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猛る獅竜と永遠の契りを


《第1章》 闇に潜む魔獣

<8>



「照れるな、ヤーウィ。俺とお前の仲だ。
 つれない事を言うな。《イシュヴァの竜珠》を探し出すまで、俺を見張るのがお前の役目だろう。
 気長に構えていないと、禿げるぞ」

 なおもからかうと、白梟は嘴を固く結び、しんと黙り込んだ。

 青く冴々と光る双瞳がグウィンザを睨みつけ、鳥を使者とする術者の怒りを伝えてくる。

(さすがは《竜の眼》として選ばれただけの事はある)

 人と鳥とがまさに一心同体。

 ヤーウィという名の──おそらく偽名だが──妖術師は、鳥類に憑依し、分身のように操りながら、グウィンザの動向を監視している。

 そして、グウィンザが所属しているイシュヴァ神殿の神官長ゴドレイフに、逐一報告しているのだ。

 グウィンザは、《竜珠》と呼ばれるイシュヴァ神の至宝を探し、何年も《探求の旅》をしていた。

 探求の騎士たるグウィンザが、竜珠を発見するまで、《竜の眼》による監視は続く。

 竜珠を手にすれば、大いなる神力を得て、イシュヴァのごとき神となるらしい。

 だが、その存在は伝説の中で語られるのみ。

 実際に《イシュヴァの竜珠》を見た者は誰ひとり存在しない。

 どこにあるのか何も判らず、色や形さえ一切が不明だった。

 今回もミルザに入る前に、イシュヴァ神の眷属が住まうという、聖なる《霧海の森》に立ち寄ってみたが、竜珠らしき物すら発見できなかった。

(まあ、竜珠の代わりに……霧の中を彷徨う、麗しき炎の精霊を見つけたが……)

 思考が逸れかかり、エリュイの方に視線を向けかけたグウィンザは、口の端に微かな苦笑を浮かべて瞼を閉ざした。

 いずれにせよ、今回の旅では竜珠探しは一旦諦めて、もう一つの目的に集中した方が良いだろう。

 解いたままになっていた銀鋼色の髪を、グウィンザが煩わしげに掻き上げた時、彫像のように動かなかった白梟がいきなり飛びかかってきた。

 バサバサと大きく翼を羽ばたかせながら、無防備になっていたグウィンザの顔に、凶暴な嘴と爪で襲いかかってくる。

「こら、止めろ! 痛いだろうが!」

 ヤーウィの攻撃を両腕で防ぎながら、グウィンザは制止の声を上げた。

『この不届き者めが! 貴様のようなろくでなしは、さっさとくたばってしまえ。
 竜珠を探し出すまでだと? 付き合うだけ時間の無駄だ。
 貴様に見つけ出せるはずがない。私から奪った時間を返せ。今すぐに!』

