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猛る獅竜と永遠の契りを


《第1章》 闇に潜む魔獣

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「すみません、グウィンザさん。私は、あなたに嘘をついていました。
 ミルザに、家族はいません。帰る場所も、私には無い。
 しばらく暮らしていたダマル村を出て、このミルザに来ました。
 それで……あなたと、ホルゼに会ったんです」

「ホルゼというと……俺を《石竜館》に案内した、あの男か?」

 グウィンザの問いかけに、エリュイは小さくうなずく。

 印象的な空色の瞳を伏せたまま、エリュイは話を続けた。

「ホルゼは、《石竜館》の主人であるメギュレに会うようにと言いました。
 ホルゼはメギュレの部下で、私に仕事を紹介してくれる約束だったんです。
 どこかの貴族のお城に働き口があるような話でした。
 でも結局、メギュレは、私を《石竜館》の色子にすると言い出した。
 その城で、私を死なせてしまうのは、惜しいからと……」

 騙されたという屈辱に耐えているのか、青ざめた唇から紡ぎ出されるエリュイの声が時々震える。

 グウィンザは双眸を鋭く眇めた。

 一瞬にして、熱く熔けかけていた感情が全て排除され、冷徹な思考に切り替わる。

 それは、求めていた情報だった。



 マディヤル王国では昨今、十代から二十代の若者が行方知れずになるという事件が起きている。

 王府で目立った関心が寄せられないのは、行方不明になった子供の家がそろって貧しいため、口減らしの奉公に出されたり、身売りさせられたのではないかと考えられていたからだった。

 役所に訴え出た親もいたが、家出ではないかと疑われ、まともに取り合ってもらえない。

 それゆえに、イシュヴァ神殿に助けを求める者が出てきた。

 夏大市で賑わうこのミルザでは、さらに不可解な出来事が生じている。

 国外から訪れた隊商の人足が、帰国の途では半数に減る。

 ミルザから聖都クセへと向かう巡礼者が、山中で消えてしまう。

 竜神祭での施しを求める乞食や流れの娼婦、楽師や大道芸人。

 身寄りのない者たちが、まるで選ばれたかのように忽然といなくなる。

 国王直属の巡察官であるグウィンザは、そういった行方不明者たちの足取りを、一年がかりで追跡調査していた。

 何者かが、計画的に仕組んだ大がかりな拉致なのではないか。

 各地で話を聞いて回るうち、疑惑は深まってゆく。

「貴族の城? それがどこか、聞いていないか?
 死なせてしまうのが惜しいとは、どういった理由だ?」

 尋問にも似たグウィンザの厳しい問いかけに、エリュイは当惑しながら、思い出すように答えた。

「すみません。詳しい話は、何も聞いていないんです。
 でも、メギュレの言葉は、何だか荒唐無稽でした。
 死んで、屍瘴鬼(ししょうき)になるとか……。
 まるでお伽話みたいでしょう?」

 屍瘴鬼(ししょうき)──グウィンザの背に微かな戦慄が走った。

 屍瘴鬼は、マディヤルの古い伝説に登場する怪物で、エリュイが不思議がるのも無理は無い。

 怨念を抱いて死んだ者が、自らの亡骸に留まり続けるか、あるいは別の悪霊に取り憑かれると、生と死の狭間で屍瘴鬼が生まれる。

 ただの死霊に実体は無いが、屍瘴鬼は滅びゆく肉体と強く結びつき、再生を求めて永遠に人間の血肉を貪るらしい。

 力を蓄えた屍瘴鬼は、長い時を経ると魔力を得て、生者と変わらぬ容姿となり、変身能力を有する恐るべき悪鬼へと生まれ変わる。

 飽くなき血肉への欲求と、生命への尽きせぬ飢えに蝕まれた屍瘴鬼は、夜になると地底から這い出して人間を襲い、その首を噛み切って生き血を飲み干すと言い伝えられていた。

 もっとも、クセ聖殿の聖舞師によって、死者が丁重に火葬されるようになった現在では、それは考えられない話なのだ。

 屍瘴鬼の伝説が生まれたのは、マディヤル古来の弔い方法で、亡骸を地中に埋めていた頃。

 大地の神たる竜神イシュヴァの懐に、死者を托すという信仰が根強く残っていた時代、呪われた亡者が、穢れた不死者と化し、人々を襲っていたのだという。

 死者の魂を浄化するクセ聖殿の教えが広がってからは、エリュイが言うように、屍瘴鬼は無害なお伽話になっていた。

 とはいえ、グウィンザの耳には、様々な情報が入ってきている。

 これらから向かう予定のアルガスト辺境伯領には今、恐るべき人喰い狼が跳梁しているという噂が囁かれていた。

 どれほどバカげた話だろうと、培われてきた勘に屍瘴鬼という単語が引っかかったなら、注意する必要がある。

 その一方で、偶然にもエリュイが巻き込まれた事態から、《石竜館》の主人メギュレへの疑惑が濃厚になっていた。

《石竜館》は、奴隷を多く使うシディラス商人と繋がりが深く、大規模な隊商を毎月のように宿泊させている。

 メギュレは《石竜館》の他にも、ミルザに数軒の妓楼と酒場を構え、その一方で私財を投じた救貧院も運営している。

 身寄りの無い孤児を、不衛生な貧民街から救い出し、食事と住む場所を与える。

 文字の読み書きを教え、働き口を世話をする。

 慈善事業を行うメギュレはミルザの名士で、表向き悪く言う者はいない。

 だが、彼には、以前から人身売買の黒い噂が囁かれていた。

 シディラス商人から奴隷を買い入れる一方で、見目の良い孤児を、名ばかりの養子として売りつけている、と。

(斡旋人のホルゼもそうだが……恐らく、メギュレ以外にも多くの人間が、拉致に関わっているのだろう)

