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妖精王の光環


<9>



 人間よりも遙か昔から存在していた種族であるエルフは、神々の恩寵を受けているためか、外見は常に若々しく、比類無き不老長寿を誇っている。

 バルディーズの前に立った青年も、外見だけならばほとんど同じくらいの年齢にしか見えなかった。

 しかし彼の言葉は、王宮の長老たちよりも深く、重々しく響いた。

「我が君の命により、そなたらの闇の召喚を阻んだのは我々だ。
 されど、詠唱を完全に消滅させることは能わず、異界からこの者を招き入れてしまった。
 次に三つの星が重なるのは千年後。
 その時が来なければ、いかに強大な力を持つ魔道士であろうと、異界の扉を開くことはできぬ。
 ゆえに人の子よ、闇の眷属と関わり合いになるのを諦めるのだ。
 さもなくば、そなたの王国だけではなく、この世界そのものが、滅びの道を歩むことになってしまうだろう」

 怜悧な面立ちをしたエルフの青年は、腕に抱いた存在を見下ろした後、冷厳な眼差しでバルディーズを見やった。

「そなたの呪いと穢れを身に受けたこの者は、本来ならば我らが王国にも災厄をもたらす忌むべき存在。
 だが、我が君は、この者を保護すると仰っている。
 私としては不本意だが、そなたの元に置いておくよりは、邪悪が広がるまい」

 その言葉を聞いた途端、バルディーズは紺青色の右目をすっと眇めた。

「ほう……私から花嫁を奪い去ろうと?」

 そう呟いたバルディーズの声は常よりもさらに低くなり、彼の総身からは青白い凍気が流れ始めた。

 それを見た老人はわずかに顔を強張らせると、叱咤するようにエルフの背中を乱暴に叩いた。

 そして、バルディーズを宥めるように、穏やかな声で諭し始めた。

「王よ、そもそもおぬしには、似合いのご婚約者がおられるじゃろう?
 その女性と契り、多くの子をなして、王国の繁栄に努めるのじゃ。
 それが、正しき人の道ゆえな。
 異界の者を望んだところで、決して幸福にはなれませんぞ。
 今以上に苦難に満ちた人生を、御身の母上は決して望まれますまい」

 エルダインの言葉を聞いたバルディーズは、わずかに首を傾げ、美しいが見る者を凍えさせるような冷笑を浮かべた。

「我が身が炎で焼かれた時、正しき人の道などというものは失われた。
 エルダイン──宮廷から追われた貴公の戯言を聞いている暇はない。
 その者を祭壇に戻して、そこにいる目障りなエルフ共々、即刻この場から立ち去れ」

 そう言いながら、バルディーズは腰に帯びた佩剣を抜き放ち、水晶のごとき玲瓏な輝きを宿す剣を、老人とエルフに向けた。

 老人は諦めたように深々と嘆息すると、見事な顎髭をたくわえた顔の前で、いかにもわざとらしく片手を振って見せた。

「アルディア様の御子のお言葉なれど、そればかりはご容赦を。
 この者にはこの者の運命があり、儂らはそれを大きく歪めてしまった。
 元の世界に戻してやることはできぬが、できる限りの償いはしてやらねばならん。
 じゃが、王よ──おぬしの傍に置けば、おぬしも、この者も、確実に不幸になる。
 わざわざ魂に瑕をつけるような運命を、儂もエルフの君も望んでおらんのじゃ」

 ところが、エルダインの言葉が終わった刹那、バルディーズは無言で長剣を振り上げた。

 大地を切り裂くような剣勢は、刃のような風圧を生み出し、唸りを上げてエルダインとエルフの青年に襲いかかる。

 その瞬間、老魔道士は瞬時に光の障壁を形成し、バルディーズが作り出した魔風を跳ね返していた。

 その背後では、エルフの青年が素早く呪文を唱え、第二の攻撃波に襲われる前に、異境へと続く空隙を生み出していた。

「待て──逃がすものか!」

 エルダインとエルフの連動を認めたダージルが、それを阻もうと呪文を投げる。

 しかし、老人が作り上げた障壁はこの上なく堅固であり、バルディーズの攻撃もダージルの魔法も弾き返してしまった。

 エルダインはにやりと不遜な笑みを浮かべると、恭しくバルディーズに一礼した。

「王よ──どうぞ心安らかにお過ごしください。
 邪神の呪いに心を囚われていては、いずれ御身の魂までもが食い尽くされてしまう。
 それこそが、悪しき者を喜ばせるまたとない贄となりましょうぞ」

 そう言い残すと、エルダインは、先に逃れたエルフを追うように、時空の狭間に身体を滑り込ませた。

 時空の間隙が閉ざされると、老魔道士も、エルフも、そして祭壇の上に横たわっていた麗人もまた、完全にその姿を消した。

 腹立たしげに鋭く舌打ちをしたバルディーズは、苦しげに肩を喘がせているダージルに命令した。

「闇の神イズリューンが、エルフによって奪われたと公表せよ。
 そして、すぐに追跡隊を編制し、あやつらからイズリューンを奪い返すのだ」

 魔道士長は深く頭を下げると、バタバタと慌ただしい足取りで、大広間へと駆けだしていった。

 その場にしばらく佇んでいたバルディーズは、ゆっくりと聖黒石の祭壇に歩み寄ると、微かにぬくもりが残っている滑らかな石の表面に手を置いた。

 ふっと長い一息をついた後で、腹の奥底が煮えくり返るような怒りが沸き上がり、じりじりと胸を焦がし始める。

 鋭い眼光で聖壇を睨みつけたバルディーズは、骨が砕けるほどの力で拳を握りしめた。

 儀式などではなく、抱き合う時間が長ければ、もっと様々な事が判ったはずだった。

 何者なのか、どこから来たのか、そして真の名は──?

