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Fatal Doll



<53>



 翔太に手を引かれながら、零は部屋の外へと連れ出された。

 しっかりと指を絡め合わせるようにして手を繋いだ翔太は、まるで弟妹を励ますような微笑みを浮かべ、零を建物のどこかへと先導してゆく。

 そして、ダークスーツをまとった屈強な体格の男たちが、二人を挟むように前後を固め、零が逃げ出さないよう見張っていた。

 ヤクザ特有の粗暴な雰囲気を漂わせた男たちは、仇(かたき)でも見るような眼差しで、零の動作一つ一つを監視しているようだった。

 だが、その視線の中には、好奇と獣欲もまた混ざり込んでいる。

 彼らの本能を煽っているのが、自分の格好のせいだと、零は激しい羞恥に苛まれた。

 零に着替えとして与えられた漆黒のドレスは、背中が腰の辺りまで大きく開いており、後ろの裾が長いデザインのスカートの前部は、今にも下着が見えそうなほど短い。

 そして、今まで一度も履いたことがないほど踵が高いピンヒール。

 ほとんど爪先立ちになるようなハイヒールで歩かされると、足首をひねってよろめきそうになり、零は何度も翔太の手で支えられた。

 その上、御山は零に、さらなる恥辱を強いた。

 与えられたのは淫靡な深紅のランジェリー──内側が透けているレース地のTバック。

 秘所を隠しきれない卑猥な下着や、扇情的なドレスを零が拒否すれば、素っ裸で邸内を歩かせろというのが、御山の命令であるらしかった。

 それは、零にとっては、拷問にも等しい苦痛だった。

 零が連れて行かれたのは、階段を降りたところにあるダイニングルームだった。

 階段を降りる時、ドレスの裾と、足許が不安定なピンヒールを気にしてもたつく零を、男たちが「早くしろ」と口々に恫喝する。

 翔太は同情するような顔をしていたが、彼らを制止することはしなかった。

 羞恥の冷や汗が全身から噴き出し、顔を赤らめていた零は、階段を降りきった時には膝がガクガクと震え、ふらつきそうになっていた。

 気丈に振る舞わなければと焦る一方で、呼吸が乱れ、息が上がってしまう。

 テーブルに導かれ、翔太が引いてくれた椅子に座った零は、ほっと溜息をもらした。

 だが、座ったことでより露わになった太腿に気づくと、再び落ち着かない気分になった。

「……ちょっと待っててね、零さん。俺も着替えてくるから」

 そう言い残して、翔太がダイニングルームから立ち去ると、零は見張り役の男たちの中に一人取り残された。

 その途端、男たちの目つきが危険な熱を帯び、ねっとりと舐めるように零の肢体の上を行き来する。

 うつむいて白い膝頭を見つめていた零は、彼らの視線が、剥き出しになった肩や背中、そして太腿に集中するのを気配で感じた。

 一分一秒が恐ろしく長く感じられ、零は震えそうになる自分を抑えるように瞼を閉ざした。

 やがて、ダイニングルームのドアが開き、御山がもう一人の男と共に入ってくる。

 一斉に、ほぼ直角に頭を下げる男たちの中で、零は背筋を伸ばして椅子に座ったまま、真正面に顔を向けていた。

「待たせたな、零──さあ、楽しい晩餐(ディナー)を始めようか。
 上橋、お前は零の前に座れ」

 上橋と呼ばれた黒縁眼鏡の男は、ヤクザらしい風体ではなく、一見すると官僚か企業の幹部を思わせる理知的な顔つきをしていた。

 だが、眼鏡の奥にある細い双眸には、狡猾で殺伐とした闇が宿り、やはり極道者なのだと暗に語っている。

 テーブルを回って零の前に立った上橋は、一瞬、驚愕したように目を瞠り、瞳を揺らした。

 いつの間にか零の背後に立っていた御山は、そんな男の顔を正面から見返し、おかしげにククっと喉を鳴らした。

「──見るがいい、美しい女だろう?
 この子が何者なのか、お前は知っているか?」

 零の首を包み込むように両手で挟んだ御山は、そのまま肩へと掌を滑らせてゆく。

 そして身を強張らせた零の耳元に顔を寄せ、「立て」と低く鋭い声で命じた。

