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Fatal Doll



<49>



「寝ろ」と口々に騒ぐ古谷たちから離れ、誰もいない応接室に入った鷲塚は、東山から渡された物に目を向けた。

 ジッパー付きのポリ袋に入った、零の私物──1つは携帯電話、もう1つは死体の薬指に残されていた指輪。

 鷲塚が廊下に出たところで、後から追いかけてきた東山が差し出してきた物だった。

「指紋の採取を終えて上に保管してあったんですが、ずっと電話が鳴っていたそうです。
 どうも、零ちゃんのお母さんからのようですが──」

 着信ランプが点滅する携帯電話の受信履歴を確認すると、確かに画面には「お母さん」と表示されている。

(……何故、あの人は、零の事になると──)

 これも、虫の知らせというやつだろうか。

 零の事になると敏感に異常を察する鳴川美弥子の顔を思い出し、鷲塚は思わず嘆息をもらしていた。

「朝になったら連絡しておく。騒ぎ立てられると、また面倒だからな」

「──お願いします」

 だが、あの母親を納得させられるだけの嘘が、今は何も思い浮かばない。

 思考力が落ちているのだとすれば、忠告通り眠った方が良さそうだった。

「それから、これも。ホルマリンに漬かっていた零ちゃんの指輪です。
 一応、洗浄はしてありますが、お返ししておきます」

 応接室のソファに腰を下ろした鷲塚は、小さなストックバッグに収められていた指輪を、掌に転がした。

 零の薬指を飾っていたはずのダイヤモンドは、惨劇に巻き込まれてもなお、その輝きを失わずに煌めいている。

 この指輪の持ち主はまだ、どこにいるのかさえ判らなかったが。

(戻ってきたら……あいつの躰の中に発信機でも埋め込むか?)

