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Fatal Doll



<5>



「……確かに、痕にはなっていないようだな」

 なめらかな白い肌を検分するように、鷲塚は掌を這わせた。

 その手は膝頭から太腿を遡るように滑り、長い指先が柔らかな内股を妖しく彷徨う。

 くっと息を飲み、零は両目を閉ざした。

 火傷のせいなのか、いつもより過敏になっている太腿の皮膚に、その愛撫は官能的な刺激となって襲いかかってくる。

 息を止めてこらえていないと、身体が震えてしまいそうだった。

 このまま何をされるかわからない──激しい不安と秘やかな快感が、胸の中で大きく膨れ上がってゆく。

 ところが、鷲塚の手は、唐突に零の肌から離れていった。

 ほっと細い息を吐き出した零は、安堵する心とは裏腹に、肉体が失望にわななくのを感じていた。

 両性を有する零の肉体は、鷲塚の手によって快楽に溺れ、愉悦に震える淫らな性をつちかわれ、いつしか男の指先ひとつで翻弄されるようになっていた。

 灰皿に煙草の灰を落とした鷲塚は、土下座をしたまま顔を伏せている新堂を、冷ややかに眺め下ろした。

「新堂──零の傍にお前を置いているのは、遊ばせるためじゃない」

 激高することもなく、鷲塚は淡々と告げた。

 しかし、その低い声の奥底には凍えた怒りが宿っており、頭を下げていた新堂は、喉元に抜き身の刃を押しつけられているように感じた。

「……わかっています」

 背筋が冷たくなるのを感じながら、新堂は押し殺した声で答えた。

「だ……だから、新堂さんは悪くないんだよ……私が……」

 ひやりとする二人のやり取りを聞いて、身体を起こした零は慌てて訴えた。

 ところが、土下座をしていた新堂が、真剣な声でぴしゃりと言い放った。

「零さん──これは、俺の不始末ですから、黙っていてください」

 思ってもいなかった新堂の言葉に、零はびくりと身体を震わせた。

 こうなっては、黙って成り行きを見守るしかない。

 だが、大人しくしていなければと思いつつも、何を考えているのか判らない鷲塚の様子に不安を覚え、零は顔を曇らせた。

 反応をうかがうように鷲塚を見つめたが、彫刻めいた秀麗な横顔には、情動など微塵も浮かんでいない。

 やがて、鷲塚はソファから腰を上げると、土下座する新堂の顔を片手で仰向かせた。

「俺がいない間、零の命はお前に預けてある。
 ──それを忘れるな」

 身を屈めた鷲塚は、射貫くような鋼色の瞳で新堂を見すえ、耳元でそう囁いた。

 はっと双眸を瞠った新堂は、次の刹那、激しい苦痛に顔を歪め、喉を絞るような低い呻き声を上げた。

「……ぐうぅッ!」

 束の間、何が起こったのか判らず、零は新堂の顔を凝視した。

 いつも溌剌としたハンサムな顔は苦悶に歪み、額には脂汗が浮かび上がっている。

 無意識に視線をずらした途端、鷲塚の持っていた煙草が、新堂の手の甲に押しつけられていることに気づいた。

 そして、鷲塚は眉一つ動かさず、冷酷ですらある非情の瞳で、苦しむ新堂の顔を見下ろしているのだ。

 声も出ないほどに驚愕した零は、鷲塚に飛びついた。

「──海琉ッ! お願い、やめて!」

 ところが、それまで沈黙を保ち、ほとんど動かなかった高宮が、長い腕を伸ばして零の身体をソファに引き戻した。

 その強い手を振りほどこうともがきながら、零は必死で鷲塚の名を呼び続けた。

 たとえ新堂に過失があったのだとしても、こんな風に傷つけていいはずはない。

 こんなのは間違っている──零はそう叫びたかったが、新堂はきつく奥歯を食いしばったまま、ほとんど声も立てずに、その信じがたい行為に耐えていた。

 鷲塚がソファに戻ると、全身を硬直させ、小刻みに震えていた新堂の身体から、どっと力が抜けた。

 噴き出した冷や汗が、床の上にポタポタと落ちる。

 崩れそうになった新堂だったが、身体を支える両腕に力を入れ直し、鷲塚に深々と頭を下げて見せた。

「──申し訳ありませんでした」

「高宮、連れて行け」

 ほとんど声音を変えずにそう命令した鷲塚は、何事も無かったかのように、ゆったりと足を組んだ。

