Rosariel.com
Fatal Doll



<50>



 夜が明け、午前6時に総本部事務所の近くのホテルに入った鷲塚は、シャワーを浴び、着替えを済ませた。

 張り詰めた神経は冴えたまま、眠ることができない。

 結局一睡もできず、事務所に泊まり込もうとする高宮と東山を自宅に帰した鷲塚は、しばらく一人きりでGISと向き合うことになった。

 眠ろうと無駄な努力するより、そちらの方が遙かに気も鎮まったのだが──。

 モニターだけが光る暗闇の中で、一人思惟を巡らせていた時、意識の表面に浮上してきた直観があった。

 以前、これと同じ事を経験している──その不気味なほどの相似性。

 あれは、九頭竜組の跡目を狙っていた九竜裕吾が引き起こした、零の拉致事件。

 犯人の九竜裕吾は表向き病死扱いで始末され、北聖会の会長である御山が、直々に葬儀を仕切った。

 北聖会とは手打ちとなり、御山はその後、目立った行動は何一つ起こしていない。

 一度だけ『コロッセウム』に顔を出し、挑発めいた言葉を残していったが──。

(だが……御山が黒幕だという根拠はどこにも無い)

 その一方で、御山を信用することもできない。

 死体の偽装くらいなら、あの男は平気でやるだろう。

 鷲塚はふと目線を上げて、ホワイトボードに張られた容疑者Aの写真を凝視した。

 偽装された死体に漂っていた激しい憎悪を、翔太から感じることは無かった。

 だが、零と共に訪れた「カッツェ」の店前で、殺意を向けてきた者が確かにいる。

 あれが容疑者Aで、御山に処分されて死んだはずの「九竜裕吾」だとしたら──?

 零に恋着をしていたのは、あの男もまた同じ。

 御山の手で、過去の亡霊が蘇ったのだとすれば、拉致された零はどうなるか。

(……あの時、俺の手で、確実に殺しておけば──)

 鋼の双眸を眇めた鷲塚は、胸の奥でうねるどす黒い疑念を抑えつけるように、奥歯を噛みしめた。

 だが、この直観が真実だったとしても、総長や高宮、下部組織を納得させるだけの明確な根拠がなければ、北聖会と争うことはできない。

 内通者からの報告は何一つなく、御山邸に張り込ませている組員からも情報は上がってこないのだ。

 御山が黒だと断定できないなら、表面的には平穏を保つ二大組織の均衡を、こちらから破ることはできなかった。

 気がつくと己の推論に引きこまれそうになっていた鷲塚は、一旦思考の枠を外し、新聞の朝刊に目を通した。

 朝食はルームサービスで済ませたが、そうしている間にも、入れ替わりで事務所に戻った高宮から連絡が入る。

『──御山に動きが出ました。
 本家を出て、例の愛人の家に向かったようです。
 情報によれば、その後、二人で軽井沢の別荘に行く予定だとか』

「……いい身分だな」

 胸の奥で再びざわりと苛立ちが蠢き、鷲塚は思わず舌打ちをしていた。

『若頭はまだ、御山が関わっていると疑ってるんですか?』

「組織が絡んでいるとすれば、因縁深い北聖会を、可能性から外すことはできない。
 御山が一連の策略を巡らしたなら、動機は明らかだ」

 御山ならば、軍資金もある、命令に従う手下もいる、銃器も扱える──理想的な黒幕であるには違いない。

 東山が地理的プロファイリングで絞り込んだエリアには、御山が住む北聖会の本家も、そして今彼が溺愛しているという愛人の妾宅も入っている。

 ただし推定エリアが広範囲であるため、偶然の可能性は高い。

 東山は懐疑的な見方をしており、高宮もまた慎重だった。

「そもそも荒神会のシマが外されていることを考えれば、こういう結果は当然じゃないかと俺は考えます。
 都内に住む北聖会の頭が、荒神会のシマにいるなんて事はあり得ない。
 俺たちだって、北聖会のシマには住んでいないでしょう」

