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Fatal Doll



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「これじゃ、何も判りませんね」

 内容を読み上げた東山が苦笑する。

 ロールスクリーンが下ろされ、外部からの視線が遮断された店内を見回していた鷲塚は、ふと奥の席に視線を向けた。

 零がまだここで働いていた頃の事をふと思い出す。

 あの頃の零は、日中は女の格好をして、ウェイトレスとして働いていた。

 初めて顔を合わせた場所が、ここだったのだ。

 丹波が戻ってくると、鷲塚は揺らいだ心を再び封じ込んだ。

「これです。『零さんへ』って書いてあるんですが……零ちゃんに、渡してもらえますか?
 多分、この間の事の、おわびじゃないかと思うんですが」

 包装紙で包まれ、リボンがかかった小さな箱。

 一見すると、普通のプレゼントのように見える。

「おやおや……中身は何でしょうね?」

 揶揄するように笑いながら、東山が暗に注意を促してきた。

「あの……鷲塚さん。もしかして、零ちゃんに何かあったんですか?」

 箱を手に取った鷲塚を見上げ、丹波が心配するような顔つきで訊ねてくる。

 小さな箱を手の中で弄んだ鷲塚は、否定するように首を横に振った。

「──特に何も。今日は別件で来ただけだ。
 次に零が来た時は、いつも通り迎えてやってくれ」

 納得しきれないのか、丹波は深い困惑の表情を浮かべていたが、ためらいがちにうなずいて見せた。

 何かを感じ取り、零の安否を気遣ってくれているが、結局のところ、何も知らない方が丹波自身のためなのだ。

 東山を一瞥し、鷲塚は目配せをする。

 次の行動を察知した東山は、さり気なくレジの方に向かいながら、丹波に呼びかけた。

「──ところで、マスター。この退職届に、ちょっと気になることがあるんですが……」

「気になるところ? 何でしょう?」

 東山の声につられ、疑いもなくそちらに近づいていこうとする丹波の首に、背後に立った鷲塚はすばやく腕を巻き付けた。

 驚愕の気配、そして抵抗──10秒を数える前に意識が落ち、丹波の身体がずっしりと重みを増す。

 鷲塚は、東山に顎をしゃくると、気絶した丹波の身体を近くの椅子に座らせた。

 ドアを開けた東山は、待機していた二人の男を呼び込む。

「──レジ周りを優先的に。それからマスターの指紋も忘れずに」

 慣れた手つきで指紋採取の準備を始める男たちに指示をすると、『カッツェ』のドアをロックした東山は、足早に事務所に向かった。

 その間、鷲塚は「プレゼント」の包装を開き、その中身を確かめる。

 緩衝材に包まれた円筒形のプラスチック瓶。

 柔らかな緩衝材の中から抜き取ると、水溶液で充たされた容器の中に、白く変色した人間の指が沈んでいた。

 零に贈ったプラチナの指輪が、膨張したその指の第二関節に引っかかっている。

 照明に容器を翳した鷲塚は、唇に冷笑を刻んだ。

 死体から失せた肉の欠片──襲撃者と翔太の繋がりを示す、決定的な証拠。

「中身はやっぱり指でしたか。爆弾じゃなくて、良かったですね」

 事務所から戻ってきた東山が、 ビニール袋に入れた白い紙を振って見せながら、冗談めかした口調で言う。

 鷲塚は、ホルマリン瓶を東山に向かって放り投げた。

「念のため、携帯電話に残っている零の指紋と照合しろ。
 形から見ても、あの死体の薬指だろうがな」

「了解です。私も、翔太君の履歴書を発見しましたよ。
 住所はカルテと同じですが、これなら、指紋は間違いなく出てくるでしょう。
 もっとも、本人が用心していなければ……ですが」

 通りすがりの人間に不審を与えないよう、作業は素早く行われた。

 作業員が撤収すると、鷲塚はまだぐったりと目を瞑っている丹波の身体を起こし、両手で顎と頸椎を引き上げるようにして仰向かせた。

 反射的に深く息を吸い込んだ丹波は、ややあってから、朦朧としたまま瞼を開けた。

「──大丈夫ですか、マスター?
 だいぶ、お疲れのようですが……今日は、早く休まれた方がいいですよ」

 鷲塚がその場を離れると、入れ替わりに東山が気遣いの言葉を投げかける。

 瞬きをしながら二人を見上げた丹波は、束の間何が起こったか思い出せないという様子で頭を傾げ、頭を掻いていた。



 今では愛おしいと思える光景──空の中に高く突き抜けた高層マンションの窓から、もっと高いところにある蒼穹と、白く霞んで見える地上を見下ろす。

 閉じ込められていた時は泣いてばかりいたが、それでもあの場所には、太陽の光と青い空、そしてきらきらと宝石のように輝く夜景が見えた。

 大切にされていたのだ……強引に監禁され、捕らわれの生活を送っていたとしても、昼か夜かも判らない暗闇の中に留め置かれはしなかった。

 何もかもが止まってしまったような孤独な暗黒は、いともたやすく精神を蝕んでいく。

 一筋の希望を信じることが、どれほど難しいのかを思い知らされる。

 せめて、窓があれば──昼と夜の移ろいを感じることができれば、明けない夜は無いのだと、信じることができるだろうか……?

 零は目を覚まし、シーツにくるまるようにして丸めていた身体を、ゆっくりと伸ばした。

 もう、朝になったのだろうか……?

