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妖精王の光環


<18>



 ヴァンドの町へと続くリア街道から外れ、リア山脈の麓に広がる森林を抜けるように進んだ1日目は、特に何事も起こらずに過ぎた。

 森の中をくねくねと曲がりながら続く細い猟師道を、アルレインは地図でも持っているかのように、迷わずに進んでいく。

 凛が目覚めた霧深い森に比べると、この森はどこか明るい雰囲気があり、いたる所に小さな湖沼が見られた。

 陽光が透ける梢の天蓋の上を、高い歌声を響かせながら小鳥が飛んでゆく。

 時には、大きな目をした美しい鹿が茂みの中から顔を覗かせ、恐れる様子もなく悠然と歩き去っていった。

 都会育ちの凛は、直に野生動物など見たことがなかったため、動物たちが姿を現すたびに驚嘆の声を上げていた。

 2日目になると、鬱蒼と生い茂っていた木々の植生が変わり、白樺のような白い樹皮を持つ木々の森へと入った。

 明るい陽射しを受けて、木々は眩いばかりに輝いている。

 やがて太陽が西の地平線に沈む頃になると、二人は森を抜け、青々とした小麦畑が続く豊かな田園地帯に出た。

 涼やかな風が吹き抜けると、小麦畑が漣を立てるように揺れる。

 背丈の低い石垣で四角く囲われた美しい田園の風景は、日本の田圃を思い起こさせた。

 そしてその中を、石畳で整備された幅広い大きな道が通っている。

 落陽を照り返して輝くその街道は、地の果てまで続いているようにも見えた。

「あれが<西の大商道>だ。
 あの道を南へ進んでいくと、自治都市メレイアに入り、アリール河を渡った向こうが、我々の向かう<常春の森>になる」

 森と田園との境目に馬を立てたアルレインは、広大な風景を瞬きもせずにじっと見つめている凛にそう伝え、その後訝しむように問いかけた。

「──どうかしたのか?」

 その声で我に返った凛は、ホームシックに陥りかけていた事をごまかすように、大きく首を横に振った。

「……な、なんでもない。
 もし、この中で追っ手に気づかれたら、畑の中に逃げるしかないな〜とか思っただけだ」

「そうならない事を祈ろう」

 アルレインはちらりと凛を一瞥し、皮肉げな口調で応じた。

 アルレインの祈りが神に届いたのか、その後の旅も順調だった。

 舗装された街道を行く旅は、やはり身体にかかる負担も少なく、長時間鞍に座っているがゆえの足腰や臀部の痛みも、ややマシになったように思えた。

 ところが、いつまで経っても、後方からエルダインが追いついてくる様子がない。

 凛はときおり街道を振り返って様子を見ていたが、それらしい人影は見えなかった。

「……なあ、アルダ──もしかしてエル……爺さんは捕まっちゃったのかな?」

 どこに人目があるか判らないため、凛はアルレインの通り名を呼んだ。

「彼の事は心配するな。
 自分の身は守れるし、身一つであれば、よほどの事がない限りは逃げることができる」

 そう答えた直後、アルレインは遠くを見通すような鋭い眼差しで、後方を振り返った。

「──ディン、何気ないふりをして、道の端に寄れ。
 騎士団の一隊が後ろから来るようだ」

 アルレインの警告に思わず背筋を伸ばした凛は、さっと馬の鞍から下りた。

 ニームの陰に隠れるようにしながら、石垣の上に腰を下ろし、休憩を取っているようなふりをする。

 アルレインもまた地面に下り、用心深くマディルと自分の白馬を、道の脇へと寄せた。

 それから五分ぐらいが経過した時、鎖帷子で武装した騎士団の一隊が、馬蹄を轟かせながら向かってきた。

 胸元に有翼獅子の紋章が輝く青いサーコートに、黒色のマントを身に着けた騎士は、イルダール王の親衛隊なのだと、アルレインが小さな声で囁いた。

「その方ら、この者たちを見かけなかったか?」

 殿を走っていた一人の騎士が、二人の前で馬を止め、似顔絵の描かれた三枚の手配書を見せた。

「……いえ、リア街道でも見せられましたが、残念ながら」

 アルレインが応じると、騎士は「そうか」と低く呟き、再び馬に拍車を当てた。

 親衛隊の一団が走り去っていく姿を見送りながら、アルレインが厳しい表情で呟いた。

「メレイアは自治都市だが、アリール河の渡し場はイルダールの管轄になっている。
 親衛隊が向かったということは、すでに待ち伏せられていると考えた方がいい」

「渡し場って事は、河を渡るには舟に乗るしかないんだよな?
 もし、そこで猟犬とかが見張ってたら……」

 恐ろしい予感に凛は口ごもったが、アルレインは同意したようにうなずいた。

「まず間違いなく、見つかるであろうな」



 自治都市メレイアは、まるで中世の城塞都市のように見えた。

 砂岩で作られた高い城壁、人々が行き交う城門を両側から監視する二つの塔、そして凛から見て右手の方には堂々とした城があり、その見張り塔の上には紋章付きの旗が誇らしげに翻っていた。

<西の大商道>は、メレイアの城門へと続いている。

 農民が利用する農道と、街道の四つ辻に差し掛かった時、異変は起こった。

 突然、地面が白い光を放ち、凛とアルレインを包み込む。

 あまりに眩い光に瞳を焼かれそうになり、思わず腕を上げた凛は、筋肉質でゴツゴツとしていた自分の腕が、あっという間に頼りないほど細い腕に変わるのを見て、思わず声を上げていた。

