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妖精王の光環


<24>



 隠そうともしないウォーデンの敵愾心を感じ、凛はすっと双眸を細めた。

 日本にいた時から、自分に対するマイナスの感情に対して、凛は敏感に反応していた。

 幼い頃、両親の事や、容姿の事で虐められた経験があるからかもしれない。

 だが、そのお陰で身を守る術を身に付けられたのだから、むしろ最近は、その事に感謝をしているほどだった。

 あからさまな悪意を向けて来る者に対しては、自分の感情を抑制し、無表情を保つ。

 何を考えているのか悟られなければ、その部分に攻撃を加えられる事はない。

 自分の弱点は、自分で守るしかない──それを痛いほど理解しているからこそ、凛はウォーデンに対して、ことさら冷ややかな鎧を纏った。

「……それで、あなたが、噂のリィーン様なのですな?
 あのイルダールの魔王が、自分の花嫁だと言って探し求めているという?」

 両腕を組み、傲岸な態度で質問してくるウォーデンを、凛は感情の失せた眼差しで見上げた。

「残念ながら、誰の花嫁にもなった覚えはないが?」

 ひどく冷淡な凛の声音を聞き、ウォーデンよりも、レウィーナの方が驚き、戸惑っているように見えた。

 ウォーデンはにやりと笑うと、腰を屈めて凛に顔を近づけ、挑発するような言葉をさらに重ねた。

「ほう? シヴの聖輪で、黒髪の美女が、魔王に凌辱を受けていたという噂を聞いたが、あなたではないと?
 黒髪を持った人間は、この辺りではひどく稀なのだが」

「……その噂とやらを、誰から聞いた?」

 屈辱に震えそうになった身体を抑えながら、凛は顔色を変えずに問い質した。

 するとウォーデンは大げさに両手を開くと、後ろに控えていた三人に同意を求めるように振り返り、低い笑い声を立てた。

「風の噂ですよ──最近は、この辺りも急に騒がしくなりましたな」

「ウォーデン殿! いい加減になさいませ!
 この方への無礼は、王や若殿に対する無礼と同じですよ!」

 レウィーナが叱責するように言うと、ウォーデンは「やれやれ」と呟きながら、凛のサークレットを指差した。

「アルヴァール様のサークレットを持っているから、汚らわしい人間に、敬意を払えと?
 アルレイン様も嘆いておられましたよ。
 王の気まぐれが、判らないと言ってね」

 その瞬間、レウィーナの美貌がさっと青ざめ、緑明宮の方角を見つめた。

 動揺するレウィーナの姿を、ウォーデンは満足したように見つめ、さらに追い打ちをかけようとするかのように、凛に向き直った。

「我が君は慈悲深い御方ゆえ、あなたを助けたのだろうが、全てのエルフがあなたに好意的だとは思われない方がいい。
 むしろ……あなたがここにいる事を、厭わしく思う者の方が多いでしょうな」

 そう言いながら、ウォーデンはターコイズブルーの双眸を細め、喉の奥で低く笑う。

 その瞬間、凛の「忍耐」を司る神経が、ブツリと大きな音を立てて切れた。

「──……ウォーデンとか言ったか?」

 唇に微笑を刻み、凛は媚びを含んだ猫なで声で呼びかけた。

 凛の反応を訝しく思ったのか、ウォーデンは真顔になって凛の顔を見下ろした。

「アルヴァール王は、私に、守護の証としてこのサークレットを下さった。
 そして、こうも言っておられたな……。
 『これを身に付けている限り、この<常春の森>に住まう者たちは、吾に対するのと同じように、そなたに敬意を払うだろう』と。
 アルレインもまた、私の前で跪いてくれたが、おまえがそのような態度を取るのは、非常に嘆かわしいとしか言いようがない。
 おまえの敬意がその程度とは──エルフ族の礼節も、地に落ちたものだな」

