Rosariel.com
Fatal Doll



<23>



 ウェディングドレスの長い裾を両手で持ち上げ、爪先に引っかけないよう注意しながら、零はそろそろとバスルームを出た。

 驚いている新堂と目が合うと、誇張された胸元が急に恥ずかしくなり、頬が熱くなるのを感じた。

 普段から一緒にいる新堂なら、すぐに違いに気づいてしまうだろう。

 ところが、そんな姿を見せたくないと焦った途端、トレーンの一部がバスルームのドアの角に引っかかってしまった。

 無理に引っ張れば破れてしまうかもしれない──。

 足を止めて慌てて振り返ると、身を屈めた新堂がそっと手を伸ばし、ドレスの裾をドアの外へ運び出してくれた。

「……す、すみません」

 響子に気づかれないよう小声で謝ると、床にしゃがみ込んで身を隠していた新堂は、「いえ……」と微かに呟き、ちらりと零を見上げた。

「──綺麗ですよ、零さん」

 秘かに囁きかけるような声だったが、新堂の眼差しは、零が戸惑いを感じるほど真摯なものだった。

 顔を赤らめてうつむき、零は小声で訴えた。

「……海琉には、内緒にしておいてください」

 胸の中には、気恥ずかしさよりも強い罪悪感が漂っている。

 恐らく鷲塚は、零がこれ以上響子に深入りすることを望んではいない。

 芭月があれほど強く言わなければ、零と響子と対面させることすらしなかっただろう。

 それが判っているからこそ、自分がしている事が正しいと言い切れず、こうして罪の意識に苛まれてしまうのだ。

 すると新堂は、逡巡するように首を傾げ、ややあってから小さくうなずいて見せた。

「判りました──黙っておきます」

 彼なりに思うところがあったのか、新堂は小さな囁き声でそう約束し、目線を使って響子の方へと促した。

 不安げな表情を浮かべていた零は、ほっとして新堂に微笑むと、ドレスの衣擦れを響かせながらベッドに近づいた。

 眠ってしまったのか、響子は目を閉じている。

 痩せ衰えて落ちくぼんだ眼窩や、血の気の無い青ざめた顔だけを見ていると、死んでしまったのではないかと疑うほど生気が無い。

 呼吸のために浅く上下する胸元を見て、思わず安堵の溜息をもらした零は、力無く投げ出されている響子の手に触れた。

「……ママ、大丈夫? ドレス、着てみたよ」

 今は「琉花」になりきろうと自分に言い聞かせ、零がそう話しかけると、響子はゆっくりと瞼を開いた。

 朦朧とした瞳が零の顔を認めると、ドレス姿を眺めるように目線が動く。

「……綺麗ね……でも……もっと、ちゃんと見なくちゃ……。
 琉花ちゃん──ママの身体、少し、起こしてくれる?
 その辺りに……コントローラーが…あるから……」

 ほとんど掠れた響子の声を、顔を近づけてどうにか聞き取った零は、ベッドの背もたれを上げるコントローラーを探した。

「──あった。少しだけ上げるから、苦しくなったら、すぐに言ってね」

 そのまま調節ボタンを押せば良いだけのことだったが、緊張と不安で指先が震えてしまい、零は今にも息絶えてしまいそうな響子を見つめた。

 響子が微かにうなずくと、零は指先に力を入れ、コントローラーのボタンを押した。

 電動音と共にベッドが動き始め、ゆっくりと響子の上半身が持ち上がる。

 無理のない体勢でリクライニングを止めると、響子は満足したように、傍らに立っている零をじっと見つめた。

「……やっぱり、綺麗だわ──よく似合ってる」

「……ママの方が……ずっと綺麗だよ」

 優しく微笑んだ響子の顔を見ているうちに、またじわりと涙が滲んでしまい、零はサイドテーブルに置かれたフォトフレームに視線を移した。

 同じウェディングドレスをまとって、幸せそうに笑っている響子は、本当に美しく光り輝いて見える。

 長い睫毛に縁取られた涼やかな目元は、やはり鷲塚にそっくりで、零は溢れ出しそうな涙を怺えなければならなくなった。

(──海琉は……こんな風には笑わないけど……)