 ホルゼに案内された時、メギュレが好んで使う香と同じ匂いを感じ取り、グウィンザは警戒した。

《石竜館》に着く前にホルゼと別れ、急いで広場に引き返したが、エリュイはすでにいなくなっている。

 徴税士は信用できる男か──答えは、否。

 推理と勘を頼りに、メギュレが運営する救貧院を探し出したグウィンザは、闇に身を潜めてエリュイを見守っていた。

 翌朝になると、案の定と言うべきか、ホルゼが迎えにやって来る。

(……あれは、エリュイという名だったのか)

 エリュイの名前も、ホルゼと交わしていた会話からようやく聞き取った。

 声に出してみると、その美しい響きが気に入り、気がつくと呼びかけてしまいそうになっていた。

 今のところ、エリュイは事件に巻き込まれた被害者の一人でしかないが、《狼の牧者》ザグレスとも関わっている以上、目を離すことができない存在になりつつある。

 もし、エリュイが差し向けられる予定だった貴族が、アルガスト辺境伯リゼランであれば、途切れ途切れの点が、一つの線で結ばれることにもなるのだ。

(リゼランは、かつてザグレスの寵童だった。
 そこに、人喰い狼と……屍瘴鬼か──)

 頭の中で思索を巡らせていたグウィンザは、ひどく艶めかしいシディラスの衣装を纏ったエリュイを、視界の端で見つめた。

「お前、住んでいたというダマル村には戻れないのか?」

 内心を隠した声音でグウィンザが訊ねると、うつむいたままエリュイは首を縦に振る。

「あそこには……戻れません。二度と帰らないと決めて、出てきましたから」

 掌をじっと見つめるエリュイの瞳には、動じることの無い決意が宿っていた。

「それなら、これからどうするつもりだ?
 行き場が無いと言っていたが、このままミルザに留まるのか?」

 黙り込んだ後、エリュイは思い詰めた表情でかぶりを振った。

「ミルザからは、出ようと思います。
 ここに留まれば、メギュレにまた捕まるかもしれないし。
 それに、ミルザで仕事を探していたんですが、全然見つかりませんでした。
 もっと大きな街に行けば、私を雇ってくれる所が見つかるかもしれない」

「何の仕事をしていたんだ?」

 さほど関心を持たぬままグウィンザが聞き返すと、顔を上げたエリュイは戸惑ったように首を傾げた。

「それは……その、一応、鍛冶仕事を手伝っていました」

「──鍛冶屋!? お前が?」

 返ってきた言葉の意外性に驚愕し、思わず声が大きくなる。

 片眉がつり上がったグウィンザの顔を見上げていたエリュイは、落胆したように嘆息し、悩ましげに眉根を寄せた。

「みんな、そういう反応なんです。
 私に鉄が打てるはずはないって思ってる。
 もちろん、グウィンザさんが持っているような武器を、一から作ったことはまだ無いんですが、磨ぎや修理くらいならできます。
 あとは蹄鉄を打ったり、錠前を作ったり、鍋とかを修理したり……」

 少し拗ねたように唇を尖らせたエリュイの顔に血の気が戻り、ほんのりと頬が赤く染まる。

 細い両腕や、火傷の痕ひとつ無いなめらかな皮膚を見ていると、エリュイが鍛冶師というのは、にわかには信じがたい。

 グウィンザが想像する鍛冶師というのは、筋骨隆々な頑固親爺で、だいたいどこの町を訪れても、その印象が覆ることはなかった。

 武具を扱う鍛冶師ともなれば、騎士や戦士に劣らぬ厳つい男であることが多い。

 言葉は悪いが、エリュイのようにひ弱で軟弱そうな男に、戦士の命とも言うべき武器や鎧を任せる者はいないだろう。

 悄然とうつむいたエリュイを見下ろしていたグウィンザは、視線を宙に向けて考え込んだ。

 エリュイは、使える。

 エリュイを従者として雇い入れれば、少なくとも馬の番くらいはできるだろう。

 従者を傍に置けば、わずらわしさや手間は増えるし、何よりも己自身を極限まで律する必要性が出てくる。

 一人旅の方が気楽ではあったし、罪を犯す危険も考えずに済むのだが──。

 グウィンザは決心した。

「お前、俺と共に来るか? 
 ベンディスまでの旅で良ければ、お前を雇ってやれる。
 寄り道や野宿も多いが、一人旅をするよりは心強いだろう」

 グウィンザの突然の申し出に、エリュイは驚いたように双瞳を瞬かせ、次いで当惑した面持ちで首を傾げた。

「とてもありがたいのですが……私は何をすれば良いのか。
 あなたのお役に立てるかどうか判らない」

 即答を避けたということは、まんざら嫌でもないないのだろう。

 勝手にそう解釈したグウィンザは、自分自身の迷いは完全に捨てて、エリュイを口説くことにした。

「野宿は多いが、食糧や寝床の面倒は俺が見てやるから安心しろ。
 お前は俺に従ってついて来ればいい。
 その間、馬の世話や見張り、火の番や食事の準備、他の細々した事をを頼むことはあるだろうが、大して難しい事じゃない。
 お前は、俺の言う通りに雑用をしながら、王都に向かえばいい。
 無事に到着したら、報酬として金貨十枚を支払おう。
 それだけあれば、ベンディスでまた仕事を探せるだろう?」

「でも……見ず知らずの私に、何故そこまでしてくださるんです?」

 警戒心を露わにして聞き返してくるエリュイに、グウィンザは唇の片端をつり上げて笑って見せた。