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妖精王の光環


<15>



 森を抜けると、そこから先は起伏に富んだ草原が続き、地の果てには冠雪を頂いた美しい山脈がうっすらと浮かび上がっていた。

 季節は春なのか、草の間から白や黄色の小さな花が顔を出し、風に吹かれるたびに首を傾げている。

 ゴツゴツとした灰色の岩場が所々に見える以外は、変化の乏しい草原の風景が延々と波打つように続き、遮る物が無いせいか、風の勢いは強く、マントをしっかりと巻き付けていないと、凍りつくような寒さを感じた。

「……向こうは真冬だったのに、こっちは春なのか」

 季節までもが違うのだと思い、凛がぽつりと呟くと、エルダインがその言葉に応じるように言った。

「いや、今はもう初夏じゃよ。
 イルダール王国は北国じゃから、夏があっという間に終わってしまう。
 その代わり、冬は気が遠くなるほど長い。
<常春の森>に比べたら、随分と暮らしにくい場所なんじゃ」

 馬の手綱を握っていた右手を離し、エルダインは凛に教えるように前方を指差した。

「ここから丘をあと五つばかり越えると、リア山脈の麓を通る街道が見えてくる。
 リア街道を西に進み、ヴァンドという町から<西の大商道>を南下すると、イルダールと隣国のギルナリス王国を隔てるアリール河に行き当たるんじゃ。
 アリール河を越えたところに<幻夢の森>が広がっておる。
 あの森は古来より妖精王の領地じゃから、イルダール王もギルナリス王も、絶対に手出しができんのじゃ」

 聞いた事の無い地名の連続に、凛は思わず顔を引きつらせたが、すぐに頭の中で地図を描き始めた。

 もともと歴史や地理は得意科目であり、高校時代には本気で史学科に進もうかと考えた事もあったから、地名や人名を覚えるのは早い。

(……世界遺産どころじゃなくなったけどな)

 そもそもストーン・ヘンジに行こうと言い出したのが原因だのだと思い出し、凛は重々しいため息をついた。

 そしてふと、一緒に旅行をしていた空我の事を唐突に思い出す。

 ドタバタ続きですっかり頭から抜け落ちていたが、凛が謎の光に呑み込まれた時、空我も傍にいたのだ。

(──空我は、どうしただろう)

 凛だけがこちらの世界に飛ばされ、空我はストーン・ヘンジに残されたのだろうか。

 そうだとしたら、凛が突然行方不明になって、さぞ慌てているだろう。

(だけど……あいつがこんな事に巻き込まれていないなら、その方がいい)

 無理矢理抱かれそうになり、あの時は凛も二度と顔を合わせたくないと思ったが、ここまで様々なハプニングが続くと、あれは些細な事のように思われた。

 少なくとも凛は凛であったし、以前から下心があったにせよ、空我はずっと親友として傍にいてくれたのだ。

 細く、長い吐息を吐き出し、凛は薄く雲のかかった蒼天を見上げた。

(……帰りたい──元の世界へ……)

 ここに来て気が緩みだしているのか、目頭が熱くなり、涙が滲んでくる。

 何を考えているのか判らないアルレインはともかく、エルダインは気さくでよく笑い、凛の事も何かと気を遣ってくれていた。

 乗馬に慣れていない凛のために、馬への接し方や乗り降りなどを教え、しばらくゆっくりと並足で進んでくれた。

 凛が乗っているニームという名の牝馬は、従順で穏和な性格であったから、初心者の凛でも手こずることはなかったが、それでも乗馬に慣れるまでには時間がかかった。

 猟犬の追跡を心配しなくてよくなったとは言え、国王の追跡部隊がそれ以外にもいることを考えると、できるだけ速く進みたいというのがエルダインの本音であろう。

 それが判るだけに、凛は自分がひどくもどかしく思えた。

 エルダインが凛に付き添って進んでいる間、アルレインは軽やかに馬を走らせ、行く手の様子を偵察しに行っていた。

 純白の馬に乗ったアルレインは、白馬の王子様という言葉がぴたりとくるほど絵画のように美しく、現代日本にいれば間違いなく女性たちの間で大人気になるだろう。

 もっとも、笑顔の見られない仏頂面が、いささか魅力を削いでいるようにも思われた。

「──エルダイン、リア街道には、やはり王の軍隊が待ち伏せている」

 偵察から戻ってきたアルレインが、エルダインに馬を寄せながら報告をした。

「う〜む、仕方がないのう。
 抜け目のない王の事じゃから、ヴァンドやベリサにもすでに通達がいっておるじゃろう。
 ……となると、アリール河に出るには、リア山脈を越えるしかないが──どうせ、そんな事もすでにお見通しじゃろうよ、あの御仁はな」

