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Fatal Doll



<24>



 医師が響子の診察を行う間、病室の外に控えていた新堂のもとに、先ほど看護師が周囲を気にしながら近づいてきた。

「──あの、これを……」

 彼女が差し出したのは、零が普段使っている携帯電話と、一葉の写真。

「ありがとう──お陰で助かったよ」

 上目遣いに見上げてくる彼女の瞳を見つめたまま、新堂は物憂げに微笑み、感謝の言葉を告げた。

 携帯電話と写真を受け取る時、新堂がさりげなく彼女の手に触れると、案の定、看護師は顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

「アドレス教えるから、暇が会ったらメールして。
 今度、飯でも奢るよ」

 差し障りの無い営業用の名刺に、携帯のメールアドレスを書き加えた新堂は、驚愕している看護師の手にそれを押しつけた。

「……い、いいですよ、そんなの。大した事じゃないし──」

 遠慮する言葉とは裏腹に、彼女の声は歓喜の音色を帯びていて、名刺を突き返してくる様子もない。

 名残惜しむように振り返りながら、看護師が仕事場へと戻っていくと、新堂の心の中から彼女への誠意が一瞬にして消失した。

 炭酸の泡沫のように刹那的な感情は、疑似恋愛を繰り広げるホストクラブに勤めていた頃は、細胞の隅々まで行き渡る馴染みのものだった。

 当時は、たとえ一瞬であれ、相手には真実の気持ちを向けているという強烈な自負があったが、今は粋がっていたとしか思えず、虚しいとさえ感じる。

 初めてそう思うきっかけとなったのは、偶然目にした鷲塚の姿──。

 その瞬間、頭を殴られたような衝撃を感じた。

 それまで築き上げてきたナンバー1ホストとしてのプライドが、一瞬にして崩れ落ちた。

 鷲塚の姿を見た途端、周囲にいた男たちは屈服し、女たちは魂を抜かれる。

 その様が手に取るように判り、新堂は己の敗北を認め、そして羨望を抱いた。

 甘言を弄し、あの手この手で女を口説いていた新堂に対し、鷲塚は無言であるにも関わらず、本能的に女を魅了し、虜にする。

 恵まれた容姿以上に、鷲塚の身を包んでいるセクシャルで危ういオーラに、女たちは陶酔し、吸い寄せられてゆくだろう。

 そんな事を考え、ふと手元の写真に視線を落とした新堂は、思わず苦笑を浮かべた。

(──零さん、泣いちゃってるなあ)

 せっかくのウェディングドレス姿だが、泣いていた事が明らかな悲しげな微笑が、ひどくアンバランスに写っていた。

 そのせいか、壊れそうなほど儚い雰囲気が漂っているが、写真を眺めているうちに、新堂はふと不思議に思った。

 恐ろしいほど影響力の強い鷲塚の傍にいながら、どうして零は変わらずにいられるのか──。

 鷲塚が、強引過ぎるほど強引な手を使って囲い込み、今もなお深い執着を見せているにも関わらず、零自身は精神的な影響を受けた風もなく、ふんわりと微笑んでいる。

(まあ……零さんのそういう所に、若頭も惹かれているんだろうけど。
 何というか、こう……癒される感じ?)

 理屈では割り切れないものを感じるが、感性や感情の部分ではすっかり納得している自分自身に気づき、自問自答していた新堂は一人ほくそ笑んだ。

 そして、手首に残った焼き印に目を留める。

(その零さんが……若頭のアキレス腱か……)

 鷲塚の手で無惨な根性焼きを入れられた後、高宮にそう告げられた。

 零を守ることは、零という弱点を背負った鷲塚をも守る事だと──。

(零さんを……身体張って守んなきゃなあ)