 あたかも、語気を荒らげた老婆が問答無用で打ち据えてくるかのようだった。

「ただの冗談だ。禿げは言い過ぎた。
 ふざけて悪かったな、ヤーウィ。
 謝ってやったんだから、もう止めろ」

 両眼を傷つけられぬよう、瞼を閉ざしたままその醜いしゃがれ声を聞いていたグウィンザは、降参を表すように両手を挙げて見せる。

 グウィンザとヤーウィの不毛な争いが沈んだ意識まで届いたのか、寝台で眠っていたエリュイが小さく呻き、寝返りを打った。

 ヤーウィは、エリュイの声を聞き取った途端、さっと窓辺から飛び立ち、夜空の中へ姿をくらませる。

 減らず口を叩いていたグウィンザも、エリュイに視線を向け、全ての動きを止めた。

「うっ……ううっ……父様──助けて……ザグレスが…また……」

 悪夢にうなされているのか、エリュイの口から苦しげな声がこぼれ落ちる。

 腰かけていた窓枠から立ち上がったグウィンザは、足音を忍ばせて寝台に近づき、脂汗の浮いたエリュイの顔をのぞき込んだ。

 美しく整った繊細な顔は、苦悶と恐怖に歪み、淡い緋色の髪が汗で張りついている。

 肌が透ける危ういほどの薄物が大きくはだけた胸元は、汗ばんで濡れ光り、浅い呼吸に合わせて上下していた。

「やれやれ……ザグレスとはな。
 さて、これは俺に対する、神々の悪戯か?」

 焼けつくような餓えを感じながら、グウィンザは衝動を抑え込むように双眸を眇めた。


 この頼りなげな若者に惹かれてしまうのは、複雑に結びついた因縁ゆえか。

 だが、ヤーウィの警告を無視するわけにはいかない。

 これ以上深く関わってしまえば、エリュイを傷つけ、果ては己自身を滅ぼしかねない。

 そう思いつつもグウィンザの指先は、顔にかかったエリュイの髪をそっと払い、透き通るほどに白い頬や首筋に触れていた。

 柔らかく、肌理の細かい瑞々しい肌──この下には、どれほど甘い血が流れているのかと、禍々しい本能が囁きかけてくる。

「……いかんな。腹が減ってきた」

 暴走しかかる本能を自嘲するように唇を歪め、グウィンザは低くごちる。

 エリュイの躰から漂う香りがあまりにも魅惑的で、遠ざけておかなければ情欲の飢餓に灼かれそうだった。

 どこにいても、この香りを辿ってエリュイを見つけ出せそうなほど、全身が熱く疼き始める。

 あろうことか、欲望に反応した肉体の一部が、痛いほどに反り勃っていた。

 艶めかしく抗う躰を押さえつけ、力ずくで支配し、背後から己自身を突き立て、一滴残らず精液を注ぎ込みたい。

 細い首に牙を突き立て、所有の証を刻み込みながら、甘く薫る血を啜ってみたい。

 人間離れした恐るべき欲望こそが、グウィンザを苛む呪縛であるにもかかわらず……。

 同じ部屋にいるせいか、むせ返るほどにエリュイの香が強く感じられ、理性の箍が弾けそうになる。

 これほど急激に欲情が昂るのは初めての事だった。

 長い睫毛に縁取られたエリュイの瞼がすうっと上がり、煌めく空色の瞳が、グウィンザを見つめた。

 今はまだ何の意思もこもらない虚ろな双瞳。

 だが何故か、思わず息を止めたグウィンザの胸の奥まで、貫き通すような銀光を放つ。

 不可解な罪の意識に駆られ、グウィンザはたじろいだ。

「……いや、嫌だッ! 化け物…ッ……傍に……来るなッ!」

 はっと大きく見開かれた蒼瞳が、恐怖に収斂し、激しい怯えを映し出す。

 引きつった悲鳴を上げ、幻影から逃れようと両腕を振り回すエリュイからとっさに身を引いたグウィンザは、口の端に自嘲の笑みを閃かせた。

「落ち着け。ここに化け物はいない」

 悪夢を断ち切れずに混乱するエリュイの両腕をつかみ、グウィンザは断言する。

 大きく仰け反ったエリュイの唇が喘ぐように開閉し、ヒュッと喉が鳴った。

 少しずつ落ち着きを取り戻し、グウィンザの顔を認めると、瞬きを繰り返す双眸がはっと見開かれる。

「あなたは……グ、グウィンザ…さん?」

 エリュイがかすれ声で呟くと、グウィンザは細い両手首を捕らえたままうなずいて見せた。

「私は……どうして、ここへ? 確か、私は……《石竜館》で……」

「何があったかは知らんが、お前が路地に倒れているのを見つけて、ここまで運んだ」

 淡々と言い聞かせると、エリュイは信じられないとでも言いたげな顔でグウィンザを見つめ、それから自分の格好に気づいたように急に声を上擦らせた。

「こ、こんなはしたない格好で、私は町に倒れていたと言うんですか?」

 暴れた拍子に薄物が大きくはだけて両胸が露わになり、裾が太腿まで捲れ上がっている。

 恥じ入るようにエリュイは身を捩らせようとしたが、やや意地の悪い気分に駆られていたグウィンザは、つかんでいた両手首をそのまま放さなかった。

「どこぞの妓楼から逃げ出した佳人が行き倒れているのかと思ったんだがな。
 助け起こしてみたら、お前だったというわけだ。
 少々がっかりしたが、そのまま放り出すのも不憫だと思い連れて来た」

