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Fatal Doll



<32>



──キィーンと、頭蓋の中で耳鳴りが谺していた。

 受話器の向こう側で響く高宮の声と、氷結した思考回路が不協和音を奏で、虚ろな雑音のように脳内に響き渡る。

(……零が……死んだ?)

 理性や感情、全ての脳の動きが、その一撃で機能不全に陥ったかのように、鷲塚は鋼の双眸を見開いたまま立ちつくしていた。

「……我々も、もうすぐ現場に到着します。
 現場を確認したら、こちらで処分を決めてよろしいですか?」

 不意に、高宮の声が言葉として意味を持ち、鷲塚は我に返った。

「──可能な限り、犯人を捜し出す材料を持ち帰れ。
 ただし、現場には痕跡を一切残すな。
 血痕、指紋……髪の毛一本も残さず、全て消し去れ」 

 魂の奥底まで染みついた獣の本能が、用心深く、非情な言葉を語らせる。

 冷酷な己の声を遠くに聞きながら、鷲塚は高宮に指示を与えた。

「死体の処分は、俺が戻ってから決める。
 それまでは、人目につかない場所に安置しておけ」

 だが、その死体が、零の屍であるとは思いたくなかった。

(……この目で、確かめるまでは──)

 それまでは、決して零の死を受け入れることはできない。

 受話器を握る手に力がこもり、鷲塚は動転する感情を抑え込むように、ギリっと奥歯を噛みしめた。

「しかし、顔面の損壊が特に激しいようで、若頭のお目にかけるのは……」

 ところが、躊躇する高宮の言葉を耳にした途端、うねるような怒りが背筋を駆け上がり、鷲塚は常よりも低い獰猛な声で告げた。

「高宮……俺を見くびるな。
 死体を見て、気絶するとでも思っているのか?
 俺に変な気を遣わず、お前はやるべきことをやれ。
 何か判ったら、すぐに連絡しろ」

「──了解。それを聞いて、安心しました」

 にやりと笑った高宮の気配を感じ、鷲塚の唇にもまた凍えた皮肉の笑みが刻まれる。

 その瞬間、脳裡に囁きかける直感──不可解な違和感を覚え、鷲塚は眉をひそめた。

「──高宮。顔が潰されていたなら、発見者は、どうやってそれを零だと判別した?」

「死体の足許に、零さんの携帯電話が落ちていたそうです。
 あとは服装や背格好から推測したようですが」

「……その死体が本当に零なのかどうか確認しろ。
 俺も取引を終わらせたら、できるだけ早くそっちへ戻る」

 そう言って電話を切った鷲塚は、爆発寸前にまで膨れ上がっている感情を押し殺すように長く息を吐き出すと、おろおろとした様子で突っ立っているシンプソンに目を向けた。

「今夜中に東京に戻るぞ。
 羽田か成田の発着枠が使えるかどうか、すぐに調べろ。
 できなければ、他の空港か、もしくは民間機でもいい。
 とにかく、可能な限り早い足を探せ」

 底光りする鷲塚の瞳に射すくめられたシンプソンは、身震いしながら背筋を伸ばし、蹴躓きそうな勢いで部屋から飛び出していった。

 ドアが閉まり、シンプソンの足音が遠のく──。

 他に人がいなくなった部屋に静寂が満ちると、それまで押さえ込まれていた鷲塚の感情が突如として暴発した。

(……いったい、誰が、零を──)

 激しい怒りのまま、手にしていた受話器を大理石のテーブルに叩きつけると、プラスチックや金属の破片がバラバラと飛び散る。

 だが、荒れ狂い、咆吼する憤怒は、峻厳な自責の念によって冷却され、胸の奥底で凍結していった。

(……俺が甘かった)

 誰よりも守らなければならなかった存在──その零を万全に守護するためには、新堂一人の力では足りるはずもなかった。

 零を失いたくなければ、誰にも触れさせぬよう、閉じ込めておかねばならなかったのだ。

 傍にあったソファに腰を下ろした鷲塚は、双眸を閉ざし、かつて味わったことのない胸を引き裂かれるような苦痛と向かい合った。

 まだ見えぬ敵に対する激しい怒りと、己自身の失策に対する忿懣が、鋭い刃となって魂を切り裂き、眠っていた狂気を呼び覚ましてゆく。

(……零──お前は、俺の名を呼んだのか?)