 もう二度と、見失う事がないように──。

 自問自答した鷲塚は、小指にすら嵌らない細い指輪を見下ろし、即座に己の考えを退けた。

 その程度では、同じ事が必ず繰り返される。

 今後、何者であれ零には手出しができなくなるよう、徹底的な見せしめが必要だろう。

 龍の逆鱗に触れた者が間違いなく殺されるように、苛烈な報復が行われることを、敵対者に宣告しなければならない。

 なめられたら終わり──それが、極道の不文律だった。

 テーブル上の灰皿に指輪を転がした鷲塚は、首にぶらさがったネクタイを解き、シャツのカフスを外した。

 カフスを同じように灰皿に落とすと、指輪に当たり、カチンと硬質の音が響く。

 ソファに身を横たえた鷲塚は、双眸を閉ざした。

 眠れるとは、はなから思っていない。

 だが、思考を止めようとするほど、零の面影が瞼の裏にちらつき始める。

 感傷的になるのは、気力が落ち、理性の箍がぐらつき始めているからなのだろう。

 街中で零を見つけ、強引にその躰を奪って閉じ込めた時、零は深い悲しみと絶望に彩られた瞳を向けてきた。

 今もまた、笑顔が消え、セピアの瞳に涙を溜めているのか……それとも、絶望して、涙すらも凍りついてしまったか──。

『──海琉……いってらっしゃい』

 平穏な微睡みの中、微笑みながら囁いた別れ際の声が、ふわりと鷲塚の耳に響いた。




 ベッドに重く沈み込んでいる躰を動かし、「うーん」と呻きながら寝返りを打った真那は、欠伸をしながら目を覚ました。

 職場の『クリスタルローズ』を出て、馴染みのホストクラブで遊んで、帰ってきたのが午前6時頃。

 女王様気分で飲み明かしたのはいいが、さすがに全身に疲労感が残っていた。

「──今、何時……?」

 恐らく正午は回っているだろう。

 大きな欠伸を噛み殺した真那は、睡眠不足と肝臓疲労でだるさを訴える躰を引きずり、ゆっくりとベッドから降りた。

 窓のカーテンを開けると、真昼の陽射しが容赦なく瞳に射し込んでくる。

 コーヒーメーカーとトースターをセットした後、真那は熱めのシャワーを浴びて髪を洗い、自分自身にさらなる覚醒を促した。

 ここのところ家事をサボっていたから、溜まっている洗濯物を片付けて、掃除もしなければならない。

 そんな事を考えながら、お気に入りのスウェットに着替えた真那は、ブランチにする前に、一階のエントランスにある集合郵便受けへと向かった。

 居住者のみ立ち入り可能なオートロック式のマンションだが、郵便物の受け取りには少々手間がかかる。

 昨夜のように帰宅時のチェックを忘れると、翌朝になって取りに行かなければならない。

 もっと快適なマンションもあるのだが、なかなか引っ越しする気になれないのは、今の部屋を気に入っているからだろう。

 暗証番号を押して自分の郵便受けを開けた真那は、半乾きの髪を手櫛で梳きながら、中に入っていた郵便物を取り出した。

 ダイレクトメールが多いが、その中に一通、厚紙の大きな白い封筒が入っていた。

 中に緩衝材が入っているのか、分厚くなったその封筒には、差出人の名前も住所も書かれていない。

「……何、これ?」

 首を捻った真那は、耳元で封筒を振り、中身の感触を確かめた。

 カタカタと、固い物が入っている音が聞こえる。

 手に持った感覚から考えると、CDやDVDのようなディスク状の物体かもしれない。

 糊付けされた封筒の口を開け、中身を取り出した真那は、自分の推理が正しかったことに満足をした。

「差出人不明なんて、怪しすぎるけどさ〜」

 これまた何の記載も無い真っ白なDVDに視線を落とし、真那は独り言を呟きながら、エレベーターに乗り込んだ。

 もしかすると、これを送ってきたのはストーカーのたぐいかもしれないが、封筒の中に入っているディスクが爆発物とは思えない。

 パソコンで確認するくらいなら、さほど被害は無いだろう。

 新手の押し売りという可能性もあるが、いざとなれば警察に届ければいい。

 そんな暢気な事を考えていた真那だったが、食事をしながらDVDをノートパソコンにセットした直後、モニターに映し出された衝撃的な映像に凍りついた。

 手に持っていたコーヒーカップが床に落ち、フローリングに跳ね返ってガチャンと割れる。

 コーヒーが床に飛び散ったが、真那の目はモニターに釘付けになったまま、瞬きもできずに大きく見開かれていた。

「──な…何……これ? まさか……零ちゃん?」

 アイマスクで目許は判らないが、ボールギャグを噛まされ、全裸で拘束椅子に縛り付けられているのは、零のように見えた。

 迸る悲鳴と、虫の羽音のようなバイブレーターの振動音──淫らに開かれた白く華奢な躰が、哀れな操り人形のように椅子の上で跳ねる。

 ハードなSMプレイなのか……だが、まるで拷問のような風景。

 ただの悪戯で送られてきた裏ビデオだと思いたかったが、耳を塞ぎたくなるような悲痛な声は、確かに聞き覚えがあった。

 呆然としていた真那は、それ以上続きを見ていられなくなり、慌てて映像を切った。

 どうすれば良いのか、何が起きているのか判らず、一瞬パニックに陥る。

「……お、落ち着け、真那。とにかく、零ちゃんがいるかどうか、ちゃんと確かめよう」

 声に出して自分に言い聞かせ、深呼吸をする。

 真那はテーブルに置いてあった携帯電話を取り上げ、零に電話をかけた。

 無機質なコール音が何度も繰り返されると、焦燥と不安が一気に膨れ上がる。

 零には、数日前に『カッツェ』で会ったばかりだった。

 それなのに、その零が、何故、あんな目に遭っているのかが判らない。

 ただの人違いであって欲しいと、真那はイライラと爪を噛みながら、電話口に零が出るのを待った。

「──ああ、もう! 何で出てくれないのよ、零ちゃん!」

 ついに通信を切った真那は、半泣きになりながら、思わず頭を抱えていた。

 こんな時、次に連絡を取ればいいのは誰か──?

