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Fatal Doll



<22>



「それより、お前、ここにいていいのか?
 おふくろさん、お前が戻ってくるの、待ってるんじゃないのか?」

 ぶっきらぼうな声で新堂が言うと、翔太は「そうだった」と呟き、首をひねって病棟を振り仰いだ。

「もっと話したいけど、ちょっと買い出しに来ただけだから……。
 零さん──今日はすぐに帰っちゃうの?」

 そう訊ねた翔太は、すがりつくような眼差しで零を見つめた。

 彼の大きなアーモンド型の双眸が、助けを求めて訴えかけているようにも見える。

 零は戸惑って首を傾げ、厳めしい表情で両腕を組んでいる新堂を見上げた。

「別に、それほど急いでるわけじゃないけど……」

 眉間に皺を刻んでいた新堂は、零の顔を見て諦めたように溜息をつき、ほっとした顔になった翔太に問いかけた。

「どうせ方向は同じだろ。お前も乗せて帰ってやろうか?」

 それを聞いた翔太は、一瞬呆然とした顔で新堂を見返し、泣き笑いのような頼りない表情を浮かべて首を横に振った。

「すごく嬉しいんだけど……迎えは後から来るから大丈夫なんだ。
 でも、ありがとう、新堂さん」

 はにかんだ翔太を見下ろした新堂は、急にきまりが悪くなったのか、ふんと鼻を鳴らし、素っ気ない態度で顎を反らした。

「──ついでだよ、ついで。
 こんな辺鄙なとこ、タクシーも流れて無さそうだからな。
 迎えが来るなら、早くそう言え」

 当惑したように瞳を揺らした翔太は、すぐに気を取り直したのか、駐車場の方向を指差しながら話し始めた。

「駐車場の近くに、すごく景色が良い場所があるんだ。
 そこからだと、夕陽が海に沈む光景を見られてね。
 ずっと誰かに教えたいって思ってたんだけど、一緒に行ける人もいないからさ。
 本当は、母さんを連れて行ってあげたかったんだけど……」

 悲痛な思いを押し殺し、涙を怺えるように瞬きを繰り返している翔太を見ているうちに、零の心は苦しいほどの同情で満たされた。

 無理をして明るく振る舞っているが、死期の近い母親にこうして会いに来るたびに、翔太は一人で悲しみに耐えていたのだろう。

 その姿はひどく痛々しく、やるせない。

(……もし、お母さんが同じような事になったら、私はきっと、翔太君ほど冷静ではいられないだろうな)

 血は繋がっていないが、誰よりも慈しんでくれた美弥子の事を思い出し、零は気づかれないように溜息を漏らした。

「──だから、もし時間に余裕があったら、ちょっと寄って行ってくれないかなと思って。
 帰り際に声を掛けてくれたら、ちょうど見送りにも行けるし……」

「そのくらいだったら、大丈夫だよ──ねえ、新堂さん?」

 翔太の頼みを聞き入れ、即座にうなずいた零は、同意を求めるように新堂を見上げた。

 新堂はちらりと零を見下ろすと、「やれやれ」と言いたげな表情で天を仰ぎ、緊張した面持ちの翔太に念を押すように告げた。

「本当にちょっとだけだぞ。お前と遠足に行ってる暇はないんだからな」

 その途端、翔太の顔はぱっと明るくなり、嬉しそうに「ありがとう」と言って微笑んだ。

「……まだ若いのに、あいつも結構苦労してますね」

 急ぎ足で病棟に戻ってゆく翔太の背中を見送り、新堂がぽつりと呟いた。

「ええ、本当に──私の両親は元気にしてるけど、こういう時は少し考えちゃいますね。
 新堂さんのご両親は、まだご健在ですか?」

「うちも元気ですよ。
 親不孝者なんで、怒鳴られてばっかですが、心配はしてくれてるみたいですし。
 迷惑かけてますから、いつかは親孝行したいと思いますけど……無理かもなあ」

 自嘲的に苦笑いをした新堂に微笑みかけた零は、ふっと溜息をついて地面を見つめた。

「響子さんに会ってから……私、ちょっと変になってるんです。
 海琉の事や自分の事が、頭の中からずっと離れなくて、私を捨てた本当の両親の事まで考えてしまいます。
 憎まれていたらどうしようって──会った事もないのに、おかしいですよね。
 だからなのか、響子さんと海琉が少しでも仲良くなれればって思うんですけど、それは私の願望でしかなくて……」

 口を噤んだ零は、海風に吹かれて乱れた前髪を無意識に掻き上げた。

 黙って耳を傾けていた新堂は、物憂げな顔つきで病棟を見上げると、零の背中を軽く押すようにして中に入るよう促した。

「零さん──ここには、あまり長く留まらない方が良いような気がしますよ。
 この俺でさえ、何となく陰気になってきますから。
 それに、若頭はもう、響子さんの事は諦めているんじゃないですか?」