 まるで幻聴のように響いた零の悲鳴──あれは、時空を越えて届いた零の叫びだったのだろうか。

 恐怖と絶望の中で必死に助けを求めていた零を、救い出すことができなかった。

(だが……せめて、生きてさえいれば……)

 そうすれば、もう一度零を取り戻す機会も与えられる。

 深く息を吸い込んで瞼を開いた鷲塚は、凍てついた復讐の炎を瞳に宿らせたまま、腕時計に視線を走らせた。

 時間稼ぎをしている古谷を、このまま放っておくわけにはいかない。

 ブラック・ブラッド──この名前が象徴する武器密輸シンジケートに接触をするまで、数年の時を要した。

 世界のパワーバランスが変わりゆく今、その予兆のごとく、裏社会にも変化の波が押し寄せてきている。

 アメリカ、中国、南米、東南アジア、中東、欧州、そしてアフリカ──。

 流動する世界に拡散を続ける黒い波は、いずれ日本をも巻き込み、平和を貪る日本人の生活を脅かすようになるだろう。

 そして、それはそう遠い未来の事ではない。

 極道といえど、日本国内で昔ながらの勢力争いをやっている場合ではないのだ。

 足早に階段を降り、鷲塚が地下射撃場のドアを開けると、いつの間にか武器商人の手下が五人、壁に貼りつくようにして立っているのが見えた。

「……帰ってきたか。見ろよ、見物人が増えてるぜ」

 軍人上がりと思われる屈強な男たちの監視の中で、古谷は飄々とした態度を崩さず、鷲塚にウィンクを送って見せる。

 鷲塚がブラック・ブラッドに向き直ると、武器商人はくすくす笑いながら肩をすくめた。

「彼らは、準備ができたと知らせに来てくれたんだよ。
 ただ、君の姿が消えたせいで、取引を下りたんじゃないかと心配しているようだがね。
 もっとも、そうなった場合の制裁を甘く見るほど、君は愚かじゃないだろう?」

 瞳に残酷な色を湛えて微笑んだブラック・ブラッドは、鷲塚を見つめた途端、急にうっとりとした顔つきで歩み寄ってきた。

「血に飢えた目をしている……何か、気に入らないことでもあったのかな?」

「お前には関係の無い事だ。
 もっとも、血に飢えているというのは、当たっているがな──借りるぞ」

 並べられた拳銃を見下ろした鷲塚は、見本のシグザウアーをシングルハンドで構えると、人型ターゲットに向けてトリガーを引いた。

 反動の衝撃が腕に走るたびに、集中力が研ぎ澄まされ、意識が冴え渡ってゆく。

 人間を射殺するクリティカルポイント──頭部、頸部、心臓、腎臓。

 硬い頭蓋に阻まれる頭部の場合は、特に鼻を。

 ライフルよりも威力の劣るハンドガンでは、一発の銃弾で致命傷を負わせるのは難しい。

 動き回るターゲットを仕留めるためには、ミスヒットを減らし、クリティカルポイントを確実に射撃する必要がある。

 どれほど大口径の銃であろうと、多弾倉であろうと、ただ闇雲に撃つ輩ならば恐れることはない。

 真に恐るべき敵は、どんな過酷な状況であろうと、非情なまでの正確性で、急所を狙い撃ちできる者だった。

 弾倉が空になったシグザウアーを置いた鷲塚は、ひときわ目を引く大口径のデザートイーグルを手に取り、ダブルハンドで構えた。

 装弾数は7発──湧き上がる鬱憤を晴らすように5発続けて撃つと、ターゲットが呆気なく千切れ飛ぶ。

 その鬼気迫る姿に圧倒されていたブラック・ブラッドは、腕を下ろした鷲塚に歩み寄ると、熱っぽく潤んだ瞳で見つめながら微笑んだ。

「さすがに『死神』と呼ばれているだけのことはあるな。
 君は、死の香りがよく似合う。
 こうして傍にいるだけでも、その香りに惑わされて、興奮してくるよ。
 君の手にかかって死ぬ者は、最期に甘美な夢を見るかもしれない」

