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Fatal Doll



<60>



 地味なグレーのセダンから、坂の上に建つ廃屋を観察していた古谷は、溜息混じりに電話向こうの鷲塚に話しかけた。

「いつまで待機させるつもりだ、鷲塚?
 相手は若いチンピラ二人だぜ──とっとと踏み込んで、零ちゃんの居場所、吐かせちまえばいいじゃねえか」

 新幹線のホームで1億円を奪われた古谷は、GPSの信号を頼りに犯人の後を追い、彼らの潜伏先にたどり着いていた。

 東海道新幹線の上下線を往復させられ、最終的には主要駅ではなく、各駅停車の「こだま」のみが停車する静岡県新富士駅で降りることになった。

 だが、それは一時的な事で、ホームのベンチ下に現金を置いた後、上り電車で東京に戻れというのが、犯人からの指示だった。

 他駅に比べれば乗客の少ない新幹線ホームは、見晴らしが良く、犯人の姿を見つけやすかったが、それは自分自身も同じこと。

 指示通りに、古谷は東京行きのこだまに乗ったが、向かいのホームにいた若い二人の男がジュラルミンケースを持ち去った事にもすぐに気づいた。

 その後、鷲塚と連絡を取り合う中で、古谷は東京には戻らず、隣の三島駅で下車して犯人を追跡することにしたのだった。

『金さえ奪えれば、犯人はお前に用は無い。
 翔太が指揮をしているなら、次は俺か真那の方に集中するだろう。
 踏み込むなら、俺たち二人のどちらかに動きがあったと同時に制圧しろ』

 素っ気ないほど事務的な鷲塚の声が途絶えると、古谷は軽く肩をすくめ、七三分けにしてあった髪を片手で掻き乱した。

 バラバラになったところで、手櫛で後ろに撫でつける。

 変装用の眼鏡を放り出した古谷は、煙草に火をつけ、廃屋に偵察に行っている2人を待つことにした。

 こちらは総勢3人。

 鷲塚に告げたように、廃屋にいるのが2人だけなら余裕で制圧できるが、他にも敵が潜んでいるのだろうか?