 新堂の言葉に零は小さくうなずいて見せると、鷲塚の冷徹な表情を思い出しながら、五階に通じるエレベーターへと歩き始めた。



 零と共に505号室の中に入った新堂は、響子の前に姿を見せることは遠慮し、壁際に隠れるようにして控えた。

 足音を忍ばせながら、零がベッドの傍に近づくと、その気配を感じたのか、響子はすぐに瞼を開けた。

「──琉花ちゃん。来てくれて嬉しいわ」

 掠れた声で囁いた響子は、意識して微笑みを浮かべた零の顔を見つめ、枯れ木のように痩せた手を差し出してきた。

 冷たいその手をそっと包み込むと、響子の顔に安堵したような微笑が広がった。

「不思議ね──ずっと……怖い夢を見ていたの。
 でも、琉花ちゃんの顔を見たら、嫌な気分がすっかり消えてしまったわ」

 喉に絡まる聞き取りにくい声ではあったが、そう言って微笑む響子の顔色は、昨日よりも少し良くなっているように見える。

「怖い夢を……ずっと?」

 躊躇いがちに零が聞き返すと、響子は弱々しくうなずき、苦しげな溜息を吐き出した。

「誰かに……追いかけられているの……どこまでも、どこまでも……。
 捕まったらいけないと判っているのに……いつも最後は倒れて、捕まってしまうの。
 目の前が真っ赤に染まって……それで目が覚めるのよ」

 その言葉に驚愕した零は、息を詰めて響子の顔を見下ろした。

 幸福な幻想世界を創り上げ、どれほど現実を拒否していたとしても、眠りながら見る夢の中では、恐ろしい記憶に容赦無く苛まれているのではないだろうか。

 響子に自覚が無いだけで、その時の記憶が繰り返し蘇り、夜毎悪夢となって現れる。

 それはどれほど苦しく、辛い事なのだろう──。

 何と慰めてよいのか判らず、零が痛みを怺えるように顔を歪めた途端、響子が不安そうな表情を浮かべた。

 慌てて笑顔を形作ると、響子もまたほっとしたように微笑み、零の手を握り返すように指先に力を込めた。

「それよりね……今日は、琉花ちゃんにお願いがあるの。
 あそこのドレス……着てみてくれない?」

 頭を動かして響子が向けた視線の先には、色あせたウェディングドレスが飾られている。

「……あのウェディングドレス?」

 驚愕して零が首を傾げると、響子は小さくうなずいて見せ、ほっと溜息をついた。

「ママが……パパと結婚した時にね……あれを着たのよ。
 娘ができたら、着せてあげようと思って……ずっと取っておいたの。
 だけど、琉花ちゃんの花嫁姿は……もう、見られないかもしれないわ。
 だから……せめて、今だけでも──」

 目頭が急に熱くなり、涙をこぼしそうになった零は、奥歯をきつく噛みしめて我慢をした。

 ここで泣いてしまったら、響子が動揺してしまうだろう。

 今日は、会うことができない鷲塚の代わりに、響子を少しでも喜ばせてあげたいと思って来ているのだ。

 だから、泣いてはいけない──零は自分にそう言い聞かせ、涙を怺えた。

 感情の波が少しおさまったところで、零は椅子から立ち上がると、ハンガーに掛けられていたウェディングドレスを手に取った。

「一応試してみるけど……似合わないかもしれないよ」

 できるだけ明るい顔と声で微笑みかけると、それを聞いた響子はくすりと笑い、小さく頭をを振った。

「そんな事はないわ……きっと綺麗よ。
 パパにも見てもらいたいわね。
 早く出張から戻って来られればいいのに──あの人も……忙しい人だから……」

 そう呟いた響子の眼差しが、突然虚ろなものへと変わり、零は弾かれたようにベッドに身を屈めた。

「──マ、ママ……大丈夫? 苦しいの?」

 慌ててそう呼びかけると、響子の朦朧とした瞳が零を見つめ、ふっと意思を取り戻した。

「大丈夫よ……薬のせいかしらね──ちょっと眩暈がしただけ……」

 青ざめた顔で微笑んだ響子を見つめ、ほっと安堵の溜息をついた零は、躊躇を振り切るように長いドレスを抱え上げた。

「すぐに着替えてくるから、待っててね」

 自分がどう感じるかより、今は響子の望みを叶える方が優先だと思い、零は着替えをするため、病室に付属しているバスルームのドアを開けた。

 途中、息をひそめて隠れていた新堂と目が合うと、彼は驚いたように、何事だと視線で問いかけてくる。

 無言で頭を振り、問題無いことを伝えた零は、バスルームの中で服を脱ぎながら、複雑な思いを噛みしめた。

(海琉は『皮肉だ』って言ってたけど……)

 ならば、これも運命の皮肉なのだろうか。

 この身にまとうことが許されない婚礼衣装を、響子のために着ることになるとは──。

 ドレスのファスナーを下ろし、床に大きく広がったロングトレーンの間に足を踏み入れた零は、レースが重なった袖を肩まで引き上げた。

 背中に腕を回し、四苦八苦しながらファスナーを上げると、ウエストも問題無く収まる。

 腰を膨らませるパニエは無いが、胸元と腰回りに施された控えめなフリルのおかげで、何とかドレスとしての格好はついた。

 だが、それでもやはり胸元は余ってしまい、指先で布地を引っ張った零は、思わず溜息をついていた。

 若い頃の響子は、薫と同じように立派なバストの持ち主だったのだろう。

「──ペラペラだしなぁ……どうしよう」

 きょろきょろとバスルームの中を見回した零は、使っていないフェイスタオルを折り畳み、胸元の空いたスペースに差し込んでおくことにした。