 アルヴァールやアルレインのいささか仰々しい言葉遣いを真似ながら、凛はできるだけ居丈高に聞こえるような口調で、そう言い放った。

「な、なんだと……」

 その途端、気色ばんだウォーデンが、瞳をぎらつかせて凛を睨みつけた。

「近寄るな──貴様の下品な面など、見るだけで虫酸が走る」

 ふんと鼻を鳴らし、凛が嘲るように冷笑した途端、侮辱に我を忘れたウォーデンが、太い両腕を伸ばして掴みかかってきた。

 レウィーナの悲鳴を聞きながら、凛は男の動きを捉えて、すっと足を一歩踏み出した。

 そのままウォーデンの片手を捕らえ、凛は身体を反転させると、相手の勢いを借りて両手を振り下ろす。

 その瞬間、エルフの中でも巨漢であろうウォーデンは宙に浮き、あっと言う間に床に投げ飛ばされていた。

 ドシン……と重々しい落下音が響いた瞬間、凛は素早く移動して、ウォーデンの広い胸を片足で踏みつけた。

 何が起こったのか判らず、目を白黒させている男を見下ろしながら、凛は抑え込んでいた感情をぶつけるように怒鳴った。

「俺だってなあ、好き好んでここにいるわけじゃないんだよ!
 貴様がどれだけ不愉快だか知らないが、俺だって、十分過ぎるほど不愉快な思いをしてるんだ!
 こっちの事情も知らないくせに、好き勝手な事を言うんじゃねえ!!」

 乱暴な啖呵を切った凛を見つめ、レウィーナはおろおろしている。

 踏みつけられているウォーデンは、呆気にとられたような馬鹿面で、罵声を浴びせてくる凛の顔を唖然と見上げていた。

 と、その時──。

 緊張したその場にそぐわない、呑気な拍手の音が聞こえてきた。

「いやはや、なかなかやるじゃないか、リィーン。
 エルフ随一の闘士と呼ばれるウォーデンも、これでは形無しじゃな」

 その声で我に返り、凛が顔を向けると、そこには手を叩くエルダインの姿があった。

「──エルダイン様!」

 ほっと安堵したようにレウィーナが叫ぶと、エルダインはにこやかに片手を上げた。

「可愛い、レウィーナ。
 おまえさんの悲鳴が聞こえてきたから、びっくりして飛び出してきたんじゃぞ。
 来てみれば、何やら面白い事になっておるがな」

 エルダインは、凛の傍まで歩み寄ってくると、床に倒れているウォーデンを見下ろした。

「それにしても、いったい、何をやらかしたんじゃ、ウォーデン?
 こんなか弱い美女にぶん投げられるとは、背中に羽根でも生えたんじゃないのか?」

「……ろ、老師──」

 屈辱に顔を赤らめたウォーデンは、凛が足を退かすと、苦虫を噛みつぶしたような表情で立ち上がった。

「お見苦しいところを……お見せして申し訳ありません」

 凛やレウィーナに対する態度とは全く違う、殊勝な態度を見せたウォーデンを、エルダインは呆れたように見上げた。

「見苦しいにも程があるわい、馬鹿者めが。
 今度リィーンに対して侮辱的な発言をしたら、儂が相手になると思えよ。
 おぬしを、おぬしの大好きなドブネズミかヒキガエルにして、ギール山脈の竜どもの餌にしてくれるわ」

 エルダインの言葉を聞いた瞬間、ウォーデンの顔が青ざめ、恐怖に彩られた。

「そ、そればかりは……どうかお許しを──」

 そう言い残し、ウォーデンは取り巻きを連れて、慌ただしくその場から去っていった。

 彼らの後ろ姿を、いつにない厳しい顔で見つめていたエルダインは、くるりと凛の方に向き直った途端、愉快そうににやりと笑った。

「ここに来て早々、大騒ぎじゃな、リィーン。
 いったい、どんな魔法を使って、あのウォーデンを投げ飛ばしたんじゃ?」

 凛は苦笑しながら首を振り、軽く肩をすくめた。

「別に、俺から喧嘩をふっかけたわけじゃない。
 それに、あれは魔法じゃなくて、ただの合気道の技です。
 あいつは思いっきり油断していたから、簡単に投げられましたけれどね」

 ところがレウィーナは、ヒアシンス色の目を輝かせながら凛を見つめた。

「素晴らしかったですわ!
 どうなる事かと心配しておりましたけれど、リィーン様があんなにお強いだなんて」

「う〜ん、俺が強いってわけじゃないんだけど……」

 レウィーナの手放しの賛辞に、凛は照れくさくなって頭をかこうとした。

 ところが、髪が編み込まれている部分に指先が触れた途端、自分のメルヘンちっくな格好を思い出してしまい、思わず眉根を寄せた。

「まあ、何でもよいわ──ウォーデンも少しは懲りたじゃろう。
 それより、リィーン、レウィーナ。
 儂はこれから、自分の小屋に帰るところなんじゃが、ちょっとその辺まで一緒に歩いてくれんか?
 また、前みたいに迷子になるのは御免じゃからな」

