Rosariel.com
Fatal Doll



<28>



「──落ちたぞ! 探せ!」

 油断無く銃を構えた男たちは、ガードレールに駆け寄り、銃口を崖の下に向ける。

「……う、ううぅッ……ううっ」

 激しいショックに打ちのめされた零は、口を封じられていることも忘れて呻き続けた。

 目にしたものを信じたくない──これは悪夢なのだと、そう思いたかった。

 だが、背後に立った男はくつくつと笑いながら、そんな零を地面に突き飛ばし、膝や足首までもテープで巻き上げてゆく。

「──ターゲット確保。時間が無い、急いで怪我人を回収しろ。
 すぐにポイントBまで移動する」

 新堂の死体を探す男たちに、覆面の男はしゃがれ声でそう命令すると、地面に転がった零の襟首をつかんで強引に立ち上がらせた。

 ショックのあまり虚脱し、足許をふらつかせている零を、男は片腕に巻き込むようにして抱き寄せる。

 そして、上着のポケットから取り出したスタンガンを、零の目の前で意味ありげにちらつかせたのだった。

 パリパリッと青白い電流が闇の中に光ると、零は恐怖に震え上がり、引き攣れた悲鳴を上げた。

(……海琉…ッ!)

 首筋に押し当てられた瞬間、目の前がスパークし、意識が弾け飛ぶ。

 気絶して頽れた零を、覆面の男はミニバンのトランクへと運んで横たえると、その全身をビニールシートで覆い隠した。




 グアム国際空港で鷲塚を出迎えたのは、ダークスーツ姿のボディーガード二人と、グアム駐在の秘書シンプソンだった。

 横付けされたリムジンへと案内されると、鷲塚と同行していた古谷が、浮かれたようにくすくすと笑った。

「……やっぱりVIP待遇だよなあ。
 居残りの高宮にゃ悪いが、役得、役得」

 アイボリーのスーツに、ラメ入りオレンジのシャツに身を包んだ古谷は、革張りのシートにゆったりと腰をかけ、足を組みながら車窓に視線を向けた。

「しかし……防弾車はドライブにゃ向かねえな。
 車酔いするから、俺は苦手だ」

 エナメルの靴をぶらぶら揺らしながら、古谷が不平を漏らすと、シンプソンが禿げ上がった頭を下げた。

「──申し訳ありません。
 これも安全対策ですので、ご容赦ください」

 シンプソンは流暢な日本語でそう謝り、運転手に発車させるよう促した。

「何か飲み物をご用意いたしましょうか?」

 シンプソンが丁重に訊ねると、古谷はにやっと笑い、嬉々として身を乗り出した。

「ワインがあるなら開けてくれ。
 つまみはいらん──機内食で腹一杯だ」

 そんな会話を聞き流していた鷲塚は、防弾ガラス特有の歪みを浮かせる車窓を一瞥すると、ふっと嘆息をもらした。

 3時間半程度のフライトではあったが、今回は日本を離れることに、感じたことのない躊躇があった。

 これが、以前から予定されていた重要な取引でなければ、キャンセルしていただろう。

 ノートパソコンを開いた鷲塚は、東林総合警備株式会社の機密サイトにアクセスし、無言でモニターに見入った。

 表示された地図上には、色違いの丸いポイントが三つ点滅している。

 赤いポイントは零、白は新堂、やや大きめの黄色は新堂の車──二人の現在地を発信しているのは携帯電話だったが、BMWにはGPS追跡用発信機が内蔵されている。

 鷲塚は地図の座標を拡大し、二人の居場所を確認した。

「まったく……お人好しにも程がある」

 零と新堂がいるのは「聖母の家」──おそらく響子の言葉を真に受けて、零は約束通り会いに行ったのだろう。

 内心で嘆息しながらも、赤と白のポイントがほぼ同位置にあることにとりあえず安堵し、鷲塚はパソコンを閉じた。

 二つのポイントが離れる時、すなわち二人が別れる時は、必ずメールで連絡を入れるよう零には厳重に言いつけてある。

 そもそも、全地球測位システム(GPS)を利用して、常に居場所を監視しようと考えたのは、零が一度ならず二度も拉致されているからだった。

 これから先、零の存在が有名になれば、ますます誘拐の可能性は高まる。

 新堂を監視対象に加えたのは、仮に零が拉致されたとしても、迅速な対応策が打てるようにするための、鷲塚なりの用心だった。

 東林総合警備株式会社の担当者には、不審な動きがあれば、すぐに連絡するように命令してある。

 だが、どれほど注意深く監視しようと、隙は生まれるだろう。

「浮かない面(ツラ)だな、鷲塚。
 残してきた零ちゃんの事が、そんなに心配か?」

 皮肉げな笑みを浮かべた古谷が、ワイングラスを傾けながらそう問うてきた。

「──おそらく、何者かが動き出している。
 高宮と東山に調べさせている最中だがな。
 まだ、何の情報も入って来ないが……」

「何者かって……。どうして判る?」

 訝しげな表情で古谷が首をひねると、鷲塚は鋼の双眸を眇めた。

「勘だ。今は、そうとしか言いようがない」

「まあ、お前の勘は当たるから否定はしねえが、あんまりピリピリしない方がいいぜ。
 杞憂ってこともあるだろうよ。
 俺なんか、最近勘がハズレっぱなしで、大損してるからな」

