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Fatal Doll



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 東林総合警備株式会社内に編成された特別対策チームは、ほぼ荒神会の準構成員から成っており、チームリーダーは社長の東山自らが務め、荒神会との連絡役は永井大輔が配された。

 鷲塚が日本に戻った時にはすでに、この特別対策チームによって、GIS(地理情報システム)を利用した新たなクライムマップが作成されていた。

 鳴川零略取に関する極秘犯罪地図──この一件を知らされていない社員はアクセス不可となっているが、このデジタルマップには、犯人の活動痕跡が全てプロットされている。

 事件の発生地点、発生時間、発生状況の他、防犯カメラなどの分析から新たに取得されたデータなども随時記録され、GISの基本機能──オーバーレイ機能や、空間検索などが、荒神会のコンピューターからも自在に行えるようになっていた。

 とはいえ、まだ情報不足であることは否めない。

 クライムマップから目を離した鷲塚は、オフィスチェアを回転させてデスクの上に両足を投げ出し、姿勢を崩して瞼を閉ざした。

 ほとんど瞬きもせずモニターに集中していたためか、眼球の奥がわずかに痛む。

 それでもなお、零が捕らわれていそうな場所を脳裏にイメージする。

 だが、都内に的を絞ってさえも、世界最大の人口や経済規模を誇る東京都は、あまりにも巨大だった。

 無限とも思えるビル、住宅、工場、倉庫──。

 その瞬間、顔面を破壊された青白い全裸の死体が、銀色のストレッチャーに仰向けに横たわっている幻影が見えた。

 はっと双眸を瞠った鷲塚は、一瞬眉間に深く皺を刻むと、再び瞼を閉ざして頭の中から亡霊を追い払った。

 その時、モニター以外の照明を落とし、上映中の映画館のように暗くなっていた部屋が、突然明るくなった。

 ドアを開けて入ってきた高宮が、照明のスイッチを点けたらしい。

「若頭──どうせ、ほとんど眠っていないんでしょう。
 情報待ちの間に、仮眠を取ったらどうです?」

 高宮の忠告に薄目を開けた鷲塚は、そのまま視線をずらし、モニターに表示される時刻を確認した。

 午前1時──零が拉致されてから、すでに30時間以上経っている。

 網膜を刺激する蛍光灯の明かりを遮るように目を閉じた鷲塚は、右手で眉間を押さえながら、左手を軽く振って見せた。

「休むなら、お前が先に寝ろ、高宮。
 この程度なら、俺はまだ動ける」

 すると高宮は「やれやれ」と嘆息混じりに呟き、普段よりも幾分皮肉げな声で言った。

「俺はともかく、若頭が休んで下さらないと、他の連中がおちおち眠れません。
 連中の睡眠不足が、後で祟ったらどうするんです?
 肝心な時に使い物にならなかったら意味がないでしょう。
 それとも、神経が昂ぶって眠れないと言うのなら、今から何か用意させましょうか──酒でも……女でも」

