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Fatal Doll



<12>



「鷲塚──食事が終わったら、本家まで送ってちょうだい。
『誰も中に入れるな』なんて、お前が言うもんだから、若い衆をみんな先に帰しちゃったわ」

 いたってマイペースな芭月の言葉に、さすがの鷲塚も諦めたのか、渋々といった様子で承諾した。

 ばつが悪い思いをしたのは自分も同じなのだが、芭月に言い返さなくなったところを見ると、鷲塚の分が悪くなっているのは明らかだった。

 多分、この後二人きりになったら、鷲塚から皮肉を言われるのは目に見えている。

(……でもさ。ずっと緊張しっぱなしだったから、仕方がないよ)

 呆れ果てている鷲塚の顔を想像し、内心で言い訳を呟いた零は、油断するとまた空腹を訴えそうになる胃袋を気にしながら、思わずため息をついていた。

 その時、ベッドにいる勲に、零は小声で名前を呼ばれた。

「零さん──海琉を頼みます。しっかり、見ていてやってください」

 突然そんな事を言われ、零は戸惑いながら小さくうなずいた。

「あ、はい……でも、私、全然頼りないですけど。いつも叱られてばっかりなので」

 ところが、力無く微笑んだ零の言葉を聞いた勲は、ふっと物憂げな表情になった。

 その瞳には、親として我が子を心配をしているような複雑な色が浮かんでいる。

「それでも多分、あいつには零さんしかいないんだろう」

 独白のように低く呟いた勲は、すぐに穏やかな微笑みを浮かべ、首を傾げている零の腕をぽんぽんと軽く叩いた。

「──さあ、行っておいで。
 せっかく来てくれたんだから、美味しいものを沢山食べてくるといい。
 芭月の言う通り、確かに零さんは痩せすぎだ。
 それじゃ、海琉と喧嘩もできん」

 勲にそう促された零は、何となく不可解なものを感じながら別れの言葉を告げた。



 その後、零と鷲塚は、芭月のペースに巻き込まれるようにして、病院近くにある高級料亭へと連れて行かれた。

 堂々とした門構えの店内に入ると、当然のように三人は個室に案内される。

 最初からその心づもりだったのか、芭月は前もってこの店に予約を入れておいたらしい。

 見た目も美しい豪勢な活魚の舟盛りが登場し、他にも食べきれないほどの料理が目の前に並ぶ。

 その量を見ただけでお腹一杯になりそうだったが、魚料理のコースとは別に、赤ワインのようなグラスがテーブルに置かれた。

 何だろうと思い首を傾げると、「すっぽんの活き血でございます」と説明がある。

 ぎょっとして零が目を瞠ると、芭月がにこにこと笑いながら言った。

「本当はお魚料理だけの予定だったんだけど、零さんにお会いしたら気になってしまって。
 後から電話して、すっぽんを急遽追加してもらったのよ。
 精が付くから、しっかりお食べなさいね」

 芭月にしてみれば好意のつもりなのだろうが、すっぽん料理など食べたこともなかった零は、鮮やかな赤い活き血を前にして狼狽してしまった。

(……お魚の方がいいなあ)

 よくよく見れば、すっぽんの刺身らしき赤い肉も並んでいる。

 確かに空腹ではあるのだが、正直なところ、今食べたいのは淡泊な魚料理の方だった。

 しかし、期待の眼差しを向けてくる芭月の前で、他の料理に箸を伸ばすわけにもゆかず、零は思い切ってグラスを口に運ぶ。

 酒で割られているためか、恐れていた生臭さは感じられなかったが、やはりほんのりと鉄分の味が口の中に広がった。

「お味はいかが、零さん?」

 すっぽんの活き血を一気飲みした零を見て、芭月は嬉しそうに目を細めている。

「……初めてなのでびっくりしました。でも……美味しかったです」

 それ以外に答えようがなく、引きつりそうになる顔をなだめて、辛うじて笑顔を浮かべた零は、助けを求めるように鷲塚の顔をちらりと流し見た。

 平然とした顔で活き血のグラスをあおった鷲塚は、零の視線に気づくと、一瞬笑いを堪えるように頬を歪めた。

 そして「食え」と言うように顎をしゃくり、自分は優先的にすっぽんの刺身を食べ始める。

「海琉! お前がすっぽん食べてどうするの。
 それ以上精力付けなくても、お前は大丈夫でしょう。
 零さんのために用意したんだから、少しは残しておいてあげなさい。」

 そうたしなめる芭月もまた、さも美味そうにすっぽんの血を飲んでいるのだった。

(何だか……負けちゃうなあ)

 一見おしとやかに見えるが、芭月の内面は零よりも遙かに強靱で、喧嘩をしたところで勝ち目は無さそうだった。

 遠慮がちに箸を伸ばし、光に透ける白身魚の刺身を食べてみる。

 ぷりぷりとした歯ごたえのある食感と、繊細な甘さが美味に感じられ、零は続けて甘エビや貝類にも箸を伸ばしていた。

 とはいえ、リラックスして食事を楽しむことなどできなかった。

 当たり障りのない会話が続いた後、「零さん、ご出身は?」、「ご兄弟は?」、「ご両親は鷲塚のことを知っているの?」と、芭月の質問が延々と続く。

 鷲塚が代わって答えようとすると、「私は零さんに聞いているのよ」と厳しい声で叱責し、じっと零の瞳を見つめてくる。

 だんだん尋問されているような気分に陥りながら、零は芭月に答えるたびに、箸を置かなければならなかった。

 次は何を聞かれるのだろうとドキドキしていると、芭月は思いがけないことを訊ねてきた。

「ところで、零さん──あなた、着物は持っているの?」

「着物……ですか?」

 きょとんとして首を傾げると、寛大な微笑みを浮かべた芭月が、零にも判りやすいように説明を始めた。

「冠婚葬祭、つまり祝い事やお葬式がある時には、本家に集まる女は全員和服を着なければならないの。
 持っていないのなら、急いで作らなきゃいけないわね。
 まずは黒留と喪服──袷(あわせ)と単衣(ひとえ)、それに夏用の絽(ろ)を……」

