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天に歌い 大地と踊る



第1章 半月の子

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「確かに……つまらない仕事だな」

 何が面白いのか、ライゼルはくすくすと笑い出す。

「ところで、サイラ。私の指輪を知らないか? 左手にはまっていたはずだが」

 そう問われてサイラはぱっと立ち上がり、マントに包んでひとまとめにしていた騎士の荷物に駆け寄った。

「ナランが指から抜いたんだ。血の巡りが悪くなるからって」

 翼を広げた大鷲の紋章が刻まれた銀の指輪を、サイラはすぐに荷物の中から見つけ出し、ライゼルの手に渡した。

「太陽神ウィドゥだね。とても綺麗だ」

 サイラが笑いながら告げると、ライゼルは微かに眉をひそめた。

「これの意味が判るか、サイラ?」

 何かをさぐるようなライゼルの問いに、サイラはきょとんとした。

「……だから、太陽神でしょう? こんなに細かい模様は初めて見たけど」

 銀の鷲を指先でなぞっていたライゼルは、ほっとしたような表情を浮かべ、指輪と手紙をサイラに渡した。

「指輪を入れて手紙を封印してくれ。
 エドが来たら、それを届けてもらいたい」

 サイラは頷き、銀の指輪を羊皮紙に包み込む。

 騎士の役に立てた事が嬉しくなり、サイラは踊るような足取りで部屋の外に飛び出した。

「ナラン! 手紙を封印するやつ、どこにあったっけ?」

 サイラの澄んだ声が響くと、ライゼルはふっと微笑み、瞼を閉じて枕によりかかった。

 サイラの後を追おうと立ち上がったスヴァルは、騎士の様子を振り返ると、のっそりと部屋から出て行った。



 エドが現れたのは、ちょうど日暮れ時だった。

 老年になりながらも、若者に劣らぬがっしりした体格のエドは、狩りで仕留めた三羽の兎をサイラに渡した。

 すでに毛皮が綺麗に剥がされ、内臓も抜かれている。

「魂鎮めの呪(まじな)いも済ませてある」

 エドは無愛想に言った。

 決して機嫌が悪いわけではなく、もともと木訥(ぼくとつ)な人柄だった。

 母屋の外に置かれた木の椅子にどっかりと座り、ひさしのように長い真っ白な眉の下から、じっとトゥバ山脈を眺めている。

 サイラはいつものように薬草茶を淹れると、山を越えてきたエドに差し出した。

「実はエドに頼みがあるんだ」

 エドの隣に座ったサイラは、思い切ってそう言い出した。

「サイラが頼み事をするのは珍しいな」

 長い眉の下から、ナランと同じ灰色の瞳がサイラを見つめる。

 ちょうど台所からナランも出てきて、戸口のところでなりゆきを見守っていた。

「……王都ティサに手紙を届けてほしいんだ」

 ためらいながらサイラがそう言うと、エドは訝しげに眉をひそめた。

「都に手紙? お前、ティサに知り合いがいたのか?」

「そういうわけじゃないんだけど、重要な手紙なんだよ」

 エドに何と説明すればいいかサイラが迷っていると、ナランが助け船を出してくれた。

「今、怪我人を世話しているんだ。その男が、ティサに自分の安否を知らせたいらしくてね。
 ただ、自分が生きていることを秘密にしておきたいらしいのさ」

 その途端、エドは険しい表情を浮かべた。

「怪我人って、いったい誰だ?
 キーレじゃ今、マディヤルを訪問していた王弟が暗殺されたって、大騒ぎになっているんだぞ。
 王弟を守っていた聖舞師や舞闘師までもが殺されていたらしい」

 エドの話を聞き、サイラははっと目を見開いた。

 どこかで同じ話を聞いた気がする。

 すぐにキーレで遭遇した青アザの男が思い浮かんだ。

「……犯人って、もう見つかったの?」

 サイラの問いに、エドは逞しい肩をすくめて見せた。

「猟師が使う毒矢が使われたせいで、俺たちにまで疑いの目が向けられている。
 首謀者はマディヤルの連中──反アゼリス派の仕業じゃないかって噂だがな」

 重々しい溜息をついたエドは、急に声をひそめた。

「もしその怪我人が、犯人の一味だったらとんでもない事になる。
 下手に関わらない方がいいぞ」

「ライゼルはそんな人じゃないよ」

 サイラがそう言うと、老猟師は嘆かわしげに首を振る。

「世の中には平気で嘘をつく奴らがいる。信用しない方がいい」

 ナランはエドの話を黙って聞いていたが、その顔からは何を考えているのかうかがい知れない。

(……エドが王都に行ってくれなかったらどうしよう)