 デスクの上に投げ出していた足を組みかえた鷲塚は、表情を変えない高宮の顔を横目で睨みつけたが、口を開きかけた途端、部屋に飛び込んできた古谷の声に遮られた。

「──やっぱり、まだここに残ってやがったな、お前ら。
 土産、アーンド、陣中見舞いを持ってきてやったぜ」

 緊迫した空気を全く気にかける様子も無く、古谷はスペースが空いたデスクの上に、携えてきた手荷物をどっさりと置いた。

 その後に、苦笑を浮かべる東山が続く。

「9時過ぎに羽田に到着したそうですよ。 
 せっかく立ち寄ってくださったのですから、コーヒーでもご一緒にと思いまして」

「俺はアルコールでもいいぜ。
 ブラックブラッドの野郎が、土産にって、ワインを寄越したんだ。
 ただの変態ヤローかと思ってたが、意外に話せる奴だったぞ、あいつ」

 凍てついたように硬直していた空気が、古谷の侵入で掻き乱され、流れを変える。

 思わず口の端に苦笑を浮かべていた鷲塚は、相変わらずド派手な格好をしている古谷を見やり、空席に向かって顎をしゃくった。

 そんな鷲塚に向かって、古谷は紙袋から取り出したビニールの小袋を放り投げる。

 果実酒用の氷砂糖──つまり、脳細胞のエネルギー補給をしろと言うことなのだろう。

 今の状況では、余分な物が混ざっている食事より、純度の高い糖分の方が有り難い。

 胃袋に食事が停滞すれば、脳への血流が悪くなり、頭が働きが鈍り始める。

 鷲塚は氷砂糖を一粒、口の中に放り込んだ。

「──それより、新堂はどうした? 生きてんだろ、あいつ?」

 椅子を引いて腰を下ろした古谷が、前のめりになって訊ねてくる。

「大水病院で手術をして、今はまだ入院中です。
 意識は戻ってますが、しばらくは絶対安静だとか」

「お水の爺さん、手先、まだ大丈夫だったのかよ?」

 事務的に説明をする高宮に、古谷が絡む。

 双眸を閉ざしたまま二人の会話を聞いているうちに、鷲塚の記憶は、大水病院を二度目に訪れた時点へと飛んでいた。



「若頭、申し訳ありません──俺の力が……至らなかったばかりに……零さんを……」

 失血によって青ざめた顔を歪ませ、ベッドから転がり落ちそうになりながら、新堂は掠れた声を振り絞るようにして詫びた。

 必死に土下座をしようとする新堂を、手術を行った大水院長がどら声を張り上げながら取り押さえ、ベッドに押し戻そうとする。

「寝ていろ、新堂。零はまだ、見つかっていない。
 責任を感じているなら、さっさと体調を戻して、捜索に加われ。人手が足りない」

 鷲塚の言葉を聞いた新堂は、後悔に苛まれるように身を震わせると、どっと脱力してベッドに横たわった。

 慌てて大水院長が酸素マスクを装着させ、咎めるように鷲塚を睨んだ。

「──それより、覚えていることを話せ、新堂」

 鷲塚が命じると、新堂は瞼を閉ざしたまま小さくうなずき、深い呼吸を数回繰り返した後で薄目を開けた。

「声に出すのが辛かったら、うなずくだけで良いです。
 まず……あなた方を襲った犯人の中に、この男はいましたか?」

 プリントアウトしたマスク姿の男の写真を、東山が新堂の視界に差し出す。

 確認するように新堂の瞳が揺れ、わずかに頭を縦に振った。

「……この男が、リーダーでした。
 襲撃者は……運転手を含めて……おそらく7人ほど。
 襲ってきた5人のうち4人は……軍隊の経験者のようにも見えました。
 全員が銃を持っていて……慣れてました。
 でも、このマスクの男だけは……他のヤツらより……動きが悪かった」

「この男について、何か覚えていることは?」

「──すみません……暗かったので、あまり……。
 ただ……一言、ヤツの言葉が気になって……。
 零さんを盾に取った時、この男が……『お前が、零を見殺しにできるなら』と。
 零さんの事を……知っているヤツなんじゃないかと……その時、感じたんです」

 新堂の言葉を聞いた鷲塚は、わずかに双眸をすがめた。

 しかしそれ以降、衰弱した躰に負荷がかかったのか、新堂の答えも次第に要領を得ないものに変わっていく。

 限界だと判断した大水院長は、病室から鷲塚と東山を追い出した。



「──それよりよ、鷲塚。俺も協力してやるから、詳しい話、教えてくれや」

 古谷の声で回想から引き戻された鷲塚は、「どうする?」とでも言いたげな東山にうなずいて見せた。

「事件の要点を説明してやれ。
 現時点で判明した事実を総括する良い機会だ」

「なるほど。では、せっかくですから、捜査分析といきましょうか。
 今後の捜査方針を決めることもできるでしょうし」

 了承した東山が、壁際に寄せられていたホワイトボードを、古谷の正面へと移動させる。

 ホワイトボードには、田中翔太とマスクの男、そして弁護士の功刀などの写真が張り出されていたが、東山はそこに書かれていた情報を一度消し去った。

「──おお! 何か、捜査会議って感じだな。刑事(デカ)になった気分だぜ」

 半身を乗り出して、古谷がにやにやと笑う。

 事の深刻さは認識しているのだろうが、どんな事態に陥っても、マイペースに飄々と切り抜けていくのが古谷の性格だった。

「警察の装備と人手と権限があれば、こんなに苦労はしませんよ」

 一方、説明する側の東山は、自嘲的に呟きながら眼鏡のブリッジを押し上げると、教師のような口調で理路整然と語り始めた。

 最初に、「聖母の家」を出た零と新堂が襲撃に遭い、偽装された死体が発見されるまでの経過を、発生時刻と場所をプロットしたクライムマップで示しながら、順を追って説明していく。