 それが結果的に組織のためであると悟り、新堂はこれまで以上の覚悟を決めた。

 と、その時、隣の病室のドアが背後で開き、翔太がひょっこりと顔を出した。

「──新堂さん、今、誰かをナンパしてたでしょう?」

「……はあ? ナンパ? 何言ってんだ、お前?」

 すぐに表情を引き締めたが、翔太は疑わしげな目つきで新堂を見上げ、ぴっと人差し指を突きつけてきた。

「女の人と喋ってる声が聞こえたから、ドアの傍で聞き耳立ててたんですよ。
 それに……鼻の下、ちょっと伸びてますよ」

 そう指摘され、不覚にもドキリとしてしまった新堂は、後ろ手にドアを閉めて出てきた翔太を睨み下ろした。

「盗み聞きすんな。大人の事情だ──ガキは黙ってろ」

 ところが翔太は、ひょいと首を伸ばして、新堂が持っている写真をのぞき込んだ。

「何だ……零さんの写真見て、にやけてたんだ。
 もしかして、秘蔵写真? 意外に、むっつりスケベだったり?」

 面白がるようににやにやしている翔太の目から、新堂は素早く写真を隠した。

「見るな、バカ。誰がむっつりスケベだ。
 ふざけた事ばっか言ってると、殴るぞ、お前」

 眉をつり上げて新堂が威嚇すると、翔太はくすくすと笑いながら、軽く肩をすくめた。

「新堂さんなら、殴られたって平気だよ──そういうの、俺、慣れてるし」

 その言葉に不審を感じ、新堂が眉根を寄せると、翔太はひどく大人びた表情でくすりと微笑んだ。

 新堂が問い詰めようとした時、505号室のドアが開き、診察を終えた医師が出てきた。

 暗い表情で医師を見送り、「ありがとうございました」と頭を下げた零は、新堂と翔太の姿を認めると、小さく微笑んだ。

「──とりあえず、また後でな。
 こっちが長引きそうなら、俺たちを待たずに、お前は先に帰れ」

 踵を返しながら新堂がそう告げると、翔太は少し寂しそうな表情でうなずいた。



「──どうでした?」

 病室の中に入った途端、新堂は声をひそめてそう訊ねた。

 零は困惑の表情を浮かべて響子の様子をうかがい、深い嘆息をもらした。

「……強い鎮痛剤を使っているから、意識が途切れるのは、そのせいだろうって。
 でも、後で血液検査を行うそうです。
 貧血が進んでいるし、腎臓もかなり弱ってしまっているらしくて──」

 末期癌の患者で、一番の問題はペインコントロール──つまり、癌によって引き起こされる激痛をいかに抑えるか──なのだと医師から言われた事を思い出し、零は悲嘆に沈む心をなだめるように胸元を押さえた。

「……もしかしたら、無理をさせてしまったのかもしれません。
 私……海琉に、知らせた方がいいでしょうか?」

 どうするべきかと迷いながら、助言を請うように零が訊ねると、新堂は悩ましげに眉をひそめ、頭を振ってみせた。

「──いえ、この件に関しては、姐さんに知らせた方が良いです。
 俺が本家に電話しておきます。
 若頭は、今夜でかい取引を抱えているんで、それが終わってからの方が良いかと」

 新堂の言葉にうなずいて見せた零は、動揺と憂いを隠すように睫毛を伏せた。

「ダメですね……私、どうしたら良いのか全然判らなくて」

「こういう時は、医者に任せるしかありませんよ、零さん。
 俺たちにできることは何もありませんから。
 それに、今のドクターの感じじゃ、すぐにどうこうってことは無いみたいだし、様子を見るしかないでしょうね」

 冷静さを装ってそう告げた新堂は、身体をずらして響子の様子をうかがい見ると、少し驚いたような声を上げた。

「──零さん、呼んでるみたいですよ」

 はっと振り返ると、それまで力を失っていた響子の腕が持ち上がり、小さく手招いているように見えた。

 零がベッドに足を向けようとすると、新堂が手に持っていた写真を手渡した。

「さっき撮った写真です。ナースがプリントしてくれました。
 見られるようだったら、見せてあげてください」

「……ありがとうございます、新堂さん」

 先ほど脱いで、元通りハンガーに掛けておいたウェディングドレスに視線を向けた零は、響子に対する思いやりを見せる新堂に礼を言った。

「琉花ちゃん……心配かけて……ごめんね……」

 酸素マスクを付けたまま、枕元に屈み込んだ零に囁きかけた響子は、すぐに苦しげに眉を寄せた。

「──痛いの? お医者さん、呼ぼうか?」

 どれほどの苦痛が響子を苛んでいるのか想像もつかなかったが、零は彼女の手を握りしめ、震える声で訊ねた。

「……大丈夫……いつもの、ことだから……すぐに治まるわ」

 息を喘がせながら響子はそう呟いたが、零の手を握り返す力は、苦痛に耐えるかのように強くなっている。

 何もできないと告げた新堂の言葉が、絶望的なまでに胸に迫り、零は耐えきれずに小さな嗚咽をもらした。

「……泣かないで……琉花ちゃん……。
 ママは……あなたに会えて……本当に…幸せだったの……。
 傍にいてくれて……ありがとう……」

 零は何度も頭を振りながら、響子の手を両手で握りしめ、祈るようにきつく瞼を閉ざした。

『──お前を娘だと思って死ねたら、その方が彼女にとっては幸せだろう』

 鷲塚の冷ややかな声が脳裡を過ぎり、深い悲しみが湧き起こる。

(……本当に……それで幸せ? 海琉も……響子さんも──)

 幸福だとは思えない。やるせない悲しみが残るだけだ──心の中には……。

「明日も……また来るから……絶対に来るから……待ってて。
 ほら、見て──さっき撮った写真。
 泣いちゃったから、私、変な顔に写っちゃった……」

 もう一度だけ微笑んでほしいと思い、零が写真を差し出すと、震える瞼をうっすらと開けた響子は淡い微笑みを浮かべた。

「……大丈夫よ……あなたは綺麗だわ。
 写真……テーブルに、置いておいて。
 そうすれば……ずっとあなたを、見ていられるから……」

 涙を溜めた零の瞳を見返した響子は、呟くようにそう言うと、そのまま深い眠りの淵に引き込まれていった。