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Fatal Doll



<38>



 触れたら切られそうな、殺伐とした雰囲気──。

 取引の後片付けに残してきた古谷は、帰国を急ぐ鷲塚の様子を見て、そう評した。

 張りつめた神経が少しも休まっていない事を自覚しながら、鷲塚が目を開けると、ちょうど車が駐車場に滑り込むところだった。

 一見すると、使用されていない古い廃倉庫。

 錆びた鎖が巻かれた扉の南京錠を、高宮が手際よく開ける。

 照明が落とされた内部は暗く、明かりが点くまで何も見えなかった。

 口をつぐんだ高宮が右手に突き進み、電灯のスイッチをペンライトで探す。

 ほどなく明かりが灯ると、ブルーシートに覆われた車が、がらんと寂れた倉庫の中央に現れた。

「──新堂の車です。
 東山がどうしてもと言うので、明日の午後6時まで保管することにしました。
 その後は廃車の予定です」

 新堂のBMWは、ガラスが砕け散り、ボディに幾つもの弾痕が刻まれていた。

 衝突したのか、フロントの形が歪み、サイドにはくっきりと擦過痕も残っている。

 一巡して、ざっと全体を観察した鷲塚は、スペアに替わっているタイヤに目を向けた。

「──死体はどこだ?」

「地下に置いてあります。アレを目にするたびに、吐くヤツが出ますので」

 死体の凄惨さは話に聞いていたが、零だと思わなければ、動揺することはない。

 ライフルで狙撃され、頭部が一瞬で破裂した血みどろの死体も、鷲塚は間近で見たことがあった。

 靴音だけが高く響く階段を降りた鷲塚は、地下室のドアが開いた途端、流れ出てきた血臭を嗅ぎ取った。

 寿命に近い白熱灯が、何度か点滅し、ようやくぼんやりとした光を投げかける。

 高宮はさらに、組み立て式照明スタンドのスイッチを入れ、荒んだ地下室を明るくした。

 照明スタンドに囲まれた、銀色の調理台のようなテーブルの上に、その死体は横たわっていた。

 高宮が無造作にブルーシートを剥ぎ取ると、付き添って来ていた男が「ぐぅっ」と息を詰めながら呻く。

「外に出ていろ。ここは高宮と二人でいい」

 鷲塚が軽く顎をしゃくると、男は蒼白になった顔で一礼し、足早に外に出て行った。

「コレを見つけたヤツは、一目見た瞬間、零さんだと錯覚したようです。
 確かに俺たちも背筋が寒くなりましたから。
 ただ、東山が違うと断定した後は、いろいろ相違点も見つかりました。
 後で調べたところ、血液型も違っていたようです」

 すでに血は赤黒く固まり、皮膚の色も青白くなっている。

 その足許に立って、裸で横たわる死体を見つめた鷲塚は、鳩尾を殴られたような衝撃を感じ、眉根を寄せた。

「確かに……服を着ていたら、見間違ってもおかしくない。
 顔の損壊が激しいだけに、一度そう思い込んでしまえば、零だと勘違いするだろう」

 元の顔立ちが判らないほど破壊された頭部に近づき、鷲塚は唇に薄く苦笑を刻んだ。

 血糊に塗れた亜麻色の髪は、強く零を思い起こさせる。

「……しかし、よく探し出したものだ。
 もし俺が犯人なら、この女を手に入れた時点で、勝利を確信したことだろう。
 となると、前々から用意周到に計画されていたのは間違いない。
 最初から零をターゲットにしていた確信犯だな」

 同意するように高宮がうなずいた。

「銃の特定はできたのか?」

「頭蓋に残っていたのは、9ミリマカロフ弾でした。
 新堂の車に残っていたのも、躰から出てきたのも、同じタイプのブレットだそうです。
 おそらく、敵が使用したのはマカロフだろうと」

 鷲塚は短く息を吐き出し、わずかに首を横に振った。

「誰でも入手可能──となると、密売ルートから探し出すのは難しい。
 足が付かないよう、あらかじめ注意を払っているんだろう」

 鷲塚は、照明スタンドを死体にもっと近づけるよう高宮に指示し、最も損壊が激しい頭部に顔を寄せた。

 頭蓋骨に残存している皮膚に、赤茶色のパウダータトゥーイング──火薬による点刻斑点を見つけ、他の銃創も一つずつ確認する。

 近射銃創の証拠……そして、死後に銃撃されたものではない。

「……椅子に縛り付けられていたと言ったな?」

 高宮がうなずく。

 それを証明するように、死体の手首には、拘束された鬱血痕がくっきりと残されていた。

「縛り付けたまま、敵は1メートル以内の近距離から撃った。
 目的は、殺害と顔の破壊。
 ただ、興奮状態だったのか、マガジンが空になるまで打ち続けている。
 計画そのものは緻密で冷静だが……この死体を見てみると、どうも素人臭い」

 それを聞いた高宮が、異論を唱えるように眉をひそめた。

「──ただの素人ではないでしょう」

 顔を上げた鷲塚は、軽く肩をすくめた。

「無論、ただの素人じゃない。だが、プロとも思えない。
 少なくとも俺だったら、顔を潰すのにマカロフは使わない。
 頭蓋骨は硬いからな。
 なら、鈍器で殴った方が確実だし、ロスが少ない。
 現場は山の中だったんだろう?
 凶器になりそうな物が、そこら辺にいくらでも落ちているはずだ」