「ここまでで、質問は?」

 レーザーポインターを掌に打ち付けながら、東山が古谷に問いかけた。

「とりあえず、何が起こったのかはよく判った。
 それより、GPSとGISの違いって何だ?
 アナログな俺にも判るように説明してくれ」

 最も基本的な質問に意表を突かれたのか、東山は苦笑を浮かべると、古谷が理解しやすいように、様々な事例をモニター上に映し出した。

「GPSは、カーナビと一緒で、現在自分がどの地点にいるかを示すものです。
 GISというのは、こういうデジタルマップと、データベースが組み合わされたシステムの事を言います。
 我々が使っているのは、犯罪の過去データと、空間データなどを統合したもの。
 これを使うと、一見、無関係なパターンに、関連性を見つけることができるんですよ。
 例えば……昨年1月の盗難事件は、23区のどこで、何時頃に頻発していたか──ということを検索することもできます」

 頭を整理するように、口の中でブツブツと略称を唱えていた古谷は、納得したようにうなずいて見せた。

 次に東山は、ホワイトボードに貼り付けた、マスク姿の男を指し示した。

「さて、新堂君にも確認してありますが、実行犯のうちの一人、おそらく主犯だと考えられる人間がこの男です。
 ご覧の通り、名前も顔も謎のままですので、便宜上、『容疑者A』と呼ぶことにします」

 東山は、ホワイトボードに近いモニターに、「容疑者A」のデータを映し出した。

 データは、容貌、住居、移動手段、その他などに分類されているが、まだ記録された情報は少なかった。

「私が『聖母の家』で聞き込んでみたところ、この『容疑者A』は、田中翔太の兄であるとナースに認識されていました。
 全身に火傷を負っているそうで、他人を驚かさないよう、覆面姿で現れたのだとか。
『聖母の家』の病室を訪れたのは一度きりですから、この男の素顔を知る病院関係者は一人も存在していません。
 しかしながら、田中翔太の戸籍を調べると、彼に兄弟は存在しない」

 田中翔太と母親の顔写真を貼り直し、東山はコツコツとホワイトボードを叩いた。

「この田中翔太という子は非嫡出子──いわゆる、私生児なんです。
 半年ほど前までは、母親と二人で、カルテや履歴書に書かれている住所に住んでいた。
 実際、住民票はまだ、この住所に残っています。
 しかし、半年ほど前から、彼の姿が以前ほど見られなくなったと、同じマンションの住人が言っていました。
 その後、母親の方も『聖母の家』に入院し、それと同時期に、夜逃げのように引っ越しをする姿が目撃されています。
 大学を休学したのも、この時期です」

 東山の言葉を補足するように、高宮が口を挟んだ。

「内部を確認したところ、個人的な物が全て消えていました。
 部屋の中は、もぬけの殻です」

「……なら、この翔太ってえガキが一番怪しいじゃねえか。
 そもそも何で、こんなガキが、容疑者Aとつるんでるんだ?
 零ちゃんを拉致する動機が、こいつにあるのかよ?」

 怪訝な顔をして古谷が訊ねると、東山は軽く肩をすくめて見せた。

「この二人をリンクするものが何なのか、それはまだ判りません。
 翔太君が、零ちゃんを拉致する動機も、今のところ見当たらない。
 一方の容疑者Aは……さてどうでしょうか?」

 東山は、考え込むように首をひねった古谷を見返し、ホワイトボード上の翔太と容疑者Aを一つの円でくくった。

「一般的に人質事件を引き起こすのは、単独犯が圧倒的に多いんです。
 しかしながら、複数犯による犯行、特に三人以上による犯行は、政治・思想的動機を持つ者の仕業、あるいは暴力団員によるものが多くなる。
 今回、零ちゃんたちを襲撃した実行犯は7人。
 仮に翔太君が連絡役だとするなら、総勢8人による犯行となります。
 これほど大所帯となると、個人的な動機というよりは、組織の利益に関わる動機があると考えられます。
 つまり、零ちゃんを拉致することによって、結果的に何かしらの利益を得る組織が存在するということですね」

 東山は、ホワイトボードに描いた円に、組織「X(エックス)」と書き加えた。