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妖精王の光環


<16>



 老魔道師エルダインが、大鷲に変身して飛んでいってしまってから、凛の旅は非常に退屈なものになっていた。

 エルダインの乗馬マディルを連れているために、アルレインは馬の歩調を緩めて進んでいたが、何を話すわけでもなく、彼はずっと無言のままだった。

 エルダインは優秀なガイドだったのだと思いながら、厳つい大男に変身したアルレインの背中をじっと見つめる。

 極めて容姿端麗だった白馬の王子様は、角の生えた兜でも被せれば、ヴァイキングにしか見えないような粗野な外見に変わっていた。

 それは凛も同じなのだが、自分自身の姿がいまいち判らない事もあって、アルレインを参考にするしかない。

(──ずっとあの外見のままだったら、俺を『花嫁』にしようなんて事を考える馬鹿はいなくなるだろうな。
 男に襲われるなんて事も、絶対に無さそうだし……)

 優男にしか見えない以前の自分も、両性具有の美女に変身した自分も、どちらもあまり好きになれなかった凛にしてみれば、憧れだったマッチョな大男に変身できた事は、かりそめであっても喜ばしいことであった。

 思わず口許が緩み、凛は、上機嫌な声でアルレインに話しかけていた。

「なあ、アルレイン──<常春の森>って、どんな所だ?」

 外見が変われば声も変わるのか、凛の声は野太いガラガラ声になっている。

 すると、アルレインは首を後方に巡らせ、ヤクザも震え上がるだろう、凶悪そうな双眸で凛を睨んだ。

「他の人間がいる前では、決してその名前を呼ぶな」

 質問の答えにはなっていないが、無視されなかっただけマシだと思い、凛は少し馬の足を速めてアルレインに追いついた。

「じゃあ、何て呼べばいい?」

「……私の事はアルダと呼べ」

 素っ気ない返事だったが、凛は会話を打ち切らせないようにするため、さらに質問を重ねた。

「アルダって、女の人の名前じゃないのか?」

「アルダは河の名前だ。
 傭兵は真の名を知られたくない場合に、地名を通り名にすることが多いゆえ、不審には思われぬだろう。
 おまえの事は……ディンと呼ぼう」

 前方を見据えたまま説明をするアルレインの言葉を聞き、凛は好奇心で目を輝かせた。

「ディン? ディーナより良い名前のような気がするけど、それも地名なのか?」

「東にあるタラン渓谷とアリール河に挟まれた古い町の名前だ。
<東の大商道>の交易地点で、ギルナリス王国との国境にある」

「へ〜え。何か意味とかあるのか?」

「エルフ語では『夜』という意味だが、イルダールでは『銀』を意味するそうだ。
 ディンにはもともと銀の採掘場や精錬場があって、イルダール銀貨の両替場としても栄えていた町だった。
 だが、銀鉱が廃れて以来、かつてのような活気はなくなったようだな」

 好奇心旺盛な凛の質問に応じながら、アルレインは金色の口髭に覆われた口許に、薄く微笑を形作った。

 本来の姿であれば、目を奪われるほど美しい微笑みであっただろうが、荒くれ者の姿だと人殺しを企んでいるようにしか見えない。

 そんな事を思いながら、凛は衝動的に謝罪の言葉を口にしていた。

「あのさ……この前、ひっぱたいた事、俺、まだ謝ってなかった。
 助けてくれようとしたのに──ごめんな、アルレイン」

 するとアルレインは少し驚いたように片眉をつり上げて凛を見つめ、筋骨隆々と鍛え上げられているような両肩を軽くすくめた。

「別に謝るような事ではない。
 おまえは驚いただけなのだろうし、前触れもなく口づけたのは、確かに無礼であった。
 だが、あの場合は、ああする意外に方法がなかったのだ」