「……薫先生? でも、仕事中だったら、絶対出られないし」

 長い髪を乱暴に掻き乱した真那は、はたと閃き、アドレス帳からその名前を捜した。

 一度関係を結んで以来、時々顔を合わせていた男。

 東山のプライベート用ナンバーに電話をかけた真那は、男が出るのをしばらく待った。

『──真那ちゃん? 君から電話を掛けてくるなんて珍しいね』

 ようやく東山が応じると、真那は思わず安堵の溜息をもらしながら、早口になりそうな自分を抑えた。

「零ちゃんに、電話が繋がらないの。
 東山さんなら、何か知ってるんじゃないかと思って……」

 念のため、様子を探ってみる。

 しかし東山は、普段と全く変わらない口調で淡々と答えるだけだった。

『零ちゃん? さあ、私も毎日連絡を取っているわけじゃないから。
 時間を置いてから掛け直してみたらどうだい?』

「用件はそれだけ?」と聞き返され、真那は躊躇して口を噤んだ。

 だが、我慢も限界だった。

「あの……鷲塚さんに……見てもらいたい物があるの。
 あたしの家に、変なDVDが送られてきたから。
 そこに映ってるのが……もしかしたら、零ちゃんじゃないかと思って──」

 一瞬の間。次に答えた東山の声は、怖いほど真剣なものに変わっていた。

『それなら、私から渡しておこう。
 今、ちょうど出先だから、すぐに真那ちゃんの家に立ち寄れる』

 東山が直々に訪ねて来るというのが、きっと答えなのだろう。

 震える唇を噛みしめた真那は、一度深呼吸をした後、決然とした声で東山に言った。

「それはダメ。あたしから直接渡すから、鷲塚さんに会わせて。
 ねえ、東山さん──零ちゃん、誘拐されてるんじゃないの?」

 ダメ押しするように訊ねると、東山の気配が電話口からわずかに離れ、ややあってから応答が返ってきた。

『──判った。私が迎えに行くまで、そこで待っていなさい。
 君には聞きたい事もあったから、丁度良い。
 真那ちゃん……今夜、仕事は?』

「えっと……必要なら、休むけど……」

『では、適当な理由をつけて休んでくれ』

 そう言って電話を切ろうとした東山を、真那は慌てて呼び止めた。

「待って! 零ちゃんは……ホントに誘拐されちゃったの?」

 不安と疑惑で揺れ動く心に、終止符を打ちたかった。

 その疑問に答える東山の声は、聞いたことがないほど冷たい響きを宿していた。

『君の推測通りだよ、真那ちゃん。
 零ちゃんは何者かに拉致され、我々は今、その行方を追っているところだ』

 通話が途切れると、真那は震える手でディスクをパソコンから取り出し、ケースの中に収めた。

 次の行動を考えながらしゃがみ込み、床に落ちたコーヒーカップを拾い上げる。

 割れてしまったコーヒーカップ──それは以前、零がプレゼントしてくれたものだった。

 真那と同じ『クリスタルローズ』でバーテンをしながら、『カッツェ』でも働いていた零が、マスターの丹波と共に選んでくれた誕生日プレゼント。

 あの優しい友人が、何故再び残酷な事件に巻き込まれてしまったのか。

「……零ちゃんが、どうして──?」

 きつく瞼を閉ざしていた真那は、目を開けて立ち上がると、匿名の封筒を睨みつけた。

 このDVDを送りつけてきた人間が、犯人に違いないのだ。

 何を考えているのか知らないが、これの送り先に自分を選んだからには、何か意図が隠されているのだろう。

「──絶対に……絶対に、許さないんだから」

 眉間にきつく皺を刻み、真那は拳を握り締めた。