 冷たく冴えた眼差しを死体に注いだ鷲塚は、脳内に犯行のイメージを投影し、ホルスターから拳銃を抜いた。

 トリガーに指をかけたまま、双眸を閉ざす。

「……観客に力を見せつけ、恐怖を植え付ける。
 最高のパフォーマンスだ。
 やがて、自分の力に酔いしれて高揚し、照準が甘くなり、ミスショットが生まれる。
 殺しを躊躇した様子は無いが、クールじゃない。
 俺が素人くさいと言ったのは、そういうことだ」

「──血を見て興奮したのでは?」

「そのレベルなら、素人同然だろう。
 あるいは、殺傷に快楽を得るたぐいの輩か。
 その場合は、大概性衝動と結びつく。
 そうなると……一連の行動に違和感が出てくるな」

 もはや高宮の存在は眼中に無く、鷲塚は時を越えた犯行現場だけを見ていた。

 死後硬直した死体の左手──小指から中指までが切断されている。

 傍に添えられていたのは小指と中指だけ。

 切り口は汚い。関節に刃を入れず、力任せに骨が断たれていた。

「……薬指が足りない。どこにやった?」

「見つかっていません。敵が持ち去ったのだと、東山は断言していましたが」

「持ち去った? 何故だ?」

 間髪入れずに鷲塚が聞き返すと、高宮は首をひねった。

「さあ、判りません。記念品って可能性もあるんでしょうが」

 鷲塚は鋼の双眸をすがめ、冷たくなった左手の甲を指先でなぞった。

 出血で汚れた肌に触れていると、鷲塚の指にも赤黒い血が滲む。

「……零──これが、零の見立てなら……」

 薬指に嵌っているのは、鷲塚が贈った指輪──所有の証。

 それが犯人の手で持ち去られたとするなら、何らかの意図が隠されているはずだった。

(……零。お前は、俺のものだ。勝手に死ぬことは、許さない)

 まだ見えぬ敵は、鷲塚の心に、何よりも効果的な楔を打ち込んできた。

 零に出会う前なら、感じることの無かった精神的な衝撃。

 それを、敵はとっくに見透かしている。

(──俺に対する……宣戦布告か)

 敵の激しい怨念が、死体にトレースされている。

 理屈ではなく、本能でそれを嗅ぎ取り、鷲塚は鋼の双眸を閉ざした。

「必ず、助ける──それまでは、何があっても生きろ、零」

 血塗れの死体に、一瞬、零の微笑む姿が重なり合う。

 氷のように冷たい左手に、鷲塚は誓約のキスを落とした。

「……この死体の身許は割れているのか?」

 やがて、重苦しい沈黙を自ら破り、鷲塚は高宮に質問を投げかけた。

 珍しく息を飲んでいた高宮が、我に返ったように首を横に振った。

「いえ、それはまだ。不法入国者の可能性もありますし、突き止めるのは難しいかと」

「丁度良い──まさに、理想的だ。
 見るものは見た。これを早急に処分させろ」

 一切の感情を消し去った声音で命じ、鷲塚は踵を返した。

 悲嘆に暮れ、後悔しているような時間は無い。

 戦いを挑まれているのなら、敵を倒さなければならない。

 連綿と続く弱肉強食の世界で、果てしない修羅の道を行く──それこそが、極道を選んだ鷲塚の運命だった。



 
(……海琉……助けて……お願い、傍にいて──)

 血塗れの悪夢にうなされ、何度も煩悶を繰り返していた零は、はっと瞼を開いた。

「──……あれは、夢……?」

 息を喘がせながら目元を押さえると、額がじっとりと汗ばんでいるのを感じた。

 瞼をしばらく閉ざしたまま、ゆっくりと呼吸を整える。

 そのうち、すぐ傍で規則正しい電子音が「ピッ、ピッ……」と鳴り続けていることに気づき、零はそちらに顔を向けた。

 枕元に置かれていたのは、病院で見かけたのと同じ点滴装置だった。

 視線を上げると、輸液剤のバックから、黄色く染まったチューブが伸びている。

 その透明なチューブの先を辿っていくと、自分の肘の内側に突き刺さっていることに気づき、零は愕然とした。

 だるく感じる躰をのろのろと起こした零は、部屋全体を見回し、牢屋のようだと思った。

 天井から吊り下がったペンダント式ライトが、ぼんやりとした青白い光で、部屋の中を照らし出している。

 天井も壁も、コンクリートが剥き出しになった部屋で、窓一つ無い。

 実際に入った事は一度も無いが、噂で聞く刑務所の独房というのは、こういう空間なのかもしれない。

 剥き出しになった洋式便器と洗面台の他には、ベッドしか置かれていないのだ。

 唯一のドアは、強固な鉄扉になっていて、目線の辺りに鉄格子が嵌っていた。

 おそらく自分は、この密室に監禁されているのだろう。

 そう認識した途端、胸の奥が締め付けられたように息苦しくなった。

「……夢じゃ……なかったんだ──」

 脳裡に焼き付いた、あまりにも残酷な殺人。

 少女の断末魔の悲鳴が、耳の奥で今でも鳴り響いている。

 思い出した途端、躰がガタガタと震え出し、零は目をぎゅっと瞑って両耳を押さえた。