 白光と凛の叫び声に驚いたニームが、嘶きながら棹立ちになる。

 その首根にしがみつき、辛うじて落馬を避けた凛は、アルレインもまた元の姿に戻っていることに気づいた。

「──やっと見つけたぞ! 手間を取らせおって!」

 どこからともなく嘲笑うような声が聞こえ、フードつきの黒いマントを着た男が、突然目の前に現れた。

 その男は凛を見てにやりと笑うと、援軍を求めるように、腰に下げていた角笛を吹いた。

 その途端、メレイアの城門から騎士団が吐き出され、重々しい音を立てながら城門の鉄扉が閉ざされてゆく。

「メレイアには、魔道師が配置されていたわけか……」

 佩剣を抜き放ったアルレインが、黒マントの魔道師に冷ややかな眼差しを向け、忌々しげに舌打ちをした。

「所詮イルダールの保護下にある町だが、猟犬を受け入れることは拒みおったゆえな。
 だからこそ儂が、こうして出向いてきたのだ」

 凛の顔をじろじろと値踏みするように見つめながら、魔道師は悦に入ったように含み笑いをした。

 イルダール王の親衛隊が近づいてくるのを見取ったアルレインは、急に白馬を棹立ちにさせ、魔道師に襲いかかった。

 驚くほどの身軽さで飛び退いた魔道師は、アルレインの剣から逃れるように、さらに後方にとんぼ返りをする。

 その隙を突くようにして、アルレインは凛に片腕を伸ばし、あっという間にニームの背から身体を抱き上げて白馬を走らせ始めた。

「ア、アル……アルレイン! 落ちる!」

 鞍の前に荷物のように乗せられ、凛は思わず悲鳴を上げた。

「静かにしていろ。黙っていないと、舌を噛むぞ」

 細い農道に駆け込んだアルレインは、石垣を飛び越えて白馬を小麦畑の中に突っ込ませ、追いかけてくる騎士たちから逃走する。

 目と口をぎゅっと固く閉ざした凛は、衝撃を我慢することしかできなかった。

 やがて別の農道に出たアルレインは、メレイアの城壁に沿うようにして伸びる土手道を走り抜け、アリール河の河岸へと出た。

 ところが前方から、渡し場を見張っていた別の兵士たちが、槍を持って近づいてくる。

 すぐに方向を転じ、アルレインは大河に沿って東へと続く街道に向かおうとしたが、二頭の猟犬が行く手を塞いでいる事を察し、馬の足を止めた。

『諦めろ。逃げ場はもうどこにもないぞ』

 獰猛な牙を剥きだしながら、猟犬たちがゆっくりと近づいてくる。

 全ての退路を断たれたかに思えた時、突然、天空を羽ばたく大きな翼の音が聞こえた。

 それと共に、驚くような叫び声と悲鳴、馬の嘶きが周囲に木霊する。

「う、うわーっ! 竜だ、竜が出たーっ!!」

 空を見上げると、巨大な翼に長い優美な首を持った白銀色の飛竜が、武装した騎士や兵士たちを追い散らすかのように低く滑空していた。

 蜘蛛の子を散らすように逃げまどう兵士たちを、飛竜はまるでからかうように追い立て、再び音もなく優雅に空高く上昇する。

「な、何……?」

 ほとんど気絶寸前だった凛は、凄まじい叫び声に意識を揺さぶられ、不自由な体勢のままのろのろと首を上げた。

「心配無い。あれは、味方だ」

 翡翠色の双眸を細めて飛竜を見上げたアルレインは、騎士たちが飛竜に気を取られている隙に、アリール河の水際に白馬を飛び込ませた。

 水飛沫を立てながら上流に向かって走る白馬の後を、それに気づいた騎士と猟犬が執拗に追いかけてくる。

 と、その時──美しい笛の音が響いた。

 それと共に、銀の矢が次々に飛来し、アルレインを追いかける騎士たちを貫き、打ち倒してゆく。

 驟雨のように襲いかかってくる矢に、さすがの猟犬も恐れをなしたのか、尻尾を巻いてその場から逃亡していった。

 白馬を止めたアルレインは、意識を朦朧とさせている凛を抱き起こし、ふっと長いため息をついた。

「……さすがに、きつかったか?」

 青ざめている妖艶な美貌を見下ろし、アルレインは低く呟く。

 頭部を胸に寄りかからせるようにして、凛の身体を抱き直したアルレインは、水面を渡る軽やかな馬蹄の音に気づいて顔を上げた。

 艶やかに光る藍緑色の毛並みに、銀色の鬣を持った二頭の水妖馬が、繊細な装飾が施された銀の戦車を引いてアリール河の川面を渡ってくる。

 その戦車の上に立つ人物を見つめ、アルレインは馬上で会釈をした。

「──お久しぶりでございます、貴き父上」

「久しぶりだな、アルレイン」

 緩やかに波打つ黄金の髪は背の中ほどまで届き、そして明るい紺碧の瞳が鮮やかに輝いている。

 代々の妖精王の中でも、最も輝かしく、最も偉大だと讃えられる妖精王アルヴァールは、アリール河の中ほどに佇み、穏やかに微笑んだ。