 高宮の意見は理に適っていた。

 情報量が限られている以上、地理的プロファイリングは決定打とはなり得ない。

 今は、数ある可能性の一つとして御山の動向を探らせているが、高宮の本音としては、今回の件で北聖会に深入りすることは避けたいのだろう。

 苦労して寝返らせた内通者の存在を、御山が察して処分すれば、こちら側の情報収集力が著しく落ちることにもなりかねない。

 荒神会からの接触が増えれば、その分、内通者自身の危険も増す。

 必要最低限のみの連絡──それが、内通者と最初に交わされた条件だった。

 腕時計に視線を落とした鷲塚は、午前8時になったことを確認し、ソファから腰を上げようとした。

 ところがその時、まるでその時間になるのを待ちかまえていたようなタイミングで、零の携帯電話に、鳴川美弥子から電話が掛かってきた。

 表示を見て眉根を寄せ、数秒考え込んだ鷲塚は、仕方なく電話を取り上げた。

『──もしもし。零ちゃん?』

 響いてくるのは、ほっと安心したような美弥子の若々しい明るい声。

 普段ならば、当たり前に交わされる親子の会話になるはずだった。

「お久しぶりです、鳴川さん。
 申し訳ないが、零にはしばらく、連絡を控えていただけませんか」

 やや強い口調で言葉を返すと、声を失った美弥子の愕然とした気配が伝わってくる。

『……わ、鷲塚さん? もしかして、零に何かあったんですか?』

 我が子を心配する母親の不安──それは以前にも聞いたことのある同じ響きだった。

「零は元気にしていますよ。
 ただ、こちら側の事情で、今、本家に身を寄せています。
 状況が落ち着くまでは不自由をかけますが、安全を考えての事ですからご理解ください」

 強引にたたみ掛けると、美弥子はおろおろした様子で聞き返してくる。

『じゃあ、零は無事なんですね?』 

「ええ、もちろん。本家の方でも、よく手伝ってくれると評判です。
 ご心配をおかけして申し訳ないが……何か伝える事があれば、俺から伝えておきます」

 そこでようやく鷲塚が口調を和らげると、美弥子はほっと安心したように溜息をついた。

(……これでいい)

 不安に苛まれる中で、零だけは無事なのだと、美弥子が信じるなら──。

 鷲塚が何者なのかを、美弥子はおおよそ理解している。

 不安を煽られ、疑惑に駆られながらも、極道者にトラブルは付きものだと美弥子が考えるなら、たとえ最悪の事態に陥ったとしても、言い抜ける事ができる。

 鷲塚が頭の隅で冷ややかに考えていると、美弥子はやや躊躇った末に、落ち着いた声で話しかけてきた。

『特に用事があった訳じゃないんですが……ちょっと零の様子が気になったものですから。
 じゃあ、連絡できるようになったら、電話するように伝えてください』

 鷲塚が承諾すると、思いがけず、美弥子はおずおずとした声でそのまま話を続けた。

『でも、鷲塚さんが出てくれたなら丁度良かった。
 実は昨日、東京の弁護士さんから電話があって、零のことを聞かれたんです。
 あの子が養子であることを、何故か知っておられて……。
 零の実の母親について質問されたんですが、そのまま切ってしまいました。
 二〇年以上も経って、何を今さらって思いましたし』

 そのような事があったから、余計に零が心配になったのだと、美弥子は苦笑する。

 思わず眉をひそめていた鷲塚は、電話を掛けてきたという弁護士の名前を質問した。

『……ちょっと珍しいお名前だったから、忘れないようにメモしておいたんですよ。
 えーと。高島法律事務所の……クヌギアキヒロさん』

 同姓同名という可能性は低い。ただの偶然とも思えない。

 想定外の出来事に一瞬混乱し、少なからず衝撃を受けていた鷲塚は、美弥子にいくつか質問をした後で電話を切った。

(……何故、今この時期に?)

