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Fatal Doll



<61>



 真那が乗ったタクシーは、山間の国道をしばらく走った後、鬱蒼とした杉木立の奥へと続く細い道に入り込んでいった。

 砂利道の坂を上り、前方に開けた空き地にタクシーが停まると、そこで待っていた白いワゴン車から男が二人出てきた。

 黒いニット帽を目深に被った男が、ロープで縛られたもう一人の男を引っ張るようにしてタクシーに向かってくる。

 縛られた男は、目隠しをされ、猿轡を噛まされた状態で歩かされていた。

「──いいか、そのまま動くな」

 一方、タクシーの運転手は、真那を拳銃で牽制しながら後部座席に回り込むと、シートに置かれていたジュラルミンケースを地面に下ろした。

 それと入れ違いに、目隠しをされていた男が運転席に座らされる。

 息を止めたまま、真那がその様子を見つめていると、ニット帽の男が真那の横のドアを開け、「出てこい」と短く命令した。

 銃口を突きつけられていては、逃げることもできない。

 真那は恐怖に怯えた表情を浮かべ、おずおずと無抵抗を示すように両手を挙げると、男に促されるままワゴン車の後部座席に乗り換えた。

「お前の携帯電話を出せ」

 ドアを開けたままのワゴン車の外で、ニット帽の男が手を差し出す。

 真那が困惑しながら携帯電話を渡すと、男はそれを地面に置き、躊躇することなく拳銃で撃ち抜いた。

「──きゃあぁっ!」

 サイレンサーが装着されているため撃発音は鈍かったが、その音と自分の携帯電話が破壊された事にショックを受け、真那は思わず悲鳴を上げていた。

「判ったな。モデルガンじゃないぞ。
 ここで死にたくなかったら、大人しくしていろ」

 青ざめる真那に見せつけるように拳銃をちらつかせ、ニット帽の男はにやりと笑う。

 その間、タクシー運転手は、ジュラルミンケースをワゴン車のトランクに乗せ、中身を確認するように蓋を開けた。

「金を全部確認しろ。GPSが隠されているだろうからな」

 そう言ったニット帽の男もまた、タクシー運転手と同じように百万円の束になった現金を一つずつ確認し、別のボストンバッグに詰め込み直す。

 恐る恐る背後を振り返った真那は、激しい恐怖と不安で胃が冷たく痺れるような感覚を味わった。

(……どうしよう。もし、あれが見つかっちゃったら──)

 鷲塚と東山が仕掛けた発信機を、この男たちに気づかれたとしたら?

 真那は、ポケットの中のキーホルダーをぎゅっと握り締めた。

 現金の中に隠されたGPS発信機が見つからない事を必死で祈ったが、真那の願いは叶わず、男たちは程なくそれを見つけ出してしまった。

 だが、彼らの行動は意外なもので、GPSが埋め込まれた100万円だけをジュラルミンケースに戻し、それをタクシーのトランクへ放り込んだ。

「さあ、行け。約束の100万円だ。
 それより、俺たちの事を誰かに喋ったらどうなるか、判っているだろうな?」

 ニット帽の男が、タクシーの運転席に座った男のロープを切り落とし、目隠しと猿轡も外しながらそう恫喝する。

 自由の身になった男は、すぐにタクシーにエンジンをかけ、慌てふためくようなスピードで空き地から逃げ出していった。

 それを見送り、残った男二人は互いにうなずき合う。

 タクシー運転手に扮して、真那を駅からこの空き地にまで連れてきた男は、ワゴン車の運転席へと回った。

 ニット帽の男は、再び真那に拳銃を突きつけ、怖い声で問いかけてくる。

「お前……他にもまだ、GPS、持ってるんじゃないだろうな?」

「──も、持ってないよ!」

 真那は精一杯気丈な態度で言い返したが、男は胡散臭そうに睨み、もう一度外に出るようにと顎をしゃくって見せた。

 そうして、トランクに置かれていた金属探知機らしき物を使って、真那の全身をくまなく調べる。

 掌に脂汗を掻いていた真那は、拳を握り締めて宙を睨み、その間、何も考えないようにして突っ立っていた。

「……よし。良いだろう。車に戻れ」

 金属探知機が何も反応を示さないことを訝しみながらも、男は渋々そう命令した。

 その言葉に安堵し、細く胸の中の溜息を吐き出した真那は、ちらりと周囲を見回した。

 このまま走って逃げれば、どこかに隠れられるだろうか──?