 すると、それを聞いた鷲塚が、箸を止めて言った。

「必要ありません。俺は、零を表に出すつもりはない」

「バカなことを言わないでちょうだい。
 それでは、他の者たちに示しがつかないでしょう。
 薫との婚約話を二人だけで決めて、あげくには勝手に破談にして──。
 今度は、カタギのお嬢さんに手をつけて、披露目もせずに囲っておこうだなんて、身勝手にもほどがありますよ、鷲塚。
 少しは自分の立場というものを考えなさい」

 芭月は厳しい表情で鷲塚を睨み付けると、鋭い眼差しを零にも向けてきた。

「零さん──鷲塚から何を聞かされているのか知りませんが、我が家には我が家の流儀というものがあります。
 鷲塚と一緒になりたいのなら、それを覚悟してもらわなければなりません」

 ただならぬ芭月の迫力に思わず居住まいを正しながら、零は困惑の眼差しを鷲塚に送った。

 芭月はまだ、零の身体的な秘密──両性具有者であることを知らないから、「お嬢さん」と呼んだのだろうが、いつ告白すれば良いのか判らない。

 ずっと秘密にはしておけないことは判っていたが、それを聞いた時、芭月がどんな反応を見せるのか……考えるだけでも怖かった。

 一方、鷲塚は表情を変えず、冷淡な声で芭月に告げた。

「零は俺だけのものです。
 組織の義理やしがらみに巻き込むつもりはない。
 こいつが俺のものだと、知る者だけが知っていればいい」

「お前が巻き込みたくないと考えていても、すでに巻き込まれているでしょう。
 薫からだいたいの事情は聞いています。
 また同じような事が起こらないと、お前は断言できるの?
 それに──」

 鷲塚に負けず劣らず、氷のような冷ややかさを宿した声でそう告げた芭月は、すっと両目を細めて厳しい言葉を継いだ。

「当のお前が、いつ何時死ぬか判らない。
 その時、零さんを守れるのは、お前ではありません」

 芭月の言葉に、打ち据えられたような衝撃を感じ、零ははっと息を飲んで双眸を瞠った。

 ところが鷲塚は、嘲笑うように唇をつり上げ、憐れみの眼差しを芭月に注いだ。 

「そんな事態になれば、余計に喪服は必要無いでしょう。
 俺が死ぬ時は、零も一緒に連れて逝く。
 一蓮托生です──零を一人置いて死ぬわけにはいかない」

 ぞっとするような凄みのある微笑をたたえた鷲塚を、芭月はぎょっとしたように見返し、訝しげに双眸を眇めた。

「……お前、本気で言ってるの? そんなこと、できるわけがないでしょう」

「できますよ──俺が最期に奪うのは、零の命です。
 それができないなら、信用できる誰かに命じておく。
 いずれにせよ、零が俺の葬式に出ることなど、起こりようがない」

 冷静に考えれば恐ろしい事なのだろうが、鷲塚の言葉は甘美な睦言のように響き、零は胸が締め付けられるような切なさを感じた。

 二人で寄り添い合う心地良さを知った今となっては、鷲塚を失い、一人きりで生きることなど考えたくもないのだ。

 じんわりと瞳に滲んだ涙を見られないように、零がうつむいていると、芭月が重々しい嘆息をもらした。

「まったく……お前は、どうして……。
 けれど、お前がそこまで言うなら、やはり礼装は絶対に仕立ててもらいます。
 こういうのは、準備しておくことこそが肝心なんです。
 必要になった時、あり合わせを着せるわけにはいきませんからね。
 零さんは背が高いから、私や薫の着物じゃ合わないだろうし……」

 嘆かわしいと言いたげに首を横に振った芭月は、気性の激しさを滲ませる瞳で、鷲塚をきつく睨み付けた。

「面倒な事はさっさと済ませてしまいなさい、鷲塚。
 明日、本家に呉服屋を呼んでありますから、零さんの採寸をしてしまいます。
 仕立てに時間がかかるから、紋付きだけでも作っておかないと」

 早口でまくし立てるようにそう言った芭月は、急に零を見つめてにっこりと微笑んだ。

「──判りましたね、零さん?」

「……は、はい!」

 言葉を投げかけられ、とっさに返事をしてしまった零は、すぐに芭月の計略に引っかかったと悟り、思わず顔を引きつらせてしまった。

 将を射んと欲すればまず馬を射よ──鷲塚を言いくるめるべく、芭月はそれを効果的に使ってくる。

 嘆息をもらした鷲塚から漂ってくる不穏な気配におののき、座布団の上で零がもぞもぞしていると、口調を改めた芭月が厳かに告げた。

「それから──零さんには、この機会に、響子に会ってもらいます」