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Fatal Doll



<34>



 会社に残っている永井との電話を終えた東山は、何事も無かったように片付けられてゆく部屋を見渡し、重々しく溜息をついた。

「……新堂君に関しては、逃げられてラッキーだったと言えるでしょうね。
 おそらく犯人は、新堂君も共に拉致し、この場で殺害する予定だったはずです」

 そう言って、東山は残された手がかりを少しでも探そうと、両膝を折ってしゃがみ込んだ。

「犯人の目的は偽装か?」

 高宮の質問に、東山はうなずきながら視線を床に彷徨わせた。

「新堂君の死体が傍にあれば、あの顔の無い死体が零ちゃんではないかと、我々は強く錯覚することになる。
 犯人の立場からすれば、新堂君を自殺に見せかけて殺し、さらに二人の殺害に使用した銃を握らせた上で、警察に通報することも可能だったはずです。
 荒神会にとって一番厄介なのは、警察が介入してくることですから、そうなっていれば事態はますますややこしくなっていたでしょう。
 ところが新堂君を拉致できなかったため、犯人は警察を巻き込むことができなくなった。
 自分たちに捜査の手が伸びることを、さすがに恐れたのかもしれません。
 我々にとっては、不幸中の幸いだったというわけです」

 眼鏡のブリッジを押さえながら立ち上がった東山は、気難しい顔をして両腕を組んでいる高宮を見つめ、皮肉げに笑った。

「新堂君を褒めてやるべきですよ、若頭補佐。
 偶然にしても、ぎりぎりのところで荒神会を守ったわけですから。
 そして、今のところ、犯人を目撃した唯一の証人です」

「……そうは言っても、銃弾を食らって、意識不明の重体だそうだ。
 もぐりの医者に診せるしかないが、助かるかどうかもわからん」

 嘆息をもらした高宮を鋭く一瞥し、東山はきつく眉根を寄せた。

「零ちゃんを捜し出すためにも、新堂君に死んでもらっては困るんですけれどね。
 完全なるエマージェンシーなのに、救急車すら使えないとは、極道というのは本当に厄介なものです」

 皮肉の棘を散りばめた言葉を吐き出した東山は、苛立ちを振り払うように深い溜息をつくと、淡々とした声で話題を切り替えた。

「──しかし、新堂君があてにならないとなると、今ある情報だけで犯人を捜し出さなければなりません。
 この事件を起こした犯人は、いわゆる秩序型の犯罪者。
 犯行現場は整然としていて、凶器や証拠を全く残していない。
 死体は明らかにオーバーキルですが、顔を潰すという目的があるなら、極めて冷静な行動だったと言えるでしょう。
 おそらく知能レベルは平均以上、社会的な能力もある人物です。
 単独犯ではなく複数犯ということを考慮しても、非常に統制のとれた集団で、今回のような荒っぽい行為に慣れた者たちの仕業だと考えられる。
 零ちゃんを拉致したのは、間違いなく犯罪のプロというわけです」

「……そんなのは、この現場を見れば一目瞭然だろうが」

 高宮が素っ気なく応じると、東山はふんと鼻を鳴らした。

「現場を見た上での、最初のプロファイリングですからね。
 私たちは零ちゃんを見失い、今のところ追跡する手だてが無い。
 周辺の防犯カメラをチェックさせても、用心深い犯人は、手がかりを残さないでしょう。
 犯人が何者なのか──それさえ判れば、零ちゃんを捜し出すこともできるはずです。
 だからこそ、犯人像を絞り込み、該当者を割り出してゆくしかない」

「だが、そもそも犯人の目的は何だ?
 零さんを拉致して、それで終わりになるのか?」

 訝しげに呟いた高宮を見つめ、東山は冷静に言葉を継いだ。

「犯行のテーマは、これから明らかにしなければなりません。
 人質として誘拐された場合は、ある程度、命の保証がなされるはずです。
 私たちも、犯人が接触してくるのを待てばいい。
 しかし、零ちゃんの略奪が最終目的だった場合は、零ちゃんにとっては過酷な現実が待ち受けている。
 レイプ、暴行、殺害……そのような事が、犯人の趣向にそって行われるでしょう。
 このタイプの犯人は、支配欲が非常に強いんです。
 被害者を服従させるために、サディスティックな行為におよぶ場合が多々あります。
 ここにあった死体も、おそらく生きながら指を切り落とされたはず。
 零ちゃんにその行為を見せつけ、反抗心を萎縮させるために。
 私としては、犯人の嗜虐性を極力刺激しないよう、零ちゃんが従順であってほしいと、祈りたいところですよ。
 犯人が自制心を失えば、生きたまま零ちゃんを取り戻すことが難しくなる」

 自分の言葉に不快感を覚えた東山は、きつく眉根を寄せ、 心の動揺を鎮めるように一度瞼を閉ざした。

「──いずれにせよ、犯人は用意周到に犯行を計画しています。
 零ちゃんの周囲に不審者がいなかったかどうか、より注意深く調べる必要がある。
 そして、秩序型犯罪を起こす人間は、自分の『仕事』が上手くいったかどうか、その反応を確認したがります。
 それゆえに、我々は目を光らせて、今後その動きを察知するようにしなければ……」


 
 