 不可解な苛立ちが湧き上がり、鷲塚はライトの消えた携帯電話の画面を睨みつけていたが、すぐに計画を軌道修正させた。

 出かける準備をしながら、東山に電話を入れる。

「──功刀彰丈とは、もう連絡をつけたのか?」

『一応、今日の午後に会う約束を取り付けておきました。
 午前中に、『聖母の家』に立ち寄るようですよ。
 何が理由かは知りませんが、売れっ子のわりには、暇があるようですね』

 皮肉げに答える東山に、鷲塚は指示を出した。

「その功刀彰丈を、今日中に拉致する。
 お前は誰からも不審がられないよう、日中はアリバイを作って会社で過ごせ」

 呆気に取られたような間の後、東山が訝しげに聞き返してきた。

『……まさか、本気ですか?
 相手は弁護士ですし、失踪すればすぐに周囲が異常に気づきますよ』

「失踪させると決めたわけじゃないが……それは向こうの協力次第だろうな」

「やれやれ」と嘆息をもらす東山の気配を感じながら、鷲塚は唇に獰猛な笑みを刻んだ。

 その後、総本部事務所に戻った鷲塚は、高宮と二人で、早急に戦術を組み立てた。

 基本的には、田中翔太が使った手段を、そのまま応用する。

 日常的に警察がパトロールに回ってくる時間を避け、前後の交通を遮断した状態で、都内に戻る功刀彰丈の車を捕獲する。

 同行人がおらず、1人で往復しているなら、抵抗はほぼ無いと考えて良い。

 ただ、指揮官を決めるに当たって、高宮と意見の齟齬が生まれた。

「──俺が行きます。若頭は、ここに残ってください」

「俺はあそこに行く理由があるが、お前は行くべき理由が無いだろう」

 鷲塚が指摘すると、高宮は広い肩をすくめて見せた。

「姐さんが、響子さんのお見舞いに行ってるんでしょう。
 用事があったとか、何とか……理由なら、後からなんとでもこじつけられます。
 だいたい若頭は、昨日も東山と『聖母の家』に行ったじゃないですか。
 今までずっと響子さんを放り出していたのに、ここに来て連日見舞いに出向いては、そっちの方がよほど怪しまれる」

 そう言って、高宮は譲らなかった。

 その時、ドアの外側が急に騒然となり、若い組員が困惑の表情で報告に来た。

「──失礼します。新堂さんが……今、ここに──」

 その言葉の途中で、顔を青ざめさせた新堂が立ちふさがる男を押し退けるようにして現れ、鷲塚と高宮の前で土下座をした。

「……新堂。お前、安静にしてろと言われたんじゃないのか?」

 肩で息をする新堂を見下ろし、普段は表情の無い高宮の顔にも驚愕が浮かんだ。

「……頼みます、若頭。
 俺にも、零さんを捜させてください。
 零さんを守れなかった俺が……休んでいるわけにはいきません」

 呼吸が苦しいのか、息を喘がせる新堂の顔には脂汗が浮かび上がっていた。

「バカが。お前が今出張ったところで、できることは何も無い。
 病院に戻って、大人しく寝ていろ」

 額を床に擦りつけるようにして頭を下げる新堂に、高宮が厳しく言い放った。

 ところが新堂は、必死の形相で鷲塚を見上げ、腹の底から振り絞るような声を上げた。

「俺はもう、動けます──だから、使ってください、若頭。お願いします!」

 ギラギラと光る新堂の目に偽りはない。

 死ぬ覚悟を決めたということなのだろう。

 冷然と見下ろしていた鷲塚は顎をしゃくり、新堂に「立て」と命じた。

「俺の傍にいろ、新堂──お前でも、茶汲みぐらいはできるだろう。
 今はそのくらいしか思いつかないが」

「──ありがとうございます」

 涙ぐみながらもう一度頭を下げる新堂を呆れたように見ていた高宮が、じろりと批判的な眼差しを鷲塚に向けてきた。

「やはり、『聖母の家』には俺が行きます。
 こんな足手まといを連れて行ったら、成功するものも失敗する。
 途中で死なれても困りますからね」

「……それもそうだな」

 思いがけない成り行きに、鷲塚が自嘲の笑みを浮かべると、高宮が頭を横に振りながら嘆息をもらした。

「頼みますから、こいつに無茶をさせないでください。
 命を助けたはずの新堂が、病院を抜け出して死んだら、薫さんが大騒ぎしますから」

「薫の事は放っておけ。
 そんな事より、お前が行くなら、さっさと準備をしろ。
 罠を仕掛ける時間がなくなるぞ」

 鷲塚が時計に視線を向けると、高宮は了解を示すように無言でうなずき、踵を返して部屋を出て行った。