 そして、現金を奪っていった2人の顔に、古谷は見覚えがあった。

 あれは、どこで見たのか──。

 古谷が記憶をたぐっていると、偵察から戻ってきた2人が車に乗り込んできた。

「中に、あと2人ほど。全員が同じ年頃のガキばっかりです」

 秘かに撮影された写真に目を向けた古谷は、ピンと閃きを感じ、両手を打ち合わせた。

「そうか……こいつら、翔太と昔つるんでたガキじゃねえか」

 携帯電話に残してあった写真と見比べてみると、表情は違うものの、確かに顔の造作は一致する。

「借金背負ったガキどもが、金に釣られて、事件の片棒を担いだってわけかねえ。
 それより、肝心の零ちゃんは中にいたのか?」

「零さんの姿は確認できませんでした。
 ただ、ヤツらの言動を見ていると、零さんがいるような雰囲気ではないように思えます」

 報告を聞き、古谷は皮肉っぽく唇の片端をつり上げていた。

「なるほどねえ──そんじゃま……いっちょ、暴れてやりますか。
 と、その前に、俺は着替えだ。
 お前ら、俺の服、どこにやった?」

 車内を見回し、古谷がそう問うと、男たちは互いに顔を見合わせ、気まずそうに視線を逸らした。

「申し訳ありません。新幹線内に忘れてきました」

「──はああぁ? 頼むぜ、おい。あれは、俺の戦闘服なんだよ。
 こんなナリのままじゃ、気分が全然乗らねえじゃねえか!」

 あまりにも地味で普通すぎるスーツを見下ろし、嘆くように天を仰いだ古谷は、恐縮する2人の男たちをぎろりと睨みつけた。

「お前ら、そこらで調達してこい!」

「……この辺じゃ、古谷さんが気に入るようなスーツどころか、コンビニ探すのも大変です」

 申し訳なさそうに弁解する男たちに腹を立てながら、古谷は不機嫌な声で、鷲塚の携帯電話に状況を報告する。

 それから30分後──。

「真那ちゃんの方で、動きが出ました」

 東山からの電話を合図に、古谷は護衛2人と共に廃屋を急襲した。

 だが、戦闘というには、あまりにも呆気ない幕切れだった。

「──頼む。見逃してくれよ! この金が無かったら、俺たちも殺されるんだ」

 1億円が入ったジュラルミンケースを抱え込むようにして、床に這い蹲っていた二十歳くらいの青年が、涙声で古谷に訴えた。

 他の仲間3人は、古谷たちに気絶させられ、床の上に転がっている。

 涙と鼻血を流しながら死にもの狂いになっている男の前に屈み込み、古谷は脱色された前髪を掴むと、酷薄な表情で首を傾げた。

「てめぇは確か……小池って名前だったよなあ?
 てめぇが作った借金を、身代金を奪って返すつもりだったのか?」

 容赦無く前髪をねじり上げると、小池と呼ばれた男は蒼白になり、苦悶に顔を歪めた。

「……ち、違う! この金を奪わないと殺すって、俺たち脅されたんだよ。
 テツはもう、あいつらに殺されたんだ。
 言うことを聞かないと、俺たちも同じ目に遭わせるって……あいつらが!」

 古谷は片眉をつり上げると、携帯電話で一人の男の写真を呼び出した。

 行方不明になっている、翔太のかつての仲間──河村哲也。

「殺されたってえのは、こいつか?」

 確認するように写真を見せると、小池はおどおどとした視線を向け、小刻みに頷いた。

 つまり、借金でがんじがらめになったかつての仲間たちを、翔太は陰ながら操り、事件に巻き込んだということなのだろう。

「──で、零ちゃんはどこにいる? 居場所を知っているのか?」

 半ば無駄な質問だと諦めながら古谷が聞くと、案の定、小池は瞳の中に困惑した表情を浮かべた。

「し、知りません……あいつら、詳しい事は何も話さなかったし」

「その『あいつら』と、どうやって連絡してるんだ?」

「後で、連絡するから、迎えがくるまでここで待てと。
 いつも、向こうから一方的に電話してきて、こっちからは接触できないんです」

 この男たちもまた、完全に捨て駒にされている。

 そう思いながら、古谷が鷲塚に連絡すると、鷲塚もまたその考えに同意した。

『金の回収に成功すれば、それはそれで良かったのだろうが、もしかすると翔太は、そいつらを始末するつもりだったのかもしれんな』

 鷲塚の冷ややかな言葉にうなずきながら、古谷はガタガタと震えている小池を一瞥し、長々と溜息をついた。

「とりあえず、こいつらに協力していただいて、迎えに来るってヤツらを捕まえる」

『気をつけろ──次は間違いなく極道の出番だ。
 そっちに応援が間に合うかどうかも判らんぞ』

 鷲塚の警告を鼻で笑い、古谷は周囲をぐるりと見回した。

「おいおい……誰に言ってんだ、お前? 
 俺の心配をするより、お前は零ちゃんを助けることに集中しろ。
 何か判ったら、また連絡する」

 通話を切った古谷は小池を見下ろしてにやりと笑い、腰のホルスターから拳銃を抜いた。

「というわけで、第2ラウンドの始まりだ。
 今度は俺たちの言う通りに動いてもらおうか」

 額に銃口を向けられた男は、今にも気絶しそうな青ざめた顔で、こくこくと何度も首を縦に振った。




 真那に与えられた次の指令は、「駅前でタクシーを拾い、一人で乗れ」というものだった。

 だが、閑散とした無人駅の前には、タクシーなど一台も止まっていない。

 ここは千葉県木更津から房総半島深部を結ぶ久留里線の上総松丘駅。

 内房線の五井駅から、小湊鉄道、いずみ鉄道を乗り継いで外房の大原駅に出た真那は、その後南下して勝浦や安房鴨川駅を巡り、再び内房線に戻った。

 まさにローカル線一人旅──ガタン、ゴトンと心地よく揺れる座席に座っていると、早起きしたせいもあり、15sの荷物を持ち運んでいるせいもあって、猛烈な眠気が襲ってくる。