 仮にエルダインの言った言葉が真実であったとしても、かの者がこの世ならざる存在であることには変わりない。

 もしかすると、己に降りかかった呪詛を解く術を、知っているかもしれないのだ。

 たとえ知らなかったとしても、闇の神イズリューンの偶像として崇拝できるほどに、かの者は例えようもなく美しかった。

 艶やかな漆黒の髪と、移り変わる宵闇の双眸と、神秘的な両性の肉体を持つ存在であるのだから、誰もがイズリューンの化身であると信じるだろう。

「……おまえを奪い返し、必ず私のものにする──どんな方法を使っても」

 バルディーズは口の中で低く独白すると、宣誓するように聖壇の表面に接吻を落とした。




 儀式の間を後にし、バルディーズが大広間に戻ると、神殿を守護する聖堂騎士団の騎士団長テュールが足早に進み出てきた。

「──陛下に申し上げます。
 聖輪の中で正体不明の男が倒れているのを発見し、連行いたしました」

 大理石の床に片膝を付き、深く頭を下げたテュールを見下ろし、バルディーズは少し驚いたように問い返した。

「……聖輪の中に、正体不明の男?
 あそこは神聖な場であるゆえに、王族と魔道士以外は立ち入る事はできぬはず。
 なにゆえ、そのような者が聖輪に近づけたのだ?」

 厳しさを増したバルディーズの問いに、騎士団長はやや困惑した口調で応じた。

「──私が見た限りでは、この男はこの国の民ではないと思われます。
 近隣の国の者でもないようで……身に着けている物が、見たこともない奇妙な衣服でありました。
 聖輪の周囲は厳重に見張られておりましたが、その者はまるで突然現れたようだと、見つけた騎士が申しておりました」

「ならば、エルフということか?」

 バルディーズが重ねて問うと、テュールは眉間に皺を寄せて首をひねり、窺うような視線で王を見上げた。

「恐れながら……その者の纏う衣服は、先に現れた闇の神と同じような物でございました。
 それゆえ、陛下のご英断を仰ぎたいと、ここに参上いたしたのです。
 まだ意識を失っておりますゆえ、陛下にご検分いただき、この者の処分を定めていただきとう存じます」

 騎士団長がそう言うと、控えの間から二人の騎士が、ぐったりと力を失っている大きな男を引きずって現れた。

 バルディーズが立つ壇上の下までその男を引きずって来た騎士達は、片膝を付いて敬礼を捧げると、素早く騎士団長の背後まで戻る。

 仰向けに転がされた男の顔を見下ろしたバルディーズは、軽く眉をひそめると、ゆったりとした足取りで階段を下りた。

 光沢を放つもこもことした奇妙な上着と、農夫が着る衣服よりもまだ固そうな青い生地で作られたズボンを身に着けた男は、騎士達と並んでも見劣りしないほど頑強な身体付きをしていた。

 苦悶に歪められた眉は黒々として太く、意思の強そうな顎をしている。

 騎士たちと同じ甲冑でも着せれば、見た目は十分に通用しそうなほど精悍な男だった。

 だが、バルディーズが抱いたイズリューンの化身とは、容貌の美しさはかけ離れており、体格もまた違う。

 力を込めれば壊れそうな儚さや、エルフのごときしなやかな優雅さが、この男の風貌には皆無だった。

 ただ、確かに衣服だけは共通した特徴を持っている。

「──さて、闇の神の眷属であろうか……」

 さすがに判断に迷ったバルディーズは、内心の疑問を思わず口に出していた。

 その時、倒れていた男の口から小さな呻き声が上がった。

『……う……ううっ……リ…ン……』

 苦しむような声音で低く呟き、男は何かを掴もうとするように拳を握りしめる。

 その様子を見守っていたバルディーズは、唇に薄く微笑を刻むと、沈黙して控えている魔道師長ダージルの方を振り返った。

「もしかすると、この者はイズリューンが何者なのかを知っているかもしれぬな。
 そなたはどう思う、魔道師の長殿?」

「恐れながら……闇神の眷属であるのなら、丁重にもてなした方がよろしいかと」

 そう言いながらもダージルは、疑惑に満ちた眼差しを男に向けていた。

 それを見取ったバルディーズは、喉の奥で低く笑うと、騎士団長テュールに決然とした声音で命じた。

「この男を地下牢に幽閉せよ。
 男が意識を取り戻したら、何があろうとすぐに私を呼ぶのだ。
 その後の処分は、この男の話を聞いてから決めるゆえ」

「──御意」

 頭を垂れた騎士団長は、背後の騎士達に命じて、謎の男を運び出してゆく。

 彼らの後ろ姿を見送りながら、バルディーズは静かに微笑み、紺碧の隻眼を冷たく光らせていた。