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Fatal Doll



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 その後、零と新堂は505号室に入り、しばらく出てこなかった。

 映像を早送りすると、新堂が外に出て行き、看護師と共に戻ってくる。

 過去の再現──残された記録を、カメラと同じ高い視点から見下ろしていた鷲塚は、再び一時停止させるよう片手を挙げた。

 隣室から出てきた翔太が、写真を手にした新堂に、親しげに話しかけている。

「503号室の患者……田中弥生だったか。カルテの確認はできるか?」

「私のスキルでは侵入できませんね。本社でやらせましょう」

 携帯電話を片手に、東山はさらに映像をモニターに送り出す。

 零がいる505号室は、それからあまり動きが無かったが、その間、503号室に新たな来訪者が現れた。

 見舞客にしては異様な風体の男だった。

 目深にニット帽を被り、サングラスをかけ、さらにはマスクで口許を覆っている。

「……何者だ?」

 鷲塚は眉根を寄せた。

 顔立ちはまったく判らないが、その体つきや動作の一つ一つが、奇妙なほど脳細胞を刺激する。

「東山──この男が乗ってきた車をチェックだ」

「了解」

 駐車場の監視カメラが映し出す映像が別のモニター上に開き、時間が巻き戻される。

 だが、そこに不審な男は映っていない。

 わずかに首を傾げた東山は、送迎車が利用するロータリーの監視カメラに切り換えた。

 録画が一気に巻き戻されると、マスク姿の男は、ロータリーを逆進する黒いミニバンの中に吸い込まれていった。

「この車、タイヤ痕を残していった襲撃車かもしれません。
 すぐにナンバーを照会させます」

 黒いミニバンの画像を、東山は本社で待機する永井に送信する。

 その後、病棟五階の録画に注意を戻した鷲塚は、二つの部屋にそれ以上の変化が無くなると、再び早送りを指示して時間を進めさせた。

 それから程なく、病室前の廊下で翔太と合流した零と新堂が、会話を交わしながらエレベーターに乗り込んでいった。

 三人で駐車場に向かうものの、何故か車には乗らず、和気藹々と庭の方へ歩いて行く。

「……まったく。何をやってるんだ、あいつらは──」

 この後、自分たちがどんな惨劇に巻き込まれるのか、想像もしていないだろう。

 楽しげな雰囲気に身を置く無邪気な零の姿を見つめ、鷲塚は思わず舌打ちをしていた。

 新堂の方も、翔太を警戒する様子がまるで無い。

「ここから先は、カメラに映ってませんね。
 戻ってくるところまで飛ばしましょうか」

 不穏な空気を放つ鷲塚の心境を察してか、東山が苦笑を浮かべて提案する。

 鷲塚がうなずくと、東山は映像を早送りさせたが、すぐに通常再生に戻した。

 薄暗くなってから入ってきた4WDが、駐車場の隅に停まる。

 誰かを待っているのか、その車内から人が出てこない。

「この車も……新堂君を襲撃した車と、多分同じ車種ですね」

 獲物を見定めたように、東山が眼鏡の奥で双眸を光らせた。

「こっちもナンバーを照会させます。我々の追跡にも役立つでしょう」

 映像が進み、零と新堂、そして翔太が連れ立って駐車場に戻ってくる。

 BMWに乗り込んだ二人を、翔太が見送る。

 駐車場から車が出ていくと、翔太は病棟へ駆け足で戻り始めた。

「しばらく、このまま早送りだ」

「この四駆が、いつ動き出すか……ですね」

 デジタル表示される時刻を確認しながら、鷲塚と東山は、その車を注視していた。

 すると、503号室に入室していたマスク姿の男が、病棟から再び姿を現し、4WDの助手席に乗り込む。

 4WDは動き出し、さらにその後、別の車が続く。

 あの黒いミニバンだった。

 どうやらロータリーを出た後、駐車場に戻っていたらしい。

「……あのマスクの男は相当怪しいですね。
 いったい、503号室の中は、どうなっているんでしょうか」

 訝しげに東山が呟くと、鷲塚は同意するようにうなずいた。

 不審極まりないのは、503号室だった。

 零がよく訪れる「カッツェ」でアルバイトをしている翔太。

 そして、そこに入っていったマスク姿の男。

 果たして彼らは何者なのか、そして、この二人を結ぶ関係は何なのか──?

「503号室のカルテが来ましたよ」

 パソコンに転送されたデータを開きながら、東山が声をひそめた。

「田中弥生……ここに入院してきたのは、二ヶ月前か」

 翔太は、二ヶ月ほど前に母親が入院したと、「カッツェ」でも語っていた。

 それが響子と同じ「聖母の家」──果たしてそれは、本当に偶然であったのか……。

「この部屋に出入りした人間を全てチェックしろ。
 隣の部屋なら、盗聴もやりたい放題だっただろうからな」

 カルテに目を通しながら鷲塚が指示すると、東山はうんざりしたように天を仰いだ。

「……簡単に言ってくれますがね。
 二ヶ月分の記録をチェックするのは、相当時間がかかりますよ。
 今ここでやるのは無理ですから、適当な理由をつけて、本社に仕事を回します」

