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妖精王の光環


<5>



 空我が想像していた以上に、凛の肌は白絹のように滑らかで、胸元の小さな突起も淡い無垢な色をしている。

 唾液を絡ませながら舌先で胸の果実を転がし、唇できつく吸い上げると、凛の唇から微かな低い呻き声がこぼれ落ちた。

「──凛……綺麗だ……俺が思っていたより、ずっと……」

 掌に吸い付いてくるような瑞々しい肌の感触に酔いしれたように、空我は何度もそう呟きながら、口づけを降らせてゆく。

 屈辱を怺えるように顔を背け、身体を固く強張らせていた凛は、胸の中で荒れ狂っている激情を持て余し、ぎりっと唇を噛んだ。

 信頼していた空我に裏切られたという怒りと悲しみ、か弱い女のように力ずくでねじ伏せられているという悔しさ、そして自分の身体が感じている快楽に対する恐れと不安。

 あらゆる負の感情が混沌と渦巻き、凛を絶望に突き落とそうとしている。

 信じていた全てのものが崩れ、自分の中で壊れていく……かつて、母親が家から出ていってしまった時と同じように──。

 そう思った瞬間、凛の瞳から涙が溢れ、頬を伝い落ちた。

「……空我」

 ぽつりと、凛が親友だった男の名を呼ぶと、左右の乳首を繰り返し交互に舐っていた空我がはっとしたように顔を上げた。

 凛は、凍てついた氷のような眼差しで、ひたりと空我を睨みつけた。

「俺は──おまえを、許さない」

 最後通牒を突きつけるように、凛は静かに冷ややかにそう言い放った。

 苦痛を怺えるように空我の顔が歪んだ瞬間、凛はその隙を突くように、無防備になっている腹部を蹴り上げた。

「──ぐあっ!」

 凛の強烈な膝蹴りを受けて、空我が鳩尾を押さえながら身体を引く。

 凛はさらに攻撃を繰り出して牽制すると、腹筋を使って敏捷に跳ね起き、空我の側頭部を蹴り飛ばしていた。

 ベッドから転落した空我は、脳震盪を起こしたのか、床の上で気絶してそのまま動かなくなる。

 荒い呼吸をしながら肩を上下させていた凛は、両腕を縛られたままベッドの上に座り込むと、深呼吸をするようにため息をついた。

「……ここには、いられない──」

 このままこの部屋に留まれば、怒りは憎悪に変わり、さらに空我を傷つけてしまうだろう。

 友と呼んだ人を、必要以上に傷つけたくはない。

 だが──凛には、一時の冗談として、空我を許すこともできなかった。

 うつむいたままシーツを見下ろしていると、ぽたりと膝の上に涙が落ちる。

 後から後から涙の雫がこぼれ落ち、凛の膝を濡らしていった。



 真夜中に駆け込んだホテルをチェックアウトした足で、凛はこぢんまりとしたスーツケースを引きずりながら、ストーンヘンジを目指した。

 ロンドンのウォータールー駅から電車に乗ると、約1時間半でソールズベリー駅に到着する。

 赤煉瓦で作られたソールズベリーの駅舎を振り返った凛は、意を決したように地図を見ながら町中へと歩き出した。

 しばらく行くと、ソールズベリーの象徴とも言うべき壮大な大聖堂の前に、凛は辿り着いた。

 どんよりと重く垂れ込めた灰色の雲を突き抜けるように、鋭い槍のような尖塔が、天高く聳え立っている。

 イギリスで一番高い尖塔を持つソールズベリー大聖堂は、ゴシック様式の壮大な教会であり、クリスチャンではない凛にさえ敬虔な気持ちにさせるほど美しい姿をしていた。

 その後、ソールズベリーの観光案内所で紹介されたB&Bをうろうろと探していた凛は、ようやく目当ての宿を見つけると、ほっと安堵のため息をついた。

 親切な宿の主人にスーツケースを預けた凛は、そのまま部屋も見ずに、小さなバックパックだけを持って外に出た。

 まるで運命に急かされているかのように、ソールズベリーからバスに乗った凛は、午後の最終便で慌ただしくストーンヘンジへと向かった。

 小さな町中を抜けると、視界を遮る物の無い、ゆるやかな丘陵の続く大平原に出る。

 どこか寂しげな冬の草原の上を強い風が通り抜け、すでに夕暮れを思わせる空には、陽射しを浴びて輝く雲が浮かんでいた。

 手を伸ばせばそのまま届いてしまいそうな雲は、一刻も留まることなく流れゆき、風の中でその形を変えてゆく。

 窓側のシートに座り、東京では見ることのできない壮大なパノラマを眺めていた凛は、不意に引き込まれるような激しい郷愁を感じた。

(……どうして、こんなに懐かしいと思うのだろう──)

