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Fatal Doll



<27>



「……撃ってきやがった」

 戦慄とともにアドレナリンが血流に放出され、新堂は口許に引きつった笑みを浮かべた。

 コンマ一秒でも判断が遅れていれば、頭を撃ち抜かれていたかもしれない。

 ミニバンに車体をぶつけて強引に突破し、そのままの勢いで道路に飛び出そうとした時、ヘッドライトをハイビームにして向かってくる対向車に新堂は気づいた。

(──ぶつかる…ッ!)

 本能的に前進を躊躇し、足がブレーキを踏む。

 だが、対向車との衝突を避けようとした反射的な動作が、この瞬間には重大な失敗だったことを、新堂はすぐさま悟った。

 いきなり急カーブを切った対向車が、横滑りしながらBMWの進路を塞ぐ。

 その対向車は、後方から危険な接近を繰り返していた、あの4WDだった。

 4WDのドアが勢いよく開き、ミニバンに乗っていた男たちと同じ服装をした黒ずくめの男が二人、リアシートから飛び出してくる。

 前方を塞がれて車は動かせず、多勢に無勢の情況──。

 窮地に立たされたことを察した新堂は、頭を抱えたまま震えている零に視線を走らせた。

(……何とか……零さんだけは……)

 ここで闇雲に撃てば、向こうは間違いなく反撃してくる。

 彼らが本気であることは、先ほどの一発で明らかだった。

(零さん一人で逃げ切れるか?)

 答えは──否。

 目に見える襲撃者は5人だが、二台の車にはまだ運転手が残っている。

 荒神会の一組員にすぎない自分一人を狙うために、これほど手の込んだ作戦を立てるとは到底思えない。

 だとすれば、彼らのターゲットは間違いなく零だ。

 瞬時に自問自答した新堂は、包囲を突破するため、愛車のアクセルを踏み込んだ。

 全身全霊で零を守らなければならない。

 そのためには、自分が持つ技術や経験の全てを、この一瞬につぎ込まなければ──。

 無我夢中でステアリングを切り、再度逃亡を試みる。

 ところが次の瞬間、鈍くこもった銃声とほとんど同時に破裂音が響き、BMWの車体がガクンと傾いた。

 パンクした車体は途端にコントロールを失い、けたたましい音を立ててスリップする。

 立て直すためブレーキを踏み、ステアリングを切り返すと、再びタイヤが破裂し、車体のテイル部が地面に落ちた。

 そして、零がいるサイドシートの後部、リアシートのガラスが撃ち砕かれた。

「──車を停めて、外に出ろ」

 低くくぐもった男の声が響き、新堂の後頭部に硬い銃口が押しつけられた。

 バックミラーに視線を向けた新堂は、自分だけではなく、零の頭部にも銃が向けられているのを見取ると、激しい絶望感に襲われた。

 苛立ちと焦燥に胃壁を焼かれながら、エンジンを切り、キーを引き抜こうとした時、新堂に突きつけられていた銃口が、さらに強く押しつけられた。

「キーは残しておけ──出ろ」

 内心で舌打ちをした新堂は、抵抗を見せずにドアから出ると、零に銃口を向ける男を厳しく睨み付けた。

「……その人には手を出すな」

 言っても無駄かも知れない──だが、言わずにはいられなかった。

 丸腰であることを示すように両手を挙げながら、新堂は少しずつ車から離れ、ガードレールに背を向けるようにして立った。

 ガードレールを越えると、その先は切り立った崖だったが、背後から銃を突きつけられるよりはマシだった。

 黒ずくめの男たちは、顔を隠すようにニットの目出し帽を被っているため、どんな面相なのかさえ判らない。

 五人中四人は、明らかに戦闘用員──鍛えられた屈強な体つきをしており、銃の扱いにも慣れている様子だった。

 だが、残りの一人。零に銃口を向け、車から引きずり出そうとしている男は、他とは違う特徴があった。

 ニットの黒い目出し帽は同じだが、口許は白く大きなマスクで覆い隠している。

 そして、その動きはプロには見えず、どことなくぎくしゃくしていたが、襲撃者たちをまとめるリーダーであるのか、醜いとさえ言えるしゃがれ声で指示を放った。

「時間が無い。急いでタイヤを交換しろ」

 黒ずくめ男が二人、新堂のBMWに駆け寄り、後部タイヤを慌ただしく交換し始める。

 一つはBMWのスペアタイヤ、もう一つはミニバンのスペアで代用していたが、混乱した様子もなく、彼らは足許を懐中電灯で照らしながら、手際よく作業を進めていた。

 そして、公道を走る一般車両を警戒するように、ミニバンと4WDが縦列に移動し、ヘッドライトが消される。

(……これも作戦のうち……か?)

