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Fatal Doll



<4>



 先に出入り口のドアに向かった新堂は、ガラス越しに周囲の様子を観察した。

「──車、店の前に回します。
 俺が戻ってくるまで、絶対に外には出ないでくださいね」

 警戒心を露わにする新堂の言葉を聞き、零は戸惑いながらうなずいた。

 以前よりは慣れてきたものの、どうして新堂が──そして鷲塚が、零が出かけるたびに神経を尖らせるのか理解できない。

 誘拐される可能性を考え、さすがに一人で出歩くことはなくなったが、新堂の行動を見ていると、まるで敵に囲まれた戦場にいるかのように感じられた。

(……ちょっと過保護すぎるんじゃないかなあ)

 自分はあくまでも一般人で、敵対している人もおらず、こんな人通りの多い街中で命を狙われる危険性は無いように思えるのだ。

 ほっと小さくため息をついた零に、マスターの丹波が穏やかな声をかけた。

「ありがとう、零ちゃん。これに懲りずに、また来てやって」

 翔太の事を言われたのだと思い、振り返った零は顔をほころばせた。

「──はい、また来ます」

 新堂の車を探して、ふと外の通りに視線を向けた零は、反対車線側の歩道に奇妙な男が立っていることに気づいた。

 街路樹の陰に隠れるように立ったその男は、頭から目元まですっぽりと黒いニット帽を被り、白い大きなマスクで顔全体を隠している。

(……こっちを見てる?)

 不審者にも思える風体の男にぎょっとして、零は思わず一歩後退った。

 すると、その男はすっと木陰に姿を隠し、そのまま見えなくなってしまった。

 あの男は、零の事を見ていたのか、それとも偶然そこにいただけなのか──?

 怪訝に思い、眉をひそめて考え込んでいると、喫茶店の前に紺色のBMWが停まった。

「どうかしましたか、零さん?」

 カッツェのドアを開けた新堂が、零の顔を見て声をかけてくる。

 我に返った零は、何でもないと言うように首を横に振り、明るい笑顔を作って見せた。

(……多分、気のせいだし、言わなくてもいいか)

 新堂に余計な心配をかけさせるのも悪いと思い、零は微かに残る不安を振り払った。




 その後、新堂の車で鷲塚と暮らす高層マンションに戻った零は、カッツェで起こった出来事をすぐに忘れてしまった。

 結局、コーヒーで汚れたジーンズは、マスターの丹波がクリーニングに出すということで決着し、火傷もほとんど痛みが無くなり、治ってしまったようだった。

 マンションに戻った零は、翔太が買ってきてくれた軟膏を、念のため、もう一度だけ足に塗っておいた。

 だから、火傷のことなど、気に留めていなかったのだ──鷲塚が戻ってくるまでは。

 その夜遅く、若頭補佐の高宮と共に帰宅した鷲塚を、零は普段通り出迎えた。

「──おかえりなさい。遅かったね」

 新堂と一緒にテレビを見ながら、すっかりくつろいでいた零は、パタパタとスリッパの音を立てて玄関まで迎えに出た。

「親父のところに寄ってきた。
 体調は良くなっているようだが、やたらリクエストが多い」

 苦笑混じりに応じた鷲塚は、「元気になって良かった」と微笑んだ零を見下ろし、ふっと嘆息をもらした。

「……どうかしたの?」

 いつもとほとんど変わらないように見えるが、どことなく思い悩んでいるような鷲塚の表情に気づき、零は首を傾げた。

 そんな零を見つめた鷲塚は、唇の片端を微かにつり上げた。

「後で話す」

 短く答えた鷲塚は、緊張した面持ちで控えている新堂に、冷徹な視線を向けた。

 そして、何かを感じ取ったように、眉をひそめる。

「……つ、疲れたでしょ。今、お茶淹れるね。
 高宮さんも、お時間あるようだったら、飲んでいってください」

 ぴんと張りつめたその場の空気を和ませるように、零は慌てて明るい声を上げると、一抹の不安を感じながらキッチンに戻った。

 新堂は、カッツェでの一件を、鷲塚に黙っていてくれるだろうか──?

