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Fatal Doll



<31>



 その後、各方面からの連絡が途絶え、部屋の中に緊張だけが高まっていった。

 平時であれば流れゆくように過ぎ去るはずの時間が、今は気が遠くなるほど長く感じられ、一分一秒が重くのしかかってくる。

 口を噤み、BMWの動きをじっと監視していた東山は、車が山中に入った途端、常にない切迫した声を上げていた。

「──やはりおかしい。これは、明らかに異常事態です」

 東山はそう断言すると、BMWの追跡を指揮している永井に電話をかけた。

「あと何分で接触できる? 車が動きを止めるまでに追いつけるか?」

『距離が開いてますから、最短でも一時間はかかると思います』

 永井の返答に、東山は苛立ちを募らせ、語気鋭く言い放った。

「何を悠長なことを! 人命がかかっていると思え」

 電話を切った東山は、焦燥をはらんだ眼差しをモニターに向け、指先でデスクを叩いた。

「……こういう時は、国家権力がどうしようもなく羨ましくなる。
 どれだけ装備を充実させても、こっちはおちおちスピード違反もできないんだからな」

 声を荒げた東山を見下ろした高宮は、椅子の背にかけてあった上着を取り上げた。

「愚痴ってる場合か? とにかく行くぞ。永井への指示は、車の中でやれ」

 外出の準備を指示する高宮をじろりと睨み、東山は唇に苦笑を刻んだ。

「──言っておきますが、顧客が一般人なら、警察に通報すればいいだけのことです。
 そうすれば、サイレンを鳴らしたパトカーが追いかけてくれるでしょうからね」

 東山の皮肉を無表情で受け流した高宮は、冷徹な声音で言い返した。

「何があっても、サツには感づかれるな。
 問題があるなら、こちらで早急に処分する。
 何を見ても、サツには黙っていろと、永井たちに徹底させておけ」

 それを聞いた東山は、眼鏡の奥の双眸を批判的に細め、表情を隠すようにブリッジを指で押し上げた。

「もしや、零ちゃんや新堂君の命より、組織を守る方を優先させろと?」

 拳銃の弾倉を確認していた高宮は、肩越しに東山を振り返り、素っ気なく応じた。

「隙を見せれば、サツは本部にまで腕を突っ込んでくる。
 あいつらが、俺たち極道のために働くことは絶対に無いだろう。
 たとえ零さんが殺されようと、俺たちは弱みを見せるわけにはいかない。
 若頭も、その辺の事は十分に判っているはずだ」

 椅子から立ち上がった東山は、両腕を組んで高宮を睨み、首を傾げて反論した。

「さあ……それはどうですかね。
 会長は、あなたほど組織を大事には思っていないかもしれませんよ、若頭補佐。
 零ちゃんを助けるためなら、荒神会を潰してでも……と、考えるかもしれません」