「杞憂なら、それに越したことはないが……」

 鷲塚は溜息をつくと、シンプソンが差し出したワイングラスを受け取り、水を飲むように白ワインを一気に喉に流し込んだ。

「……お前なあ、少しは味わって飲めよ」

 鷲塚の様子をうかがっていた自称ワイン通の古谷が、唖然としたように呟いた。

 やがて、リムジンはグアム国際空港を周回し、ほどなくプライベートジェットの格納庫に到着した。

 整備を終え、待機していたのは小型ジェット機ガルフストリーム。

「空飛ぶロールスロイス」とも呼ばれるガルフストリームに乗り込んだ古谷は、リビングルームとベッドルームを兼ねた内装を施されている豪華な機内をぐるりと見回し、「やれやれ」と嘆息した。

「……よくもまあ、こんな高い買い物する気になったな。
 維持費だけでも目が飛び出る金額だろ?」

「行き先がグアムだと思わせておけば、その後行動しやすいだろう。
 定期便を待つ時間もかからないし、好きな場所へ自由に飛べる。
 ついでに言えば、空の上は完全な密室だ。
 どんな商談をしようと、盗聴される可能性が低い」

 ソファに身を沈め、鷲塚が淡々と説明すると、古谷は肩をすくめて見せた。

「俺は、移動時間まで仕事をする気にゃなれんがなあ。
 それよりは、こっちのワインをちびちびやってる方が幸せになれる」

 ボトルに残っている白ワインをシンプソンに注がせた古谷は、にやりと笑いながら、目の前にグラスを掲げて見せた。

「──で、この飛行機は、どこに行くんだ?」

「個人所有の無人島だ」

「まさか、その島までお前が買ったんじゃないだろうな?
 だいたい、何に使うんだ、そんな島?」

 グラスを傾ける手を止め、古谷は怪訝そうに眉根を寄せた。

 頬杖をついて窓の外に視線を向けていた鷲塚は、唇の片端を薄くつり上げると、皮肉げな眼差しで古谷を見返した。

「さすがに、その島は俺のものじゃない。
 借りているだけだが、自由に使えるようになっている。
 今回は武器ブローカーとの取引だが、非合法なシノギの時にはうってつけの場所でな」

 冷酷な光を放つ鋼の双眸を細めた鷲塚は、延々と続く青空と白い雲、そして眼下に広がる太平洋に醒めた眼差しを向けた。

「──以前、《コロッセウム》のVIP会員の中に、射撃場の実弾射撃ではあきたらず、実際に人間を的にして撃ってみたいと言い出した男がいた。
 その男を、その島に連れて行ったことがある。
 念願の人間ハンティングを楽しませてやるためにな」

 それを聞いた途端、古谷は瞳に怒りを滲ませ、きつく眉根を寄せた。

「そいつ、バカというより、ただのクレイジーだろ。
 お前、そんな外道のお楽しみを用意してやったのかよ?」

 咎めるような厳しい口調で聞き返した古谷を見返し、鷲塚はにやりと笑った。

「人間なら誰でもいいと言っていたんでな、お気に召すよう準備万端にしておいた。
 ただし、条件はつけた。
 決して口外しない事、獲物は必ず射殺すること──騒がれたら、こちらまで危うくなるから当然だ。
 これに反した場合は、ハンティングの準備にかかった実費と、違約金を請求する。
 その男は嬉々として証文にサインをし、島でのハンティングを楽しみにしていたが、その当日、男は一発も撃つことができなかった」

「自分だけ安全な場所で殺しがしたいってのは、胸くそ悪いぜ。
 そういうクズ野郎は、こっちが撃ち殺してやりてえな。
 しかし……そいつはどうして撃たなかったんだ?
 生身の人間を前にして、腰が引けたか?」

 忌々しげに舌打ちをした古谷は、興味をそそられたように聞き返した。

 鷲塚は、男が泣き喚く顔を思い出しながら、嘲弄するようにくつくつと笑った。

「男のために用意された獲物が、その男の娘だったからだ。
 娘を一目見た途端、男は怒り出し、そして哀願し、泣きながら命乞いの土下座までした。
 だが、こちらは証文を取ってある。
 誰でもいいから射撃の的にしたいと言っていたのは、その男だからな」

「──まさか、その娘、殺したのかよ?」

 古谷の問いに、鷲塚は軽く肩をすくめて見せた。

「約束通り、実費と違約金を受け取っただけだ。
 そのせいで男は破産し、後に自殺することにはなったが。
 我々にとっては、結果的にいいシノギになったわけだ」

「なんでえ……そういうオチか。
 ま、そいつは自業自得ってもんだな」

 くつくつと笑いながらグラスを口に運んだ古谷は、うっとりと目をつぶり、満足したような吐息をもらした。

「だがなあ……もしその男と同じ立場になったら、お前はどうする?
 零ちゃんを人質に取られて、条件を呑まなければ殺されるってことになったら」

 少し酔いが回ったのか、古谷の目つきにギラギラしたものが混ざる。

 鷲塚は口の端に冷笑を刻み、素っ気なく答えた。

「零を取り戻し、犯人は叩き潰す──それだけだ」