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妖精王の光環


<21>



 凛の目つきは徐々に剣呑になっていったが、エルダインはそれに気づかない様子で話を続けた。

「実際のところ、どうしておまえさんがこの世界に呼ばれたのかは、全くの謎じゃ。
 ただし、何かしらの意味はあるんじゃろう。
 いずれ、思いもかけぬ形で、その意味が明らかになるかもしれんがな」

「──……元の世界に、帰る方法はあるんですか?」

 胸の奥から込み上げてくる激情を抑え込むように、凛は平淡な低い声で訊ねた。

 エルダインは空色の双眸でじっと凛を見つめ、ややあってから白髪頭を横に振った。

「いや……異界の扉を開く魔法は、千年に一度しか使えん。
 二つの月と暗黒星──あれは太陽の影なんじゃが、その全てが重なり合うのが、千年に一度じゃからな。
 おまえさんに千年の寿命があるなら、千年後に帰ることができるじゃろうが、エルフや竜族、そして古の魔道師でもなければ、それは難しい」

 その瞬間、凛の感情が爆発するように弾けた。

「──ふざけるなっ!
 俺の人生はどうなるんだよ?
 こんな訳の分からない世界に巻き込まれたあげく、男に強姦されるわ、身体は変わってるわ、化け物には襲われるわ……。
 あっちの世界にいたら、平和に生きていられたのに、散々な目に遭って──。
 その原因が、ちょっとした間違い?
 千年後じゃなきゃ帰れないだって?
 いったい、どうしてくれるんだよ!!」

 テーブルに両拳を叩きつけ、勢いのままに立ち上がっていた凛は、荒々しいほどの大声で叫んでいた。

 双眸を燃え上がらせて怒る凛を見つめ、エルダインは咳払いをした。

「あ〜、悪かったな、言い直すとしよう。
 ちょっとした間違いじゃなくて……重大な間違いじゃ。
 儂の重大な間違いゆえに、おまえさんはこっちに呼ばれた。
 そこのところを、間違っちゃいかん」

 エルダインの言葉は、さらに凛の怒りを煽り立てた。

「こ…の……老いぼれ魔法使い!
 ちょっとでも、重大でも、結果は同じだろうが!
 どうにかして、俺が元いた世界に戻れるような方法を考えたらどうなんだ!」

 あまりに大声で怒鳴っていたため、凛は息切れをしながら、エルダインを睨みつけた。

 エルダインは空色の瞳で天を仰ぎ、両手をテーブルにつくと、急にがばりと頭を下げた。

「すまん──この通りじゃ、許してくれ。
 おまえさんが元の世界に戻れるよう、世界中の魔道書や古文書をひっくり返して調べてみるから、もう少しだけ時間をくれ」

 祖父ほどにも年齢が離れた人物に頭を下げられ、凛は激しい怒りを持続できなくなった。

 もともと両親に恵まれず、祖父母の元で育ったせいもあり、年輩の人物には弱いのだ。

 目上の人物には敬意を払い、礼節をもって接するようにと、祖父に厳しく教育されてきただけに、老人を怒鳴りつけてしまった事への罪悪感も湧いてくる。

 大きくため息を吐き出し、頭を抱えるようにして凛が椅子に腰を下ろした時、アルヴァールが穏やかな口調で言った。

「そなたの怒りは当然のものだ、人の子よ。
 それを気に病む必要はない。
 償いをせねばならぬのは、我々の方なのだからな。
 ゆえに、吾の命が続く限り、そなたには吾の守護を与えよう。
 人の子よ──そなたの名は?」

 両手で顔を覆っていた凛は、唇に微かな苦笑を浮かべ、投げやりな口調で告げた。

「凛──俺の名前は、凛です……白神、凛」

 自分自身の声だったとは言え、その名前が空間に響いた時、凛は不思議な気持ちになった。

 妖精王は口の中で低く呟いた後、椅子から立ち上がって、凛の前に立った。

 その秀麗な立ち姿を見上げた凛は、アルヴァールが床に跪き、凛の両手を捧げ持つようにしたので、思わず双眸を瞠っていた。

「リン──そなたは今より、リィーンと名乗るがよい。
 創造主ルシュに誰よりも愛された神の名と同じ、リィーンの名を受け継ぐのだ。
 真の名は、そなたが本当に信頼できる者にしか明かしてはならぬ。
 何故ならそれは、そなたを支配する名でもあるゆえに。
 だが、リィーンの名は、吾の守護と共に、そなたを悪しき者から守る盾となるだろう」

 妖精王の手から、何か強いエネルギーが流れ込んできた。

 電流に打たれたように身を強張らせた凛は、大きく目を見開いて、アルヴァールの気高き蒼瞳を見返していた。

 ディーナ……ディン…………リィーン──。

 この世界に来て変遷をしていた名前が、魔力を帯びた名となって、凛の魂に刻印された瞬間だった。

 その名前は違和感なく馴染み、先ほどまでの葛藤すら忘れて、凛はただ呆然とアルヴァールを見つめることしかできなかった。

 妖精王は淡く微笑むと、凛の左右の手の甲に、そっと接吻を落とす。

 まるで貴婦人に対するような所作ではあったが、あまりにも典雅な動きに魅せられ、凛は金縛りにあったように動けなかった。

「リィーン──我が守護の証として、これを……」

 アルヴァールはそう言い、白皙の額に嵌められていた美しいサークレットを外し、それをそのまま凛の額に嵌めた。

 中央に大きなサファイアが輝き、それを取り囲むようにして、複雑で繊細な植物の紋様が透かし彫りにされたプラチナのサークレットは、最初から凛のために作られていたかのように、ぴったりと嵌った。