 ところが、そんな零の儚い期待は、すぐに破られることになった。

「若頭──申し訳ありません。
 俺の不注意で、零さんに火傷を負わせてしまいました」

 リビングのソファに座った鷲塚の前で、新堂がいきなり土下座し、額を床にくっつけるようにして謝った。

「……火傷?」

 鷲塚の眉が不快そうに寄せられ、唖然と立ちつくしていた零を鋭く見つめた。

「火傷といっても、もう治ったから!
 痛くないし、赤くなってもないし……。
 わ、私が……コーヒーこぼしちゃったせいで、新堂さんは悪くないんだよ」

(──言わないでって、言ったのに……)

 結局、新堂の鷲塚に対する忠誠心は、零の予想以上に強かったということなのだろう。

 内心は半泣き状態だったが、零はさりげなさを装いながら、そう言い繕った。

 だが、鷲塚の鋼の双眸に睨まれると、心の中を全て見透かされるように感じ、作り笑いが引きつってしまう。

 ゆったりと長い足を組んだ鷲塚は、土下座する新堂に冷ややかな眼差しを向けた。

「新堂──零はああ言っているが、本当のところは何があった?」

 淡々とした声で訊ねた鷲塚は、ジャケットから煙草を取り出した。

 黙って傍に立っていた高宮が、すかさずライターで火をつける。

(……これは……まずいかも)

 理性に押さえ込まれた鷲塚の苛立ちを肌で感じ、零は動揺した。

 穏便に解決しようと思っていたにも関わらず、かえって状況が悪化してしまったような気がする。

 土下座をしていた新堂は、一瞬、躊躇うように口を噤んだが、冷え冷えとした鷲塚の怒気に促されるように事情を説明し始めた。

 その間、零は金縛りにあったように動けなかった。

 やかんからシュンシュンと湯気が噴き出す頃になって、零はようやく我に返り、そっと腕を伸ばして火を止めた。

「……なるほどな」

 新堂の話を全て聞き終えた鷲塚は、ふうっと紫煙を吐き出し、低い声で呟いた。

「零、ここに来い」

 感情的な声ではなかったが、静かなだけに恐ろしく響く。

 急に怖くなり、零はその場から逃げ出したくなったが、鷲塚の言葉に逆らえるはずもなかった。

 見えない手で引き寄せられるように感じながら、零はのろのろと鷲塚に近づいた。

「火傷を見せろ」

 ソファの背に悠然と寄りかかっていた鷲塚が、ひどく冷淡に命じる。

「……こ、ここで?」

 その言葉に面食らい、零はうろたえて新堂と高宮に視線を走らせた。

 火傷をしたのが太腿だけに、すぐに見せろと言われても困ってしまう。

(……短パンにしとけば良かったかなあ)

 真那が買ってきてくれたガウチョパンツを、そのままはいていたのが悔やまれた。

 ところが、もたもたしている姿を見てしびれを切らしたのか、鷲塚は煙草をくわえたまま、零をソファの上に引き倒した。

「火傷をしたのは、こっちだったか?」

 邪魔だと言わんばかりに、反対側の足をソファの背に引っかけさせた鷲塚は、大きく開かれた両足の間に腰を割り込ませてきた。

「海琉っ!? ──ちょ……ちょっと待って!」

 仰向けに倒された零は、自分のあられもない格好に仰天し、両足を閉ざそうと必死でもがいた。

 しかし鷲塚は、慌てふためく零を軽々と押さえ込むと、ひらひらした白いパンツの裾を無造作にめくり上げた。

 ひんやりとした空気が入り込み、太腿が露わになる。

 そして、温かく大きな掌が、火傷した場所をさぐるように触れてきた。

「……やっ…いやっ」

 起き上がろうとしても思うように腰に力が入らず、零は身体をひねって逃れようとした。

 その時、煙草を指にはさんだ鷲塚が、危険な響きのある物憂げな声で言った。

「零──新しい火傷を作りたいのか?」

 零はびくりと身体を強張らせ、恐る恐る鷲塚を振り返った。

 残酷な光を帯びた鋼色の瞳が、ひたりと真っ直ぐに向けられている。

 抵抗しない方がいい──本能的にそう悟り、零は観念して、身体から力を抜いた。