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Fatal Doll



<26>



「すみません──長話してたら、すっかり暗くなっちゃった。
 山道は暗いから、気をつけて運転してくださいね」

 駐車場に戻りながら、翔太が申し訳なさそうに謝ると、肩越しに振り返った新堂は唇を皮肉っぽくつり上げた。

「ほとんどお前の悩み相談だったけどなあ。
 さっさと彼女でも作って、今度からそっちに話聞いてもらえ」

「彼女かあ……じゃあ、今度、女の人の口説き方教えてくださいね、新堂さん」

「バーカ。そんなもん、自分で考えろ」

 じゃれ合うような言葉を交わす二人を、笑いながら見つめていた零は、窓の明かりが灯った病院の建物にふと視線を向けた。

 響子がいる部屋を探していた零は、気持ちが憂いの中に沈んでいくのを感じながら、深い溜息をついていた。

(……海琉は、今夜は帰れないって言ってたしな)

 あの広い部屋の中で、今晩は一人で過ごさなければならないのだと思った途端、急に心細さと不安が忍び寄ってくる。

 こんな時こそ、強く抱き締めてもらいたい──そう感じてしまうのは、何故なのだろうか。

 本当は、自分の方がしっかりして、鷲塚を慰めなければならないはずなのに……。

 そう思いながらも、胸の中に湧き起こった寂しさと恋しさを消すことができず、零は鷲塚の面影を求めるように瞼を閉ざした。

「──新堂さんの車、BMWなんだ。いいな、俺も早く車欲しい」

 助手席に零を乗せ、ドアを閉めた新堂は、「いいな、いいな」と羨ましそうに呟きながら、あちこちから車を眺めている翔太に言った。

「稼ぐようになってから、自分で買え」

「まだ車買えるほどお金貯まってないし。
 でも、中古でも良いから、買った方がいいかなあ。
 そうすれば、送り迎えを気にせずに、ここにも来れるし……」

 ぐるりと新堂のBMWを一周した翔太は、窓を開けた零の傍まで戻ると、距離を取るように後退りながら手を振った。

「また『カッツェ』に来て下さいね、零さん」

「うん、ありがとう。すぐに会うと思うけど、マスターにもよろしくね」

 車が動き出すと、笑顔で見送っている翔太の姿はすぐに見えなくなる。

 窓を閉めた零は、本革のシートに背を預けながらほっと溜息をついた。

「──疲れたんじゃないですか? 
 そろそろ夕飯時ですし、お腹空いてるようなら、途中どこかに寄りますよ」

「お昼しっかり食べたから、まだそんなにお腹は空いてないんですよね。
 でも、『カッツェ』の名前聞いたら、美味しいコーヒーが飲みたくなってきました」

 零がそう言うと、新堂は同意するようにうなずいて見せた。

「確かに、ちょっと一服したい気分ですねえ」

 新堂の車に乗り込んだ途端、ようやくいつも通りの時間が戻ってきたように感じ、零は微笑みながら肩の力を抜いた。

 今は早く帰って、できることなら鷲塚と共に過ごしたかった。

 自分が一番落ち着ける場所──そして、自分らしくいられる場所だからこそ、疲れている時は特に恋しく思えるのだろう。

(……でも、響子さんの事……海琉に何て話そう……)