 真那がこくりこくりと船を漕ぎ始めると、新堂が容赦なく頭を小突いて起こしにきた。

「眠るな、バカ──ちゃんと目を開けてろ」

「だってぇ……こんな所で襲ってくる人なんていないと思うし……」

 もしこれが、本当に気ままな一人旅なら、もっと楽しめただろう。

 だが、無機質なジュラルミンケースを持ち歩く真那の姿は、のどかな田舎の風景にはどこまでも不釣り合いだった。

 重いジュラルミンケースを地面に下ろし、腰を曲げたまま大きな溜息をついた真那は、両脚の間から木造の駅舎を見つめた。

 新堂はまだ駅舎に姿を隠しているが、後からちゃんと付いてきてくれている。

 だが、タクシーに乗ってしまうと引き離されてしまうだろう。

 真那は思わず顔を顰めてしまったが、GPSがあるのだから、見失わずに尾行できるだろうと考え直した。

 腰を伸ばして背筋を伸ばした真那は、「よいしょ!」とかけ声をかけてジュラルミンケースを持ち上げた。

 よたよたと歩き始め、タクシーを探して周囲を見回す。

「……ていうか、ここ……タクシーなんていないんじゃないのぉ?」

 山が近くまで迫っていて、数えるほどの民家や小さな商店しか見当たらない駅前は、東京で生まれ育った真那にしてみれば、あまりにも寂しすぎる風景に見えた。

 立ち止まって呆然としていると、前方から運良く一台の個人タクシーが、駅に向かって走ってくる。

 空車の表示を見とり、真那は急いで手を挙げた。

 タクシーが目の前で止まり、後部ドアが開く。

 ジュラルミンケースを先に押し込み、座席に腰を落ち着けた真那は、「どこまで?」と訊ねる運転手の言葉に困惑してしまった。

 まだ、犯人から次の指令が来ていない。

「え〜と──とりあえず……この辺、しばらく回ってもらえますか?」

 いかにも怪しい要求だったが、運転手は固い表情のまま「判りました」と答え、車を発進させた。

「……新堂さん、追いつけるかなあ」

 口の中でぼそりと呟いた真那は、肩越しに背後を振り返ってみたが、駅はすぐに見えなくなってしまった。

 道路を挟んで左右に建つ昔ながらの鄙びた商店街を抜け、国道410号線に入ったタクシーは、そのまま進路を変えずに走り続ける。

 犯人から連絡は無かったが、タクシーがどんどん駅から離れていっていると不意に感じ、真那は不安に駆られて運転手に話しかけた。

「あの〜、そろそろ駅に戻ってもらっていいですか?」

 ところが、運転手は前を向いたまま答えない。

 停まるどころか、さらにスピードを上げて蛇行する道を走るため、真那の躰は左右に大きく揺さぶられた。

「──ちょ、ちょっとぉ! 停めなさいよ!」

 前の座席にしがみつき、真那が大声を出すと、突然タクシーは急停車した。

 その勢いで真那の躰は前に飛び出しそうになったが、振り返った運転手の手にある物を見て、全身から冷や汗が吹き出した。

 白い手袋をしたまま握っているのは──黒光りする拳銃。

「静かにしていろ。ファントムの命令だ」

 その名前を聞き、凍りつく。

 真那が大きく双眸を瞠ったまま後部座席にどさりと座り込むと、運転手は再びタクシーを発進させた。

 いったい、どこに行くつもりなのか──汗ばんだ両手を握り締め、真那は祈るような気持ちで新堂に呼びかけた。

(……新堂さん。お願いだから、助けに来てよぉ)

 もしかすると自分はこのまま、零と同じように拉致されてしまうのだろうか。

 それとも、どこかでこの1億円を奪われて、殺されてしまうのだろうか。

 嫌な想像が次々と脳裏に浮かび上がり、真那はポケットの中に入っているキーホルダーをぎゅっと握り締めた。