 自分に銃口を向ける残り二人の男を睨みながら、新堂はその場を冷静に観察した。

 圧倒的に不利な状況だったが、先ほどよりはマシかもしれない。

 軍隊のように統制された男たち、そして用意周到な作戦──これを逆手に取れば、反撃の可能性はある。

 零の確保に手間取っている今が、残された最後のチャンスだった。



 ──何が起こったのか判らない。

 だが、数分前までは想像することもなかった凶行に、自分たちが巻き込まれ、脅かされているのは確かだった。

 後頭部に硬い銃口が押しつけられた瞬間、零の全身は恐怖に痺れ、動けなくなった。

 その隣で、同じように銃を向けられた新堂が、車から連れ出されて行く。

(……海琉……助けて……!)

 殺される──間近に迫った死の恐怖で気が動転し、歯の根が合わないほど震えながら、零は心の中で叫ぶことしかできなかった。

 顔の見えない襲撃者は、零に銃を突きつけたまま、割れた窓から素早く腕を入れると、車のロックを外した。

「抵抗すれば撃つ……外に出ろ」

 聞き取りづらい、ひどくしゃがれた低い声が鼓膜を打つ。

 その瞬間、胸の中に残っていた想いがパチンと弾け、凄まじい混乱が怒濤となって流れ込んできた。

 シートベルトを外そうとしても、指先が狂ったように震えてしまい、無意味な動作を繰り返してしまう。

 すると、襲撃者は焦れたようにドアを開け、革のグローブを嵌めた手でシートベルトを外すと、そのまま零の腕をぐいと引っ張った。

 暗闇に慣れてきた零の目に映ったのは、黒い目出し帽に白いマスクを付けた男の顔。

 ざっと全身に鳥肌が立ち、凍りつく。

 二日前、『カッツェ』で一度だけ目撃した不審人物──零はそう直感し、青ざめた唇を喘がせた。

「……い…いや」

 男の手を拒むように身体が硬直し、口からかすれた悲鳴がこぼれ落ちる。

 その途端、覆面の男は苛立ちを露わにして零を引きずり出すと、車から転がり落ちた身体を、手荒く地面に押しつけた。

 零の背骨に膝頭が強く食い込み、男の体重がのし掛かってくる。

「──ヒッ!」

 押し潰される痛みと絶望に飲み込まれ、仰け反った零の喉が鳴った。

「時間が無い。急いでタイヤを交換しろ」

 しゃがれ声でそう命令した男は、上着から取り出したガムテープで零の口を塞いだ。

 さらに零の両手を背後にねじり上げ、同じテープで手首をぐるぐる巻きにし始める。

 逃れる事のできない恐怖に、零の双瞳からどっと涙が溢れ出し、喉の奥からくぐもった呻き声が迸った。

 ところが、助けを求めて視線を動かした時、薄暗がりの中で両手を挙げていた新堂が、突然アクションを起こした。

 暗闇に身を隠すように横に飛び退くと、乾いた撃発音が立て続けに響く。

「──ぐあッ!」

 新堂に撃たれた二人の男が、奇声を上げて地面に崩れ、苦悶にのたうち回ると、それに気づいた他の男たちが殺気立った。

 零を拘束していた覆面の男もまた、ウエストに挟んでいた拳銃を再び手に持ち直し、零の身体を盾にしながら、こめかみに銃口を突きつける。

「どこへ逃げたっ!」

 懐中電灯を照らしながらタイヤ交換をしていた男たちが、拳銃を片手に立ち上がり、荒々しい怒声を撒き散らした。

 その場から消えた新堂を探すため、消されていた車のヘッドライトが再び点灯されると、零のすぐ傍から怒りに満ちた声が上がった。

「──零さんから離れろ。この距離なら、一発で貴様を殺(や)れる」

 ガードレールの後ろ側から回り込んだ新堂が、両手で拳銃を構え、零を拘束する覆面男の額に狙いを定めていた。

 新堂の身から、躊躇無き殺意が迸る。

 ところが、自分を押さえ込んでいる男が、嬉々とした笑みを浮かべるのを零は感じた。

「……興味深いブラフだな。
 だが、撃ちたければ撃てばいい──お前が、零を見殺しにできるなら……」

 覆面男は、耳障りな声で新堂を嘲笑い、零のこめかみに押しつけていた銃口を、ゴリゴリと戯れに動かした。

 頭部に響く苦痛に呻きながら、零は落雷のようなショックに打たれた。

 冷たい脂汗が噴き出し、痙攣したように全身が小刻みに震える。

(……ま、まさか……)

 パニックで頭の中が真っ白になった時、覆面の男が冷酷な命令を下した。

「──殺せ」

 とっさに零は新堂を振り仰ぎ、「逃げて!」と死にもの狂いで叫んだ。

 続けざまに乾いた銃声が鳴り響き、口を塞ぐテープに呑み込まれた叫びは虚しく消える。

 瞬きを忘れた零の双瞳に、血飛沫を上げて仰け反った新堂が、そのまま後方の崖に消えてゆく光景が焼き付いた。