 一抹の不安を感じ、溜息をついた零は、色彩を失ってゆく黄昏の風景に目を向けた。



 それから程なくして、日が完全に落ちてしまうと、街灯がほとんど設置されていない山道はあっという間に真っ暗になってしまった。

 大きく曲がりくねった道が続いているため、前方の見通しがひどく悪い。

「──やれやれ。ちょっと長居をしすぎましたね。
 日頃、山の中を走ることもないから、真っ暗すぎてドキドキですよ」

 右折左折が延々と続く暗い峠道を走りながら、新堂は苦笑混じりに呟いた。

 助手席に座る零を気遣い、必要以上に遠心力がかからないよう用心深く運転しているせいか、どこまでも続くように思える山道がひどく単調なものに思えた。

「……山の中って、こんなに暗いんですね」

 窓の外に視線を向けていた零は、都市部ではほとんど体感することの無い漆黒の闇に驚きながら、景色を見ようとじっと目を凝らした。

 明るければ外の風景を楽しむこともできるが、これほど暗くなってしまうと、ヘッドライトに照らし出される道路脇の木々しか見えない。

「道も狭いし、こういう道は、対向車が来ると嫌ですねえ」

 零がいなければ、もっとスピードを出してスリルを楽しむこともできたが、自分の娯楽のために危険を冒すわけにはいかない。

 とにかく安全運転だと自分に言い聞かせ、新堂は溜息をついた。

 ところが、次のカーブが目前に迫った時、新堂は、後方からスピードを上げて追いかけてくる車影に気づいた。

 圧迫感のある巨大な4WDは、ガードレールを突き破りそうな勢いで接近してくる。

 カーブの多い下り坂だというのに、強引に車間距離を詰めてきた4WDは、「邪魔だ」と言わんばかりにヘッドライトをパッシングさせた。

「チッ……煽ってきやがる」

 激しく明滅するライトに苛立ち、舌打ちをした新堂は、バックミラーを鋭く睨み付けた。

 見通しの悪い夜の峠道、追い越し車線も無い狭く急な下り坂で、無理に先行車を追い抜こうとすれば事故を起こしかねない。

 そうであるにも関わらず、これほど激しく煽ってくるのは、よほど先を急いでいるのか、それとも──。

「……ただの走り屋じゃなさそうだが」

 バックミラー越しに見える車は、自己アピールが激しい改造車には見えず、多くの走り屋が好むような車種でもない。

 新堂はアクセルを踏み込み、スピードを上げて後続車を引き離しにかかった。

 だが、バックミラーからその姿が消えたのも束の間、耳障りなスキール音を立ててカーブを曲がってきた4WDが、さらにスピードを加速させ、猛追してきた。

 さらに挑発するようにクラクションが鳴らされる。

「──畜生……なめやがって」

 新堂は頭に血が上るのを感じた。

 威嚇的な後続車の存在が、生来の負けん気をジリジリと刺激する。

 きつく双眸を眇めた新堂は、闘争心を剥き出しにして次のカーブを曲がった。

 強い横Gにさらされる中、ブレーキをかけながらステアリングを切ると、タイヤが路面をスリップする。

 横滑りする車体を制御し、アクセルペダルを踏み込んで急加速させると、けたたましいスキール音が夜道に響き渡った。

 その瞬間、サイドシートから戦くような悲鳴が上がり、新堂ははっと我に返った。

 隣に零が乗っていたことを思い出した途端、新堂の背筋に冷や汗が流れ落ちた。

 どれほど挑発されようと、今は零の安全を第一に考えなければならなかったのだ。

「……大丈夫ですか、零さん?
 すみません、つい、カッとなってしまって──」

 競争心とプライドを抑え込みながらスピードを落とし、新堂は慌てて零に謝った。

「……だ、大丈夫ですけど……ちょっと、怖くて……」

 両手でアシストグリップにしがみついていた零は、双瞳を大きく見開いたまま、恐怖に顔を引きつらせている。

 激しい自責に駆られた新堂は、なおも執拗に煽ってくる後続車を睨み、息を吐き出した。

「──あの四駆、先に行かせます」

 これ以上無謀な運転をして、零の身を危険にさらすわけにはいかない。

 そう決断した新堂は、先の見えないカーブを抜けて直線に入ると、徐々に減速しながらハザードランプを点滅させた。

 幅の広い路肩にBMWを寄せると、そのすぐ脇を4WDが猛スピードですり抜けてゆく。

 新堂はその車のナンバーを確認しようと目を凝らしていたが、すぐにカーブの向こうに車影が消えてしまったため、見定めることはできなかった。

 ステアリングを抱えるようにして身を乗り出していた新堂は、忌々しげに舌打ちをすると、大きな溜息をついた零に視線を向けた。

「本当にすみませんでした。驚かしちゃいましたね」

「私……自分じゃ運転しないから……どうしたらいいのか全然判らなくて……。
 でも……あの車は怖かったです。
 何であんなにスピード出してたんでしょうね?」

 ドキドキと早鐘を打つ心臓をなだめるように、しばらく胸を押さえていた零は、険しい表情を浮かべている新堂に訊ねた。

「──俺にも判りません。
 一瞬、襲撃かと思ったんですが、気のせいだったみたいですし」

 追い越していった4WDは、すでに影も形も見当たらない。

 道を譲る形になったのは悔しかったが、危険を回避できたという安堵も感じ、新堂はささくれ立った気を鎮めるために一度深呼吸をした。

 ──と、その時。

 ヘッドライトを付けずに後方から忍び寄ってきた黒いミニバンが、急にスピードを落とし、新堂のBMWに突然体当たりを食らわせてきた。

 追突された瞬間、BMWはドンと大きく揺れ動き、そのままガードレール際まで押しやられる。

 とっさにドアミラーを目視した新堂は、素早く全てのドアにロックをかけると、背後を振り返りながらジャケットの内側に手を入れた。

 力加減をした、明らかに悪意ある衝突──ガードレールとミニバンに挟み込まれ、容易には抜け出せそうにない。

 そしてほとんど間をおかず、ミニバンの車内から、黒ずくめの服装をした男たちが三人、拳銃を構えて飛び出してきた。

 危険を悟った新堂は、鋭く言い放った。

「──零さん。頭を下げて!」

 追突の衝撃と、緊迫した新堂の声に愕然とした零は、訳も判らぬまま、頭を抱える前傾姿勢を取った。

 次の瞬間、新堂はギアチェンジと同時にアクセルを踏み、車体が傷つくのも構わず、愛車を強引にバックさせた。

 銃口を向けてくる襲撃者の一人を跳ね飛ばし、ギア入れ替えて前方に急発進する。

 次の瞬間、新堂の背後にあるサイドウィンドウがパーンと砕け、ガラスの破片がバラバラと車内に飛び散った。