 重さすら感じないサークレットに、凛は恐る恐る指で触れ、唖然としてアルヴァールを見返した。

「い、いただけません──こんな、高価な物……」

 慌てて返そうと、凛はサークレットを外そうとしたが、不思議な事に、まるで皮膚に吸い付いているかのようにそれは動かなかった。

「これはただの飾りではなく、そなたを守るための護符。
 それを身に付けている限り、この<常春の森>に住まう者たちは、吾に対するのと同じように、そなたに敬意を払うだろう」

 優雅に立ち上がったアルヴァールは、呆然としている凛の顔を両手で挟み込み、サークレットで飾られた額に口づけた。

「リィーン……そなたに創造主ルシュと、七柱の神々の祝福があらんことを」




 宮殿へと戻るアルヴァールやエルダインと別れ、凛はそのまま四阿に残っていた。

 ここに至るまでの疑問は解けたが、事実を受け入れるには衝撃が大きすぎた。

(──もう、二度と、日本には帰れないのか……)

 薄々は予感していたものの、はっきりと断定されてしまうと、やるせなかった。

 元の世界には、祖父母が残っている。

 きっと、イギリスに行ったまま行方不明になった凛を、必死で探しているだろう。

 離婚騒動で息子が失踪し、さらに孫まで行方不明になってしまったら、まだかくしゃくとしている祖父母でもさすがにショックを受けるに違いない。

 そして、共に旅行していた友人の空我も、一生後悔しながら生きていかなければならなくなる。

 喧嘩別れになって、絶交状態になっても、凛が無事に日本に戻るなら、空我の良心の呵責は軽くなるはずだった。

 だが、凛がいなければ、空我は周囲から責められることになる。

(……せめて、無事だって知らせられればな……)

 何度となく繰り返したため息をもらし、凛はぼんやりと美しく輝く滝を見つめた。

 四阿から続く階段を下りた凛は、ゆっくりと池の周囲を歩きながら、清冽な水飛沫を上げている滝に近づいた。

「なんか……日本庭園みたいだな……洋風だけど──」

 考え出すと際限なく落ち込みそうな自分自身を励ますように、凛は小さく微笑んだ。

 全く別の事を考えていれば、少しの間は、悲しみと寂しさを我慢することができる。

 そう思いながら、凛は優雅な光景をじっと見つめていた。

 ふと足許を見下ろすと、細かな水滴に濡れ、首を傾げた鈴蘭のような薄青色の花が、微風に吹かれて可愛らしく揺れている。

「見たことない花だ……何て名前なんだろう……」

 長い衣裳が地面につくのも構わず、凛はしゃがみ込んで、その可憐な花を見つめた。

 小さな鈴が連なったようなその花は、薔薇や蘭のような華やかさは無いものの、清楚で瑞々しい。

「レウィーナさんみたいだな……」

 どこか寂しげで、優美な雰囲気の女性を思いだし、凛はぽつりと呟いた。

 そっと手を差し伸べて、指先ほどの小さな花に触れると、花の中から涙のような雫がこぼれ落ちた。

「──あ……」

 地面に吸い込まれた水滴を見つめていた凛は、不意に込み上げてきた涙をこらえるように、震える唇を噛みしめた。

 膝を抱えてしゃがみ込んだまま、凛は目頭から溢れ出してくる涙を封じるように、瞼を閉ざしてうつむいた。

 だが、止めどなく流れ出した涙は、白い頬を伝い、地面に落ちてゆく。

「……ふっ……くっ……」

 込み上げる嗚咽が喉を震わせ、絶対に泣くまいと我慢する凛の意思を、脆く突き崩してしまう。

 必死で唇を噛んでいなければ、慟哭してしまいそうな自分を、凛は情け無いと思った。

(一人になっても生きていけるよう、強くなりたいと思っていたのに……)

 そのために武道を修練していたというのに、ここで挫けていては、何の意味も無い──。

 頬に涙の熱を感じながら、凛は必死で自分の声を殺していた。

「リィーン……そこで何をしている?」

 背後から唐突に声がかかり、新たな名を呼ばれた凛は、驚いて振り返っていた。

 そこに立っていたのはアルレインであり、彼は怪訝な顔をして、凛を見下ろしていた。

「……な、何でも無い」

 アルレインにだけは泣き顔を見られたくないと思い、凛は慌てて顔を背けて立ち上がり、片手で頬や目尻を急いで拭った。

 するとアルレインは軽く嘆息し、淡々とした口調で言った。

「部屋で、レウィーナが食事の用意をして待っている。
 三日間、何も口にしていないから、さぞ空腹だろうと言っていたが……」

「そんなに、腹が減ってるわけじゃないけど……」

 ショッキングな事ばかりで、凛の食欲は減退気味だった。

 しかしレウィーナの優しい笑顔を思い出し、小さくうなずく。

「判った──もう少ししたら、部屋に戻る」

 自分の泣き顔を見たら、レウィーナは心配するだろうと思い、凛は真っ青に澄み切った空を仰いだ。