 有無を言わせぬ迫力に息を止めた零は、促されるままふらりと立ち上がった。

 零の顔から目をそらさず、じっと凝視していた上橋は、逡巡するような間の後で、低く掠れた声を吐き出した。

「……荒神会の……鷲塚のイロに、よく似ているような気がしますが……」

「よく判ったな──この子の名前は鳴川零。
 つい数日前までは、確かに鷲塚のオンナだった。
 だが、これからは私の物だ」

 嘲るような言葉に愕然とした零は、思わず振り返って睨みつけたが、御山は冷笑を刻んだまま「座れ」と肩を押さえた。

「しかし……何故、そのオンナなんです?
 この事がバレたら、鷲塚は黙ってはいないでしょう」

 納得できないと言うように顔をしかめた上橋に、御山は冷淡な言葉を投げかけた。

「バレる前に、鷲塚は死ぬだろう。
 もっとも、お前が喋らなければ……ということだが」

 御山は零の背後から離れると、テーブルの上座に着席した。

 ほどなく、ワインや、料理を載せた皿が、前菜から順に運ばれてくる。

 御山が何を企んでいるのか判らず、食欲は相変わらず消失したままだったが、それでも零は、食べられそうなものは必死で口に運んだ。

 倒れるわけにはいかない……負けてはいけない──零は自分に言い聞かせながら、無理矢理、口の中の物を飲み込んだ。

 食事の間中、零は一言も口を利かず、御山もまた会話を振ってくることは無かった。

 そんな零の姿を気にかけるように、時々ちらちらと眺めやりながら、上橋という男は御山に様々な「シノギ」の報告をしている。

 二人の事務的な会話の中から、どうやらここが御山の本邸で、北聖会の中で「本家」と呼ばれている場所だということは察せられた。

 その時、ドアが大きく開き、目が覚めるような真っ赤なドレスを着た女が、乗馬用の鞭を片手にして現れた。

 彼女の反対側の手からは革のリードが伸びており、その先には、顔を隠す白い仮面をつけたファントムが、太い首輪で繋がれていた。

 仮面の目に当たる部分がわざと塞がれているのか、四つん這いになって歩くファントムの姿がぎくしゃくしている。

 そんなファントムを急かすように、女は時々背中に鞭を当てながら、美しい足取りで部屋の中に入ってきた。

 大きくカールした栗色の髪が、歩くたびに美しい胸元で弾む。

 おそらく付け睫毛で囲まれているのだろうが、はっきりとした目許が印象的な女だった。

「──お待たせ。ファントムがなかなか言うことを聞かないから、遅くなっちゃった」

 深紅のルージュが引かれた唇から飛び出してきたのは、間違いなく翔太の声だった。

 双瞳を見開いた零に、女装をした翔太は艶のある流し目を向け、ウィンクをして見せる。

 そうして、翔太は両膝を曲げて腰を屈めると、ファントムの首輪に繋いだリードを外した。

「そら、行け。拾い食いをするんじゃないよ」

 くすくすと笑いながら、翔太はけしかけるようにピシリと鞭を振るう。

「……いったい、これは何の余興なんです?」

 呆気にとられているのは、上橋という男も同じのようで、テーブルの下をうろつき始めたファントムを、眉をひそめながら見つめていた。

「私のペットだ。噛みつき癖があるからな。下手に手を出さない方がいい」

 御山はそう言うと、蒼白になって立ち上がろうとした零に、厳しい眼差しを向けた。

「座っていろ──まだ食事の途中だ」

 だが、恐怖に苛まれる零の耳には、御山の声も聞こえなくなっていた。

 テーブルの下で何かを探すように頭を振り、椅子の足にぶつかりながらも、徐々に近づいてくるファントムに怯え、狼狽えてしまう。

 わざとらしく溜息をついた御山は、控えていた男達に顎をしゃくって見せ、椅子から立ち上がって後退ろうとする零を捕らえさせた。

 そして自らも立ち上がり、強引に着席させられた零の肩を押さえると、耳元で囁いた。

「お前はまだ、判っていないようだったからな。
 ちゃんと紹介してやろうと思って、わざわざ檻から連れ出させた。
 大人しくしていないと、お前がどこにいるのか、ファントムが気づいてしまうぞ」