 見渡す限りの平原には、家も無く、人もいない。

 空と大地がどこまでも広がり、時の移ろいを示すかのように雲が流れてゆく。

 ただ一人草原の中に佇んでいるような気分になった凛は、ふと本当は隣にいるはずだった空我を思い出し、両手で顔を覆っていた。

(ずっと……おまえの事を、親友だと思っていたのに……)

 空我の暴行によって凛の心は切り裂かれ、ぱっくりと口を開けた傷からは鮮やかな血が今も流れ出している。

 空我の事を、誰よりも信じていた。

 一緒にいればいつも楽しく、安心できた。

 大学を卒業し、社会人になっても、ずっと友達でいられると思っていた。

 だが、その全てを空我は破壊し、今までの関係を無意味なものにしてしまったのだ。

 いつか空我の罪を許すことができたとしても、二度と、親友として信頼することはできないだろう。

 そう思い、凛は重いため息をついた。



 入口で入場料を支払い、道路の地下を通り抜けるトンネルをくぐると、草原の中に太古の巨石遺跡であるストーンヘンジが見えた。

 真冬の午後ということもあって、観光客は疎らであり、凛以外は二、三人しか見当たらない。

 彼らは片手に解説レコーダーを持ち、遺跡を囲うロープの外側をゆっくりと歩いている。

 凛は少し離れた場所から、壮大な巨石のサークルをぼんやりと眺めた。

 この古代遺跡のある大地に立てば、何かを感じ、何かが変わるのではないかと、心のどこかで期待していた。

 懐かしさに両手を広げ、巨石に抱きつかんばかりの歓喜で、心が満たされるのではないかと──。

 だが、凛の心に過ぎったのは、深い悲哀と寂寥だった。

 崩れ落ちた岩、失われた聖なる石──そして、破壊され、廃墟と化した古き神の神殿。

(ここにあるのは……残骸なのか──)

 旅立つ前の浮き立った心が嘘のように、胸の中が悲嘆で青く染まる。

 それでも何かを探し求めるように、観光客に遅れて、凛は一人でストーンヘンジの周囲を歩き始めた。

 一歩一歩、自分の歩みを確かめるように歩きながら、巨大な石の環状列柱を見つめる。

 一周して同じ地点に戻った凛は、何の感慨も湧かないことに落胆しながら、ストーンサークルから離れた場所へと歩いていった。

 ところが、遺跡の全景を見渡そうと凛が振り返った時、地平線から雲が沸き立ち、西に沈む太陽が空を輝かせた。

 逆光で眺めているためか、巨石の列柱がまるで影絵のように黒く浮かび上がる。

 その瞬間、水晶の鈴が涼やかに鳴り響くかのような、不思議な歌が聞こえてきた。

 いつの間にか、その場には誰もいない。

 吹き渡る風の音と、神秘的な美しい歌声の波動が重なり合い、やがて夜の闇が訪れる。

(……時は来たれり──双月と暗黒星が重なり合う時……異界の扉は開かれん……)

 頭の中で繰り返し響く歌声に、凛は眩暈を感じた。

 夜闇の訪れと共に、何か巨大なエネルギーが大地の底を流れ、奔流となって地上に噴き出そうとしている。

 自分の足許が揺らぐような感覚に、凛は思わず片膝を突いていた。

(──何だ……これは……?)

 まるで血潮のごとき深紅の闇が、大地を揺るがし、天空を鳴動させている。

 凍えるような寒さの中で、そのまま地面に頽れた凛は、どこか遠くで自分の名を呼んでいる声を聞いた。

「──凛! 凛、大丈夫か!?」

 慌てたような足音と共に、いつも傍で聞いていた声が響いてくる。

 必死で名を呼び、身体を抱き上げようとする空我を、凛は虚ろな眼差しで見上げた。

 何故、ロンドンで別れたはずの空我が、ここにいるのか──。

 空我の腕の中で仰向けに抱えられた凛は、暗い夜空を見上げ、思わず息を飲んだ。

 深藍の夜空に散りばめられた、宝石のように輝く星々。

 その中に見たことの無い二つの月が現れ、闇を孕んだ巨星と重なった時、光輝で描かれた複雑な魔法陣が空に出現した。

 地底のエネルギーがマグマのように噴出し、天空から降り注ぐエネルギーと、螺旋を描きながら交わり合おうとしている。

「……来るな、空我──お前は……逃げろ」

 不吉な予兆を感じ、凛はとっさにそう告げたが、すぐに空我の広い胸に強く抱き寄せられていた。

「凛、俺はずっと……お前の傍にいる──お前を一人では行かせない!」

 空我が叫んだ瞬間、鈍い地鳴りが響き、フラッシュのように世界が白く光り輝いた。

 ストーンヘンジの中心から、光柱が天空に向かって立ち昇り、放射状に広がった光の渦は、凛と空我がいる場所を目指すように集束し始める。

 光の道が現れ、その全てが一点に集中した。

 津波のように膨大な光のエネルギーに飲み込まれた凛は、抱き締めてくる空我の腕を暖かく感じながら、自分の意識を完全に手放していた。