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Fatal Doll



<58>



 午前4時。

 真那の携帯電話から着信音が響くと、にわかに騒然とした空気に包まれた。

「これ、電話じゃなくて、メールなんだけどぉ」

 スタンバイしていた真那は、すかさずメールを開き、内容を確認した。

 それと同時に「発信源はどこだ?」と東山の声が飛び、控えていた東林のスタッフが早急にアクセス解析に当たる。


 3億円を1億円ずつに分割し、以下の3人に運ばせよ。
   A:真那
   B:鷲塚海琉
   C:その他
 午前6時に、渋谷駅のハチ公像前で次の連絡を待て。



 メールの文面を読み上げた真那は、確認を促すように携帯電話を鷲塚に渡した。

「1億円ずつの分配ですか。
 やれやれ、もう一箱足りませんでしたね」

 すでに準備が整えられていたジュラルミンケースの中の現金を、東山が急いで入れ替えるよう指示を出す。

「しっかし……その他ってぇのは何だよ、その他って。
 まるでゲーム気取りじゃねえか」

 鷲塚の手元をのぞき込んでいた古谷が、舌打ちをしながら呟き、盛大な溜息をついた。

「俺が行きます──やらせて下さい、若頭」

 真那の横に控えていた新堂が、身を乗り出すようにして、自ら受け渡し役に志願する。

 しかし鷲塚は小さく頭を振り、当惑した表情を浮かべていた真那に顎をしゃくって見せた。

「お前は、そいつの護衛に回れ。
 わざわざ連絡役に指名しているんだ。
 犯人にとっては、どうでも良い『その他』より重要度が高いということだろう」

「しかし……」

 それでもなお新堂が言い募ろうとすると、その姿を横目で眺めていた古谷が、突然片手を挙げた。

「だったら、『その他』は俺がやってやる。
 どうでも良いって言ったって、ヤツらが金を奪いに来るのは間違いねぇ話だろ?
 どんな方法を使うつもりなのか、お手並み拝見といこうぜ」

 新たに運び込まれた3個のジュラルミンケースに現金を分配させながら、話に耳を傾けていた東山が口を挟んだ。

「他の二人に比べればリスクは少ないかもしれませんが、何が起こるか判りませんよ。
 むしろ、顔が割れてない人間の方が良いのでは?
 それに、古谷さんがこれを持ってウロウロしていたら、犯人と接触する前に、警察に不審がられるかもしれませんよ」

「……だったら、変装すれば良いじゃねえか」

 古谷がむっとしたように言い返すと、東山は肩をすくめて見せた。

「つまり──古谷さんは、ここでじっとしていられないって事ですね」

 そうするうちに発信源が解析され、東山はやや驚愕したような面持ちで首を傾げた。

「メールの発信源は……神奈川県の小田原市ですね。
 犯人は都内にいると考えていましたが、プロファイリングが間違っていたでしょうか」

「発信源に人を向かわせますか?」と訊ねた東山に、鷲塚は頭を振って見せた。

「おそらく、こちらを撹乱するつもりだろう。
 それより、渋谷に人を回して、周辺を監視させろ。
 向こうもこちらの出方をうかがっているはずだ」

 鷲塚はそう告げると、古谷に視線を向けた。

「それから三人目は、古谷……お前に任せる」



 ファントムから指定された午前6時を前に、渋谷駅のハチ公前広場に立った鷲塚は、多くの人が行き交うスクランブル交差点に目を向けた。

 通勤ラッシュ前ではあるが、やはり、そこそこの人間が出歩いている。

 一般人にまぎれて、荒神会の構成員や東林の社員が監視をしているが、身代金を要求する『ファントム』もまた、同じ手口を使っている可能性は高かった。

「……ったく。だいたい、どうしてハチ公前なんだよ。
 オマワリがいるじゃねーか。
 職質されたら、何て説明すんだ、この大量の諭吉さん」

 渋谷駅ハチ公口に隣接する交番を、そっと肩越しにうかがいながら、サラリーマンに扮装した古谷がぼやいた。

 いつもの派手なヤクザファッションではなく、地味なビジネススーツに黒縁の伊達眼鏡、さらに髪型をオールバックからきっちり七三分けに変えた古谷は、一見すると、何者か分からないような風貌になっている。

