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Fatal Doll



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 襲われたBMWの軌道と、襲撃ポイントの写真を見つめ、鷲塚は口を開いた。

「──何故ヤツらは、零がここに来ていることを知っていた?
 都内ならまだしも、零のふだんの行動パターンからは、すぐに対応できない場所だ」

 独白するような声に耳を傾けていた東山は、あえて言葉を挟まない。

「新堂が撃たれた、最初の現場に向かえ。
『聖母の家』の近くで二人が襲われたのが、やはり気になるからな」

 次は明確な指示。

 それを聞いた東山は、我が意を得たりとでも言うように、にやりと笑った。

「そう仰るのではないかと思って、わざわざ付いてきたんですよ。
 私も、どこから襲撃者が現れたのか、気になっていました。
 もしかすると、『聖母の家』の防犯カメラに、何かしら写っているかもしれません。
 私が同行すれば、その場でチェックできますからね」

 不敵な笑みを浮かべる東山を、鷲塚は醒めた流し目で一瞥した。

「俺の行動を張っていたのか?」

「いえ、当たりを付けただけです。
 どちらかと言えば私も、『確認したがる』タチの人間ですからね。
 推論の正しさを、自分の目で確かめたかった」

 東山は、ジャケットから携帯電話を取り出した。

「すぐに映像を見せてもらえるよう、『聖母の家』に、連絡を入れておきます。
 臨時システムチェックということにしておきましょうか」

 鷲塚は軽くうなずき、双眸を閉ざした。

 零は、響子の見舞いに行った帰り際を襲撃されたのだ。

 思考を巡らせた時、薫の言葉が、ちらりと脳裡をよぎった。

 結局、彼女と顔を合わせることになるのかもしれない。

 だが、危篤で昏睡状態なら、彼女にとっては不幸中の幸いだろう。

 憎むべき「悪魔」の顔を、最期まで目にすることなく逝けるのだから──。



 いつの間にか、雨は上がっていた。

 あるいは、こちらでは降らなかったのかもしれない。

 アスファルトに濡れた痕跡は無く、空気も乾いている。

 海を見晴らす駐車場に降り立った鷲塚は、用心深く周囲に視線を巡らせた。

 駐車する車の上を滑った眼差しが、一台の車を見定めて止まる。

「……姐さんが来ているのか?」

 見覚えのある車とナンバー──芭月が利用している本家の車に間違いない。

 冷たく冴えた胸の中がわずかに波立ち、鷲塚は短く息を吐き出した。

「厄介なのに出くわしたな。
 東山、お前は先に中央管理室に行っていろ。
 俺は姐に、挨拶だけしていく」

 零が拉致されたことを、入院中の総長や、その妻の芭月には知らせていない。

 情報漏れを防ぐため、今はまだ秘密にしなければならなかった。

「──了解しました。
 私もお目に掛かりたいのは山々ですが、ご挨拶はこの次にしましょう」

 皮肉げな微笑を浮かべて肩をすくめた東山は、さっさと病棟に足を向けた鷲塚の後を追いかけ、すぐに歩を並べた。

 中央管理室に向かった東山とロビーで別れ、鷲塚はエレベーターに乗り込んだ。

 五階に上昇し、ドアが開く。

 真っ先に足を踏み出そうとした鷲塚は、目の前に長身の男が立っていることに気づいた。

 やや遅れて、鷲塚に付き従っていた組員がにわかに殺気立つ。

「……失礼」

 一瞬、驚愕に目を瞠った男は、すぐに謝って脇に避ける。

 男から敵意は感じられず、鷲塚はそのままエレベーターの外に出た。

 擦れ違い様、目線を流し、男の容姿を記憶に留める。

 その男のジャケットには、ゴールドのバッチが輝いていた。

「正義と自由」を示す向日葵と、「公正、平等」を表す天秤が象られた、見紛うことのない弁護士徽章。

 富裕層が多く入院するこのホスピスならば、弁護士が往来していても不思議はない。

 遺産相続に関わる仕事は、いくらでもあるだろう。

 背後でエレベーターのドアが閉まる音を聞きながら、鷲塚は皮肉めいた考えを巡らせ、足早に505号室を目指した。

 ノックをせずに入室すると、連絡も無く現れた鷲塚に驚きの眼差しを向け、ベッドの傍に座っていた芭月が立ち上がった。

「──海琉。来てくれたのね」

「今朝、薫から聞きました」

 鷲塚が答えると、芭月は安堵の表情を浮かべ、酸素吸入を続ける患者を見下ろした。

「あなたが……少しでも響子を心配してくれるなら、嬉しいわ。
 どんな理由があるにせよ、あなたたちは、血を分けた親子ですからね」

 芭月の誤解をわざわざ訂正する気にはならず、鷲塚は沈黙を貫こうとした。

 しかし、テーブルの上に置かれていた写真を目にした途端、意表を突かれて、鷲塚は思わず眉根を寄せていた。

「……零?」

 ウェディングドレスを身にまとった零の写真──泣いていたのか、いつもより目元が腫れてしまっている。