 顎髭を撫でながら、エルダインがにやにやと笑いながら呟く。

「どうする? 雪は溶けているゆえ、山道を進むことは可能だが」

 アルレインの問いに、エルダインは軽く舌を鳴らしながら指を振った。

「そんな事をすれば、王の思う壺じゃぞ。
 自ら罠に飛び込むようなもんじゃ。
 ──となると、方法はただ一つ、ヴァンドに向かうしかない」

 エルダインの言葉を聞き、凛は思わず両目を見開いた。

「……ちょ、ちょって待ってくれ。
 軍隊が待ち構えている所に乗り込んでいったら、あっという間に、捕まってしまうんじゃないのか?」

「うむ、普通ならそうじゃな。
 じゃが、儂は天下の大魔道師エルダイン様じゃ。
 こういう困難な状況に陥った時こそ、魔法というものを活用せねばならん」

 わはは……と大声で笑ったエルダインは、凛を見つめてウィンクをした。

(──……天下の大法螺吹きの間違いじゃないのか?)

 真剣味の無い老魔道師の言葉に、凛は内心でそう思ってしまった。

 しかしアルレインは特に反論する様子もなく、何かを観察するようにじっと南の空を凝視していた。

「いいかね、ディーナ──軍隊というのは人の集まりじゃ。
 その全てが、魔道師であるわけでも、バルディーズ王のように優秀な人間であるわけでもない。
 ゆえに、必ず隙ができるはずなんじゃ。
 儂らは鼠のように、小さな穴を見つけてすり抜ければいいんじゃよ」

「口で言うのは簡単だけど、そう上手くいくのかな……?」

 極めて不審げな表情を浮かべている凛を見返し、エルダインは軽く肩をすくめた。

「上手くいかねば、みんなでアッサールの地下牢に繋がれるだけじゃ」

 恐ろしい事を飄々と言ってのけたエルダインは、顔を青ざめさせた凛に近づき、励ますようにぽんぽんと軽く肩を叩いた。



 しばらく野宿を続けながら南下していた一行は、やがてリア街道に沿って大きく迂回するように、西へと方向を転じた。

 地平線に見えていた白い山脈が、眼前に高く大きくそびえ立ち、凛はその荘厳な姿に圧倒された。

 街道から外れた丘の蔭を進んでいるため、足場がひどく悪く、馬の進みはゆっくりであったが、エルダインは気にする事なく話し続けた。

「妖精王の森は、人々からいろんな名前で呼ばれておるが、ほとんどのエルフたちは<常春の森>と呼んでおる。
 あのリア山脈が北風を遮っておるし、海から暖かい風が吹き込んでくるから、冬でもわりと暖かいんじゃよ。
 もっとも、イルダールは、リア山脈のせいで冬になれば雪と氷に閉ざされるんじゃがな。
 イルダールの王都アッサールは、それゆえに<氷雪の迷宮>と呼ばれるんじゃ」

「俺がいた場所が、首都なんですか?」

 講義を受けている学生の気分に戻り、凛がそう訊ねると、エルダインは首を横に振った。

「あの場所はイルダールの聖地なんじゃよ。
 聖都シヴという町の中でも、一番神聖な場所とされておる。
 王都アッサールは、シヴよりもかなり西側の、イルダール湾に面した場所にあるんじゃ」

