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Fatal Doll



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   鳴川零の命と引き換えに、明朝午前4時までに現金3億円を準備せよ。
   今後の指示は、零の友人『真那』の携帯電話に連絡する。


 零の友人、真那からもたらされた封筒には、DVDを保護するクッション材の隙間に、一枚の脅迫状が封入されていた。

 脅迫文の最後には、「ファントム」という署名が人の手で記されている。

 お世辞にも美しい字とは言えない。

 むしろ、激しい手の震えがペン先に伝わり、ひどく歪んだ醜い文字になっていた。

 A4サイズのコピー用紙に印字された脅迫文に視線を向けた鷲塚は、他に誰もいない個室で、再度送られてきたDVDをリピートさせた。

 再生が始まると同時に、零のくぐもった悲鳴がスピーカーから響き渡り、拘束椅子に縛り付けられた躰が大きく悶絶した。

 零の目許はアイマスクで塞がれており、口もまた不用意な発言を警戒するかのごとく、ボールギャグで封じられている。

 画面にクローズアップされた零の股間には、形状の異なる二本のバイブレーターが埋め込まれ、二つの穴を連動して責め嬲っていた。

 リモートコントロールされているのか、振動音の強弱が変化するたびに、華奢な躰が弓なりに跳ね上がり、悲鳴が空間に反響する。

 脂汗にまみれ、ぬらぬらと白く光る胸元では、乳首を挟むクリップに繋がった小さな鈴が絶え間なく鳴り続けていた。

『──ぅぐうううっ!』

 無慈悲な刺激の連続に、狂乱の態に追い上げられていた零は、獣のような叫び声を放ち、エクスタシーに達した。

 だが、次々と襲いかかる刺激に翻弄され、休む間も無く痙攣する。

 すでに、かなりの体力を消耗させられているのか、快楽に感じているというより、強い電気に感電したような凄惨な反応だった。

 ほとんど失神状態のまま、暴力的な絶頂に追いつめられているせいで、零の躰から小刻みな震えが止まることがない。

 動きを止めていた二本の淫具が振動し始めると、白い躰が椅子の上で跳ね上がり、痙攣し、崩れ落ちる。

 あたかも処刑風景のような、単調ですらある零の一人舞台。

 画面の構図が最初からほどんど変化しないのは、カメラが天井に固定されているからなのだろう。

 無表情なコンクリートの密室に置かれた拘束椅子──映像と共に流れ出す音響は、零の悲鳴と、鈴の音、バイブレーターの振動音、そして椅子の軋み。

 周囲に人間の気配は無い。

 おそらく、離れた場所から零を撮影しているに違いない。

 これをAVとして見るなら、評価は最悪。

 だが、そうは言っても、火に油を注ぐことには成功している。

 鷲塚の怒りを引き起こすことが目的ならば、それは十分過ぎるほどに達せられていた。

 ディスクを取り出した鷲塚は、何の躊躇も無くそれを4つに割ると、ゴミ箱に放り込んだ。

 映像から有用な情報が得られないかと何度か見直してみたが、これを撮影した犯人は、居所を突き止められないように徹底している。

 東山にこれを渡したところで何も見つからないだろうが、鷲塚は、この映像を他の誰にも見せるつもりはなかったし、その必要も無いと考えていた。

 そしてそれは、このDVDを鷲塚に届けた真那の望みでもある。

 総本部事務所の応接室に通された真那は、以前と会った時と変わらぬ強い意志を秘めた眼差しで、白い封筒を差し出してきた。

「……零ちゃんが、誘拐されたって東山さんから聞きました。
 この中のDVDに、零ちゃんが映ってるの」

 鷲塚が無言で手を伸ばすと、真那は封筒を離すまいとするように一度胸元に引っ込め、睨みつけるような目で見上げてきた。

「だけど、約束して──絶対に一人で見るって。
 他に人たちには、絶対にこれを見せないで……新堂さんにも、東山さんにも。
 そうじゃなきゃ、あたしはコレを、あなたには渡せない」

 零を心配する真那の言葉から、内容がどのようなものか、おおよその察しはついた。

 犯人は、零の生存を見せつけるのと同時に、鷲塚の動揺を誘い、力を誇示しようとしているのだろう。

 そして、同封されていた、3億円を要求する脅迫状。

「……あ、あたし、翔太君に、メアドやナンバー、教えちゃったから──」

 気が動転して、封入されていた脅迫状に気づいていなかった真那は、そこに書かれていた文章を見せられると、心底ぎょっとしたようだった。

「で、でも……このファントムって、ホントに翔太君の事なの?
 彼が真犯人なら、わざわざ変な名前、付けることないじゃない。
 それに、こんな汚い字を書く必要ある?」