 大きな衝撃を受けて身体が跳ね、その後、光が射し込んできた。

 窮屈なスーツケースの中に、全身を縮めるようにして閉じ込められていた零は、冷たいコンクリートの床に引きずり出された。

 転がった拍子に頭を打ち、その痛みが引き金となって、意識が覚醒する。

 だが、少し酸欠気味になっているのか、頭がぼんやりと霞み、ふらふらしていた。

 零が窒息しないよう、スーツケースには前もって空気孔が開けられていたようだが、それでも閉鎖された空間の中では、思うように呼吸することもできなかった。

 薄く瞼を開いた零は、少しでも沢山の空気を吸い込もうと胸を膨らませ、痺れている手足の関節をゆっくりと伸ばした。

 滞っていた血管に一気に血液が流れ込んでいくせいか、疼痛にも似た感覚が全身を駆け巡る。

 目を瞑ってその違和感に耐えていた零は、そのせいで、「ファントム」と呼ばれた覆面の男が傍に屈み込んでいることに、すぐには気づけなかった。

「……苦しかったかい?
 だが、ここまで来れば、もう大丈夫だ」

 汗ばんだ亜麻色の髪の中に、手袋をはめた手を差し入れながら、ファントムが呟く。

 ぐったりとしたまま、零が朦朧とした眼差しを向けると、ファントムはポケットからナイフを取り出し、毛布に巻き付けたガムテープを切り始めた。

 毛布が開かれた途端、他に身を包むものが無い身体に、冷たい空気がまとわりつく。

 ぶるりと身を震わせた零の足が無意識に縮こまると、ファントムは露わになった白い太腿を掌でゆっくりとさすり始めた。

「フフフ……寒いのか……可哀想に……」

 ファントムの手が触れた瞬間、全身に悪寒が走り、零は目を見開いて呻き声を立てた。

 この顔を隠した男は、罪の無い少女を傷つけ、むごたらしく殺害した──。

 新堂もまた、この男によって殺されたのだと思い出した途端、零の心臓は竦み上がり、全身が小刻みに震え始めた。

「う、ううっ……ううっ……」

 不気味な手から逃れようと、零は必死に身体をよじり、頭を振って男を拒絶しようとした。

 だが、両手足にはめられた手錠によって動きが制限され、床に広げられた毛布の上で、惨めな芋虫のように身をくねらせることしかできない。

 無意味な抵抗を楽しむように見つめていたファントムは、急に立ち上がると、他に人気のないがらんとした部屋から足早に出て行った。

 安堵に脱力した零は、瞼を閉ざし、できるだけゆっくりと呼吸を繰り返した。

(……海琉……私は……どうすればいい?)

 目を閉じれば、すぐに鷲塚の顔が思い浮かぶ。

 こんな時、鷲塚ならどうするのだろう──どうしろと言うのだろう……?

 心の中でそう問いかけると、冷徹な表情をした鷲塚が振り返り、鋭く輝く鋼の双眸で零を見つめた。

 だが、その声は遠く、零のもとへは届かない。

(……怖いよ、海琉……これから、どうなるんだろう)

 不安の中で思慕が募ると、涙がじわりと滲み出し、まなじりからこぼれ落ちてゆく。

 ところが、数分も経たないうちにファントムが再び戻ってくると、零は激しい恐怖と絶望に襲われ、できるだけ男から離れようともがいた。

 毛布の上で後退ろうとする零につかみかかったファントムは、口を塞いでいたガムテープを強引にむしり取ると、欲情を滲ませたしゃがれ声で囁いた。

「風呂の準備ができた。
 穢れきったこの身体を、綺麗に洗浄しておこう」

 大きく目を見開いた零は、頭を振り乱し、男の手から逃れようと無我夢中で暴れた。

「……いや…ッ……嫌だ……放して…ッ!」

 封じられていた悲鳴が喉から迸り、零は拒絶の言葉を放っていた。

 ガチャガチャと鳴る手錠が皮膚に食い込み、激しい痛みを生じさせる。

 だが、このまま大人しくファントムに従っていたら、どうなるか──。

 恐慌状態に陥った零の頬を、ファントムは平手で強く打ち据え、背後から喉を締めるように羽交い締めにした。

「大人しく言う事をきかなければ、仲間に輪姦させてからお前を殺し、その死体を送りつけてやる。
 メチャクチャにされた無惨な姿を、愛しい男の前にさらしたいか?」

 残酷極まりない殺人者の言葉が鼓膜に響いた瞬間、血が凍りつき、零の身体から抵抗する力が失われていった。

「──あ、あっ……ああっ……いや……止めて……」

 大粒の涙がぽたぽたと流れ落ち、零は呆然と双瞳を見開いたまま、力無くゆらゆらとかぶりを振った。

 するとファントムは、荷物を担ぎ上げるように肩に零を載せると、無人の廊下を通り、コンクリートが剥き出しになったバスルームへと運び込んだ。

 湯気で白く霞んでいるバスルームでは、天井に取り付けられた換気扇が、耳障りな音を立てながら回り続けており、その音だけが不気味に反響していた。

 眩しいほどのライトが反射するタイル張りの床に転がされた零は、まるで屠殺される家畜にでもなったような気分に陥り、がたがたと身を震わせた。

 無表情な白いタイルが敷き詰められた床の奥には、銭湯のように広い浴槽が造られており、溜められた湯から湯気が上がっている。

 その浴槽の縁には、何に使うのか判らない鉄製の手すりや取っ手のようなものが、いくつも埋め込まれているのだった。

 そして、天井からは鈎や鉄パイプに繋がった鎖が垂れ下がり、壁にも物を引っかけるようなフックが取り付けられている。

 ここは、一日の疲れを癒すために作られた居心地の良いバスルームではない。

 ただ物を洗浄するための、そして想像したくもないおぞましい行為が、人知れず行われるための空間だった。

 ファントムは、零の手から手錠を外すと、壁にかかっていた革製の枷で縛り直した。

 壁に埋め込まれたスイッチの一つを押すと、鈍いモーター音が響き、洗い場のちょうど中央部分に当たる天井から、ゆっくりと二本の鎖が下りてくる。

 白い湯気の中に揺れる恐ろしげな鎖を見上げた零は、いやいやと首を振りながら、全身を固く強張らせた。