 威嚇的に見えるのは承知の上で、瞬くことなくエリュイの瞳をのぞき込む。

 驚愕に見開かれたエリュイの双瞳は、見たことが無い神秘的な色合いをしていた。

 銀色がかった明るい空の色。

 眩い夏の陽光に照らされた真昼の蒼穹に、銀の稲妻が閃いているかのように。

 あるいは、燃え上がる氷の炎。

 冷たく見えながら、触れれば火傷をする。そんな強さがある。

「広場では聞けなかったが……お前の名前は?」

 エリュイの瞳に引き込まれ過ぎたのか、わずかに声がかすれる。

 エリュイの名前など知らない振りをして、グウィンザは訊ねた。

 澄んだ、柔らかなその声で、名乗らせてみたい。

 すでに、胸の奥にまで深く刻まれた名前であるにも関わらず。

 惚けたようになっていたエリュイは、その問いに小さく瞬きをすると、戸惑いに首を傾げながらグウィンザを見返した。

「私は、エリュイといいます。
 すみません。私は、名乗っていなかったんですね。
 あなたの名前を、教えてもらっていたのに……」

 エリュイの声が、その美しい名前を紡ぎ出すと、きらきらと輝き出す。

 真実の言霊が宿った名前だからなのだろうか?

 それに比べると、グウィンザという名前はどこか空虚に響く。

 そう思い、グウィンザはわずかに口許を歪めた。

 グウィンザを見つめていたエリュイが、躊躇いがちに「あの……」とか細い声を上げた。

「もう、暴れませんから、腕を放していただけませんか? 
 さっきはいろいろ思い出してしまって、それで──。

 あと、ご迷惑だとは思いますが、できれば何か着る物を貸していただければ助かるのですが……」

「お前はそのままで、十分に魅力的だぞ、エリュイ」

 くくっと喉を鳴らして笑ったグウィンザを、エリュイは気の強さを取り戻した瞳で睨みつける。

 頬が赤くなっているのは、恥ずかしがっているせいだろうか。

 エリュイは全身に力を込め、グウィンザから両腕を引き戻そうとし始めた。

「からかわないでください。あなたの目にどう映っているかより、私は自分がもの凄く情けないんです。
 ホルゼに騙されて、こんな格好をさせられたかと思えば、あのメギュレという主人には襲われそうになるし……」

 仕方なくグウィンザが両手を解放してやると、エリュイはそそくさと長い裾を膝の辺りまで伸ばし、胸元を隠すように整えた。

 ようやく安堵したかのように溜息をついたが、すぐに深い憂いを顔に滲ませる。

 手首をさすりながら、エリュイは落ち込んだようにうなだれた。

「いったい、何があった?
 《石竜館》では怪物が出たと、ミルザの守備兵まで巻き込んで大騒ぎになっている。
 この騒ぎに、お前は関わっているのか?」

 自分の荷物の中にあるはずのチュニックを探しながら、グウィンザがそう質問すると、エリュイは沈黙する

 何を話そうかと逡巡するその姿を横目で見やったグウィンザは、洗いざらしのチュニックを見つけ出して立ち上がった。

「話したくなければ、話さなくてもいいがな。
 特に問題が無いなら、これを着て家に帰れ。
 この騒ぎを聞きつければ、お前の家族は心配するだろう」

 ばさりと投げかけたチュニックを受け取ったエリュイは、途方に暮れたような、泣き出しそうな顔でグウィンザを見返し、ひどく頼りなげな空色の瞳を揺らした。

 そんな顔をされると、突き放すことができなくなる。

 エリュイを腕の中に抱え込んで、慰めたくなる。

 湧き上がる不可解な衝動を抑え込みながら、グウィンザは見境の無い己の欲望に、内心で嘆息をもらしていた。

 ヤーウィの言う通り、早々にエリュイを放り出して、滾る欲情を吐き出せる妓楼に駆け込んだ方が良いのかもしれない。

 災厄へと誘うようなエリュイの唇に、惑わされて口づけてしまう前に。