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妖精王の光環


<17>



 イルダール王国の王都アッサール。

 世界で最も西側の、そして北の果てにあるという王国の都は、<氷雪の迷宮>とも<魔道師の都>とも謳われている。

 イルダール湾に面し、諸国との交易も盛んな都は、海側には商人たちや職人たちの屋敷で埋め尽くされ、小高い丘の上には、王宮であるアッサール城や神殿、そして貴族たちの邸宅が立ち並ぶ。

 アッサール城は、町のどの位置からでも見上げることができる中央の丘にあり、高い城壁と、幾つもの美しい尖塔が空に向かってそびえ立っている。

 だが、天を貫こうとするかのような、荘厳なアッサール城の威容を見て、人々は何故か不安を覚えるのだった。

 その槍のような尖塔のひとつひとつに、恐ろしい魔道師たちが住んでいるとのだと、アッサールの住人や、訪れる旅人たちは口々に噂をする。

 世界で最も多くの魔道師を有するイルダール王国の王城は、王都に住んでいる人々や旅人にとっても謎が多く、畏怖を喚起する場所であった。


 聖都シヴからアッサールに帰還したイルダール王バルディーズは、謁見の間にもたらされた報告を聞いた途端、冷ややかな微笑を浮かべた。

「なるほど──猟犬どもは、イズリューンを取り逃がしたか……」

 玉座に座ったバルディーズは、黒大理石の床に片膝をついて跪いている魔道師長を見下ろし、低く呟いた。

 国王の恐ろしく冷淡な声音を聞き、魔道師長ダージルは、もう一度深く頭を垂れた。

「申し訳ございませぬ。
 エルダインがあのような方法で猟犬を封じるとは、予測することもできませんでした」

 言い訳を口にする魔道師の長を見つめ、バルディーズの紺青の隻眼が冷たく光った。

「世の中には、おまえよりも頭が切れる賢者がいるようだな」

 皮肉の棘で彩られた嘲笑を浴びせられ、ダージルの身体が一瞬揺らぐ。

 その様子を眺めながら、バルディーズは玉座の肘掛けを指先で軽く叩いた。

「三人を見つけだし、即刻捕らえよと騎士団には命じてあるが、エルダインに出し抜かれる可能性は高かろう。
 あれほどの大魔道師が相手、ましてエルフまでが一緒にいるとなれば、常人がいくら束になっても敵わぬはず」

 怒りも無く、苛立ちもない平静な声音であったが、魔道師長さえも肝を冷やすほど、イルダール王の言葉は厳格に響いた。

「……ならば、こちらも魔道師たちを使わしてはいかがでしょう?」

 ダージルが提案すると、眼帯で覆われていない右目で魔道師長をひたりと見据え、バルディーズは、蒼銀の髪を揺らしてその意見を退けた。

「戦力を無駄に失わせる必要はない。
 騎士団にも、<幻惑の森>の中まで、深追いはするなと命じてある。
 どちらにせよ、私は貴重な手駒を手に入れたのだ。
 あれは……イズリューンは、いずれ、自ら私の元に来ることになろう」

 バルディーズの顔に、謎めいた微笑が浮かんだ。

 神々のごとき秀麗な顔立ちでありながら、その身に纏う空気は限りなく冷たく、禍々しい魔性を帯びている。

 本来は英邁な君主でありながら、その身に受けた邪神の呪いゆえに、バルディーズは人々から恐れられていた。

 左眼を覆う美しい銀の眼帯の下には、恐ろしい邪眼が隠されており、その深紅の瞳を見た者は確実に死ぬと言われている。

 魔道師であれ、エルフであれ、何人たりとも逃れることはできないのだ。

 その邪神の呪いを解けるのは、おそらく神族のみ──。

 幾度となく考えた事実を、再び思い巡らせながら、ダージルは小さく嘆息した。

「……あの異界から来た男の処遇は、いかがいたしましょう?」

 魔道師長が躊躇いがちに問いかけると、バルディーズは喉の奥で低く笑った。

「王家の人間として迎え、しばらくは騎士の訓練を受けさせるのだ。
 すでに、地下牢から出して、<海竜の塔>に移してある。
 身分は……私の弟ということにでもしておくのだな」

「……御意」

 内心の懸念を隠して、ダージルは頭を垂れる。

 すると、バルディーズは玉座からすらりと優雅に立ち上がり、壇上から下りて歩き出した。

「共に参れ、ダージル──<海竜の塔>で、おまえとクウガを会わせよう。
 あの者は、どうやら我々の言葉が判らぬようだ。
 先に現れた『イズリューン』は、私の言葉を理解し、邪眼を見ても死ななかった。
 さて、この違いは何故であろうな?」

 国王の言葉に返答することができず、ダージルは沈黙で応じた。

 それを気にする様子もなく、バルディーズは怜悧な紺青の瞳を細め、思索を巡らせながら微笑を浮かべた。

 一瞬、獲物を探す獣のように獰猛な光を宿した隻眼は、すぐに凍えた色合いに戻る。

「先に現れた<夜の子>が何者であろうと、私はあれを手に入れる。
 いずれクウガを使って呼び寄せることになるが、その事をクウガに知られてはならぬ。
 少なくとも、クウガが完全に私の傀儡になるまではな」

