のままだな。
 小さく、皮を被ったまま……一本の飾り毛も無い」

 下生えの陰毛さえ育たない滑らかな肌を、メギュレは撫で回す。

 その指先が何かを探ろうとするように、うなだれた肉茎の付け根から後肛までもいじくり回す。

「睾丸が見当たらん。
 だが、女芯も無いから《半月》ではない。
 すると、君は無性……《破月(はげつ)》という奴だ」

「……は…げつ?」

「かつてイシュヴァに破壊され、失われた月のことだ。
 両性である《半月》の対語で、性無き者を現す。
 存在しない月はいわば虚無。
 子種を作れぬ君は、シディラスの去勢された宦官のように虚しき存在だ。
 女を抱いた事はあるのかね、エリュイ?
 これでは役に立たないだろうがな」

「──止めろ……触るな……」

 やっとの思いで抗いの言葉を発したが、メギュレはエリュイのささやかな性器を玩弄し続ける。

 親指の腹で尖端を押され、やや力を込めてぐりぐりと擦られると、鈍い痛みとともに奇妙な熱が溜まり始めた。

「薬が効きすぎているようだ。
 こんなに小さく萎れたままでは、何とも憐れになってくる」

 未成熟な男根を揶揄したメギュレは、エリュイの両膝が胸に突くほどに押し上げる。

 躰は痺れたまま動かない。

 己のあられもない格好に衝撃を受けながら、なすすべもなく、メギュレの前に恥ずべき秘所がさらされる。

 不快なほどねばついた視線が、双丘の割れ目の、穢れを排泄する小さなすぼまりに向けられていた。

 後肛に指が押しつけられた瞬間、エリュイは恐慌に陥り、引き攣れた苦鳴を上げた。

「……ひうぅっ! やめっ……何を……ッ」

「男同士はここで繋がり合うのだ。
 君の蕾はまだ硬く閉ざされていて、太いものを受け入れると裂けてしまいそうだがね。
 時間をかけて柔らかく解していけば、お互いに得も言われぬ快楽を味わうことができるだろう」

 慣れたように秘蕾に指を押し入れる動作を繰り返しながら、メギュレは力無く悶えるエリュイの顔を見下ろし、楽しげに双眸を細めた。

「この躰では、一生、女を悦ばせることはできんだろう。
 ならばいっそ、男を受け入れることだけを楽しみたまえ。
 後ろを擦られれば、君もやがて射精の快感を味わえる。
 かりそめではあれ、男になれるのだぞ、エリュイ」

「……そんな……事……できない……ッ!」

 あまりの汚辱に吐き気を感じる。

 ガンガンと頭を殴りつけるほど心臓の鼓動が響いてくるのに、指先一本、思うように動かせない。

 眉根を寄せて呻き、エリュイは唇を喘がせながら、顔を背けようとした。