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妖精王の光環


<6>



  闇に墜ちていた意識が、水底から浮上するように、明るい覚醒へと導かれてゆく。

 両手足の末端が冷たく痺れている事に気づいた凛は、素肌を撫でるように、微風が吹き抜けてゆくのを感じていた。

 不思議に思い、重い瞼を開けてみる。

 すると目の前には、深黒のビロードにダイヤモンドを散りばめたかのような、美しい星夜の天球が広がっていた。

 そして──蒼銀と赤銅に輝く二つの満月。

 双子のような二つの月は、蒼銀の方が赤銅の月を追いかけるように、互いに距離を保って地上を照らしている。

(──これは……夢の続きだ……)

 ゆっくりと瞬きをした凛は、神秘的な光景をもう一度見つめ、ほっと細いため息をついた。

 どうしたことか、まるで石にでもなってしまったかのように、身体が動かない。

 眠りながら金縛りに遭っているのだろうかと考えた時、階段を静かに上がっているような足音が微かに聞こえてきた。

 夢の中にしては酷くリアルな音に驚き、凛はそちらの方に視線だけを移す。

 その瞬間、視界に飛び込んできた人物に、凛は全ての想念を奪われたかのように、思わず呼吸を止めていた。

 一瞬、氷の神像ではないのかと見紛うほど、その人物は秀麗だった。

 広い肩幅と丈高い体躯から辛うじて男であると認識できたが、彼は恐ろしいほど冷たく整った美しい顔立ちをしていた。

 夜空に浮かぶ蒼銀の月と同じ色をしている長い髪は、背中で一つに纏められており、風に煽られて宙を舞っている。

 凛を見下ろす右目はラピスラズリのような紺青色だったが、彼の左目は、精緻な紋様が刻まれた銀の眼帯で隠されていた。

 幻想的な隻眼の美丈夫は、首から両肩、胸元辺りまで、繊細な刺繍と宝石で装飾された漆黒の長衣を纏っており、彼の麗姿はあたかも神話世界から抜け出してきたかのように見事だった。

 天使か妖精か……あるいは神のように、彼は圧倒的な気品と威厳を放っている。

(やっぱり、夢だ──こんな綺麗な男が、存在するはずない)

