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天に歌い 大地と踊る



<序章> 天の舞人クセ



 ──聖なる歌と舞踏は、時に運命をも引き寄せる。

 神々から使わされた天の舞人(まいびと)クセを語る時、ナランは必ずその言葉から語り始めた。

 厳かな語り口で始まる昔話は、サイラの心をいつも遠い古の世界へと誘う。

 舞人の伝説にとどまらず、ナランが語る昔話は、全てが命を吹き込まれたように輝いていた。

 ナランによって織りなされた幾多の神話や伝説を、サイラは生涯忘れることはなかった。

 その夜も、寝台にもぐりこんだ幼いサイラに、ナランは昔話を語り聞かせた。

 暖炉の炎にかざされたナランの手が、壁に幻想的な影を作り出す。

「遠い遠い昔のこと、精霊が今よりもずっと人々と親しかった頃の話だ。
 まだ多くの人々が羊や山羊の後を追って暮らしていた頃、天を支える山々の奥底から荒ぶる大地の神霊が溢れ出した。
 天は暗く恐ろしい雲に覆い尽くされ、大地は光を失う。
 そして、地霊に祟られた人々は、ことごとく死に絶えた」

 幾度となく聞いた昔話であるにも関わらず、舞人クセの伝説はサイラを夢中にさせる。

 毛布の中で瞳を輝かせるサイラに微笑みかけ、ナランは物語を続けた。

「困り果てた人々は、天上に住まう神々に祈りを捧げた。
『どうか地霊の怒りを鎮めてください』と。
 来る日も来る日も、人々は遠い天の宮に祈りを捧げ、生まれたばかりの赤子を生贄に差し出した。
 そうするうちに、世界には恐怖と、我が子を失った母親たちの嘆きが満ち溢れた」

 ナランの声が暗く重く沈んでゆく。古い悲しみの声を届けるように──。

「やがて、人々の祈りはついに神々の御許へと届き、天界から一人の舞人が使わされた。
 舞人の名前はクセ……明るい空色の瞳と黄金色に輝く髪を持つ舞人は、地霊蠢く地へと旅に出る。
 共に行く者は誰もいない。クセはいつも独りぼっちだった。
 けれどクセはちっとも寂しくなかった。沢山の精霊がクセの友達だった。
 クセは神々に捧げる歌を歌い、大地の上を軽やかに舞い踊る。
 ひらひらと舞う蝶のように、空を飛ぶ鳥のように。
 すると地霊は荒ぶる怒りを鎮め、地上の精霊たちは喜びの歌を歌い始めた」

 舞人の美しい舞踏を思い描き、サイラの小さな胸は高鳴った。

 いつの日か、クセのように精霊と共に踊ってみたい。

 それはどんなにか素晴らしいことだろう。

「地霊を鎮めたクセは、驚く人々にその不思議な秘伎(ひぎ)を教え、伝えた。
『聖なる歌声が響き続ける限り、聖なる舞踏が続く限り、地霊を恐れることはないのだ』と。
 こうして、聖なる舞人クセによって清められた大地に、その名を冠した聖都クセが造られた」

 昔話を語り終えたナランは、うっとりと聞き惚れていたサイラの額に接吻した。

「おやすみ、サイラ。天律(てんりつ)の神々の加護と、精霊の恵みが、いつもお前と共にありますように……」

 昔話を聞き終えると、サイラは満足して眠りにつく。

 ナランさえいれば、どんなに暗い闇夜でも安心だった。

 荒ぶる地霊も、恐ろしき闇の精霊も、ナランだったら追い返すことができる。

 森をすみかにする熊や狼でさえ、この小さな家には近づけない。

 ナランと共に住むこの山の家は、世界で一番安全な場所なのだと、サイラはずっと思っていた。

 そして、そんな平和な日々が、いつまでも変わることなく続くと信じて疑わなかった。