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妖精王の光環


<20>



 美麗で繊細なドレスや装飾品を身に着けさせられた凛は、レウィーナに導かれるようにして、部屋を出た。

 連れて行かれた先は、小さな滝が水飛沫を上げている池泉を取り巻くようにして、色とりどりの花々が咲き乱れた美しい庭だった。

 美しく澄んだ池泉を見下ろす小高い丘の上には、四方の柱に美しい彫刻が施された四阿があり、強い風を遮るように背の高い木々がぐるり生えている。

 その四阿には、煙管でプカプカと煙草を吸っているエルダインと、旅装から美しい装束に着替えたアルレインの姿があった。

 長いドレスの裾に時々足を取られそうになり、用心しながらゆっくりと歩いていた凛は、見知った顔を認めた途端、ほっと安堵のため息をついた。

「──エルダイン! アルレイン!」

 四阿へと続く緩やかな階段を上がった凛は、驚いたように目を瞠っているエルダインの傍に駆け寄ろうとした。

「エルド! 心配したんだぞ、ずっと追いついてこなかったから──……うわっ!」

 煙管を片手で持ち上げて笑った老魔道師に駆け寄ろうとした凛は、ドレスに足を引っかけてつんのめった。

 前方に転びそうになった途端、傍にいたアルレインが腕を伸ばして支える。

 不覚にもその腕にしがみついてしまった凛は、無言で見下ろしてくるアルレインの秀麗な顔を見上げ、恥ずかしさのあまり顔を赤らめていた。

「ご、ごめん……着慣れてないから、こういうの……」

 自分のみっともなさが恥ずかしいやら、悔しいやらで、凛は口ごもりながら、アルレインから離れた。

 それを見ていたエルダインが、愉快そうに声を立てて笑う。

「いやはや、目も眩むような美女の艶姿に驚いたが、中身は全然変わらんな」

「俺の元いた世界では、こういう服を着ているのは、女の人だけだったんです」

 言い訳がましく呟いた凛は、じろりと笑い続けるエルダインを睨んだ。

「それはそうと、いったい、どこにいたんですか?」

「ヴァンドの町で、ちと気になる噂を聞いたんでな。
 真相を確かめるために、こっそりとアッサールまで飛んでみたんじゃ。
 その後、急いでこの<常春の森>に戻って、エルフ王と今後の事についていろいろと話し合っておった。
 じゃから、おまえさんたちが危なかった時、助けてやれたじゃろう?」

 そう説明し、エルダインは再び煙管を口にし、くすくすと笑った。

「俺たちを助けたって……?」

 訝しげに眉根を寄せた凛は、問いかけるようにアルレインを仰ぎ見た。

「空を飛んでいた、大きな銀の飛竜がいただろう?
 あれが、このエルダインだったというわけだ」

 アルレインの言葉に、凛は驚愕してエルダインを振り返った。

「あ……あのドラゴンが、エルドだったんですか!?」

「なに、見せかけだけじゃよ、ディーナ。
 本物の飛竜が山の麓に下りてきたとなれば、脇目も振らずに、餌を貪り食っておるじゃろうからな」

 ウィンクをしたエルダインを、凛は呆然と見つめた。

 と、その時、傍にいたアルレインと、少し離れた場所に立っていたレウィーナが、優雅な動作で腰を屈めてお辞儀をした。

 それに気づき、そちらに顔を向けた凛は、ゆったりとした足取りで階段を上がってきた人物を見た瞬間、落雷に打たれたような衝撃を感じた。

「これは、アルヴァール殿……」

 エルダインもまた立ち上がり、威厳に満ちた一礼をする。

 ただ一人、呆然とその場に立ちつくしている凛を見つめ、妖精王アルヴァールは咎める事なく穏やかに微笑んだ。

「無事に目覚めたようだな、人の子よ。
 こうしてそなたに会える日を、吾もまた、心待ちにしていたのだ」

 アルヴァールの静かな声は、深く緩やかに響き、心に平穏と不思議な感動をもたらした。

 黄金を紡いだかのような長い髪が、陽光を浴びて燦々と輝き、純白の長衣をまとったアルヴァールを華やかに彩っている。

 凛を見つめる双眸は、鮮やかな海洋を思わせる紺碧──宝石に例えるならばまさにサファイア、それもコーンフラワーブルー(矢車菊の青)と呼ばれる、幻のカシミール・サファイアのようだった。