 翔太との関わりを質問され、さらに東山からある程度の説明を聞かされていた真那は、脅迫状を見つめたまま訝しげな表情を浮かべた。

 真那は、傍にいる新堂に話しかけたようだったが、新堂は口を閉ざしたまま何も答えず、ちらりと鷲塚の顔を一瞥した。

「とにかく、こうなったからには、お前を帰すわけにはいかない。
 この一件が終わるまで、お前には、ここに留まってもらう。
 新堂──お前はしばらく、この真那を見張っていろ」

 鷲塚がそう告げると、承諾するようにうなずいた真那は、一瞬渋い表情を過ぎらせた新堂を睨んだ。

「あたしだって、零ちゃんの事、すっごく心配してるんだからね!
 あたしにできる事なら、何だってする……零ちゃんを助けたい」

 ところが、勇ましい言葉の後に真那は顔を曇らせると、瞳に不安を浮かび上がらせた。

「……だけど、ホントに、警察に言わなくて大丈夫なの?」



 その後、鷲塚は、早急に現金を準備するよう指示を出した。

 明朝午前4時と、わざわざ犯人側が指定してきたからには、その後動きを見せるだろう。

 銀行口座への振込ではなく、捕縛される可能性が最も高い現金授受を選択した「ファントム」は、果たしてどのような方法で、3億円を奪いに来るのか。

「投函者は特定できたのか?」

 本社に戻ったと電話で連絡してきた東山にそう問うと、東林総合警備株式会社の社長は溜息混じりの声で応じた。

『ええ、それに関しては大して問題なく。
 本人を捜し出すよう巡回パトロール中の社員に画像を送りましたが、見つけるのは難しいかもしれません。
 どうやら投函者は、近所に住むホームレスのようです』