 確かに似ているとは言え、その瞳に宿る色の何と異なることか──。

 無機質な鋼色の双眸は、豊かな感情を映し出す響子の瞳とは違い、常に冥く凍てついている。

 鷲塚の眼差しを思い出した途端、鼻の奥がつんとなり、零は震える唇を噛んだ。

 その時、響子が小さな声で呟いた。

「……カメラ……無かったかしらね。
 せっかくだから……写真、撮っておきたいわ」

 はっと我に返った零は、周囲を見渡しながら、慌てて涙を振り払った。

「──写真だったら……私の携帯で……。
 ママのカメラ、どこにあるのか、ちょっと判らないから……」

 脱いだ服と一緒に置いてある携帯電話を取りに、バスルームへと引き返した零は、ふと、誰に撮影を頼もうかと考えた。

「どうかしましたか?」

 再びバスルームに入っていった零に、新堂が声をひそめて訊ねてくる。

「──写真……撮って欲しいって……」

 傍に近づいてそう囁くと、壁の陰に身を隠していた新堂は考え込み、すぐに言葉を返してきた。

「俺は出ていけませんから、ナース呼んできます。
 頼んできますから、ちょっと待っていてください」

 自分は黒子に徹するつもりなのか、新堂はそう囁いて、病室から足早に出て行った。

 携帯電話を持ってベッドの傍に戻った零は、瞼を閉ざしている響子を力づけるように、そっと手を重ねた。

「看護師さん呼んでくるから、もう少し待ってね。
 そうしたら、写真撮ってもらうから……」

 すると響子は、零の姿を探し求めるように頭を揺らし、細い溜息をついた。

「……あなたは……本当に、優しい子ね……」

 淡い微笑みを唇にたたえた響子は、首を傾げた零を見つめると、細い腕を震わせながら手を差し伸べ、指先で頬に触れた。

「……幸せになってね……琉花ちゃん──ママの分まで……。
 あなたの事を……ずっと……見守っているから……」

 その瞬間、零の眦から涙が流れ落ち、響子の指先を濡らした。

(本当は……海琉に伝えてほしいのに……)

 最期の祈りを与えられるべきは、鷲塚であるにも関わらず、響子の言葉が零の胸の内に波紋を起こす。

 いつか本当の両親に会えたなら、かけて欲しいと願っていた言葉──。

 その言葉を、思いがけず響子の口から聞くことになり、涙が止まらなくなった。

「──そんな風に、言わないで……悲しくなるから」

 声を詰まらせながら呟くと、響子はくすりと微笑み、零の頬を伝い落ちる涙を指先ですくい上げた。

「琉花ちゃんは……泣き虫ね。
 でも、泣かないで──あなたは…笑っている方が……ずっと可愛いわ」

 その言葉を聞き、零がすすり泣きながら微笑んで見せると、響子は瞳を和ませ、ゆっくりと瞬きをした。

 その後、新堂からどんな言葉をかけられたのか、にこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべた若い看護師が病室に入ってきた。

「──写真でしたね。お撮りしますよ」

 奇妙なほど浮かれている看護師に戸惑いつつも、零は携帯電話を手渡した。

「すみません……私の携帯なんですけど……」

「大丈夫ですよ。あ、設定は変えなくていいですか?
 何だったら、プリントアウトしてきますよ……少しだったら、ですけど」

「ありがとうございます。じゃあ、1枚だけ、お願いしてもいいですか?」

 愛想の良い看護師に頭を下げた零は、響子の傍に椅子を引き寄せ、座ろうとした。

 ところが響子は頭を振り、窓辺の方を指差した。

「私は……いいわ──琉花ちゃん、一人で……」

 零が当惑していると、響子はもう一度首を横に振り、「だって、お化けみたいになってるでしょう?」と微笑みながら囁いた。

 病に冒され、変わり果ててしまった姿を、響子は残しておきたくないのかもしれない。

 零はそう悟ると、海が広がっている窓を背にして立った。

「美人なお嬢さんですねえ、響子さん──じゃあ、撮りますよ」

 朗らかな声でそう告げた看護師が、シャッターを切る。

 できるだけ明るい笑顔を作った零は、また目を閉じてしまった響子に気づき、不安がせり上がってくるのを感じた。

 響子の容態は、急激に悪化しているのではないだろうか──。

 写真をプリントアウトをするため、携帯電話を持って出ていこうとした看護師を、零は後から追いかけた。

「あの……響子さんの様子が少し気になるんですけど……」

 すると看護師は、響子の娘だと思っていた零の言葉に面食らったのか、何度も瞬きをした。

「えっと……じゃあ、後で先生に伝えておきますね」

「お願いします」

 深く頭を下げた零にうなずいて見せた看護師は、ドアの傍に立っていた新堂の方を振り返った途端、恥ずかしそうにぽっと頬を赤らめたのだった。