「せっかく普通の格好しててもぉ、そんなに肩怒らせてたら、ますます怪しい人に見えちゃうんじゃない?
 余計に職務質問されそうな気がするけどなぁ」

 笑いを堪えるように唇を歪ませた真那が忠告すると、古谷は「うるせえ」と睨み、ぴったりと別れた髪をわざとらしく撫でつけた。

「俺より、鷲塚の方が怪しいだろうが。
 だいたい、何でサングラスなんかしてんだ、お前?」

 普段と変わらぬスーツ姿に、目許を隠す黒いサングラスをかけている鷲塚を見上げ、古谷が訝しげにそう訊ねる。

 鷲塚は肩をすくめただけでそれには答えず、周囲に鋭く注意を向けていた。

 そして、午前6時──真那が「あ、メールが来た」と声を上げた。


   A→半蔵門線で錦糸町駅へ
   B→井の頭線で吉祥寺駅へ
   C→東横線で菊名駅へ

 午前6時45分、次の連絡を待て。


「……俺たちをバラバラにする気だな。何考えてんだ?」

 古谷が眉間に皺を寄せる横で、鷲塚はスーツに仕込んでいたマイクで、待機している高宮と東山に次の指示を出した。

「3つのチームに分けて、次のポイントに先回りさせろ。
 俺たちを分散させて、一人ずつから金を奪い取るつもりだろうからな」

『了解。ちなみにメールの発信源は、今度は埼玉県からです。
 所有者も電話番号も変わっています。
 おそらく、複数の携帯電話を使い捨てにしているのでしょう。
 我々を撹乱する作戦であるのは、間違いないかと』

