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Fatal Doll



<15>



 日が暮れて、高層ビルに遮られた都会の空が群青色に染まる頃、新堂は一人ふらりと喫茶店「カッツェ」を訪れた。

 いつもは護衛を任された零と共に行動することが多く、この時間帯であれば、ちょうど夕食の支度を手伝っている頃だった。

 ところが暇を出された今日は、一日中手持ち無沙汰で、何をやっても身が入らない。

 いるべき場所を失ったような寂しさが胸裡を過ぎり、その度にため息をもらしていたものだから、最後には高宮に鬱陶しがられる始末だった。

 これから賑やかになる歓楽街をふらつけば、寂しさを紛らわせてくれる女をいくらでも見つけられるだろう。

 浴びるほど酒をあおって、女を抱けば、あっという間に明日が来る──。

 そう思いつつも、何となくそんな気分になれず、新堂の足は自然と「カッツェ」に向かっていたのだった。

 木製のドアを開けると、「いらっしゃいませ」と翔太の明るい声が響く。

 ところが新堂の不機嫌そうな顔つきを見た途端、翔太は困惑したような表情を浮かべ、わずかに首を傾げた。

「……お一人ですか?」

「──一人じゃ悪いかよ」

 カタギに、それも翔太のような若造に因縁をつけたところで仕方ないと思いつつ、その聞き方が妙に神経に障り、新堂はぎろりと睨み付けていた。

「あ、いえ……そういうわけじゃ……。
 よければ、カウンターへどうぞ。マスターも手、空いてますから」

 慌てたように愛想笑いを浮かべた翔太は、仏頂面の新堂をカウンター席へと案内する。

 ちょうど厨房から出てきたマスターの丹波が、大らかに笑いながら話しかけてきた。

「こんばんは、新堂さん。
 今朝、零ちゃんも来てくれたんですよ──珍しく、鷲塚さんと一緒に……」

 その名前を聞いた途端、鬱屈とした気分が一瞬で吹っ飛び、新堂はカウンターテーブルの上に身を乗り出していた。

「……わ…わ……鷲塚サンと、零さんが?
 な、何でまた、あの二人が、ここに?」

 薄々事情に感づいている丹波が相手ではあったが、他の客もちらほら入っている場所で「若頭」とは呼べず、妙な緊張感を味わいながら新堂はそう聞き返していた。

「お見舞いに持っていく手土産を買いに来てくれて。
 零ちゃんはともかく、鷲塚さんは目立ってましたよ。
 他のお客さんたちがびっくりしちゃってて、二人がいなくなった後で、常連さんからあれこれ聞かれちゃいました」

