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Fatal Doll



<51>



「……いったい、兄貴は、何を?」

 まだ床に正座をしたままの新堂が、その背を見送った後、訝しげな顔で訊ねてくる。

 鷲塚は片眉をつり上げると、座り込んでいる新堂に告げた。

「お前にはまず、尋問の続きだ──その後で、説明してやる」

 薫と大水病院に連絡を入れた鷲塚は、事務所内に医療室を確保し、ベッドに新堂を追い込んだ。

 治療を受けさせながら、現場に復帰させる──病院でただ後悔に暮れているよりは、精神的な回復も早まるに違いない。

 新堂に死なれて困るのは、鷲塚自身も同じだった。

 最終的な局面で、万が一が起こった場合、新堂にはやるべき義務が残っている。

 それこそが真の贖罪となるだろう。

 その後も時間が刻々と流れ、いくつもの情報が入ってきた。

 零を捜し出す決定的な情報は無かったが、御山の動向を見張っていた組員から、妾宅を出たという報告が上がった。

 同時に、盗撮されたライブ映像が送られてくる。

 だが、高いコンクリートの壁に囲まれた広大な邸宅は、出入り口になる門扉と車庫のシャッターしか監視ができない。

 車庫から出てきた車が、御山が所有する車両だと判っていなければ、誰が乗っているのかさえ判らないだろう。

「そのまま尾行しろ。軽井沢に行くらしいが……盗撮できるようなら、ビデオを回しておけ」

 用心深い御山が選んだとおぼしき邸宅は、もともと売りに出されていたものを、3年前に他人名義で買い上げたものだった。

 手元に回ってきた資料によれば、住んでいるのは、王淑花(ワン・スーファ)という名の中国籍の女。

 北聖会系列のクラブで働いていた女だが、二ヶ月前に店を辞め、御山の愛人の座に納まっている。

 モデルと見紛う長身と、勝ち気な美貌を持つ女──派手好みな御山が手を付けそうな容姿ではあったが、何故あの冷酷な男が執心するのかは判らない。

 一つだけ事実があるとすれば、王淑花が密入国者であるということ。

 名前も身分も全て偽造されている可能性が高く、新宿のど真ん中に死体が転がったとしても、警察は身許を突き止めることができない。

 御山が選んだのは、そういう女だった。

 やがて、午後1時になった時、東山からの電話が鳴った。

『零ちゃんの友人の真那の家に、犯人からと思われるDVDが送られてきたそうです。
 会長に直接に手渡したいということですが、どうしますか?』

 わずかに肩を揺らした鷲塚は、鋼の双眸を鋭く眇めた。

 犯人からの接触──何かしらメッセージが托されたと考えて間違いない。

「真那をここに連れてこい。防犯カメラのチェックもできるか?」

 DVDを届けたのが何者なのか……郵便配達員か宅配業者か、あるいは別の人間か。

 それが判れば、作成された時間や、移動距離が逆算できる可能性がある。

『面倒な事に、あのマンションは我が社のセキュリティではないんですがね。
 まあ、ちょっと、頑張ってみますよ』

 苦笑混じりの東山の声を聞き、鷲塚は言葉を継いだ。

「新堂をそっちにやる。
 真那は新堂に任せて、お前は防犯カメラをチェックしろ」

『おやおや……新堂君、こんなに早く復帰して大丈夫なんですか?』

 驚愕しながら笑う東山の疑問には答えず、鷲塚はホワイトボードに貼られたままになっている田中翔太と、容疑者Aの写真に視線を据えた。



 今は、睡魔がもたらす闇に心を沈めるしか、自分を守る術が無い。

 だが悪夢は、ひとときの安らぎを与えてくれる闇の中にも忍び寄り、非情な現実から逃れようとする魂を揺るがし、襲いかかってくる。

 そうして目覚めれば、また無機質なコンクリートの中に閉じ込められている自分自身に気づかされるのだ。

 そんな繰り返しがいつまで続けば、正気を失い、狂気に囚われてゆくのか──。