 背は凛よりも頭一つ分は高く、すらりとして見えるが、華奢という印象はない。

 トーガの隙間から見える白い裸体は、芸術家が作り出した彫像のように端正な筋肉に覆われており、美しさと力強さが違和感無く溶け合っている。

 だが、何よりも凛を驚かせたのは、その美貌──奇跡的なまでに整ったその顔は、あの冷酷なバルディーズとよく似ていた。

 髪と瞳の色さえ同じならば、双子といっても通用するかもしれない。

 ただ、身に纏う雰囲気がまるで違うのだ。

 極地の氷山か氷河のように凍てついた雰囲気のバルディーズとは対照的に、アルヴァールは穏やかな春の陽射しのように暖かい。

「……どうして──?」

 アルヴァールの秀麗な顔から目を逸らすことができず、凛は惚けたように立ちつくしたまま、ぽつりと呟いていた。

 すると妖精王は、最初からその動揺を見越していたかのように、少し悲しげな表情で微笑んで凛に近づいた。

 その瞬間、凛の身体が反射的に強張り、顔が青ざめる。

 逃れようとする華奢な身体を包み込むように抱き締めたアルヴァールは、低く歌うような謎めいた言葉を口にした。

 すると、凛の心を支配しようとしていた不安や恐怖が消え去り、穏やかな静けさがヴェールのように広がった。

「──アルレイン、レウィーナ。
 吾は、この子と、エルダインと三人で話がしたい。
 しばらく、席を外してもらえぬか?」

 凛を腕の中に閉じ込めたまま、アルヴァールは二人にそう告げる。

 アルレインは同意したように軽く会釈をすると、レウィーナの手を取って、その場を立ち去っていった。




「──さて、どこから話を始めようか」

 凛をエルダインの横に座らせたアルヴァールは、自分もまた椅子に腰を下ろすと、考えを巡らせるかのように庭を見つめた。

「そなたを驚かせたくはなかったのだが、こればかりは、慣れてもらうしかない。
 そなたが怯えてしまったのは、吾の顔が、バルディーズに似ているからであろう?」

 まだ少し唇を青ざめさせたまま、凛はこくりとうなずいた。

 違うと言ったところで、自分がバルディーズを恐れていることは間違いないのだ。

 なす術もなく弄ばれ、凌辱された──それは深い疵となって、凛の心に刻み込まれている。

 アルヴァールは、先ほども見せた哀惜を帯びた微笑を浮かべると、サファイア・ブルーの瞳を凛に向けた。

「この事実が、そなたの慰めになるかは判らぬが、そなたには話しておこう。
 ただ、これを知る者は少ないゆえ、他の者には知らせないでもらいたい。
 吾とエルダイン、そして我が子アルレインだけが知る、秘密ゆえに……」

 妖精王は一度エルダインを見やり、話を促すかのようにうなずいた。

 すると、老魔道師は深いため息をつき、淡々とした口調で語り始めた。

「アルヴァール殿と、イルダール王バルディーズの間には、血縁があるんじゃよ。
 バルディーズ王の実の母君アルディア様は、アルヴァール殿の妹君リヴシェ様の何代か後の孫娘にあたる。
 人間の若者に恋をして、<常春の森>から出ていったリヴシェ様の末裔なんじゃ。