 表情を変えずに東山の報告を聞いていた鷲塚は、「どうする?」と見上げてくる古谷と真那に「犯人の指示通りに行け」と告げた。

 3億円を、1億円ずつに分けさせられたことから、「ファントム」が各個撃破を狙ってくるのは想定できていた。

 千葉方面、八王子方面、神奈川方面に三人を移動させ、こちらの戦力を削ぎ、かつ自分たちのアジトから遠ざけようとしているようにも見える。

 だが、零を取り戻すためには、このまま敵が描く絵の上で踊らされるわけにはいかない。

 仮に「ファントム」が定めたルールから逸脱したら、どうなるのか──。

 彼らの真の思惑が身代金とは別のところにあるなら、1度のファウルは許されるはずだった。

 そして、こちら側の動きが、どの程度まで「ファントム」に監視されているのか、見定めておかねばならない。

 敵の動向を探り、あえて裏をかくためには、今ここで賭けに出る必要があるだろう。

 10キロを越えるジュラルミンケースを、不平をこぼしながら持ち上げ、それぞれの路線へと歩いてゆく古谷と真那を見送った鷲塚は、踵を返して交差点へと向かった。

 高宮が乗り込んだ黒いワンボックスカーが、すぐに目の前に滑り込み、ドアを開ける。

「次のポイントは吉祥寺だ。6時45分に間に合えばいい」

 鷲塚が指示すると、車はすぐに走り出した。



「もおぉ〜……いったい、どこまで行けばいいのよぉ」

 重いジュラルミンケースを足許に置き、ホームのベンチに座り込んだ真那は、宙を仰ぎながら思わずぼやいていた。

 渋谷から千葉方面へと移動し、すでに時計は午前10時になっている。

 エスカレーターやエレベーターのある駅の移動ならばまだマシなのだが、JR内房線から内陸に入り込むローカル線に乗り換えたところで、1億円はただの重荷となっていた。

「防弾仕様になってますから、ちょっと重いですけれどね。
 まあ、いざとなったら、これを盾代わりにして防御してください」

 GPS内蔵のジュラルミンケースを用意した東山は、他人事のようにそう言ってくれたが、延々と電車を乗り継いで移動させられることになるとは考えていなかったらしい。

 零を拉致した「ファントム」と名乗る輩が何を考えているのか判らないが、身代金を三人に運ばせ、1つずつ略奪するつもりなのだろう。

 だが、指定された時間に次の指示がメールで送られてくるものの、今のところ、周囲に犯人らしき人影はどこにも見当たらない。

 ローカル線の駅のホームで真那は一人浮いた存在だったが、もう一人電車を待っている目立つ男が立っていた。

 真那を影ながら護衛している新堂──と言っても、二人の他に乗客のいないホームでは、離れていてもあまり意味がない。

 真那が視線を投げかけると、同じ事を考えていたのか、新堂がゆっくりとした足取りで近づき、背中合わせにベンチに座った。

「……やっぱり、鷲塚さんの行動が、ファントムを怒らせちゃったんじゃないのかなあ?」

 二人にしか聞こえないような小声で、真那は新堂に話しかけた。

 渋谷駅で「ファントム」から最初の指示があった時、鷲塚はその言葉通りには従わず、車を使って吉祥寺駅に向かったのだ。

 そのため、2回目の指示には、警告文が添えられていた。

 命令通りに動かなければ、次は零を殺す、と──。

 そしてその後、1億円を持った三人は、あちこちを動き回らされている。

 まるでチェス盤の上で自由に駒を動かすように、ファントムは三人を命令通りに移動させて、遊んでいるようだった。

 フウフウと息を喘がせながら、階段を上り下りする真那の姿をどこかから見ていて、笑っているのかもしれない。

「若頭も、何か考えがあってやった事だろう。
 お前は余計な事は考えず、『ファントム』の指示を伝えて、行動すればいい」

 答える新堂の声は淡々としていたが、それでもやや苦い響きが漂っていた。

「だけど、あたしたちには、言う通りにしろって言ってたのに……。
 零ちゃんの身が危ないのに、自分が違う事やってちゃダメじゃない」

 憮然と唇を尖らせた真那が溜息をつくと、新堂は何も答えず、黙り込んでしまった。

「──古谷さん、今、どの辺にいるのかなあ?」

 真那はローカル線で房総半島を旅しているが、古谷は今頃、東海道新幹線に乗っているはずだった。

 鷲塚の方は、信州方面に移動させられている。

 都心から離れすぎたため、三人を護衛する側も大変らしい。

 特に新幹線に乗り込んでしまった古谷を車で追いかけることはできず、新堂と同じように後ろからこっそりと見張っている状態なのだという。

「護衛の数を減らすというのが、ファントムの目的なのだとすれば、ある程度は成功していると言えるんでしょうね」

 連絡をしてきた東山の声も、苦々しいものになっていた。

 暑くなって脱いでいたジャケットのポケットに手を入れた真那は、中に入っている小さなキーホルダー型のGPS発信機を握り締めた。

 三人の所在は、ジュラルミンケース内のGPS発信機の他に、それぞれが持つ携帯電話、そしてこのキーホルダーで常に確認されている。

 安全には最大限気を配ると東山は言っていたが、人の少ない田舎に来てしまうと、急に不安が押し寄せてきた。

 傍に新堂がいてくれなければ、守ってもらえているのかさえ疑わしく思っただろう。

 足許のジュラルミンケースに目を向けた真那は、捕らわれている零の事を考え、嘆息を押し止めた。

 と、その時──携帯電話のバイブが突然振動し、真那はぎょっとして飛び上がりそうになった。

 東山からの着信。

 慌てて通話ボタンを押すと、東山の緊張した声が流れてきた。

「古谷さんの1億円が強奪されました。
 現金は奪われても構いませんが、怪我をしないよう、くれぐれも注意してください」




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