 泣き笑いのような、ぎこちないその笑顔を見つめ、鷲塚はふっと苦笑を浮かべていた。

 壁にかけられた、鷲塚響子の古いウェディングドレス。

 零が着ているのは、それだろう。

「──お前は……どこまでもお人好しだな」

 零が、自分からドレスを着たがるはずはない。

 だとすれば、これは、響子に頼まれたのだろう。

「零さん、響子の夢を叶えてくれたのね。
『琉花』にドレスを着せてあげたいって……ずっと言っていたのよ、この子」

 そっと涙をぬぐいながら、芭月が呟く。

 鷲塚は、その時初めて、ベッドに横たわる響子に視線を向けた。

 痩せ衰え、小さく縮んでいるようにも見える姿。

 酸素吸入マスクを装着した顔には、明らかな死相が浮かんでいる。

 眼窩が落ちくぼんだ双眸は、固く閉ざされたまま、二度と開かれることはないだろう。

 呼吸が止まれば、命は尽きる。

 ここでは、人工呼吸などの延命処置は行われないはずだった。

「姐さん──時間が無いので、これで失礼します」

 五分のタイムロス。腕時計を見下ろし、鷲塚は淡々と告げた。

 手にしていた写真をテーブルに戻し、ドアに向かう。

「待ちなさい、海琉!
 せめて最期くらい、響子の手を握ってあげてちょうだい」

 思い出に浸っていた芭月が、狼狽えたように呼び止める。

 情の深い彼女の言葉が、部屋を立ち去る鷲塚には、ひどく耳障りに響いた。


 東山が待つ中央管理室に向かおうとした鷲塚は、ふと神経に引っかかりを感じ、隣の503号室のネームプレートに目を向けた。

 入院患者は田中弥生──特に記憶に残っている名前ではない。

 だが、気に掛かったなら、覚えておいた方がいい。

 精神のアンテナを張り巡らせていれば、必要な情報が、思いがけないところからもたらされる場合があった。

 施設内のセキュリティシステムを管理する、複数のモニターの前に陣取っていた東山は、防犯管理責任者である病院長を相手に、専門用語を散りばめた説明を展開していた。

 対する病院長は、曖昧な笑みを浮かべながら、目線を泳がせている。

 高齢の病院長が、何も理解できていないのは、一目瞭然だった。

「……ああ、鷲塚さん。お母様には、もう会われましたか?」

 鷲塚の顔を認めた途端、、病院長の顔に安堵の表情が広がった。

 東山の説明責めから、一秒でも早く逃げ出したいと思っていたのだろう。

「今しがた。貴院のきめ細やかな看護には、いつも感謝しています」

 心にも無い謝礼を口にした鷲塚は、ちらりと東山に視線を向けた。

 病院長の背後で、東山がわずかに肩をすくめて見せる。

「──実は、養母が先生と面談したがっています。
 お忙しいとは思いますが、話を聞いてやってもらえますか?」

 最大限にへりくだり、鷲塚が丁寧な口調で話しかけると、病院長は大仰にうなずいた。

 そして、最大の出資者である鷲塚に、揉み手をせんばかりに愛想を振りまく。

 経営難に喘ぐ病院が多い中で、このホスピスには潤沢な資金提供が行われていた。

「できるだけ、あの院長を長く引き止めるようにと、姐さんに伝えろ」

 鷲塚は、組員の一人にそう耳打ちし、部屋を出て行く病院長の後を追わせた。

「いやはや、助かりましたよ。
 背中に張り付かれていると、やはり、いろいろやりづらいですからねえ」

 デスクチェアを回転させ、防犯カメラの映像を映し出すモニターに向き直った東山は、慌ただしくキーボードに指を走らせた。

 すると、モニターの一部が、ライブ映像から録画に切り替わる。

「とりあえず、昨日分のデータは、全てダウンロードしておきます。
 何かご覧になりたい映像はありますか?
 別画面に映し出せますよ」

「零と新堂の行動が知りたい。
 駐車場に入った時から順次にだ──やれるか?」

「──もちろん」

 東山の指が踊ると、モニターの一つが切り替わった。

 そこに映っているのは、「聖母の家」の駐車場。

 新堂のBMWが、坂道から駐車場に向かって進入してくる。

 停車後、先に車から降りた新堂が、周囲を見回し、サイドシートのドアを開けた。

「一応、警戒はしてるみたいですね、新堂君」

 モニターに視線を向け、東山がくすりと笑う。

 鷲塚は、移動する零と新堂を見つめ、画面から消えたところで「次」と指示した。

 駐車場から病棟のエントランスへ。

 そして一階ロビーへと、東山は映像を切り替えてゆく。

 コースをそれて大理石像に近づいて行った零と新堂が、再び歩き始めた時、その前方から何者かが近づいてきた。

「──止めろ」

 画像が停止する。

 零と新堂が喋っている若い男……見覚えのある顔だった。

「こいつの行動をチェックしろ。関係者が病院内にいるのかどうか」

「了解。しかし、誰ですか、この子?」

「……零に火傷を負わせたバカだ」

 冷ややかに告げ、鷲塚は防犯カメラの録画を再生させた。