 だが、いくら全速力で走っても、背後から撃たれたら、逃げ切れないかもしれない。

 絶望が胸を過ぎり、諦めにも似た気持ちで真那が車に片足をかけた時、突然、バイクの爆音が木々の間を貫いた。

 突如として空き地に現れたバイクは、坂道を飛び越えるようにスピードを加速させ、ワゴン車に向かって突進してくる。

 バイクの背には、フルフェイスのヘルメットを被ったライダーが跨っていた。

 思いがけない侵入者に驚愕したニット帽の男は、一瞬呆気に取られたように立ちすくんだが、すぐにライダーに向けて拳銃を構えた。

 けたたましい排気音を響かせ、バイクはワゴン車の横を通り過ぎ、急旋回する。

 ライダーの手にも、いつの間にか拳銃が握られている。

「──新堂さん!」

 とっさに叫んでいた真那は、ニット帽の男を無防備な背後から蹴りつけ、前のめりに体勢を崩させた。

 たたらを踏んだ男が、怒りに燃えた顔で振り返った瞬間、空気がこもった鈍い発射音が響き渡る。

 足を撃たれ、男が悲鳴を上げるのと同時に、ライダーはワゴン車の運転席から飛び出そうとしていた男に威嚇射撃を行い、その動きを牽制した。

 顔は見えないが、きっと新堂に違いない。

 そう信じた真那は、助手席側から走り出し、脇目も振らずにバイクに駆け寄った。

「乗れ!」

 それは、間違いなく新堂の声だった。

 真那は急いで後部シートに跨り、男の腰にしっかりと両腕を回した。

 その間にも新堂は、車の陰に転がり込みながら、こちらを撃とうとしているニット帽の男を狙って撃ち返す。

 その一発がワゴン車のタイヤに当たり、空気が吹き出した。

「行くぞ」と合図するように、新堂はアクセルを吹かし、答える間もなく飛び出す。

 ヘルメットも被らないまま、疾走するバイクから振り落とされたら大怪我をするだろう。

 男の背中に顔を押しつけるようにして、必死にしがみついていた真那は、何度も躰が左右に傾き、立ち直るのを感じながら、少しずつ助かったのだと思えるようになった。

 やがて、バイクが停止し、エンジン音が途切れる。

「怪我は無いか?」

 フルフェイスのヘルメットを脱いだ新堂が、しがみついたままの真那に問う。

「……え? あぁ……うん、あたしは大丈夫」

 我に返った真那は、慌ててバイクから降りると、自分たちを取り巻いていた3台のバイクに気づき、目を丸くした。

 その中でただ一人、バイクに乗っていない男が、ニヤニヤと笑いながら問いかけてくる。

「カワイイですねえ。新堂さんのカノジョですか?」

「……んなわけねえだろ。
 そんな事より、逃げたヤツらの後、きっちり追尾してんだろうな?」

「タクシーと、さっきのワゴン、とりあえず二人ずつで追わせてます」

 間髪おかずに否定した新堂の言葉に、何やらカチンとくるものを感じた真那は、憮然とした表情で会話に口を挟んだ。

「あたし、キーホルダーをあの車に残してきたから、無理に尾行しなくても大丈夫かもよ?」

 怪訝な顔をする新堂を見上げ、真那は勝ち誇ったように胸を張って見せた。

「あいつらがゴソゴソやってる間に、こっそり、シートの隙間に押し込んできたの」

 真那はにっこりと会心の笑みを浮かべると、少し驚いたような顔つきをしている新堂に向かって、深々と頭を下げた。

「でも、助けてくれて本当にありがとう、新堂さん」 

 真那が顔を上げると、新堂はそっぽ向いたまま、ぼそりと呟いた。

「……お前が死んだら、零さんが悲しむからな」

 その声にはまだ、苦悩と暗い自嘲の響きが色濃く漂っていた。




『新堂君の活躍で、真那ちゃんは無事です。