 新堂に歩み寄った高宮は、片腕でその身体を引っ張り上げると、足許をふらつかせる部下を引きずるようにして部屋から出て行こうとした。

「新堂……一日よく考えろ。
 今の役目、降りたければ、降りればいい」

 振り返ることもなく鷲塚がそう告げると、リビングのドアのところで立ち止まった新堂は、青ざめた顔のままかぶりを振った。

「いえ、考えるまでもありません。
 零さんは……俺が守ります」

「失礼します」と新堂は最後に頭を下げ、ややあってから玄関のドアが閉まる音が響いた。

 呆然としていた零は、しばらく身動きすることもできなかった。

 理解を超えた衝撃の顛末に、頭の中が真っ白になってしまっている。

「零──もう遅い。風呂に入って、先に寝ていろ」

 嘆息をもらした鷲塚にそう促されると、零はようやく我に返り、残酷な男の顔を見つめた。

「……どうして……あんな酷いことを?
 新堂さん、何も悪いことしてない。
 コーヒーこぼしちゃうなんて、誰にでもあることでしょう?
 そんな事で、新堂さんを責めるなんて、酷すぎるよ」

 すると鷲塚は横目で零を見返し、さも嘆かわしいとでも言いたげに宙を仰いだ。

 その表情を見た途端、胸の奥から急に悲しみと怒りが湧き上がり、涙となって流れ落ち始めた。

 どうすればわかり合えるのか──。

 時として、零と鷲塚の間には、越えることのできない壁が立ちふさがることがある。

 もともと住む世界が違うのだから仕方ないと、零は自分自身に言い聞かせていたが、それでも受け入れがたい状況が生まれることもあった。

 今がまさにその時。

 理由を訊ねても、鷲塚は答えない──ならば、どうやって彼の考えや思いを知ればよいのだろう?

 絶望にも似た無力感に襲われ、零はただ悲嘆にくれるしかなかった。

 ところが、鷲塚は重い口を開き、微かに物憂げな声で言った。

「零……死んでからでは取り返しがつかない。
 新堂も、それは十分に判っているはずだ」

 思いがけない言葉に驚き、うなだれていた零は顔を上げた。

 鷲塚はため息をつくと、涙を溜めた瞳を揺らす零を、広い胸の中に引き寄せた。

「俺に敵が多いのは今さら言うまでもないが、お前を巻き込みたくない。
 だが、向こうはお前を狙うだろう。
 お前が、俺の弱点であることを知っていればな……」

「でも……だからって……」

 自分の事を考えてくれるのは嬉しいが、暴力的な事はどうしても馴染めない。

 そういう世界なのだと頭では理解しても、いざ目の前で人が傷つくと、心が凍りついたように萎縮してしまう。

 それが仲の良い新堂であれば、なおさらだった。

 瞼を閉ざした零は、涙に濡れた頬を鷲塚に押しつけ、全身から力を抜いた。

 鷲塚と共に過ごす時を重ねてゆけば、いつか自分も多くの罪に染まって、何も感じなくなるのだろうか。

 それとも、上手に何も見ない振りをして、笑いながら生きていくのか──。

 だが、どれほど思い悩んでも、未来の事は判らない。

 不意に、鷲塚の手が零の両耳を塞ぎ、そのまま引き寄せるようにして唇を奪った。

 なだめようとするのではなく、まるで罰するような強いキスに零は打ち震え、促されるままに口を開いていた。

 だが、鷲塚の舌が滑り込むと、零はその異様な感覚におののき、小さく喘いだ。

 互いの舌が絡み合う音が、まるで別の生き物が頭の中で蠢くように、ピチャピチャと淫らに反響する。

「──あっ……いや……」

 弱々しく抵抗しても、鷲塚は零の下唇を軽く噛み、逃がそうとはしなかった。

「……はあっ……ふ…ぁ……あ、あっ……」

 敏感な粘膜を舌先で丹念になぞられると、ぞくぞくとした刺激に翻弄され、呆気なく零の息は上がってしまう。

 何も考えるな──鷲塚の心の声が響いてくるようだった。

 感覚を支配され、その生々しい水音の奔流に飲み込まれた零は、身体の芯が甘く痺れていくのを感じた。

 ざわめきが指先まで達すると、くなくなと頽れそうになる。

 支えを求めて、鷲塚の背中に両腕を伸ばした零は、そのままゆっくりとソファの上に押し倒されるのを朧気に感じていた。