 夢であるにしても、誰も思い描けないようなファンタジックな男を想像できた自分自身に驚き、凛は微笑みながら眼を閉じた。

 しかし次に目を開けた時には、彼は消え失せているかもしれないと思い、凛は恐る恐る瞼を上げようとした。

 ところが突然、唇に柔らかく温かな感触が重なり、味わうように優しくついばまれる。

 驚く間も無く、さらに深く唇が重ね合わされると、凛の口にするりと舌が滑り込み、歯肉や口蓋をねっとりと刺激し始めた。

 生々しく淫猥なキスをしているのが、その男である事が到底信じられず、凛は抵抗するよりも先に呆然としてしまった。

 身体は虚脱しているかのように動かないのだが、絶対に逃さないとでも言うように、男は凛の顎をしっかりと押さえている。

 絡め取られた舌は熱く痺れだし、じんとした快感が漣のように身体を駆け抜けた。

 息も絶え絶えになるほど激しく貪られるようなディープキスであるというのに、肉体を支配する快感は、微睡の中にいるように心地よい。

 何も考えられなくなり、とろけるような陶酔に身を委ねていた凛は、男の唇が離れていく事を残念にすら思った。

 熱くこもった吐息をもらし、凛は再び両目を開く。

 その男はどこかに腰をかけているような体勢で、凛の身体を挟むように片手を突き、静かに凛を見つめていた。

 強固な意志と怜悧な知性を宿した青金石の瞳は、思惟を吸い込まれてしまいそうなほどに美しく、あまたの星が輝く夜空を思わせる。

 くせの無い蒼銀の髪は清水のようにさらさらと流れ、その触り心地を確かめたくなるほど艶やかだった。

 性別の境界を遙かに超越した彼は、同じ男性とは思えないほど、気高く神々しい美を有している。

 左目を隠す眼帯でさえも、あたかも美貌を飾る宝冠のように見え、完璧な造形を損なうことはなかった。

 ところが凛は、銀の眼帯の奥に隠された瞳を、どうしても見たいと思った。

 一対のラピスラズリが揃った時、彼はどのような表情を見せるのか──。

 何故かそんな事を思うと、まるで思いが通じたかのように、男は自ら左目を覆う眼帯を外した。

 そこに現れたのは、深紅の闇──あたかもルビーのように赤く、禍々しい瞳だった。

 その異様さに驚愕して双眸を瞠り、凛は無意識に手を差し伸べようとした。

 すると何かの呪縛から解き放たれたように、凛の右手はしなやかに動く。

 深く穿たれた傷を癒すような気持ちで、男の頬に指先を伸ばすと、血の通った温かな肌に触れた。

 不意に、随分とリアルな夢だと思う。

 夢か現か判らなくなるほど、男の存在を身近に感じた凛は、思わず首を傾げていた。

 すると彫刻めいた男の美貌に、本当に微かな淡い微笑が刻まれた。

 凛の手の上から、彼は大きな手を添わせて手首を掴むと、白い指先や掌に形良く整った唇を押しつける。

 その瞬間、彼に触れられた部分から、火傷しそうなほどの熱が電流のように走り、凛は反射的に手を引っ込めようとした。

 しかし男は抵抗を許そうとはせず、細い手首の内側を舌先で舐め上げ、あたかも血脈を探るように何度も接吻を繰り返した。

「……おまえは……誰だ──?」

 戸惑いに震える声音で、凛は問いを口にする。

 すると、男は凛の手首を掴んだまま上体を屈め、互いの吐息が触れ合わんばかりの所まで麗貌を寄せてきた。

「我が名はバルディーズ──おまえが……イズリューンなのか?」

 名を名乗った男は、どこかで聞き覚えのある名前を訊ねてくる。

 凛はきつく眉根を寄せ、訝しげな表情でその男を──バルディーズを見つめた。

(……夢の中で……確か、誰かがその名前を──)

 男から視線を外すように横を向いた凛は、夢の中で夢を思い出そうとしている自分に気づき、その不思議をふと可笑しく思った。

 目覚めれば、今見ている全てを忘れてしまうだろう。

 二つの月が浮かぶ幻想的な夜空の事も、現実には存在しえない美丈夫の事も。

 ふっと唇に微笑を湛えると、手首を掴んでいた男の手に力がこもった。

 次の瞬間、強く顎を捕らえられてしまい、仰向くように顔を引き戻された凛は、荒々しく噛みつくようなキスを強いられていた。

 バルディーズの濡れた熱い舌が、凛の口内を貪婪に蹂躙してゆく。

「──んっ……うっ…ふっ……ううっ……」

 困惑に震え始めた舌は、息が詰まるほどきつく吸い上げられ、凛は呼吸を乱しながら小さく喘いだ。

 男の手はひんやりと冷たくなった肌の上を優雅に滑り、官能を導くような愛撫を胸元に施し始める。

 触れられるたびに息が上がり、凛は逃れようと身を捩らせた。

 ところが、バルディーズの力は強く、愛撫は拒むことができないほどに巧みだった。

 胸元の突起に辿り着いた唇が、やがて淡い果実を優しく含む。

 軽く歯が当てられると、痺れるような愉悦が身体の芯を貫き、困惑する意識を置き去りにしたまま、凛の肉体は快感を受け入れた。

 なだらかな胸の頂点を舌先で舐められると、肉体の奥に秘められていた何かがザワリと騒ぎ始め、凛は狼狽して身体を強張らせた。

「はっ、あっ……くうっ……止めろ……触るな──ああっ!」

 抗おうと声を上げた凛は、快感に硬く凝った胸の突起を噛まれた瞬間、甘く掠れた悲鳴を上げていた。

 凛の声音を楽しむように、バルディーズは喉奥で低く笑う。

 そして、欲望に煽られて屹立した凛の男根に、彼は優雅な長い指先を添わせると、さらなる快楽を与えるようにやんわりと扱き出した。

「あうっ……っくぅ…ううっ……いやだ──やめ……そこは……ひいいいっ!!」

 男の肉体の中で、最も敏感な部分を弄ばれ、尖端には硬い爪先が捻り込まれる。

 痛みを越える凄まじい快美感が全身を駆け巡り、その部分を繰り返し責め立てられていた凛は、涙を溢れさせながら泣き叫んでいた。

 これが悪夢であったとしても、目覚めれば全てを忘れられる──。

 拷問にも似た容赦無い快楽に堕とされた凛は、恥も外聞も打ち捨てるかのように淫らに身をくねらせ、悲嘆が入り混ざった艶めかしい声を上げ続けた。

 もはや抵抗する力も無く、沸き上がる悦楽を抑えることもできない。

 快感を操る残酷な征服者は、一欠片の感情も瞳に現さないまま、腕の中でのたうつ獲物を確実に追いつめてゆく。

 人間離れした美貌の男は、ペニスの根元を指できつく封じながら、限界まで膨張した凛の欲望を唇に咥え込んだ。

 柔らかな粘膜に包まれ、淫猥な摩擦が起こると、凛は愕然と双瞳を見開いていた。

「──いやだ……どうして……こんな……ッ!」

 不安と恐怖が嵐のように胸の中に吹き荒れ、正常心を奪い尽くしてゆく。

 狂おしい悦楽の絶頂に達した瞬間、凛は弓なりに仰け反り、喉から悲痛な叫びを迸らせていた。