 彼らは北にある<リールの森>で、森の賢者として敬われながら生きておった。
 ところが年若いアルディア様を、バルディーズ王の父王、亡きランゴール王が略奪し、無理矢理自分の妻にしてしまった。
 そして……ランゴール王とアルディア様との間にできたのが、あのバルディーズ王というわけじゃ」

 愕然としている凛を見つめ、エルダインは苦々しく笑った。

「<リールの森>に住む賢者たちは、エルフの血が薄まったとはいえ、世界の神秘に通じており、様々な秘儀を修得している。
 アルディアが攫われた時、賢者の一人が吾に助力を請うて来た。
 ランゴール王は、覇業のために邪神の力を欲し、己の野心に利用しようとしていると。
 だが、吾はその時、それを本気だとは思わなかったのだ。
 実の我が子を生贄にして、邪神ダルヴァを呼び出そうとしているなどとはな……」

 アルヴァールは嘆息をもらし、美しい庭園を見つめた。

「吾がランゴール王の野心を軽んじたゆえに、悲劇が起きた。
 ただ、それは王の望んだ形ではなく、誰もが想像もしえなかったような形で起こってしまったのだ。

 バルディーズが7歳になった時、ランゴール王はかねてから待ち望んでいたように、邪神ダルヴァを召喚する儀式を執り行い、幼い息子を炎の中に投じた。
 だが、アルディアが身を挺してそれを庇い、己の命と引き換えにして、邪神をバルディーズの左目に封じ込んだのだ。
 それ以来、バルディーズの左眼は邪眼となり、それを見た者は狂死することになった。
 ランゴール王もまた……邪眼の犠牲になった」

 黄金の睫毛で縁取られた瞼を閉ざし、アルヴァールは悔いるように言った。

「あの時、吾が賢者の言葉を信じていたなら、悲劇は未然に防げていたやもしれぬ。
 あるいは、皆の反対を押しきって恋を貫こうとしたリヴシェを、無理にでも引き止めていれば、災厄の種は芽吹かなかったであろう。

 だが、バルディーズは、邪神ダルヴァを身に宿し、今やイルダールの魔王とさえ呼ばれるようになった。
 アルディアの封印は、少しずつ力を失い、邪神の力が増大してゆく。
 邪神を抑え込むために、バルディーズは禁断の魔道を用い、異界から闇神イズリューンを召喚しようとしていた。
 だが、イズリューンが現れれば、世界の均衡は崩れ、滅びてしまう。
 我々は、それを許すわけにはいかなかったのだ」

 アルヴァールの説明は、想像していたよりも遙かに深刻で、そこに関わってしまった自分の不運を、凛は思わず嘆きたくなった。

「……では、どうして俺が、この世界へ呼ばれたんですか?」

 最も聞きたかった質問を妖精王に投げかけた凛は、居住まいを正して、二人の顔をじっと見つめた。

 するとエルダインが困惑したように顎髭を撫で、ひどく言い辛そうな口調で告げた。

「実は……ちょっとした間違いがあったんじゃ。
 異界の扉を開くなどという高度な魔法が、千年ぶりに行われたせいで、それに対抗する魔法もやはり千年ぶりに引き出してこなければならなんだ。
 つまり、儂が描いた魔法陣の一カ所で、呪文の一部が入れ替わっておっての。
 そのせいで本来は虚空に繋がるはずだったものが、運悪く、おまえさんの世界と繋がってしまった。
 アルヴァール殿の魔力は、魔道師どもの魔法をねじ曲げるほどに強かったが、それゆえにおまえさんを引き込んでしまったんじゃろう。
 何と言うか──……まあ、不幸な偶然とでもいうか……」

 気まずそうに凛から目を逸らし、あらぬ方に視線を彷徨わせていたエルダインは、虚ろに乾いた笑い声を立てた。

 その説明を聞いた瞬間、凛は思わず自分の耳を疑った。

(……ちょっとした、間違い?)

 自分の神経の一部が、ぷちっと焼き切れるような音を、凛は頭のどこかで聞いた気がした。