 くつくつと笑ったブラック・ブラッドは、鷲塚の肉付きを確かめるように、肩から背中、そして腕へと掌を這わせた。

 それを見ていた古谷が、途端に顔をしかめ、そっぽ向きながら「うげぇ」と呟く。

 喜悦の笑みを浮かべた武器商人を、鷲塚は冷ややかに睨み下ろしていたが、突然鋼の瞳に稲妻のごとき怒りが閃いた。

 ブラック・ブラッドの首に、鷲塚の左腕が蛇のように素早く巻き付き、右手の拳銃を無防備なこめかみに押しつける。

「死にたければ、今この場で、貴様の頭をぶち抜いてやろうか?」

 力を緩めずに首を締め上げ、鷲塚が惑わすように耳元で低く問いかけると、武器商人は浅く息を喘がせた。

「──うあっ……あ、ぐぅ…ッ」

 それを見た配下の男たちは殺気立ち、瞬時に銃口を向けてくる。

 ブラック・ブラッドを盾に取っていた鷲塚は、それをちらりと一瞥し、呼吸の隙を与えるように腕の力を加減した。

「──死ねば全てが終わりだ。
 それを商う貴様が、どんな妄想を抱いているのかは知らんがな」

 耳元に拭きかかる吐息とともに、ずしりと響く低音が痺れとなって背骨を駆け抜け、男の被虐的な快感を強烈に揺さぶる。

 ブラック・ブラッドは欲情の眼差しで鷲塚を見上げ、訴えかけるように囁いた。

「う、ううぅっ……た、頼む……コ、コックを……握ってくれ」

 前方を膨らませたブラック・ブラッドが、自ら腰をこすりつけてくると、鷲塚はわずかに片眉をつり上げ、銃を向ける男たちの方を顎でしゃくった。

「手下の前で、みっともない姿をさらしたいのか?」

「──で、出て行け……お前たちは……外で待っていろ」

 ブラック・ブラッドは切羽詰まった声で言い放ち、追い払うように片手を振った。

 それを見た男たちは、困惑したように顔を見合わせ、のろのろと銃を下ろす。

「さあさあ、とりあえず、野暮は無しだ。みんなで大人しく待っていようぜ」

 苦笑しながら成り行きを見守っていた古谷が、大声で号令をかけ、怪訝そうに首をひねっている男たちを追い立ててゆく。

 硝煙の匂いが立ちこめる射撃場が静まり返ると、首を締め上げたままブラック・ブラッドをコンクリートの壁際に立たせ、鷲塚はもう一度耳元で囁いた。

「よくできたな──遠慮無く昇天しろ」

 愉悦の期待に身を震わせた男の腰に、鷲塚は膝頭を当てると、屹立した前方を押し潰すように衝撃を与えた。

「──お、おおぅ…ッ……いいッ……凄く、いいッ……!」

 苦痛が快感へと変わり、ペニスをそそり勃たせていたブラック・ブラッドは、白目を剥きながら身悶え、ズボンをはいたまま射精した。

 脱力した肉体を鷲塚が放り出すと、ブラック・ブラッドは床に転がったまま、ビクビクと小刻みな痙攣を繰り返した。

 陶酔した顔つきで寝転がっている男を見下ろした鷲塚は、だらしなく涎を垂らした頬を爪先で軽く蹴り飛ばした。

「殺戮者であるはずの貴様が、まさかマゾだとはな」

 醒めた声で鷲塚が揶揄すると、ブラック・ブラッドはにやりと笑い、うっすらと瞼を開いた。

「……サディズムは様々な場で発散できるが、マゾヒズムはなかなか満足できなくてね。
 皆、私のことをサディストだと思っているようだが、本来は表裏一体のものだ」

 ブラック・ブラッドはくつくつと笑うと、溜息をつきながら上半身を起こし、鷲塚を見上げた。

「君は、私の興味を満足させられた──取引に応じよう」