 何とか間に合って良かった。
 バイクで追跡するという新堂君のアイデアは、思っていた以上に役立ちましたね』

 鷲塚に状況を報告する東山の声には、隠しきれない安堵が滲んでいた。

『それから、真那ちゃんの機転のおかげで、犯人の車にGPSを仕込むことができました。
 現在追跡中ですが、予想通り、彼らは東京に戻ろうとしているようです』

 木更津に戻れば、その後は東京湾アクアラインで海を渡り、そのまま川崎市に入ることができる。

 三者三様に東京から離れた場所に移動させられているように見えても、最終的に犯人グループは東京に戻るという鷲塚たちの予測は、今のところ外れてはいないようだった。

 そして、鷲塚に指示された最後の目的地は、長野県の軽井沢。

 碓井軽井沢インターチェンジから、上信越自動車道を使えば、最短ルートで東京と結ばれる。

 だが、他の二人がそうであったように、鷲塚に対する数々の指示もまた、様々な路線を乗り継いで軽井沢に到達するというルートだった。

 さらに、待機時間やあからさまな寄り道が多かったため、午前6時に渋谷駅前から始まった旅は、今や12時間が経過しようとしている。

 観光地化されているとはいえ、日が暮れてしまえば、軽井沢は一気に暗くなる。

 果たして、最終地点はどこか──。

 古谷や真那がたどった行程から考えれば、おそらくは人目に付かない場所を選んでくるのだろう。

 先に犯人を捕縛した古谷の報告によれば、アジトに後から現れた二人の男は、かつて九頭竜組に所属していた構成員であるらしかった。

 なかなか口を割らなかったらしいが、それでも彼らは証言した。

 ファントムと名乗る男は、九頭竜組を解散に追い込む原因となった、九竜裕吾であると。

 そして、全てを背後から操っているのは、北聖会の会長御山恭介だと──。

『どうやら、俺と真那ちゃんに充てられていた組員は、それぞれ二人だな。
 だが、ヤツらにとっての大本命はお前のはずだ、鷲塚。
 他に何人いるのか、どういう作戦なのか、まだ吐こうとしねえが、油断すんなよ』

 興奮醒めやらぬ古谷からの電話に、鷲塚は薄く苦笑を閃かせた。

 古谷にも教えていない秘策があるのだが、それを後から聞かされたら、間違いなく怒り出すだろう。

 古谷からの電話を切った直後、鷲塚の携帯電話が再び着信音を立てた。

 アドレス帳には記録されていない、見覚えのないナンバー。

 神経を逆撫でするような予感と共に通話ボタンを押すと、スピーカーからくすくすと忍び笑いが聞こえてきた。

『傷心旅行は楽しめた、鷲塚サン?』

 男にしては高めの声──田中翔太の冗談めかした言葉に、鷲塚は鋭く双眸を眇めた。

「どういうつもりだ?」

 全ての感情を凍てつかせた声で問うと、翔太は神経質な笑い声を立てた。

「せっかくだから、零さんからの伝言を伝えてあげようと思ってさ。
『もう、探さなくていい』だって。
 鷲塚さんの所には帰れないって、零さん、泣いてたよ」

 その言葉を聞いた瞬間、鷲塚は、血管の内側でどす黒い憎悪が逆巻くのを感じた。

 零の精神を追いつめるほど、いったい、何が行われたのか。

『──どうする? 
 あなたが零さんを諦めるって言うなら、そこにある金を持って、東京に帰ってもいいよ』

 からかうように、翔太がそう訊ねてくる。

「愚問だな。俺が零を諦めると思っているのか?
 零に伝えろ。
 俺が迎えに行くまで、良い子にして待っていろ、と」

 胸の奥で荒立つ感情をねじ伏せ、鷲塚は鋼の双眸をぎらつかせながら、冷ややかな声でそう告げた。