「そのうち、どこかで地図を見せてください」

 街道の名前が付いているぐらいだから、この世界にもきっと地図はあるだろう。

 そう思って言ってみると、エルダインは鞍の荷物をごそごそやりながら、筒状に丸められた羊皮紙を取りだした。

「ほれ、地図ならここにある」

 凛は恐る恐る手を伸ばし、紙とは違う柔らかな感触の地図を受け取った。

 しかし、さすがに鞍の上で揺られながら、地図を広げるほどの余裕はない。

「今度止まった時に見てみます」

 顔を強張らせて、凛が地図を握りしめるのを見つめ、エルダインは笑った。

 その時、少し前を進んでいたアルレインが、馬首を巡らせて戻ってきた。

「あの向こうの丘の下に、軍団がいる。
 リア街道を検問しているようだ」

「そろそろヴァンドに近づく頃じゃからな。
 検問所に猟犬か魔道師はおったか?」

「いや、あそこには気配は感じられない。
 ヴァンドの城門で待ち構えている可能性が高いだろう」

「……ふむ、ヴァンドには立ち寄らず、<西の大商道>に入った方が良かろうな。
 おそらく王は、儂ら3人の似顔絵をばらまいて、引っ捕らえようとしておるはず。
 となれば、三人組というのはいかにも目立つ」

 エルダインは馬上で腕を組んだまましばらく考え込んでいたが、やがて軽やかな身のこなしで地面に降り立った。

「儂はヴァンドで食料調達と、バルディーズ王の情報収集をしてくる。
 アルレイン──おまえさんはディーナを守って、先に<西の大商道>に向かうんじゃ。
 儂も用事を済ませたら、すぐに後を追う」

 そう言って、エルダインは凛の傍に近づいた。

「おまえさんは、ちと美人すぎて目立つから、めくらましの魔法をかけておくぞ。
 しばらくは居心地の悪い思いをするじゃろうが、見つかるよりはマシだと思っておくれ」

 エルダインは凛の前に右手をかざすと、低い声で何事か呟きながら、ぎゅっと何かを引っ張るような動作をした。

 その途端、凛の周囲の空気が不可解なうねりを発し、身体の周りにへばりついてくる。

 痛みや不快感は無かったが、どこか落ち着かないような気分になり、凛は訝しげに自分の手を見下ろした。

「──うわっ!」

 見ると、両手の指や甲、さらには腕までが膨れあがり、丸太のような筋肉と、針のような剛毛に覆われている。

 足もまた同様で、恐る恐る顔を触ってみると、頬から顎にかけて、ゴワゴワとした髭に覆われていた。

 顔の感触も変わっており、鼻梁は太く、潰れたように平べったくなり、全体的に骨太でゴツゴツした感じになっていた。

「何か……俺、変かも?」

 日頃鏡を見たいと思うことなどなかったが、この時ばかりはすぐにでも自分の姿を見てみたいと凛は思った。

「うむ、見事なまでに不細工な大男になったな。
 これなら誰が見ても、麗しきイズリューンの化身だとは思うまいよ」

 笑いながらそう言い、エルダインはアルレインにも同じ魔法をかけた。

 凛の前でアルレインはあっという間に姿を変え、端麗な顔立ちはすっかり姿を消し、ゴリラのような厳つい雰囲気の大男になっていた。

 美しいプラチナブロンドの髪と、翡翠色の瞳だけが、辛うじてアルレインの元の姿を思い起こさせるものだった。

「──これなら、流れの傭兵と言うことでごまかせるじゃろう。
 傭兵なら、二人組で旅をしていても不思議じゃない。
 美しい黒髪の美女とエルフ、そして老いぼれを捜している限りは、絶対に見つからんじゃろう」

 エルダインはにやにやと笑いながら二人を見比べ、自分が乗っていた馬を指差した。

「マディルをよろしく頼むぞ、アルレイン。
 儂が追いついた時、力尽きて動けないなんて事にならんようにな」

 アルレインがわずかに首を傾げて了解すると、エルダインは二人から少し遠ざかった。

「では、お二人さん──また会おう」

 そう言い終えた瞬間、エルダインの身体が変化し、そこには驚くほど巨大な大鷲が翼を広げていた。

 バサリ……と強靱な翼が空を叩き、エルダインが変身した大鷲は、上昇気流に乗って空高くに舞い上がっていく。

「──……凄い……爺さん、本当に、魔法使いだったんだ」

 空を見上げていた凛の口から、思わず素直な感想がこぼれる。

 すると、隣に馬を立ててそれを聞いていたアルレインの唇が、面白がるようにほんの少しだけつり上がったのだった。