 サイラは不安になり、寝室で待つライゼルを心配した。

 手紙が届けられなければ、ライゼルは無理をして王都に帰ろうとするだろう。

 だが、そうなれば、ナランの恐るべき予言が──。

「私からも頼むよ、エド。ティサに行ってやってくれないかい?」

 ナランがそう言うと、エドは驚愕した顔で姉を見つめた。

「ナランも信用するのか?」

 するとナランは謎めいた微笑みを浮かべ、母屋に入るよう弟を促した。

「とにかく、お前も一度会って、話してみるといい。
 どうしても信用できないと言うのなら、断っていいよ」

 その後、ライゼルと対面したエドは、さらに疑惑を深めたようだった。

 どことなく人を見下したような騎士の態度が、キーレ一の猟師を自負するエドには気に入らなかったらしい。

 もともとキーレ周辺は、アゼリスとマディヤルの国境地帯であるため、どちらの国にも属さないという自由な気風が根付いている。

 今はアゼリス王国に組み込まれているが、そのうちマディヤルに変わるかもしれない。

 そうだとしても、キーレはキーレとして存在し続ける。

 それがキーレという都市の誇りだからこそ、住人は居丈高に命じられることを嫌うのだった。

「あんたは都の貴族だろう。高貴な御方たちは一番信用できない」

 エドは不機嫌になり、威嚇するような鋭い眼差しでライゼルを睨み下ろす。

 がっしりとした両腕を組むと、それだけで威圧感が増す。

 しかしライゼルは怯む様子も見せず、冷めた眼差しを老猟師に向けた。

「それは同感だが、この件は仕事として引き受けてもらいたい。
 報酬は十分に支払おう。
 サイラ──私の荷物に革の袋がないか見てくれ」

 はらはらしながら見守っていたサイラは、そう呼びかけられて、慌てて騎士の荷物を調べた。

 ずしりと重い革の袋を見つけ出すと、それを寝台まで運ぶ。

「サイラはあんたの召使いじゃないぞ。顎で使うのは止めてくれ」

 癪に触ったのか、エドが憮然とする。

 ライゼルは唇に薄く笑みを浮かべると、立ちつくしているサイラに謎めいた視線を向けた。

「サイラには感謝をしている。召使いだと思ったことはない。
 そう見えるとすれば、私の態度が悪いのだろう。
 動けるようになれば、跪いて足に接吻することさえいとわぬよ」

 思いがけない騎士の言葉に目を丸くしながら、サイラはふるふると首を横に振った。

「そ、そんな事……しなくていいから」

 ライゼルの言葉に鼻白んだエドは、苦笑しつつも黙っているナランを、険しい顔で振り返った。

 純朴なエドにとって、ライゼルの言葉は気に触るものだったのだろう。

「こんなヤツを信用するのか、ナラン?
 どう見ても、女たらしの気取り屋じゃないか」

「今までは率直だったから、信用できると思ってたんだ。
 たけど、元気になってきたら、宮廷人の悪い癖が出てきたね。
 ティサではさぞ浮き名を流していたことだろう」

 ライゼルの味方だと思っていたナランの皮肉に、サイラは慌てた。

「お願いだから行ってあげてよ。
 エドにしか頼めないんだ。エドだけが頼りなんだよ」

 サイラが必死で頼み込むと、エドは困惑した顔つきで頭を掻いた。

「……サイラにそこまで頼まれるとなあ」

 溜息をついたエドは、じろりと騎士を睨みつける。

「あんた、いくら出す気だ?
 俺はしばらく猟ができないし、病気の女房も置いて行かなきゃならない。
 俺を使うつもりなら高くつくぞ」

「行ってくれるか?」

「あんたのためじゃない。サイラのためだ──それを忘れるな」

 エドが唸るような声で言い放つと、ライゼルは謝意を示すように目礼した。

「その中にまだいくらか入っている。足りなければ、後で支払おう」

 ライゼルから渡された革袋を、サイラはエドに届けた。

「ありがとう」と小声で囁くと、エドは目元を和らげて手を伸ばし、くしゃりと琥珀色の髪をかき混ぜる。

 長櫃の上に革袋の中身を広げ、こぼれ落ちた硬貨を数えると、エドは驚嘆の面持ちになった。

「金貨二十枚!? さすがに、これほど高くはないぞ。
 半分でも十分過ぎるくらいだ」

「全て差し上げよう。先々何が起こるか判らぬからな。
 ただし、手紙の事はくれぐれも内密に。
 手紙の存在さえ知られてはならぬ。
 この手紙は、ティサに住むエーヴェル卿の奥方マイヤにのみ手渡すのだ」

 相変わらず威張ったライゼルの言葉遣いだったが、覚悟を決めたのか、エドは反発することなく頷いた。

「この手紙を、エーヴェル卿の奥方マイヤに渡す。それでいいんだな?」

「迎えの者が案内を請うだろう。
 その時は、ロドリスという名の舞闘師一人を、ここまで連れてきてくれ」

 エドとライゼルの会話を、サイラはどきどきしながら聞いていた。

 上手くいったという安心感。

 それと同時に、エドが無事に帰ってくるだろうかという心配も湧き上がってくる。

 何気なくナランの顔を眺めた時、彼女の灰色の瞳がどこか遠くを見ているように感じた。

 まるで、サイラが知らない何かを、全て見通しているかのように。

「──ナラン?」

 そっと呼びかけると、ナランはサイラを見返し、穏やかに微笑んだ。

「エドが持ってきた兎を料理しようか。
 そろそろ騎士殿にも、精のつくものを食べさせなきゃいけないからね」

 サイラが抱いた不審を受け流すように、ナランはそう言って寝室から出て行った。