 瞼を震わせた零は、誰かが自分の右手を握り締めていることに気づき、その感触を確かめるようにわずかに指を動かした。

「──零さん? 気がついた?」

 はっとしたように問いかけてくる若い男の声。

 だが、聞きたかったのは、彼とは違う人の声だった。

 ずっと低くて、太い響きのある……自分の名を呼ぶその声音を思い出した途端、閉ざしていた両目から涙がこぼれ始めた。

「……ごめん、零さん。
 俺の力じゃ……あの人は止められない。
 零さんを……こんな風に、傷つけたくなかったのに──」

 手を握り締めたまま、許しを請うように嗚咽を漏らしているのは、翔太だった。

 薄く瞼を開けた零は、ぼんやりとした眼差しで天井を見つめたまま、子供のようにすすり泣く翔太の声を聞いていた。

──何故、こんなにも苦しげに泣いているのだろう?

 そう思いながら溜息をついた零は、天井の模様が変わっていることに気づいた。

 目覚めればまた、冷たく暗い部屋に閉じ込められているのだと思っていた。

 だがここは、灰色のコンクリートに囲まれた部屋ではなく、人が生活している空間のように見える。

 そして、規則正しく鳴り続ける電子音。

 視線を巡らせると、ベッドの横に点滴の装置が置かれていて、そこから伸びる透明なチューブが自分の腕へと繋がっていた。

「……そんなに、泣かないで……私も、悲しくなるから──」

 痛みを発する喉から掠れた声を絞り出すと、翔太は驚いたように息を止め、洟を啜りながら嗚咽を堪えた。

「──ご、ごめんね。辛いのは……零さんの方なのに……」

 椅子から立ち上がった翔太は、ベッドから離れ、慌てた様子で鼻をかみに行った。

 その姿をぼんやりと見つめていた零は、点滴のチューブを巻き込まないように躰を起こし、ベッドの上で膝を抱えた。

 どうやら気を失っている間に、別の部屋へと移動していたらしい。

 ホテルのように落ち着いた雰囲気の部屋だったが、窓は逃げられないように鉄格子で塞がれ、その外側にはシャッターが下ろされているようだった。

 それでも、あの荒んだコンクリートの監獄に比べれば、ほんの少しだけ安堵できる。

「やっと許して貰えたから、部屋を変えたんだ。
 ほら、今度はテレビもあるし、ちゃんと専用のバスルームもあるからさ」

 寝室に続くドアを開けた翔太が内側を指差し、その中へと入っていく。

 水が流れる音が聞こえた後で、顔を洗ってきたらしい翔太が戻ってきた。

「……お風呂……入ってもいいの?」

 膝を抱えたまま、ベッドサイドの椅子に座った翔太にちらりと視線を向けた零は、呟くような小声でそう訊ねた。

 すると、翔太は泣き笑いのような顔になり、うなずいて見せながら明るく言った。

「いつでも使えるようになってるから、好きな時に入っていいよ。
 あ、そうだ──クローゼットの中に服も入ってるから、自由に着替えて。
 まあ、零さんの趣味じゃないかもしれないけど、その辺は勘弁してね」

 ぱっと椅子から立ち上がり、はしゃいだ様子でクローゼットのドアを開ける翔太を見つめた零は、ふと視線を天井へと巡らせた。

 やはり、監視カメラはあった。

 待遇は改善されたとは言え、捕らわれの身である事実は変わらない。

 感覚が麻痺しているのか、鈍く澱んでいるような頭でそう考えた零は、心配そうな顔で翔太が戻ってくると、ぽつりと訊ねていた。

「翔太君……話してくれないかな?
 どうして君が……あの人と一緒にいて、こんな事をしているのか──」

 翔太は愕然とした顔で零を見つめていたが、逡巡するように瞳を揺らし、ベッドの枕元に引き寄せた椅子に腰を下ろした。

 そして重い口を開き、ぽつぽつと語り始めた。

「ちょうど半年くらい前に……御山が、俺の前に現れたんだ。
 そのちょっと前に、母さんが体調を崩して、倒れちゃってさ。
 そのせいで仕事をクビになって、生活も苦しくなって、人生に悲観しちゃったみたいなんだよね。
 だから、俺が生まれてから一度も連絡しなかった御山に電話して……助けてくれって頼んだらしいんだ」