 東山は、真那が住むマンション近くの公園に住むホームレスに話を聞いたが、「鈴木さん」という通称で呼ばれている男だと判ったものの、彼の行方は誰も知らない。

 近々、金が手に入ると喜んでいたそうだが、仕事内容が何なのか、依頼者が誰なのかまでは、ホームレス仲間も聞いていないようだった。

「……消された可能性があるな。
 そいつは間違いなく捨て駒だ。
 明日あたり、死体が浮かぶかもしれんぞ」

『私もそう思います。
 一応、付近の防犯カメラに映っていないか、チェックさせていますが』

 乾いた笑い声を立てた東山は、ひとつ溜息をついた後で、鷲塚に情報を伝えた。

 この「鈴木さん」が、真那のポストに封筒を投函したのが、午前11時45分。

 真那が住んでいるマンションは、立ち入りが制限された内側の集合郵便受けで、建物の外側から投函されたそれぞれの配達物を受け取るスルー方式の設計になっている。

 投函所に防犯カメラは設置されているものの、配達者の出入り制限は無い。

 真那を連絡係として指名していることから考えても、どうやら「ファントム」は、前もって彼女の身辺を入念に調べていたようだった。



 荒神会総本部事務所の一室、場所を特定される要素が何も無い部屋の中で、高宮に連行されてきた功刀彰丈は、パイプ椅子に躰を縛り付けられるようにして座らされていた。

 両目はアイマスクで塞がれ、両耳をヘッドフォンで覆われている。

 さらに両手両足は手錠で拘束され、自力で逃げることはできない。

 だが、突然拉致されてきたわりには、落ち着いた様子だった。

 臆病者であれば、無闇に騒いだり、周囲の人間に頻繁に喋りかけたりするものだが、功刀はじっと口をつぐんだまま、あたかも瞑想するように顔を一点に向けている。

 マジックミラー越しにその姿を確認し、鷲塚がドアを空けて部屋に入ると、高宮がアイマスクとヘッドフォンを弁護士の頭部から外した。

 一瞬、眩しげに双眸を眇めた功刀は、鷲塚と高宮の姿を認めると、大きく溜息をついた。

「誘拐は犯罪だと何度も訴えましたが……犯人はあなた方でしたか。
 どうりで手際が良いわけだ。
 犯罪だと知っていながら、止める気が無かったというのも納得です」

「俺の顔を知っているらしいな」

 淡々とした沈着な声には、動揺は見られない。

 鷲塚の顔を見上げた功刀は、すぐに視線を落とし、うなずいて見せた。

「一応、私も弁護士の端くれですから」

「なら、話が早い。
 わざわざここまでご足労願ったのは、センセイに聞きたい事があったからだ」

 唇を皮肉っぽくつり上げた鷲塚は、デスクの上に三枚の写真を並べた。

 功刀の背後に回り込んだ高宮が、無言でデスク前までパイプ椅子を押しやる。

「聖母の家」の防犯カメラからプリントアウトされた写真、そこに写った翔太と零、マスク姿の男を見た功刀は、ほとんど表情を変えなかったが、瞳の中にわずかな驚愕を浮かび上がらせた。

 翔太の写真を指先に挟み、鷲塚は功刀の眼前に翳した。

「──田中翔太は、どこにいる?」

 鷲塚がそう問うと、功刀は瞳の裏に感情を隠して顔を上げ、薄い微笑を浮かべた。

「まず、何故、彼を捜しているのか、説明していただけませんか、鷲塚さん?
 そうでなければ、他のご質問にも、答えることはできません」

 自分たちの正体を知りながら、怯えを見せない功刀の剛胆な態度に、鷲塚は冷笑を一瞬閃かせると、デスクの角に軽く腰掛けた。

「田中翔太は、俺から大事な物を奪い、今も逃げ回っている。
 早く見つけ出さなければ、それは破壊され、二度と俺の手には戻らない。
 だからこそ犯人の居所を捜しているが、まだ見つかっていない。
 ここまで言えば、理解できるんじゃないのか?」

 鷹揚ですらある口調で説明した鷲塚は、眉をひそめる功刀を冷ややかに睨んだ。

「……翔太がやったという証拠でもあるんですか?
 だいたい、それほど大事な物だと言うなら、私に聞くより、警察に相談したらいかがです」

 答える功刀の声は、冷たく事務的だった。

 次の瞬間、鷲塚は功刀の肩口目がけて片足を蹴り出し、椅子ごと床に跳ね飛ばした。

 けたたましい衝撃音が響き、痛打を受けて床に転がった功刀が低く呻く。

 デスクに腰を掛けたままその姿を眺めていた鷲塚は、ジャケットからシガレットケースを取り出した。

 中身を空のままにしてあった事を思い出すと、鷲塚は舌打ちをして、功刀の傍らに立っている高宮に「一本、寄越せ」と指を振って見せる。

「言い忘れていたが、俺は今、いささか機嫌が悪い。
 口の利き方には気をつけるんだな。
 それに……警察沙汰になれば、困るのは俺よりも、翔太の方だろう」

 煙草に火を点け、紫煙を吐き出した鷲塚は、床から睨みつけてくる功刀を一瞥した。

 そして、彼の目の前に、死体の薬指が入ったプラスチック容器を投げ落とす。

 青白くふやけた指を見て、さすがの功刀も愕然と双眸を瞠り、糾弾するような眼差しを鷲塚に向けてきた。

「間違えるな──それを俺に送って寄越したのは、翔太の方だ。
 何だったら、『カッツェ』のマスターに確認してみればいい。
 退職届と一緒に、これが店内に残されていたんだからな」

 冷然とした声を崩さずに真実を告げた鷲塚は、高宮に軽く目配せをし、「起こしてやれ」と命じた。

 高宮は功刀に近づくと、椅子の背をつかんで、軽々と元の位置に戻す。

 身長が180センチを越える功刀の体重を考えれば、驚くべき膂力だった。

 頭の隅で鷲塚が秘かに感心していると、呆然とした面持ちの功刀が掠れた声で呟いた。

「……翔太が、まさか──」

 丁寧にセットされていた髪は、床に倒れた衝撃で乱れていたが、それ以上に弁護士は、鷲塚の言葉にショックを受けているようだった。

 この驚きようを見ると、どうやら事件については、何一つ知らされていないらしい。

「だが、今回の件は、翔太一人で動いているわけじゃない。
 このマスクの男が共犯らしいが、どちらが首謀者なのかはまだ判らない。
 この男に脅されてやっただけなのか、それとも、翔太がこの男を利用しているのか……。
 とにかく、ヤツらは『ファントム』と名乗り、俺を脅迫してきている」

 功刀が翔太に抱いている幻想を、それ以上無理には壊さず、鷲塚は男に考える暇を与えてやった。