「このカルテを高宮にも転送しておけ。翔太の素性を洗い出させる」

 声音に苦労を滲ませる東山には頓着せず、鷲塚は続けて指示を出し、自分もまた高宮に電話をかけた。

「──『カッツェ』でバイトをしている田中翔太という男を監視し、尾行をつけろ。
 見張っていることを気取られるな」

 さらに鷲塚は、カルテに記載された住所と電話番号を伝えた。

 翔太が、どこまで事件に関与しているのかは判らない。

 襲撃には参加していないようだが、これまでの映像を見る限り、無関係ではないだろう。

 協力者という可能性は十分にあり得る。

 だが、零の命がかかっている以上、今はまだ慎重に行動する必要があった。

「──予定変更だ。データを移したら、都内に戻るぞ」

「おや、襲撃現場は見なくてもよいと?」

 問いかける東山に、鷲塚はうなずいて見せた。

「俺たちは刑事(デカ)じゃない。ヤツらを裁判にかける必要もない。
 零を取り戻し、敵を破滅させればいいだけだ」

 どんな風に零が襲撃されたのか、それを今の時点で検証する必要は無い。

 鷲塚が知りたいのは、細部よりも全体の戦略だった。

 絵を描いているのは誰か──そして彼は、どんな絵を完成させるつもりなのか。

 後手に回った現状を打破するためには、敵が何をしようとしているのかを見定め、先回りしなければならない。

「では、そっちは私がやっておきますよ。見落としがあると困りますからね」

 慎重になった東山の言葉を聞き、鷲塚は皮肉っぽく唇をつり上げた。

 緻密さと完璧性を求める東山なら、思わぬところから情報を見つけ出すかもしれない。

 最後に、昨日から今日にかけて503号室を来訪する人物をチェックさせる。

 すると、東山が、驚きの声をあげた。

「……おやおや、功刀先輩じゃないですか。
 これはまた、意外な人に遭うものですねえ」

 鷲塚がモニターに意識を向けると、先刻エレベーターで出くわした長身の弁護士が映し出されていた。

「お前の知り合いか、東山?」

「ええ、まあ。功刀彰丈──同窓の先輩なんですよ。
 私と違って、非常に真面目な男です。
 大学卒業後、そのままずっと弁護士として活躍してます」

 デスクチェアにゆったりと寄りかかった東山は、足を組み直しながら首をひねった。

「ただ、私の印象では、彼は犯罪に手を出すような男ではないんですよ。
 むしろ、暑苦しいくらいの正義漢で、私とは全くそりが合わなかった。
 何故、よりによってこの男が関わってくるのか……」

 鷲塚は、醒めた目を弁護士を見つめた。

「東山──この男が、零の拉致にどう関わっているのか、お前が突き止めろ。
 知り合いなら、その立場を利用できるだろう?」

 うなずいた東山は、急に首をひねって鷲塚を見上げ、うっすらと笑って見せた。

「今、良いことを思いつきました。
 せっかく来たんですから、私が503号室のお見舞いに行ってきますよ」

 モニターに向き直った東山は、両手の指を組み合わせ、人の悪い笑みを浮かべた。

「翔太クン……なかなか私好みなんです。
 だからこの際、お母様にご挨拶したいですねえ。
 ついでに、マスクの男の事も、ナースから話を聞いてきます」


 聞き込みを東山に任せ、先に駐車場に戻った鷲塚は、運転手が困惑の表情を浮かべていることに気づいた。

「……実は……姐さんが中に──」

 目線をリアシートに向け、運転手がぼそぼそと呟く。

 思わず天を仰いでいた鷲塚は、顎をしゃくってドアを開けさせ、車に体を滑り込ませた。

「わざわざ待ち伏せですか?」

 揶揄するように問いかけると、芭月は身を強張らせた。 

「いったい、お前は何をやっているの、海琉?
 話してくれるまで、私はここを動きませんからね」

 背筋をぴんと伸ばした芭月は、顔を正面に向けたまま、厳しい声で告げた。

「沈黙を守ってくださるなら、話します。
 姐さんにも、協力をお願いしたい事ができましたから」

 心理的な距離を保ちながら、鷲塚は淡々と告げた。

 その途端、芭月は憮然とした表情で、じろりと睨みつけてきた。

「……私を誰だと思ってるんですか? 
 だいたいさっきだって、お前は体良く私を使ったでしょう」

 黙って話を聞いていると長くなるため、鷲塚は会話を断ち切った。

「昨日、ここから帰る途中、零が拉致されました。新堂も銃撃され、入院中です」

「……まさか……零さんが?」

 唖然としていた芭月は、狼狽えたように聞き返した。

 事の重大さを理解させるため、鷲塚は一拍の間をおいた。

「どうやら零の拉致に、隣の503号室が関わっているようです。
 後で盗聴器を仕掛けますから、動きがあったら報告してください。
 姐さんがここにいても、不審に思う者はいないでしょう」

「──判りました。お前の言う通りにしましょう。
 でも……零さんは、無事なの、海琉? 
 私が無理に、ここに連れてきてしまったから……」

 修羅場慣れした芭月でさえ、ショックを隠せないようだった。

 深い後悔と自責の念に駆られたように、両手で顔を覆ってしまう。

 その姿を横目で見つめ、鷲塚は嘆息をもらした。

「ヤツらは、零を拉致するチャンスを、虎視眈々と狙っていました。
 ここで襲わなくとも、いずれどこかで襲撃してきたはず」

 そうは言うものの、この「聖母の家」は、おそらく襲撃の最有力候補として上げられていた場所だろう。

 敵は何度もシミュレーションを重ね、地の利をいかし、新堂の車を効果的に追いつめた。

 ここに鷲塚響子が入院していることを知り、あらかじめ下調べをしていたに違いない。