 アルレインの言葉を聞き、今度は凛が驚く番だった。

「アルレイン──おまえ、案外といい奴だったんだな」

 高飛車で、皮肉屋で、つんけんしていて嫌な奴だと思い込んでいた凛は、アルレインが率直に自分の否を認めたので驚いてしまった。

 その言葉に気分を害したのか、アルレインは翡翠の双眸でじろりと凛を睨み、すぐに視線を前方に戻した。

「おまえを無事に<常春の森>まで連れてくるようにと、父上から命じられているだけだ」

「うん、でも助けてくれた事には変わりないからさ。
 本当にありがとう、アルレイン」

 凛は感謝の気持ちを示すように、鞍上で深く頭を下げた。

 それを見ていたアルレインは、小さくため息をつき、丘を下る道を指差した。

「あそこからリア街道に下りる。
 人前で、私の名前を呼ばないように気を付けておくことだ」

「うん──おまえもな、アルダ」




 エルダインが予測した通り、リア街道の検問を、凛とアルレインはあっさりと通過した。

 アルレインが二人分の通行証を見せると、兵士たちは胡散臭そうに二人を一瞥し、興味無しといった感じで許可を出す。

 検問所が近づくにつれ、心臓が飛び出しそうなほど緊張していた凛は、あまりに簡単なチェックに拍子抜けしたほどだった。

 ところがヴァンドの町に向けて進み出した時、兵士の一人が思いだしたように叫んだ。

「おい、おまえ達! この顔に見覚えはないか?」

 馬に乗って近づいてきた兵士は、凛とアルレインの前に、三枚の羊皮紙を示した。

 それは驚くほど精密に、正確に描かれた似顔絵であり、思わず凛は息を飲んだ。

「──何だ、おまえ、知っているのか?」

 兵士がぎろりと凛を睨む。

「い、いえ……そういうわけじゃ……。
 ただ、綺麗な人だな〜と」

 苦しい言い訳だと思いつつ、凛がそう口にすると、兵士は納得したようにうなずいた。

「この方は、恐れ多くもバルディーズ王のご婚約者なのだ。
 ところが、この二人の不逞の輩がこの方を誘拐し、現在逃亡しておる。
 この三人を見つけた者にはダヴォート金貨百枚が与えられ、こやつらを捕らえた者には金貨五百枚が与えられる。
 おまえ達も傭兵稼業を探すより、こやつらを探した方が儲かるんだから、しっかり覚えておけよ」

 荒々しい口調で教える兵士の言葉を、凛は呆然と聞きながら、まったく動揺した様子の無いアルレインを見やった。

「──金貨五百枚って、凄い懸賞金だよな?」

 イルダール王国の貨幣価値がどの程度のものか判らなかったが、本当の「金貨」ならば莫大な値打ちになるだろう。

 アルレインは同意するようにうなずき、じろりとイルダールの兵士を見下ろした。

「もしこの三人を捕まえたら、どこに連れていけばいい?」

 ほとんど口を開かず、むっつりと黙り込んでいたアルレインを、兵士は怯えたような眼差しで見上げ、わざとらしくゴホンと咳払いをした。

「む、無論、王都アッサールだ。
 それから、逃亡を手助けした者は、身分を問わず極刑に処せられる。
 間違っても、奴らを逃がしてやろうとは、思わない方がいい。
 国王陛下は……恐ろしく厳しい御方だからな」



 その夜は、街道沿いの小さな村で宿に泊まることになった。

 慣れない乗馬、慣れない野宿を続けていた凛は、乾燥した藁に麻のシーツが被せられたベッドが、まるで王侯貴族が眠る天蓋付きベッドのように贅沢なものに感じられた。

 その質素なベッドに横になった途端、まるで百年分の疲労が押し寄せてくるように感じ、凛は大きなため息をついた。

「明日からまた街道を外れるから、ゆっくり身体を休めておけ」

 凛の隣のベッドに腰掛け、黙々とサーベルを研ぎながら、アルレインが静かに告げた。

 ゴワゴワとしたシーツの上を転がっていた凛は、仰向けになって天井を見つめ、ふと気になっていた事を訊ねた。

「なあ……極刑ってことは、死刑になるんだよな?」

「国王の婚約者を誘拐したなら、間違いなく首を落とされるであろうな」

 さも当然と言うように応じたアルレインの言葉に、凛はガバッと上半身を起こした。

「……あんた達は、それを知ってて、俺を助けに来たのか?」

「イルダールで国王に逆らえば、確実に死罪になる。
 バルディーズが王になってから、この国は変わった。
 かつて、人々は穏やかで笑顔が絶えず、エルフの森とも交流があったが、今ではよそよそしくなり、心を影に支配されている。
 バルディーズ王が、恐怖で民を支配しているゆえにな」

 アルレインは、剣を研ぐ手を止め、愕然と双眸を見開いている凛を見返した。

「邪神の呪いを受けた者は、徐々に本来の人間性を失い、悪しき魔性へと変化する。
 その上、闇の神族の力を手にすれば、世界はさらなる混乱に陥るだろう。
 我が君は、世界の均衡と理が崩れることを憂えておられる。
 バルディーズが世界の覇者となれば、間違いなく、世界は恐怖と死で溢れるであろうゆえな」

「──……邪神の……呪い?」

 ぽつりと呟いた凛は、不意にバルディーズの、ルビーのような左眼を思い出していた。

 ラピスラズリのような右の蒼瞳と、深紅に染まった左の瞳。

 あまりにも美しく整った顔立ちの中で、左目だけが異様に輝き、悪魔を思わせる不気味な光を放っていた。

 思わず片手で左目を覆っていた凛は、呆然としながら首を傾げた。

「もしかして……あの男の、左目に呪いが?」

「バルディーズの左目は、呪いを受け、邪眼と化している。
 強い魔力を宿した左目を見た人間は、狂乱の中で死に至るそうだ。
 もっとも、間近で見た者は誰一人としていないという噂だが」

 アルレインの説明を聞いた凛は、ベッドの上で座り込んだまま、ごくりと唾を呑み込んだ。

(……左目を見たら、死ぬ?)

 思い出したくもない出来事だったが、凛はあの時、バルディーズの秀麗な素顔をしっかりと見ていた。

 男でありながら、彼はあまりに凄艶で、凛は魅入られたように動けず、目を逸らすことなどできなかった。

「ア……アルレイン──俺、あいつの左目、見ちゃった……かも」

 お世辞にも美形とは言い難い、鼻のひしゃげた大男に変身をしている凛が、顔を青ざめさせながら目を見開いている様子は、どこか滑稽だった。

 しかしアルレインはそれ以上に、凛の発言に驚愕し、翡翠の双眸でじっと凝視する。

 髭面の大男二人が無言で見つめ合う光景は、端から見ると非常に不気味なものであったが、幸いにもその場には、その事を指摘する者はいなかった。