「……あの男を、洗脳しようとお考えですか?」

 バルディーズの後ろについて歩きながら、ダージルは表情を険しくして問いかけた。

「あれは鍛えれば良い戦士になるだろう。
 囮に使う以上の価値があるやもしれぬ」

 バルディーズは肯定も否定もしなかったが、氷の彫像を思わせる美貌に浮かんだ酷薄な微笑を認め、ダージルは言葉を失った。

 温かな人間性が欠落した、限りなく冷酷な魔性の顔──。

 先代よりイルダール王家に使え、バルディーズが王として戴冠する場面も見続けてきた魔道師の長は、憂いに満ちた心中を吐き出すように、小さくため息をもらした。




 アッサール城の尖塔のひとつである<海竜の塔>は、古くから王族を幽閉するために使われた塔であった。

 出入口は一つしかなく、最上部の部屋以外に窓は無い。

 細い螺旋階段が延々と続いているため、登っているうちに方向感覚が狂い、目が回るような気分に襲われるのだった。

 最上階の部屋は、元々貴人を幽閉するために作られたため、内装は優雅なものだった。

 四方の壁には、四季の風景と美しい女神が描かれた色鮮やかな綴れ織りが掛けられ、床は寄せ木細工で作られている。

 窓辺には精緻な彫刻が施された円卓と椅子が置かれ、暖炉前の床には白熊の毛皮が敷かれていた。

 地方領主の寝室よりも贅沢な部屋ではあったが、窓には鉄格子が嵌め込まれ、ただ一つの扉には頑丈な鍵と武装した見張りが立てられている。

 ダージルを伴って部屋に足を踏み入れたバルディーズは、寝台でうつ伏せになって眠っている男と、その傍らにたたずむ侍従の少年を認めた。

 天蓋付きの大きな寝台を囲む垂幕には、金糸で刺繍が施された深緑の天鵞絨が使われており、その内側には薄絹の帳が下がっている。

 貴婦人が眠るに相応しい優美な寝台であったが、そこに横たわる男の背中には、縦横に走る鞭の傷痕が鮮やかに残っていた。

「──クウガの体調はどうだ、セリス?」

 異邦人の世話をさせるために付けた小姓の名を呼ぶと、慌てた様子で床に跪いた少年は、怯えたように震える口調で答えた。

「ちょうど今、お薬が効いてきて、眠られたところです。
 傷の痛みと発熱で……ずっと呻いていらっしゃいましたから……」

 耳を澄ましておかなければ聞き逃しそうな小声でそう告げたセリスは、労るような優しい眼差しを黒髪の男に向けた。

 だが、大きないびきをかいて、深く眠り込んでいるクウガを一瞥し、バルディーズは「起こせ」と冷淡に命じた。

 一瞬、榛色の大きな瞳を瞠ったセリスは、躊躇いがちに男に近づき、傷痕に触れないように気を付けながら、そっと肩を揺すった。

「……クウガ様──起きてください。陛下がお会いになられます……」

『……ん…ううっ……あと、五分──』

 黒い睫毛に縁取られた瞼が震え、彫りの深い浅黒い顔がわずかに歪む。

 その唇からこぼれた言葉をセリスは理解できなかったが、彼が何を言っているにしても、君主であるバルディーズの命令には従うしかなかった。

「クウガ様! クウガ様! どうか起きてください!」

 仕方なく、セリスはクウガの耳元で叫んだ。

 その途端、男の身体がビクリと大きく震え、驚愕したようにセリスの顔を見上げた。

『……あ……セリス……何だ……おまえか──』

 まるで幸せな夢が破れたかのように、クウガは落胆したような顔つきでため息をついた。

 その途端、背中の傷が痛んだのか、太い眉根を寄せて低く呻く。

(──クウガ、私の声が聞こえるな?)

 バルディーズが淡々と心話を使って話しかけると、背後を振り向いたクウガの顔が、紛れもない恐怖に歪んだ。

(あ……あんた……俺は、本当に何も知らないって言ってるだろう!)

 拷問の鞭打ちがよほど堪えたのか、イルダールでは見かけない容貌ながらも男らしいクウガの顔が、苦痛と怯えに引きつる。

 バルディーズは唇をわずかにつり上げ、寝台の上をいざるようにして後退ったクウガにゆったりと歩み寄った。

(おまえが何も知らぬことは判ったが、罰は与えねばならぬ。
 王族と魔道師以外は立ち入りを禁じてある聖輪に、おまえは踏み込んだのだからな。
 普通であれば死罪──禁忌を犯した侵入者は、斬首の後さらし首というのが、我が国の法なのだ)

 クウガを寝台の隅に追いつめたバルディーズは、すっと片手を伸ばして顎をつかみ、顔を覗き込むようにして見下ろした。

 血の気の引いた浅黒い顔を見つめ、冷酷な微笑をたたえながら、バルディーズは静かに告げた。

(だが、おまえは突然異界から現れ、この国の法は何も知らなかった。
 それゆえ、おまえが私に絶対の忠誠を誓い、命有る限り仕えるのであれば、命は奪わないでおいてやろう。
 それを拒むのであれば──おまえの命は無い)

 その言葉に愕然とし、クウガは双眸を大きく瞠った。

(どうする? 私としては、どちらでも構わぬのだがな)

 喉を喘がせ、息を呑み込んだクウガは、一瞬、助けを求めるようにセリスを見た。

 しかし二人のやり取りをハラハラした様子で見守りながらも、少年は何もできずに、後方で控えている。

(……あ、あんたに、忠誠を誓う。
 ここにいる限り、あんたに仕えるから……──だから、殺さないでくれ)

 ややあってから、諦めたようにクウガがそう言った。

 バルディーズは紺青の隻眼を細めてうなずくと、手の内に堕ちてきた哀れな虜囚から離れた。

「──ダージル、クウガに、誓言の血呪を施すのだ。
 もし私を裏切るような事があれば、呪文が彼を滅ぼすように」

 傍に控えていた魔道師長にバルディーズが命令すると、その途端、セリスが青ざめた顔でクウガを見つめた。

「陛下の仰せのままに……」

 憐憫の眼差しでクウガを見つめた魔道師長は、厳めしい顔つきで頭を垂れ、イルダール王の命令に従ったのだった。