 エルダインの言葉を聞いて、レウィーナは驚いたようだった。

「まあ、エルダイン様──こちらにお泊まりになられればよろしいのに。
 部屋はいくつでも空いておりますわ」

「この宮殿に寝泊まりすると、逆に気疲れしてしまうんじゃよ。
 小汚くて、狭苦しい我が家が、一番落ち着くんじゃ」

 声を上げて笑いながら、エルダインは歩き出した。

「エルドは、ここに住んでいるわけじゃなかったんですね」

 何となく心細さを感じながら、凛がそう言うと、エルダインはひょいと両肩をすくめた。

「儂の勝手気ままな性格に、このエルフの館は堅苦しすぎて、ちと合わんのじゃ。
 ──心配するな、リィーン。
 儂の小屋は、この宮殿からさほど遠くないところにある。
 儂に会いたくなったら、誰かにそう言えばいい。
 ひとっ飛びで、おまえさんに会いに来てやるよ」

 明るく澄んだ空色の瞳で、エルダインは凛をじっと見つめ、穏やかに微笑んだ。

<翠晶宮>と呼ばれる王宮の果てまで来た時、門の傍にある大きな木の下に、エルダインの乗馬であるマディルと、凛が乗っていたニーム繋がれているのが見えた。

「マディル、ニーム……元気にしておったか?」

 仲の良い友達に話しかけるように、エルダインは二頭の馬に声を掛けながら、鼻を寄せてきたそれぞれの馬の顔を撫でてやる。

「良かった──無事だったんですね」

 メレイアの近くで襲撃を受けた時、はぐれてしまった馬たちの元気な姿を見て、凛はほっと安堵のため息をついた。

「おまえさんが眠っておる間に、アルレインが探しに行ってくれたんじゃ。
 これは頭の良い馬たちじゃから、自分の住処がどこにあるかは分かっておるんじゃよ」

 すでに鞍も付けてあり、出発の準備が整っているマディルの背に乗ったエルダインは、片手にニームの手綱を持つと、馬上から凛を見下ろして言った。

「ここにおる限り、おまえさんはアルヴァール殿の保護を受けて、さほど危険な目には遭わんじゃろう。
 くれぐれも森の外には出んようにな。
 イルダール王は、それほど諦めの良い人間ではないぞ」

「……気を付けます」

 嫌そうに表情を曇らせて凛がうなずくと、エルダインは朗らかに笑いながら、マディルの手綱を引いて方向を変えた。

 束の間であるにしても、ずっと傍で見守っていてくれた老魔道師との別れを感じ、凛はその背中に声を掛けていた。

「エルダイン──その……いろいろ、ありがとうございます」

 突然別世界に放り出され、もしあのまま助け出されずにバルディーズの元にいたなら、果たして自分はどうなっていただろうか。

 想像するだけで、凛の身体は震える。

 たとえ原因を作り出した本人であるにしても、そんな恐ろしい状況から救いだしてくれたのは、目の前にいるエルダインであり、アルレインだった。

 感謝の言葉を凛が口にすると、振り返った老魔道師は、にやりと口許を歪めた。

「リィーン、大変なのは、まだまだこれからじゃぞ。
 おまえさんの旅は、まだ始まったばっかりなんじゃからな」

 悪戯っぽく笑いながらウィンクをしたエルダインは、マディルの腹を軽く蹴ると、ニームを後ろに従えて、森の中へと続く道を走り去ってゆく。

 その後ろ姿をじっと見送っていた凛は、胸から全ての空気を吐き出すように、大きなため息をついた。

「大変なのは、これからか──」

 天を仰ぐと、夕闇の迫った空はさらに青みを増し、双月のひとつである蒼月が、木々の間からわずかに見えた。

 小さな光を放つ星々が、夜闇を待てずに、すでにきらきらと輝き初めている。

 この夜空のどこかに、自分が住んでいた地球という惑星もあるのだろうか──?

 そんな事を考え、凛はふとおかしくなって、声を上げて笑っていた。

「事故って植物人間になるより、ちゃんと生きてるだけマシだよな」

 思わず独り言のように呟くと、傍らで静かに立っていたレウィーナが驚いたように見つめてきた。

「レウィーナさん、戻りましょうか……」

 微笑んで凛がそう言うと、レウィーナは明るく微笑んでうなずいた。

 そして、まるで凛を励まそうとするかのように、片腕を取って促しながら提案する。

「せっかくですから、アルヴァール様のお部屋で、お茶をいただきましょうか。
 時々、とても珍しいお菓子や、お茶があったりするんですよ」

 優しく穏やかなレウィーナの声を聞きながら、凛は、とりあえずは自分に降りかかった運命を受け入れ、どうにか生きていこうと決心したのだった。