 音さえも聞こえない部屋の中では、何も確かなものがない。

 もう一度瞼を閉ざした零は、襲いかかってくる不安や恐怖を頭の外に追い出し、いつも通りの朝の情景を思い出そうとした。

 コーヒーを淹れて、二人分の朝ご飯を作って……。

 鷲塚が、起き抜けにシャワーを浴びに行くのも、朝の習慣の一つだった。

 明るい朝の陽射しの中で、バスローブ姿でテーブルに座る鷲塚の姿は、夜とはまた違う雰囲気が漂っていて、零はいつもドキドキしていた。

 露わになった広い胸元から、精悍な男の色気が匂い立つようで、知らず知らず目を奪われてしまう。

 だから、キスをされても拒めない──抱き締められると、何も考えられなくなった。

「……海琉……ちゃんとご飯、食べてる?」

 面影に囁きかけると、ほろりと涙がこぼれ落ちた。

 その時、部屋の外で足音が響き、零は目元や頬をシーツでぬぐった。

 慌ててベッドの上に座り込み、膝を抱えて躰を縮める。

 いつの間にかその格好でいる時が、一番安心できるような気がしていた。

 鍵が開けられ、鉄のドアから入ってきたのは、翔太と、彼の背後に控える二人の男たちだった。

 二人とも屈強な体つきをしており、ジャケットやシャツまで黒一色のスーツ姿だった。

 彼らを従える翔太は、何かを決意しているような、暗く厳しい顔つきをしている。

 何かが起こる……零は不意にそう感じ取ったが、それ以上逃れようもなく、壁際にずり下がった。

「──零さん。今日はちょっと、仕事をしてもらうよ」

 思い切ったように翔太は口を開き、背後の男たちに指を振って見せた。

 男たちは無言でベッドに近づき、片隅で躰を縮こめている零に手を伸ばした。

「──い、いや…ッ! 止めて……ッ!」

 逃げようともがく零をベッドから引きずり下ろし、一人の男が背後から上半身を拘束する。

 すかさず、もう一人の男が零の両脚をすくい上げ、そのまま二人がかりで、部屋の外へと運び出した。

 零が連れ込まれたのは、無機質なコンクリートに囲まれた部屋だった。

 中央に真っ黒な革張りの椅子──肘掛けと、二股に別れたフットレストに、革のベルトが取り付けられている。

 その正面には、音楽スタジオを思わせるような窓。

 だが窓ガラスは透明ではなく、鏡に張り替えられていて、恐ろしげな椅子を無情に映し出していた。

 そして天井には、椅子を見下ろすビデオカメラ。

 抵抗も虚しくその椅子に座らされた零は、両手を肘掛けに固定され、両脚も開かされた。

 足首に固いベルトが装着されると、翔太が傍に近づき、悲鳴を上げ続ける零の口に、球状の口枷ボールギャグを噛ませた。

 惨めな呻き声と、呼吸音だけが外に漏れ出し、まともに喋ることすらできなくなる。

 声を上げ続けていると、開きっぱなしの口の端から、唾液がこぼれ落ちた。

「……万が一、舌を噛まれても困るから、念のため」

 相変わらず表情を冷たく強張らせたまま、翔太は一度鏡の方を振り返った。

 翔太の頭部には、いつの間にかヘッドセットが嵌められ、ここにはいない誰かの声を聞いているようにも見えた。

 翔太は、部屋の隅に置かれていた銀色の器具台を押して来ると、それを零の足許近くにセッティングした。

 その上には、針がついた注射器や、見るもおぞましい淫具などが置かれている。

「これから、ビデオ撮影をするんだ。
 零さんが、ちゃんと生きてるって証拠を、鷲塚サンに送ってやらなきゃいけないからね」

 口許のマイクを調整しながら、翔太は事務的な口調で淡々と告げる。

 ヘッドフォンからは、鏡の向こうから指示が飛んでくるのか、言葉を切るごとに、翔太の視線がそちらへと流れていた。

 何をされるのか悟った零は、蒼白になったまま、死にもの狂いで身を捩らせた。

「──うぐぅぅッ……うぅ…ッ……ぐうぅ……」

 くぐもった悲鳴が溢れ、苦悶の涙が流れ落ちる。

 だが、そんな零の姿を無表情で見つめたまま、翔太は男たちに指示を出して、椅子の角度を調節させた。

 ショーの観客席は、大きな鏡──零自身の目にも、自分の姿が飛び込んでくる。

 男たちは左右に立つと、一人が動かないように肩を押さえつけ、もう一人が長いハサミを使って寝間着を切り裂いていった。

 抵抗することすら許されないまま、青ざめた素肌が露わになってゆく。

 監禁されて以来、下着を身につけさせてもらえなかったため、寝間着が一枚の布きれと化すと、躰を隠すものが何もなくなった。

 恥辱と無力感に打ちのめされ、大粒の涙が溢れ出す。

 そんな零の顔をのぞき込んだ翔太は、優しく宥めるような口調で囁いた。

「泣かないで、零さん──気持ちいいことするだけだから……。
 何も考えずに、快感に溺れればいい。
 気分が出るように、少し、手伝ってあげるよ」

 そう言って、翔太は黒いアイマスクで零の目元を覆い隠した。

 溢れ出した涙は、黒い布の中に吸い込まれていく。

「何も見えなくなれば、ここがどこかも忘れられるでしょう?
 鷲塚サンに、抱かれているとでも思っていればいい。
──そうすれば、もう……苦しくないよ」

 視覚が閉ざされると、他の感覚が鋭くなる。

 バタンと音が響いて、部屋の外に、誰かが出て行くのを感じた。

 あるいは……他の誰かが、入ってきたのか──それさえも判らなくなった。