 翔太の前に現れた御山は、自ら父親だと告げ、かつての愛人に生活費を渡す代わりに、息子を手元に引き取った。

 翔太の生活は一変し、望む物は何でも与えられたため、突然現れた父親に反発しながらも、有頂天になっていたという。

 だが、一週間ほどした頃、御山が北聖会の首領であることを知ったのだ。

「それまでは、息子に甘いただのオヤジだと思ってたんだけどね。
 ある日、突然、本性を現しやがった。
 昔、俺がバカやってた頃につるんでたヤツらに連絡して、もう一度まとめろって命令されたんだよね。
 冗談だろうって、その時は思ってたんだけど……」

 言いづらそうに口を噤んだ翔太は、自嘲的な笑みを浮かべた。

「中二くらいから、反抗期だったのと金欲しさに、援助交際やってたんだ。
 俺が女装して、金持ってそうなオッサン引っかけて、仲間がそいつをボコボコにして、金を巻き上げてたんだ。
 御山は、俺たちがやってた事、全部調べ上げてた」

 ところが、拒否した途端、それまで紳士的な態度を見せていた御山は豹変し、立ち上がる事ができなくなるほど翔太を暴行した。

 その後、血を分けた息子を強姦しながら、冷酷に告げたのだという。

「お前の母親が、どうなってもいいのか?」と──。

 そして思い知らされた。

 御山にとって、愛人は家畜と同じレベルでしかない存在。

 家畜から生まれた子供は、自分の所有物であり、反抗することは決して許されない。

 優れた能力を持つ者だけが、御山の「子供」だと名乗ることを許され、北聖会の幹部に取り立てられるのだった。

 そして、いずれその中の一人が、北聖会のトップになることを、御山は望んでいる。

「……だけどさ。あいつが理想としているのは、実は鷲塚サンなんだよ。
 矛盾してると思わない?
 誰よりも憎んでるくせに、誰よりもあの人の資質に惚れてるんだ」

 その名が出ると、それまでずっと膝に顔を伏せて話を聞いていた零は、はっとなって翔太を見つめていた。

 零を見返した翔太は、悲しげな微笑を浮かべて肩をすくめて見せた。

「もちろん、あの人はそんな事一言も言わないけど、俺だってバカじゃないから、見ていれば判るよ。
 もし鷲塚サンが、御山の息子だったなら、喜んで後継者にしたかもしれないけど……」

 ふと視線をそらし、考え込むように言葉を切った翔太は、急にくすくすと笑い出した。

「ああ、でも……それはないかもね。
 御山は、鷲塚サンを脅威に感じているんだ。
 あの人は、絶対的な自分の座が失われるのが怖いんだよ。
 だから、誰よりも鷲塚サンを殺したがってる」

 愕然と双瞳を瞠っている零に、翔太はひどく暗い眼差しで告白した。

「いつも鷲塚サンと比べられて、嘲られて、俺のプライドはボロボロになった。
 だから俺も、御山と同じくらい鷲塚サンを憎んだ。
 あの人を越えることができたなら、父さんは俺を認めてくれるだろうって……そう思った。
 だから、鷲塚サンが一番大事にしてる、あなたを奪い取ったんだ。
 それは、父さんが望んでいたことだったからね」

 呆然と翔太を見つめていた零は、不意に恐ろしい真実に突き当たり、声を震わせた。

「……もしかして、御山は……海琉を……殺そうとしているの?」

 すると、翔太は急に椅子から立ち上がり、蒼白になった零の耳元に顔を寄せ、声をひそめて囁いた。

「零さんは、ただの囮なんだ。
 御山の真の狙いは、鷲塚を抹殺すること。
 大事な人を奪って精神的に苦しめさせ、最終的には零さんを餌に使っておびき寄せ、殺害する──そういう筋書き」

 思わず悲鳴を上げそうになった口を両手で塞いだ零は、瞬きもできずに両目を見開いたまま、宙の一点を見つめていた。

「狼王ロボって知ってる?
 シートン動物記に出てくる、無敵の狼だよ。
 だけど……大切な奥さんが殺された後、冷静さを失って人間に捕らえられてしまうんだ」

 翔太の言葉は、悪夢よりも重く、零の心を押し潰そうとしていた。