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妖精王の光環


<22>



 涙に濡れた瞳が早く乾けばいいと思い、凛はぼんやりと空を見上げていた。

 こちらの世界の空は、元の世界に比べると、空の色が随分と青く、深く見える。

 太陽の大きさはあまり変わらないが、まるで黄金が燃えているような色をしていた。

 そして、夜になれば、眩いばかりの星がきらめき、幻想的な二つの月が天を巡るのだ。

 野宿をする度に夜空を見上げていると、その驚くべき光景も段々見慣れてきた。

 それと同じように、この世界に住んでいるうちに、やがてこちらの生活にも徐々に馴染んでいくのだろうか──?

 そんな事を凛が考えていると、アルレインが少し困惑したような口調で訊ねてきた。

「……父上は、どうして、おまえにその宝冠を与えたのだ?」

 物思いに耽っていた凛は、アルレインの方を振り返り、微苦笑しながら首を傾げた。

「さあ──よくは判らないけど、俺の身を守るための護符だって言っていた。
 元の世界に戻れないから……そのせいなのかも……」

 そっとサークレットに触れると、指先に金属と宝石の硬く冷たい感触が当たった。

 そうやって確かめてみなければ判らないほど、サークレットは凛の額に馴染んでしまっている。

 するとアルレインは深い森を思わせる双眸で凛を見下ろし、淡々と言った。

「それは、邪悪な魔力から持ち主を守るという宝冠なのだ。
 それを身に付けている限り、どれほど強力な攻撃魔法であろうと、傷つけられることはないと言われている。
 この森の至宝のひとつなのだが……それを与えられたと言うことは、父上にとって誰よりも貴い存在だと認められたということになる」

 その言葉に戸惑い、凛は訝しげにアルレインを見返した。

「どういうことなのか……よく判らない」

「この森で最も貴きは妖精王だが、時に王は、最愛の者にその冠を与えた。
 ほとんどの場合、その者は、王と共に女王としてこの森に君臨する。
 ゆえに、この森に住まう者たちは、おまえを父上の伴侶として敬意を払うだろう」