「……マジですか?」

 驚きのあまり呆然としていた新堂は、無意識に「オリジナルブレンド」を注文した後、脱力してスツールに座り込んでいた。

 こんな所に鷲塚を引っ張り出せるとは、さすがは零だと言うべきか──。

 日頃の鷲塚を知っている身からするとあり得ない事なのだが、どうやら零の「お願い、海琉」に負けてしまったということなのだろう。

 思わず乾いた笑い声を立てた新堂に、コーヒーを運んできた翔太が呟くように言った。

「……俺、新堂さんが、零さんの彼氏なんだと思ってました。
 でも、あの鷲塚さんの方が、ホントの恋人だったんですね」

 翔太に悪気は無いのだろうが、非常にムカつく言葉だった。

「彼氏じゃなくて、悪かったな」

 半ば自棄になりながら、新堂が鼻を鳴らすと、自分の失言に気づいた翔太は、焦ったように言い訳をした。

「す、すみません──零さんと新堂さん、凄く仲良さそうだったから、つい。
 でも、あの鷲塚って人見たら、俺なんか敵わないなあって思って」

「バーカ。比べるだけ無駄だろ。
 俺だって、あの人には敵わねーよ。
 っていうか、何か? お前、俺になら勝てるとでも言いたいのか?」

 完全にひねくれた気分に陥っていた新堂は、怯えたように後退る翔太の腕を強引につかみ、下から睨み上げていた。

「ち、違いますよ……そうじゃなくて──初めてだったから、あの人見るの……」

 慌てふためいていた翔太は、ふと真顔になり、何かを思い出すような遠い目をした。

 その表情に不審なものを感じ、訝しげに眉をつり上げながら、新堂は「あの人?」と聞き返していた。

 すると我に返った翔太は、曖昧な微笑みを浮かべ、困惑したように首を傾げた。

「きっとあの人は、俺みたいにウジウジ悩んだりすること無いんだろうなって感じたんです。
 何となく、俺とは全然違うなあって……そう思っちゃって」

 その答えに釈然としないものを感じつつ、新堂は翔太の腕を放してやると、同意するようにうなずいた。

「百年経ったって、お前が敵う相手じゃねえよ。
 そもそも、住む世界が違いすぎる」

 カウンターに頬杖をつき、新堂が長々としたため息をつくと、翔太は「ですよね」と呟いて微笑んだ。

 少し寂しげな翔太の笑顔に、新堂は憎めないものを感じた。

 どことなく無理をして明るく振る舞っているようにも見え、新堂はコーヒーを飲みながら、内心でその違和感に首を傾げる。

 ところがそう思ったのも束の間、翔太が急に突っ込んだ質問を投げかけてきた。

「──じゃあ、新堂さんと鷲塚さんは、どういう関係なんですか?」

 思わずコーヒーを吹き出しそうになった新堂は、きょとんとした顔で立っている翔太を睨み付けた。

「……じょ、上司だよ、上司! これ以上、余計な事聞くな!」

「すみません──つい」

「『つい』が多いんだよ、お前は!」

 咳き込みながら、新堂が苛立たしげに言い返した時、携帯電話の着メロが鳴り始めた。

「噂をすれば影が差す」とはよく言ったもので、判りやすく「ゴッドファーザー 愛のテーマ」をセレクトした相手は、丁度話題に上っていた鷲塚である。

 一瞬にして全身に緊張が走り、背筋を伸ばしていた新堂は、最後に咳払いをしてから着信ボタンを押した。

「──新堂です」

 声や口調、さらには顔つきまで変わった新堂を、傍に立っていた翔太が驚いたように見つめている。

 片手を振って翔太を追い払った新堂は、鷲塚の指示をいつものように復唱していた。

「判りました。明日の朝までに、零さんの荷物を本家に届けます」

 電話が切れた途端、緊張から解き放たれ、新堂はカウンターの上に突っ伏していた。

「……マジかよ」

「零さんに何かあったんですか?」

 どうやら新堂に対して奇妙な親しみを感じ始めたらしい翔太が、心配そうな顔つきで問いかけてくる。

 懐かれたことに若干の戸惑いを感じつつ、新堂はため息をついて首を横に振った。

「こっちの話。お前は関係無い。
 ──ていうか、お前、もしかして、零さんに気があるんじゃねえの?」

 不意に思い至り、新堂が指を突きつけて追及すると、途端に翔太は顔を真っ赤にして、勢いよく頭を左右に振った。

「そ、そんな事……な、ないですよ!
 そりゃあ、零さんは……優しいし、可愛いけど……。
 でも、俺なんか、全然相手にされないだろうし……」

「やれやれ──完全に図星だな」

 呆れ果ててため息をついた新堂は、説教をするように指を振り回した。

「いいか、翔太。まともな人生送りたかったら、零さんには絶対、手ぇ出すんじゃねえぞ。
 あの人は、わ……わ、鷲塚サン──つまり、俺の上司の彼女だ。
 何かしようものなら、どえらい目に遭わされる。
 悪い事は言わないから、零さんの事は忘れろ。
 お前のその面なら、他の可愛い女の子たちを山ほどつり上げられるだろ?」

 ところが翔太は、納得いかないという顔つきになり、ちらりと新堂に視線を送った。

「それは判るけど……新堂さんだって、零さんのこと好きでしょう?」

 ぐさりと胸に突き刺さる言葉を返され、新堂は一瞬、言葉に詰まった。

「──お、俺の事はいいんだよ!
 だいたい、お前、俺に懐いてないで、仕事しろ、仕事!」

 思わずわめいた新堂が、「しっし!」と片手を振って追い払おうとすると、翔太はにやっと笑い、新たにやってきた客を応対するために離れていった。

「あんなに楽しそうな翔太の顔、初めて見ましたよ」

 その後、様子を見ていたらしい丹波が、にこにこ笑いながら声をかけてくる。

 新堂はむすっとしながらカウンターに両肘を突くと、鷲塚からかかってきた電話の内容を思い出し、盛大な嘆息をもらしていた。

「……本家かぁ。何か、厄介な事になったな」




 鎌倉にある荒神家の屋敷──荒神会の中で「本家」と呼ばれているその場所は、相変わらず迷子になりそうなほど広かった。

 来客用に使われるという奥の風呂場は、長い長い廊下の突き当たりにあり、人の気配も無く、しんと静まりかえっている。

 旅館を思わせる総檜造りの湯舟から上がった零は、湯気の立つ裸体に借り物の浴衣をまとい、足音を忍ばせて浴場から出た。

 零と鷲塚の寝室として通されたのは、母屋から離れた別棟だったが、渡り廊下を通って行き来することができる。

 ヤクザという特殊な環境に慣れていない零のために、芭月が特別に配慮してくれたのだが、離れに鷲塚と二人きりだと思うと、気恥ずかしさも感じた。

 廊下のガラス戸越しに見える日本庭園も、わざわざ人払いをしてあるのか、どこにも人影は見当たらない。

 少し立ち止まって見事な庭を眺めていた零は、ほっとため息をつき、鷲塚が待つ別棟の和室へと向かった。

 障子を開けて中に入ると、やはり寝間着用の浴衣に着替えていた鷲塚が、読み損なった朝刊に目を通していた。

 後から鷲塚に聞いた話だが、どうやら荒神家では、芭月の教育方針ということもあって、日常的に着物や浴衣を身につけさせられていたらしい。

 幼い頃から着慣れているためか、借り物の浴衣をまとう零より、遙かに手足の長い鷲塚の方が堂々としていて見栄えがした。