「その時は、俺が若頭を止める。
 だが、そこまでオンナに狂うなら、それはもう極道じゃない──ただの男だ」

 荒れ狂う感情に囚われた者は、冷静な判断力を失う。

 鷲塚の判断ミスが、組織の存亡に関わるのなら、黙って見過ごすことはできない。

 グリップに弾倉を再装填した高宮は、不満げな東山を見返し、促すように顎をしゃくった。

「──行くぞ。ここでじっとしているよりは、すぐに次の手が打てる」

 そして、東山の携帯電話に永井からの一報が入ったのは、その会話から45分が経過してのことだった。

「……ひ、非常事態発生。
 れ、零さんの死体が発見されました!
 大至急、指示をお願いします」

 悲鳴のような声で報告をする永井の声が、東山の携帯電話から車内に響き渡った。




『──……海琉…ッ!』 

 己の名を呼ぶ零の悲鳴が、突然脳裡に閃いた。

 精神の集中が一瞬乱れ、直後に発射された弾丸が、ターゲットからわずかにそれる。

 鷲塚はそのまま、弾倉が空になるまでトリガーを引き続け、残りの銃弾を全て人型ターゲットの眉間部に集中させた。

「──お見事。
 日本人は拳銃の扱いが下手だと聞いていたが、君は実に素晴らしい」

 背後で見物をしていた武器商人、通称ブラック・ブラッドが、満面の笑みを浮かべながら拍手を続ける。

 漆黒のスーツを身にまとう、細身で中背の男。

 彫りの深い顔立ちは、俳優のように甘く、端整であったが、男は、世界で暗躍する「死の商人」の一人であった。

 その素性は謎に包まれていたが、紛争や暴力のある場所には、必ずこの男の影がちらつくとさえ噂されている。

 神経を逆撫でする奇妙な焦燥を意識的に振り払い、鷲塚は冷厳な視線をブラック・ブラッドに向けた。

「静止した的がターゲットなら、訓練すれば誰でもこの程度は撃てるようになる。
 余興は終わりだ。
 こちらが要求した物を、全て揃えてあるんだろうな?」

 鷲塚がそう問うと、ブラック・ブラッドは気障な仕草で肩をすくめ、手入れの行き届いた白い手で、並べられた拳銃の中からベレッタを選び出した。

「……100丁の拳銃に、1万発の実弾。
 中国製は嫌だと言うから、集めるのに少々時間を食ったがね。
 最近は、世界に出回る小型銃器の半分以上が中国製なんだが」

 肉の薄い唇に皮肉げな笑みを浮かべた「死の商人」は、優雅ですらある滑らかな動きで銃をシングルハンドに構え、鷲塚にウィンクを送った。

 トリガーが引かれ、リズミカルな銃声が地下射撃場に轟く。

 ブラック・ブラッドが撃った弾丸は、全てヘッドショットを決めたが、遊び心なのか、的はハートマークに撃ち抜かれていた。

「ついに日本にも本格的なテロリストが誕生するのかと思っていたが、君の様子を見ているとそうではないらしい。
 実際、何に使われるのかと、久しぶりに興味が湧いたよ。
 内乱を起こしたいなら、いつでも協力するけどね。
 もっとも、銃規制の厳しい日本に、銃器を密輸すること自体が、国家への反逆と言えそうだが」

 慣れた手つきでマガジンチェンジを終えたブラック・ブラッドは、さも愉快そうにくすくすと笑い出した。

「顧客の事情には、口出しをしないのがポリシーだったんじゃないのか?」

 お喋りな武器商人に苛立ちを感じ、鷲塚は揶揄するように聞き返した。

 平静を保ってはいたが、本能的な勘が不可解なほどざわめき、少しでも気を抜くと、先ほど脳裡に響いた零の声に思考が傾きかける。

 今は親しげに振る舞っているが、「死の商人」は油断ならない相手だった。

「口出しではなく、ただの興味だ。
 日本のヤクザは、他国のマフィアと違って、荒事を避ける風潮があるようだから。
 そんなヤクザが、この私に接触してきた。
 これを驚きと言う以外、何と形容するべきか」

 芝居がかった口調でそう言い、ブラック・ブラッドはくつくつと喉を鳴らした。

 と、その時、射撃場に古谷がふらりと現れ、にやにや笑いながら二人に近づいてきた。

「──なあ、俺にもちょっと撃たせてくれや。
 最近、練習不足で、腕が鈍っちまってるかもしれねえしよ」

 黒ずくめの武器商人とは対照的に、演歌歌手のように派手な純白のスーツをまとった古谷は、そう言って軽やかにステップを踏み、銃を構える真似をして見せた。

 一瞬、不審げに双眸を眇めたブラック・ブラッドは、古谷の頭の先から爪先までをじっくりと眺めた。

 ポマードで固められテカテカと光る黒髪、大きく開いた黒いシャツの間からのぞくゴールドのネックレス、ダイヤモンドが散りばめられたロレックス、そして鏡のごとく磨き上げられたエナメルの靴。

 典型的なヤクザファッション──ブラック・ブラッドは古谷を「ヤクザ」だと判断し、すぐに愛想笑いを浮かべて見せた。

「ええ、もちろん構いませんとも。
 よろしければ、私がどれかお選びしましょうか?」

「おお、そいつはありがてえな。
 時間があるなら、いろいろ教えてくれると助かるぜ」

 古谷は声を上げて笑いながら、準備運動をするように手首を揺らし、肩を回し始めた。

 そして思い出したように鷲塚を見上げ、親指で地上に続く階段の方を指し示す。

「そういや、鷲塚──上でシンプソンが呼んでるぜ。
 お前に電話がかかってるんだが、地下で携帯が通じないんだとさ」

 ブラック・ブラッドに怪しまれぬよう、さりげない声音でそう告げた古谷だったが、鷲塚を見る目は常になく真剣で、「早く行け」と訴えかけていた。

「──悪いが、しばらく古谷に付き合ってやってくれ」

 内心の焦燥を表さずにそう告げた鷲塚は、足早になりそうな己を制しながら、射撃場のドアへと向かった。

 用心深くドアを閉めると、階段の踊り場で待っていたシンプソンに視線を向ける。

 極度に青ざめ、顔を強張らせているシンプソンの手には、持ち出してきた固定電話の子機がしっかりと握られていた。

「……何があった?」

 鷲塚がそう問うと、シンプソンは大きく息を吐き出し、意を決したように人のいない部屋へと案内した。

「東京の高宮さんから、緊急の電話が入っています。
 大至急、ボスと話がしたいと」

 保留になっている子機を手渡された鷲塚は、わずかに眉をひそめると、すぐにボタンを押して通話状態に戻した。

「──俺だ。零に何かあったのか、高宮?」

 先刻から感じていた不快な焦燥が、不吉な予感に変わり、鷲塚はそう訊ねていた。

 受話器の向こうで、高宮が息を止める。

 鷲塚の予感が確信に変わった時、高宮がことさら事務的な声音で淡々と言った。

「零さんの乗った車が、何者かによって襲撃されました。
 新堂は、今のところ行方不明です。
 拉致された零さんは……先ほど、死体で発見されました」

 時間が凍りつき、鷲塚の心臓もまた一瞬動きを止めた。

「……何だと?」

 聞き返す声が無様なほど掠れ、鷲塚は瞬きもせず、宙の一点を睨みつけた。

 鋼の双眸が氷のように冷たく冥い光を放つ。

 その凍てついた気配を感じ取ったのか、高宮は数秒ほど口を閉ざし、事の発端と、現在までの状況を説明し始めた。