 アルレインの言葉に驚愕し、凛は大きく目を見開いた。

「そんな事は、一言も聞いてない。
 それに、そんなに大事な物……やっぱり俺が受け取るわけにはいかない」

 サークレットを外そうと、凛は頭に両手を持っていったが、どういう仕組みになっているのか、それはぴくりとも動かなかった。

「無駄だ。それを外せるのは、妖精王ただ一人」

 アルレインは少し呆れたように言い、すっと凛の前に立ちはだかった。

 いつもは少し距離を置いて話しているために、あまり身長差を気にした事はなかったのだが、長身のアルレインに間近に立たれてしまうと、顔を仰ぐように見上げるしかなる。

「我が君がお決めになった事ゆえ、その意思に逆らう気はないが……」

 サークレットの中央に輝くサファイアを物憂げに見つめていたアルレインは、その場から後退して片膝をつき、片手を胸に当てて騎士のような一礼をした。

 突然の事に唖然とし、凛は慌ててアルレインを立ち上がらせようと近づいた。

「止めろよ、アルレイン──俺は、王にも女王にもなるつもりはないんだから……」

「おまえがどう考えようと、全ては王が決める事だ」

 そう言い、アルレインは、不意に凛の片手を捕らえるように掴んだ。

 それに驚く間もなく、手の甲に押しつけられたアルレインの唇に愕然とし、凛は目を瞠ったまま動けなくなる。

 ところが、手から顔を上げたアルレインが、突然強く手首を握りしめ、そのまま強く腕を引き寄せた。

 あまりの痛みに顔を歪ませた凛は、前のめりに倒れるように、アルレインの方に引っ張られていた。

 次の瞬間、アルレインの反対側の手が素早く伸び、凛の喉を締め上げるように掴んだ。

「──だが、おまえが父上の伴侶になるなど、私は絶対に認めない」

 アルレインの翡翠色の瞳が、獰猛な肉食獣のように底光りをする。

 憎悪と、殺意すらこもった低い声音に打たれたように、凛はただ呆然として、瞬きもせずにアルレインを見返すことしかできなかった。

「……ア…アルレイン……」

 予測できなかったアルレインの行動に面食らい、凛は突き飛ばされるように手を離されても、まだ正常に対応することができなかった。

 何が起こったのか、脳が認識するのをやめてしまったようだった。

 突っ立ったままの凛を冷ややかに見下ろし、アルレインは唇の片端に薄く嘲笑を閃かせると、そのまま長衣を翻して立ち去っていった。

「──な、何なんだよ、いったい……」

 力なく呟いた凛は、アルレインが接吻した右手の甲を見下ろし、ぎゅっと拳を握りしめた。

 アルレインは凛の事を最初から毛嫌いしていたが、それでも共に行動しているうちに、少しは打ち解けてきているように思えた。

 異世界に飛ばされ、見知った人間もいない場所で、エルダインとアルレインは頼りになる仲間のように思えた。

 特にアルレインは、見た目が若いということもあって、その無愛想な態度に慣れてくると、年の近い友人のように思えてきたのだ。

 だが、アルレインの方は、やはり凛の事を疎ましく思っていたのだろう。

 それを決定づけたのが、妖精王の額を飾るべきサークレットが、エルフですらない凛に渡ってしまった事なのかもしれない。

「馬鹿野郎……俺が欲しがったわけじゃないんだから……」

 身に覚えのない言いがかりをつけられたような気分になり、凛の心は大きく波立った。

 ひどく悔しくて……そして、悲しい──。

 唇を噛んだ凛は、地面に視線を落としたまま、しばらくその場に立ちつくしていた。



 重苦しい気分で、自分にあてがわれていた美しい部屋に戻った凛を、驚くほど沢山の料理が並べられたテーブルが待っていた。

「まあ、ディーナ……いえ、リィーン様。
 どうなさったのです?
 若殿と何かあったのですか?」

 戻ってきた凛を優しく迎えたレウィーナが、心配そうな眼差しで見つめ、問いかけてくる。

 ヒアシンス色の瞳を見返して微笑み、凛は軽く頭を振った。

「何でもないです──多分、ちょっとした誤解だから……」

 凛の言葉を聞いて、レウィーナは小首を傾げると、小さなため息をついた後でにっこりと明るく微笑んだ。

「では、若殿の事は放っておいて、お食事をなさってください。
 まずは元気を取り戻して……悩むのはそれからです」

 手を引くようにして、木目の美しい象牙色のテーブルに凛を着席させたレウィーナは、まるで子供の世話を焼くように、甲斐甲斐しく給仕をし始めた。

 木の実をすりつぶして作ったというスープは、コーンスープのような甘い味がする。

 色とりどりの茸がスライスされたサラダや、川魚と野菜の煮込みは、見た目にも美しく、味覚的にも大満足だった。

 ドイツパンを思わせるパンの中には、木の実や干し葡萄が入ったものもあり、ジャムやバター、クリームなども並べられている。

 街道沿いの宿で食べた質素な料理とは違い、この<翠晶宮>で饗される食事は、飽食大国日本で育った凛にも満足できるものだった。

 空腹が満たされると、何故か気分的にも余裕ができた。

 食後のお茶を用意しているレウィーナの後ろ姿を見やり、凛は気になっていた事を問いかけた。

「レウィーナさんは、この宮殿で働いているんですか?」

 妖精の森でどのような仕事があるのかは判らなかったが、レウィーナはただの召使いという雰囲気ではない。

 侍女にかしずかれる姫君か、貴婦人のように優雅で、上品なのだ。

 客分の凛よりも、本当はよほど高貴な存在であるのだろうが、レウィーナが何者なのか少し興味があった。

 するとレウィーナは驚いたように凛を見返し、くすくすと笑い始めた。

「まだお聞きになっておられなかったのですね。
 確かにわたくしはアルヴァール様にお仕えしておりますが、本当の意味でお役に立てたのはこれが初めてかもしれません。
 わたくしは、幼い頃に両親を亡くし、アルヴァール様の養女に迎えられました。
 ですから、若殿とは……アルレイン様とは、兄妹のように育ったのですよ」

「え──……ってことは、レウィーナさんは、本当に王女様?」

 驚愕している凛を見つめ、レウィーナは優美な微笑みを浮かべた。

「この森では、わたくしが王の養女であろうと、なかろうと、あまり関係はないのです。
 人間世界の身分制度は厳しいと聞きますが、ここでは皆が自由に生きています。
 この森で、もし行き場の無い孤児がいたなら、王は喜んで養子に迎えるでしょう。
 あの方は、この森全体の父なる存在──ゆえに誰よりも尊ばれ、愛されるのです」

 レウィーナの言葉を黙って聞いていた凛は、アルヴァールの神々しいまでの美貌を思い出し、不思議なほど自然に納得をしていた。

「……だから、サークレットを俺にくれたのかな?」

 異世界から迷い込んできた凛を憐れみ、あまりにも無力な事を心配して、妖精王は自分自身の護符を外したのだろうか。

 そう思って口にすると、レウィーナが少し思い悩むような口調で呟いた。

「リィーンという名前……そしてサークレット……。
 わたくしには、もっと遙かに重要な意味があるように思われるのです。
 ただの憐れみだけで、その名と宝冠が与えられることはありません」

「リィーンって……何か意味があるんですか?
 俺はてっきり、本名に近いから、この名前になったんだと──」

 レウィーナは、何かを考え込むように沈黙したまま、美しいティーカップに薫り高いお茶をゆっくりと注いだ。

「わたくしからお教えして良いのか判らないのです。
 エルフであれば、幼い子供ですらも、リィーンの神話を知っています。
 特に口止めをされているわけではないので、問題は無いのでしょうが……」

 凛は思わず、すがるような目でレウィーナを見上げていた。

「もの凄く気になるから──教えてくれませんか?」

 ここでこの話が終わってしまったら、きっと気になって眠れなくなる。

 そう思い、凛が懇願すると、レウィーナは躊躇うようにヒアシンス色の瞳を伏せた。

「リィーンは、創造神ルシュの右手から生まれた<光の神族>に属し、その頂点に立つ七柱神のお一人です。
 愛と繁栄、そして平和を司り、この世の全ての者たちから愛されていました。
 けれど、同じ白き神の一人であるダルヴァに……妬みゆえに殺されたのです。
 世界の均衡は崩れ、<対の神>が均衡を保つために眠りについた後、白き神々はダルヴァを倒し、邪神として封印しました。
 そして──<光の神族>は、世界の破滅を防ぐために、この世界から立ち去ったと言われています」