 御山の言葉に凍りついた零は、ファントムの行く手を瞬きもせずに見つめていた。

 本能的な戦慄が走り、椅子の上でさえ逃れようと背筋が突っ張る。

 すると御山は、厭わしげな顔でファントムを睨んでいる上橋に向かって、笑みを含んだ声で伝えた。

「これは以前、九竜裕吾と呼ばれていた男だ」

「──……!? まさか、九頭竜組の?」

 とっさには信じられないという顔で、上橋はファントムを愕然と凝視した。

 その驚く姿を愉快そうに見つめながら、御山は零の耳に残酷な言葉を吹き込んだ。

「お前には、『廣田成司』と言った方が判りやすいか?
 お前に懸想し、鷲塚に潰された……あの哀れな男だ」

 その名前が鼓膜に届いた瞬間、零の全身は総毛立ち、背筋に冷や汗が流れた。

 拉致された時、一瞬だけ感じた既視感がはっきりと蘇ってくる。

 彼の事を忘れられるはずがない──だが、「廣田」と名乗っていたあの男は、これほど無惨で醜い姿形ではなかった。

 むしろ、出会った頃は十分に好感を持てるような人物で、鷲塚との出会いが無ければ、そのまま惹かれていったかもしれない。

「しかし、死んだはずの九頭竜の坊(ぼん)が、何故ここに?」

 北聖会内でも真実は知らされていなかったのか、御山に問いかける上橋は、心底から驚いているようだった。

「最初は私も、始末しようと思っていたのだがな。
 ただ、鷲塚に対するこの男の復讐心や執念は、今や私を凌ぐほどに強い。
 それ故に、『九竜裕吾』という人間を社会的に消し去り、怨念だけを生かすことにした。
 葬式に出したのは、別人の死体だ」

 本物の九竜裕吾は、硫酸で何度も全身を焼かれ、顔を潰された。

 その身許が決して誰にも暴かれないように、閉ざされた空間で、ごく限られた人間の手によって、徹底的に身体を改造されていった。

 騒動を引き起こした張本人に対する、制裁でもあったのだと、御山は淡々と語る。

 一度だけ目にした、醜く歪められたファントムの素顔。

 赤黒くなった皮膚は焼け爛れたように硬くなり、無数のケロイドが走っていた。

 あれが、あの「廣田」だったというのか……。

 頭の芯がぶれるほどの激しいショックを受け、眩暈を感じた零の躰が、ぐらりと揺れる。

 御山はくつくつと笑いながら、零を支えるように肩をつかみ、なおも思い知らせるように話し続けた。

「そもそもの原因を作ったのは、この鳴川零だ。
 九竜と鷲塚が、この零を奪い合ったがために、騒動が起きた。
 それなのに本人は、何も知らずにのうのうと生きている。
 九頭竜組の中には、零自身に対する制裁を望む者たちもいて、私はある条件と引き換えに、彼らの望みを叶えてやることにした」

 汗ばんだ零の首筋を、戯れるように指先でなぞりながら、御山はくくっと喉を震わせた。

 男の声に冷酷な響きが混ざり込み、首に巻き付いた腕に力がこもる。

 殺気を感じた零は、反射的に身をすくませたが、抗うことはできなかった。

「ここにいるのは、かつて九頭竜組に属していた者たちだ。
 命がけの修行を終えて生き残った者だけが、今は翔太の下で動いている。
 いずれ、翔太が私の後を継ぐことになれば、直参として昇格させるつもりだ」

 その言葉を聞いた上橋は、ぎょっとしたように、音も無く背後に立った翔太を振り返った。

 翔太は真っ赤な唇を微笑の形に歪めると、上橋の首に素早く両腕を絡め、鋭く光るサバイバルナイフを男の首に押し当てた。

「上橋サン……うちの情報を、荒神会にリークしてるって噂があるけど、ホント?
 零さんがここにいるって事、秘密にしてもらわないと困るんだけど」

「──な、何をバカな……」

 明らかに動揺したように目線をそらした上橋に、翔太はくすくすと笑いながら囁いた。

「ごまかそうったって、ダメだよ。
 俺にチンポしゃぶらせながら、嬉しそうに言ってたじゃないか──覚えてないの?
 ああ、そうか……この格好じゃ、俺のこと、判らないよね」

 翔太は、男の喉元にナイフを突きつけたまま、ドレスの胸元に自ら手を差し込み、肌色のシリコンを無造作に掴み出した。

「これ、ヌーブラってやつ。びっくりした?
 今はこんなナリしてるけど、中身はちゃんと男だよ。
 ずっとオヤジの愛人の振りして、本家に出入りさせてもらってたんだ。
 上橋サン、顔を合わせても、俺の事、全然気づかなかったでしょ?」

 翔太は笑いながら、頭に被った長いウィッグを外し、胸元を形作っていたもう片方のシリコンと一緒に、上橋の目の前に投げ落とした。

 急激に空気が重く緊迫し、零は呆然と成り行きを見つめていた。

 ところが突然、何者かに足首をつかまれ、全身がぎくりと跳ね上がる。

 床に視線を落とすと、いつの間にか足許まで来ていたファントムが、肌の感触を確かめるように舌を伸ばし、ふくらはぎを舐め始めていた。

「──ヒッ!」

 引き攣れた悲鳴を上げ、零がおののいて後退ろうとすると、御山は椅子の背ごとその躰を抱き締め、秘やかに笑った。

「ああ……どうやらファントムが、牝の匂いを嗅ぎつけたな」